アイスフレンド

アイスフレンドⅠ

 「キザシ」はただでさえも治安の悪いモスクワ中心部の中でも、一等治安の悪い地域にあるバーで、外見は趣味の悪いネオン風のホログラム看板がギラギラと輝いていて、中は薄暗いブルーのライトに照らされて、汚れたソファーの並んだ、いかにも悪い奴らが集まりそうなたたずまいの店だった。何故ブルーのライトを使っているかというと、青い光に照らされると腕の静脈が見えづらくなるので、客の覚せい剤の使用を抑えられるためである。つまりこの店は貧困層のチンピラやサイコどもが集まる店なのだ。

 この店に集まるようなカスどもは、他にあまり行くところもないような輩ばかりだ。なので平日の夜でも店は結構混んでいる。話し声のほかに時々、怒号や何かが倒れるような音も聞こえてくる。誰かが喧嘩をしているのだ。そして店の者もそれを止めるつもりはない。

 そんな「キザシ」にアルトは一人で訪れていた。そして、店の奥の方のL字のソファ席、一応VIP席っぽくなってるいる区画に、数人の取り巻きと一緒に偉そうに座っている生身の男二人がいるのを確認すると、彼らの席まで歩いて行った。

 「フランキー兄弟ブラザーズだな?」アルトはソファの二人の前まで行って、尋ねた。

 「あ…?そうだが、誰だお前は?」二人は、片方が青のモヒカン、もう一方が赤のモヒカンだったが、青のモヒカンの方が答えた。

 刹那、アルトが前蹴りを青いモヒカンの顔面に叩き込む。青モヒカンの頭は、アルトのブーツとコンクリートの壁に挟まれて、すごい音を立てた。

 「なんだァーーーッッッ!!!??」

 赤モヒカンと取り巻きが叫んで立ち上がる。ちょうど左側に立ち上がった取り巻きの鼻を、アルトは左の肘で叩く。それと同時に、右側の取り巻きが少し遅れて立ち上がったのを確認して、脇腹に蹴りをかました。これで二人同時にK.O。後は取り巻き一人と赤モヒカンだけ。そこで背後から殺気を感じて、思い切りしゃがんだ。

 バン!大きめの発砲音が鳴った。ちら、と見てみると、赤モヒカンの顔の上半分が吹き飛んでいた…、もうモヒカンはないが、立ち位置的に赤モヒカンのはずだ。大口径のショットガンか?

 最後の一人になってしまった取り巻きが、何かを叫びながら銃を取り出す。銃を構える位置を見るに、ショットガンの男に対応しようと考えたらしい。さっきと同じ発砲音が鳴って、フランキー一味は全滅したようだが、その間にアルトは転がって距離を取ることができた。

 「お前…、どこかで見たことがあるな」アルトは、謎の男を冷静に観察するだけの間合いを取ることができていた。

 「お前のせいで、俺はもう終わりだ…。誰が好き好んでなんかするかよ…。上納金が、でも、もう…、それも稼げなくなったから、もう…!」

 汚いナリをした、若い男だった。血走った目で荒い息をしながら、アルトに向けて、大口径のショットガンを構えて、引き金を引いた。

 左手に仕込んだ電磁シールドで、弾丸を斜めにはじいた。人狼の反応と、クソ度胸の為せる技だ。その勢いを利用して、アルトは横に跳んだ。

 「!」

 男は、アルトの跳んだ位置にショットガンを構えなおして撃つが、それより一手早くアルトが男に向かって、低い姿勢で走り出す。銃を、特にデカいのを相手にするときは、思い切って懐に突っ込む。銀狼ローガンから習った戦い方だ。

 銃弾は外れ、アルトの拳が男の鳩尾に深く、勢いよく突き刺さった。

 男が大きく唸り、ショットガンを落とす。しかし、即座にベルトに据え付けたホルスターからナイフを抜き、切り上げてきた。

 思わぬ反撃にアルトは驚く。しかし躱すことができたのは、ダニーラとの戦いの経験が有った故か。考える間もなく、男は次々に切りつけてくる。目は真っ赤に染まり、口からは涎と吐瀉物が混じったものが漏れている。明らかに異常だ。最初、アルトは相手に恐怖を覚えた。だが、攻撃を捌くうちに冷静になってきた。男の動きは早いわけでもなく、凌ぐのは簡単だったからだ。そして、相手の突きに合わせて、ナイフを蹴り飛ばした。吹き飛んだナイフに気を取られた隙に、アルトは男の顎に右アッパーを叩き込む。脳にかなりキいたようで、膝が揺れて、頭が下がった。落ちてくる頭に、さらに回し蹴りを放つと、男は完全に意識を手放して、床にぶっ倒れた。

