銀狼Ⅳ

 ロシアのそこここに三つ目トライアドの拠点はあった。それは雑居ビルの中の一部屋だったり、高級ホテルの地下にあったりして、物騒な車両やら装備やらが隠されていた。

 その時、三つ目トライアドの幹部、ハギスがいる拠点は街角の食堂の裏手にあった。彼は、プラ製の安い椅子に座って、足を机の上に放り出して、自分たちが追っている人狼についての部下の報告を通信で聞いていた。店は休業になっていて、食堂にはハギスの護衛がいて、その奥のハギスがいる部屋には他に誰もいなかった。

 「団地から合計8台車が出たようです、どれに当たりが居るかは不明です」

 彼は通信で部下からの報告を聞いていた。

 「そうか、古典的な手だな、しかし効果的ではある。おかげでこっちはすっかり出遅れちまった…。お前らはモスクワに戻って監視を続けろ。手は出すなよ、お前らの敵う相手じゃないからな」

 「分かりました。しかし、車の一つには銀狼ローガンが乗ってます。それで…」

 「おい、くだらん復讐心は捨てろと言ったはずだぞ。だいたい先に仕掛けたのはこっちの方じゃねえか。それで返り討ちにあった間抜けのために尽くす義理がどこにある。俺はもう行くが、目的は人狼だ。それを忘れるな」

 「…わかりました。それでは」

 人狼を追跡する部隊との通信を終えて、ハギスはさらに別の部下へと通信を行う。

 「ミーシャ、俺たちも出発だ」

 彼がそう言って通信を切るや否や、防弾仕様の黒い車が店の前に現れ、待機していた二人の護衛が彼のためにドアを開けた。ハギスと護衛の一人が後部座席に乗り、もう一人の護衛が補助席に乗り、車は店を後にした。

 「ボスはどんな感じだ?」

 ミーシャと呼ばれた運転手が答える。

 「人狼にそんなに興味はなさそうでした。ハルフォードがどうなるかの方が気になるみたいです」

 「なるほど、好都合だ。よし、飛ばせ。こっちもスピードが命だ」

 「了解!ターボオンッ!」



 銀狼達を乗せた車はモスクワに向けて真夜中の国道をひた走る。この時間だと周りには車はおらず、闇で周りに何も見えないような道をただひたすらに車は走っていた。

 「出発から1時間、ここまでは順調だな」

 「ヴァシリが上手くやってくれてるってわけだ」

 運転席にはフリッツが座り、助手席にはローガンが座っていた。二人は傍受シギントした警察の通信を聞き、追手の情報を確認していた。

 後部座席では検事カタリーナが緊張の面持ちで座っていた。人狼アルトもトレーナーのポケットに手を突っ込み、体勢はリラックスしていた。しかし、やはり緊張はしていて、車の走行音以外の不審な音を拾おうと、その獣の耳が時たまピクリピクリと動いていた。

 車の進行方向の、闇夜の中から、突如二つの光が差す。数十分ぶりの対向車、大きなトラックがローガン達の車を交わした。

 「フリッツ、今のは?」

 「ハルフォードだ。飛ばすぞ」

 「え?」

 カタリーナが後部座席から声を上げる。トラックには一見しておかしな様子は見当たらなかったが、経験から二人はそれが分かった。

 「二人とも伏せて、窓から顔が見えないように」

 フリッツはアクセルを強く踏み込んだ。トラックのコンテナが解放され、中から何か飛び出したのをローガンは見た。飛び出したそれは、5〜6mほどの自律兵器。6本脚で車を追いかけてくるその兵器は―――

 「多脚戦車クモ!」

 6本脚に支えられた多脚戦車クモの躯体、その側面に備え付けられた2門の機関銃が火を吹く。銃弾はしかし、今のところは車に備え付けられたバリアが弾いていた。

 「所詮対人兵器だな。火力もそこまでってところだが」

 フリッツがアクセルを強く踏み込む。車は時速100キロは出ていたが、多脚戦車は離されることなく追いかけてくる。ほとんど白い直方体の簡素な躯体には、センサー類が備え付けられてあり、ターゲットが停止するまで、正確にそれを追い詰める。

 「受け続けるとまずいぞ、なんとかしてくれ、ローガン」

 「分かってるよ。博士ドク!見えてるだろ!」

 グラストラック。目薬をさすようにして眼球に装着されるナノデバイスを通して、ローガンの視覚情報が、遠く離れた受信者レセプターにも共有される。

 ≪見えてるよ≫

 情報は遠く、アメリカまで飛び、博士ドクと呼ばれた者がローガンに返事をする。声からすると男性だ。

 ≪ドク!アレはなんだ?ロシア製のクモか?≫

 ≪正確にはウクライナ製だ。脚には関節が一つのみで、司令塔部の構造も簡素、プリンターで簡単に出力できるようになってる。元は暴徒鎮圧を目的としたクモで、催涙弾と鎮圧用のゴム弾を発射するんだが、ハルフォードが改造したようだな≫

