銀狼Ⅲ
約束の場所はモスクワから車で2時間程度離れた場所だった。かつて政府が副都心として作ろうとしたが、失敗に終わった街の残骸。今は賞金稼ぎやその他きな臭い仕事を行うもの達が、表には出せない仕事を行う際の拠点になってるような場所。そこに、ローガンとフリッツが仕事を求めてやってきた。
「よく来たな」
共産主義国家の都市によく見られる、何本も同じデザインで立っているマンションの廃墟、その一つの入り口にヴァシリが立っている。ロシア情報軍特殊作戦群α分遣隊、このロシア国内での情報戦におけるトップオブトップ。寒さを感じないドロイドのくせに着込んだ黒い革のジャケットと、コバルトブルーの
「頼まれたんだから、そら来るよ」
車の中からローガンが答える。通信が繋がっていれば、車のドアが閉まっていようが会話は聞こえる。ビビって来ないやつの方が多いんだよ、そう言ったヴァシリの誘導で、一つのマンションの地下駐車場へと車は導かれていった。
冷たい空気が地下駐車場を満たしていた。ローガン達以外には車も人影もなく、真夜中で、電灯の人工的な灯り以外に、外からの光は全くない。裏の仕事のやりとりをするにはピッタリという雰囲気だった。
車を降りた二人は、ヴァシリによってさらに駐車場の奥へと誘われる。
「それで、本命は何なんだ?」ローガンが尋ねた。
「説明するより見た方が早い」ヴァシリが答えた。
そうか、と言ってローガンはそれ以上は何も聞かなかった。彼ら三人は旧知の中のようで、信頼関係が存在しているようだった。
地下駐車場の管理室の奥に、さらに隠し扉がひとつだけあった。三人は扉の中に入る。隠し部屋は8畳程度のスペースがあり、駐車場および外を見張るためのカメラを確認するための何台ものモニターと、三人掛け程度のテーブルと椅子があって、テーブルには一人の女性と、フードを深く被った少年が座っていた。
カタリーナ・ザイツェフは、主にモスクワでの違法な薬物の流通や子供に対する犯罪の撲滅を掲げて活動している女性検事だった。ローガンと同じ色の、しかし手入れの行き届いた髪を持つ美しい女性でもあった。しかし彼女は国軍だけではなく、時に二人のような賞金組とも組んで仕事を行う、すなわちモスクワの闇にも精通したやり手の仕事人でもあった。三人が部屋に入ると、彼女は座っていた椅子から立ち上がって彼らの方に歩いて行く。
「ヴァシリ、彼らが護衛ですか?」
彼女の問いに、ええ、とヴァシリが答えると、彼女はローガンとフリッツの方を向いて
「カタリーナ・ザイツェフです。はじめまして。鬼に銀狼、噂は聞いていますよ」
そう言って握手を求めた。
「フリッツです。よろしく」
フリッツはそう答えて、握手を返す。彼はどちらかというと無口なタイプだった。
「カタリーナ検事、俺もあなたのことは聞いてますよ。
ローガンもフリッツもモスクワを愛していた。もちろん、カタリーナとヴァシリも。だから彼らも街から愛された。だから彼らは顔が広かった。弱者は彼らを頼りにし、彼らもまた、弱者を見捨てることがなかった。だからヴァシリと賞金稼ぎの二人には信頼関係があった。そして今、女性検事と二人もお互いが信頼に足る者だと感じ取った。お互いに同じ愛を持っていたから。
「それでヴァシリ、あいつが…」
ローガンとフリッツが、椅子に座る少年を見遣る。少年はパーカーのフードを深く被り、その表情は見えない。
「そう、本命の護衛対象だ」
「アルト、ほら」
カタリーナが少年に歩み寄って、椅子から立つよう促した。アルトと呼ばれた少年は、嫌々といった感じで立ち上がり、フードを取った。肩にかかるくらいの銀髪の、17、8の年といったところの、端正な顔の少年。しかしその頭には、獣の耳があった。
「人狼…!」
ローガンが息をのんだ。フリッツの機械の相貌では、反応は読み取れなかった。
「名前で呼べ、アルトだ」
アルトがローガンを睨みつけてそう言った。おう…とローガンは生返事をすることしかできなかった。状況の整理に追われていたからだ。
人狼は、人間が作り出した生物である。チェルノブイリの地下には広大な研究所が隠されており、政府が秘密裏に研究を行わせて、多種多様な兵器やテクノロジーが生み出されているらしい。中には倫理や人権を無視したような研究も行われていて、その中の一つに人間と獣のハイブリッド、人狼がある。幾人かの人狼は研究室から逃げ出し、夜な夜な人間を狩って食べているらしい…これは所謂、
耳だけなのか?獣なのは。雑誌で見た絵よりも実際は結構人間よりなんだな。とかなんとか、タブロイド雑誌のバカ記事が結構好きなローガンは聞いてみたかったが、グッと心の中に留めた。目の前の少年がロクでもない人生を歩んできたことは想像に難くない。わざわざデリケートなところをほじくり返して、護衛対象と険悪な中になるのは、百害あって一利なしであった。
「あの子は、どうやって?」
なのでヴァシリに聞くことにした。
「一部の退役軍人が管理してたのを、ハルフォードエンタープライズが輸送していた。それを奪取した」
「ハルフォードが国の暗部に関わっていたのか…それと彼は、チェルノブイリ出身なの?地下研究所の?」結局我慢できずにローガンは聞いた。
「チェルノブイリに地下研究所があったことは無い。今も昔も。ロシア国内に点在してる秘密研究所の正確な位置は情報軍でも把握しきってない。確かなのは、国軍と政府が闇を抱えていたことと、ハルフォードもそれに一部関わって、儲けようとしていたということ。彼の存在はその証拠になる。だから彼を消そうとする連中が国軍にも政府にも居る」
「情報軍のあんたは?」
フリッツも、ヴァシリの返答に興味がありそうな視線を向けた。
「…ハルフォードから彼を奪いかえしたのはアルファの作戦だ。だが、作戦なんか関係なく、俺個人としても彼を助けたい。軍が彼を確保すれば、結局、実験動物の扱いを受けるだろう。それじゃあ意味がない。だからお前らを頼った。彼をモスクワまで送り届けてくれ。カタリーナ検事の組織で彼の身元を保護する。そうすれば国軍も容易には手を出せないはずだ」
「ローガン、ヴァシリ、カメラに感ありだ」
監視カメラを見ていたフリッツが割って入った。ローガンとヴァシリがモニターで映像を確認する。全身黒色の装備に、黒のマスクをつけた連中が建物の地下駐車場に侵入している映像が流れていた。
「ありゃ、尾けられたかな」
「俺たちが知ってるやつじゃない。ヴァシリ、知ってるか?」
「俺もわからない、どこかに雇われた
運転手のフリッツが先頭を走る。ローガンはカタリーナとアルトに先に行くよう促して、殿をつとめる。
「ヴァシリ!あなたは!?」
カタリーナが出口に走りながらそう聞いた。
「もう少し残ります。奴らがどこの誰か確かめたい」
そう言うと、ローガン達と反対の方向に歩き始める。モスクワでな。ローガンがそう声をかけると、ヴァシリは振り向かずに手を挙げて答えた。
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