 「そうだ…、前におばあちゃんから何か盗んだ、スリのやつだ…」

 アズサと2人で叩きのめした奴らのうちの1人だ。その日の夜に初めて機械獣ズヴェーリを追った、その事の方がインパクトが大きくて、もう一度こうして叩きのめすまですっかり思い出せなかった。

 アルトは構えを解いて、息を1つ吐いてから、本来のターゲットの確認に移った。青いモヒカンの方は、まだ生きてる。赤い方は頭が半分吹っ飛んで、当然死んでる。赤モヒカンの死体の写真を撮ってから、青モヒカンを抱え上げた。店の外に出て、用意されていた車のトランクに青モヒカンを放り込んで、縛り上げたら、それで仕事は終了。後は依頼主が車を回収しに来る。フランキー兄弟に身内を殺されたとかだったが、一人は死体になってしまったから報酬が少し減ってしまったな。そう考えながら、もう一度店の中に戻って、乱入してきた男のショットガンだけ回収して、アルトはその場を去った。

 


 モスクワに数少なく存在する空き地で、銀狼ローガン人狼アルトはその日の組手の稽古を終えた後だった。見上げるとはるか高くモスクワ摩天楼のビル群が見える、寂しさの覚えるような場所だった。

 「――それで仕事は何とかなったんだけどさあ、結局あの男の異常な感じは何だったのかなって」上の服を脱いで、汗だくの体を風にさらして、風を感じながらアルトが言った。

 「それは多分、レッドアイスだな。前から流通してる薬物だよ」

 ローガンはタオルをアルトに投げて渡した。彼は左手に水の入ったボトルを持っていたが、手ほどきをした生徒ほど息は上がっていなかったし、汗もかいていなかった。

 「単にアイスと言うこともある。質がピンからキリまであって、安い奴はほんとに安いから、広く流通してるんだ。強烈な鎮痛効果があるからな、それがキいて、お前が戦ったやつはなかなか倒れなかったんだろう」

 「ふ~ん、そんなものが」

 アルトは地べたに座って、タオルで体を拭く。

 「機械サブドロイドになれない、底辺の人間がそういうのに溺れちまうってことか」

 「それがそうとも言い切れない。アイスにハマるやつは部分的に機械ドロイドになってたり、生身からサブドロイドにのやつも結構多いんだ。人によって程度はあるみたいだが、機械ドロイド化ってのは体と心にすごい負担がかかるみたいでな。その苦痛を取り除こうとして手を出すんだってよ」

 急激に発達するテクノロジーの負の部分。レッドアイスも元を質せば、体に負担の少なくなるよう開発された由緒正しい鎮痛薬だったが、その強い鎮痛作用と簡易な製造工程に目を付けた野蛮な悪人SAVAGEどもが粗悪な類似品をレッドアイスとして売り出し、瞬く間にロシア中に広まった。さらに外国にも売り出され、世界中で流通する薬物となってしまった。とは言え、最近はモスクワでも少し流通しすぎだな、とローガンは感じていた。薬物中毒者ジャンキーによる殺人・傷害事件も増加の傾向を見せ始めている。

 潜入先の地域に安価な薬物を流行らせて、現地住民の力を削ぐのはCIAのよく使う手だ。浸透工作がかなり進んできているな――

 「へえ…。薬物を使ってるとかいう話は、俺の住んでるところでは見たことも聞いたこともないよ。みんな結構しっかりしてるんだな」アルトが言う。

 「まあ、カタリーナさんがいるからな。あの人は違法薬物の撲滅運動も率先してやってるから、やってるやつは許さんし、売ってるやつもバンバン摘発してる。だからお前らの住んでる地域は薬物もないし、治安もまあ…、マシな方だ」ローガンが一口ボトルの水を飲む。「回収したショットガンはどうした?」

 「家にあるよ。けど今度フリッツに持ってってもらう。どこで改造したか洗ってもらおうと思って」

 「ああ…、何か分かったらヴァシリやカタリーナさんにも知らせるといい。試案向上につながるからな…。よし、稽古の後は飯でも食いに行くか」

 そう言ってローガンはアルトの肩をたたいた。アルトは返事をして立ち上がった。

 そうして二人は再び雑踏へと踏み出していった。

 

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