銀狼Ⅶ

 「ヴァシリから連絡が来た…バルゴを倒して、無事に人狼と女検事を確保したってよ。"花火サリュート"部隊も俺らが全員倒した。これでアンタの手駒は全滅だな」

 通話の相手はトマス・グレゴールだった。モスクワで新顔の軍事企業、ハルフォードエンタープライズの幹部。ただのネズミと舐めてかかった賞金稼ぎに、返り討ちにされた間抜けな成金。

 「アンタが何をしようとしたかは全て映像付きで記録されてる。人狼の件で関わってきた軍人も全員把握して、ヴァシリが通報済みだ。アンタももう終わりだな」

 そう言って銀狼ローガンは通話を切った。

 「トマスは何か言ってたかい?」

 フリッツが聞く。夜は明け始め、路地裏にも少しずつ朝日が差し始めていた。

 「聞く前に切っちゃった。なんか悔しそうに唸ってたわ。三つ目トライアドも結局来なかったし、帰ろうぜ」

 「そうか」

 男たちは歩き出す。路地裏には兵隊の死体がそのまま放置されているが、モスクワの一日は何事もなかったかのようにまた過ぎていくだろう。一時間後にはトマスが逮捕されたこと、ハルフォードには大規模な監査が入ることが報道された。



 明け方の高速を一台の高級車が疾走する。

 「間に合ってよかった。どこにハイエナがいるか分からんからな」

 三つ目トライアドの幹部であるハギス・ゴールドリス、その部下で運転手のドロイド、それからもう一人、獣の耳が生えた金髪の少女が後部座席で眠っていた。

 「人狼は二人いた。ハルフォードが確保してた銀狼と、トマスが個人的に確保していた金狼。あの豚にとってはこっちが本命だったようだが、国外に送られる前に捕まえれてよかった」

 「当の本人も賞金稼ぎの実力を見誤って返り討ちですか、ざまあないですね。ところでこのまま事務所ですか?」運転手がハギスに聞く。

 「いや、俺のセーフハウスに行く。そういえば、金狼の情報を俺たちのリークしたのは誰か分かったか?」

 「ほぼ絞り込めました。おそらく、ロシア情報軍所属の、リアルト・ヴォルガノフ大佐です」

 「ヴァシリの上官か…。さすがだな、ミーシャ。元情報軍所属は伊達じゃない…得意のシギントか?」

 「正確にはオシントです。別に違法な行為はしてないですから。オープンソースを辿っていけば、誰だってある程度の答えにまでは辿り着ける。ただ、やろうと思う奴が少ないだけです」

 「やろうと思ってそれができるのが才能だ。このまま俺とお前でのしあがるぞ、金狼を使って」

 車はスピードを上げて、目的地に向かって突っ走っていった。



 モーニングの出る時間はモスクワには珍しい、平穏と静寂の訪れる時間である。行きつけのパブのカウンターでローガンはホットサンドを食べながらテレビを見ていた。フリッツはその隣でカウンターに頬杖を突きながら、ネットを介して、軍や人狼に関する情報を確認していた。

 「アルトの件で関わっていた軍将校が何人かやめさせられた。アルトの件も含めて、軍が裏でやってた研究やらなんやらもこれで明るみに出ていくかね」テレビを見ながらローガンがフリッツに聞く。

 「ないだろうな。ニュースでは軍内部の捜査も進められていくと言っているが、ハルフォードという尻尾を切って終わりだろう。結局やつら、ロシアからの全面的撤退を余儀なくされた。それで世論は溜飲を下げた。トマスもずいぶん調子に乗っていたみたいだが、結局は雑に切られる尻尾の一つに過ぎなかったってことだ」

 「なるほどねえ」コーヒーをひと啜り。「あ、ホンフウエンタープライズって知ってる?ハルフォードの後釜で入ってきた企業なんだけど」

 「名前は聞いたことある。台湾の会社だったかな…、それ以上のことは知らん。三つ目トライアドのとっては好都合だろうな。ハルフォードにはかなりアコギな使われ方をされていたようだ」

 「ははあ、だから奴らに妨害されなかったんだな。利害の一致ってわけだ」ローガンはそう言って、紙ナプキンで口元を拭いて——

 「ちょっとトイレ」席を外した。

 フリッツは特に反応は返さず、ずっと同じ体制で情報を精査し続けていた。



 汚い小便器でローガンが用を足していると、入って来た男が、他に誰もいないのに、わざわざ隣の便器で用を足し始めた。

 ≪人狼を確保したか。仕事はきちんと行っているようだな≫

 ≪え?今?≫

 ヴァーチャルコミュニケーションが開始された。男はローガンの通話用IDを知っていた。

 ≪ハァ…こんなキモいコミュニケーション方法を強要されなきゃならねえのか?アメリカのエージェントってのは≫

 高度に発展したヴァーチャルコミュは、発話者の感情を読み取って口語的なコミュニケーションっぽく落胆の表現を再現したりもした。

 ≪そうじゃけんにするな。貴様には期待しているぞ。すべては米国ステイツが再び覇権を握るため、だ≫

 男は自分のイチモツを振っている。後から来たのにローガンより早く用を足し終えたようだ。

 ≪…本国お前らも上手くやったじゃないか。ホンフウの株主には国防総省ペンタゴンの息のかかったのがいくつも入ってる。潜入成功ってところか≫

 チャックを上げる男の手が一瞬だけ止まった。

 ≪オープンソースの情報だけでも丁寧に追っていけばかなりのことが分かる。偽情報カバーストーリーをいくら用意してもバレるもんはバレる。俺に隠し事は通用しないからな≫

 男は振り返らずに、そして手を洗わずにトイレから出ていった。

 ケっ、ムカつくぜ。といった目つきでローガンは男の背中を見送った。手を洗うためにシンクの蛇口の下に手をかざして、水を出した。もう一世紀は変わっていないテクノロジーだ。これから気の進まない仕事がどんどん増えてくると思うと憂鬱な気分になった。

 それから少し鏡を見て、髪を触ってからトイレを出た。



 ローガンが戻ると、彼が座っていた席にはアルトが座っていた。獣耳を隠すようにパーカーのフードを被っていた。

 「おう、来たか。IDは用意できたのか?」

 「ああ、ヴァシリとカタリーナが用意してくれたよ。これで多分、暗殺されたりとかは無さそうだってさ」

 「お前の存在は既にニュースになってる。もう国軍が手を出すリスクの方が高い。で、IDもできたし、これで晴れてお前も賞金稼ぎの仲間入りってわけだ」

 「苗字はどうなった?ヴァシリが付けたんだろ?」フリッツが聞いた。

 「ヴォールグ。今日からアルト・ヴォールグだ」

 「狼って意味だ。そのまんまだな。じゃ、早速仕事に行くか」

 三人が席を立つ。店の利用客も、徐々に仕事に行き始め、店内は人が少なくなってきているところだった。

 ようやくここから人生が始まる、アルトはそんな気持ちだった。すべてを取り戻す。虐げられてきたすべてを清算する。

 シンシア、待ってろ。俺が必ず、お前を――

 かくして人狼はモスクワに、その一歩を踏み出した。

 果てしない苦難の道へと。

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