 銃弾は止まず、車のリアガラスはバリアが銃弾を弾いた際のノイズでホワイトアウト仕掛けている。

 ≪本当は見た目もおどろおどろしくした方が犯罪者に対する威圧的な効果があって良いとされているのだが…簡素な見た目にした方が、量産性が良いということだろうな≫

 ≪ドク、今はそういうのはいいから。弱点とかを教えてくれよ≫

 ≪そうか。ボディは結構脆いぞ。人工筋肉にガワを載せてるだけだ。ナイフでも抜ける。中のCPUを破壊できれば止まる≫

 ≪EMPは?≫

 ≪あの手の兵器には効果が薄い。装甲に回さなかった分の金を、EMP対策に回してるからな≫

 ローガンが通信を行っている中、後部座席で、アルトはゆっくりと窓から顔を出そうとしている。ここで死ぬわけにはいかない。緊張の面持ちで、拳を握り締める。

 「アルト」

 不意にフリッツが声をかけてアルトは驚いて前を向く。バックミラー越しに、赤のアイカメラと目があった。

 「心配するな。これでも俺たちは一流の賞金稼ぎ《バウンティハンター》ってやつだ」

 「そういうこと」ローガンが調子を合わせる。

 「あと、EMPを考えてるのかもしれんが、車がイカレるからやめろ」フリッツがツッコむ。

 「あ、そうか…アルト、後ろのシートを外して、スリングショット《パチンコ》と鉄球を取ってくれ」

 アルトは、まだ懐疑的であったが、自分の行動を見抜いたこの二人をひとまず信じてみることにした。シートの外し方が分からなかったが、検事カタリーナが手早く外して頼まれたものをローガンに渡した。

 「よし…フリッツ、次のトンネルだ」

 「プランはまとまったか。頼むぜ、銀狼」

 車がスピードを上げ、トンネルに突入する。トンネルは緩やかなカーブを描いており、壁ができることで、銃弾の勢いが少し弱まった。フリッツが車の天窓サンルーフを開ける。

 車がスピードをさらに上げる。多脚戦車クモとの距離が離れ、カーブの壁で、その姿が見えなくなった。ローガンは助手席の窓から身を乗り出して、スリングショットを構えた。カーブが直線へと移り、多脚戦車クモが完全に見えるようになったタイミングで、スリングショットが放たれる。鉄球はジャイロ回転をしながら、右の真ん中の脚の関節に突き刺さり、6本脚の多脚戦車クモは一瞬だけ体勢を崩した。

 刹那、ローガンが天窓サンルーフから飛び出す。飛び上がったローガンを打ち落とそうと、多脚戦車クモの機銃が自動的に反応するが、鉄球を撃ち込まれた右側に体制が沈み込んでいるため、その躯体が邪魔となり、右側の機銃がローガンを捉える角度にない。結果として、対空砲火はローガンの持つ携帯用シールドで防げる程度の火力に収まるに至った。

 多脚戦車クモの躯体に取りつき、ローガンは右手に持ったナイフを突き刺す。それと同時に左手で手榴弾グレネードのピンを抜き、右のナイフで躯体を切り裂き、左の手榴弾グレネードをその中に突っ込んだ。そして飛んで離れる。その数刻後に多脚戦車クモの躯体は爆発し、活動を停止した。

 飛んで離れたローガンは肩から地面へと接触するが、地面に対してシールドを細かく展開しながら回転することで落下によるダメージを抑えた。これがいわゆるサイバネ五体投地であり、サイバネ空手における基礎的な受身の技術であった。

 ≪お見事≫

 博士ドクからそう通信が入った。フリッツが車を停止させる。ローガンが肩を払いながら、車へと歩き、助手席へと再び乗り込んだ。

 「すごい…」

 爆発炎上する多脚戦車、それを背後に歩いてくる生身の男。その光景を見て、カタリーナは思わず息をのんだ。アルトもまた、その光景に驚嘆の色を隠せなかった。

 「今ので保護対象パッケージの居場所がバレた。急ぐぞ」

 フリッツが声をかけ、ローガンが急いで助手席に乗り込む。銀狼達を乗せた車は、獣のような唸りを上げ、モスクワへと爆進していく。

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