アンダーグラウンド モスクワⅢ
≪
その瞬間、弾丸はライフルから放たれ、闇に紛れた
深夜、川沿いの通りに、3mほどの体躯と鋭い爪を持った四足歩行の、無機質の獣が現れる。
「うらあッ!」
現れた
「こっちの場所までわかってるみたいだ…400mあるからどうしようもないだろうがな」
「それはフラグというやつだ。奴らの進化のスピードを侮らないほうがいいぞ」
≪
拮抗の隙に、追いついたアズサの跳び蹴りが
「受け止めようとしないでアルト!死んだらどうする!」アズサが標的から目を離さずにそう言った。
「できると思っちゃったんだからしょうがないだろ。
距離を取ったまま両者はにらみ合いを続けている。
≪うーんその気持ちはちょっとわかるな。でもダメだぞ。シールドの基本は受け流すだ。受けたらいかん≫ローガンから通信が飛ぶ
≪あんたらはもっとライフルで援護してくれ。捉えてるんじゃないのか≫
≪なかなかタイミングが掴めん。軍の公開してる基本演習プログラムをダウンロードしただけだからな≫と、フリッツ。
≪マトリックスみたいにはいかねえな≫実質、見学しているだけのローガンがそう言った。
均衡状態に痺れを切らした
アズサが拳に着けているグローブは特別製だった。しなやかに硬化あるいは軟化する人工筋肉、隕石由来のオーバーテクノロジーがふんだんに使われており、内部に搭載されているナノマシンが使用者の体内のそれと
右拳で喉を突き上げる。生物をコピーした弊害か、機械生命体は機能的には存在しないはずの気道をつぶされたことに怯んだ。その隙にアズサはしっかりと大地を踏みしめ、速度を増した左の正拳突きを
背中のアルトを振り下ろし、一際大きな咆哮をあげると、標的はその場から駆け出した。
≪逃げた、追え!≫
咆哮に一瞬怯んだ二人だったが、ローガンからの通信を受け、すぐさま走り出した。
その光は摩天楼の夜景に隠されていたが、満月は確かにそこに出ていた。
人気の少ない川沿いから人通りの多い場所へと標的は逃げていた。街中に突如現れた機械の獣に群衆は逃げまとい、一部は薙ぎ倒され、その隙間をアルトとアズサが通っていく。
≪追いつけるのかこれ!?≫頭の中で思い描いた文章を飛ばすので、走りながらでもアルトのクリアな声色が再現されて音声チャンネルには流れる。
≪追いつく、街中に不慣れなのは向こうのほうだ。俺たちも逆側から挟んでる。それより他の
「アルト!」アズサが示した方向、複雑に入り組んだ裏道を通って、二人は彼我の距離を縮めていく。壁を走って、ゴミ箱や自販機を飛び越え、二人は常人離れした動きで狭い路地を高速で駆け抜けていた。
二つのうち一つの道の先は再び大通り、という分岐点の直前でアルトが急に止まった。
「アルト!?」アズサも慌てて立ち止まった。声を掛けられても、アルトは彼女の方を振り向かなかった。
それは、いつもはない感覚だった。満月で研ぎ澄まされた彼の嗅覚が何か覚えのある匂いを嗅ぎ取っていた。
「ダニーラ…?」
そう呟くと、アルトはアズサを置いてずっと眺めていた道へと走り出していってしまう。
「ちょ、ちょっとアルト!
≪おいおい反抗期か?どこ行くつもりだあいつ≫ローガンがメッセージの最後に、いぶかしがるリアクションを表した絵文字をついでに張り付けた。
≪位置はこっちでも補足してる。とりあえずアズサは標的を追え。アルトのことは仕事の後だ≫
フリッツの指示を受けて、アズサは再び走り出す。裏道から大通りに出ると、ちょうど100mほど先に標的の
「いたッ!」
「待てッ!」
アズサが駆け出す。彼女の履いている靴も、グローブ同様、人工筋肉がふんだんに使われていて、使用者の走力を強烈にブーストさせる。
≪捕まえらるか?アズサ。こっちももう着く≫フリッツの報告。
≪任されました!≫
人をかき分け、ごみ箱や自販機を蹴って、加速して跳びながら
「捕まえた…捕まえてない!」
あと少しで手が掛かるというところで
「
「やっぱ狙撃よりも俺たちは
「これなら慣れてるぜ」走行するバイクから、フリッツはライフルを構えて
「!?」機械の獣は自分の身体に起きた以上に再び驚愕する。こんなに想定外のことが続く時というのは、大抵は死神に魅入られている時だ。
「あらよっと」
空中で反転したローガンがバイクの燃料電池に向かって拳銃を撃つや否や、バイクは
着地したローガンのもとに、バイクに乗ったフリッツと、走ってきたアズサがやってくる。
「ハァ…ハァ…、ふぅう…、倒しました?」アズサが息を整えながら訪ねた。
「頭が半分吹っ飛んだが、まだ生きてる…が、時間の問題だ、もう自壊も始まってる」
三人は急いで
「うん、狙い通りメモリも生きてる。視覚情報を吸い取れそうだ。フリッツ頼むぜ」
「さすが
「本当に狙い通りか?いつも適当だから怪しいな」
フリッツが
「よし、次はアルトだな。今、車持ってきてるからそれで迎えに行こう」
記憶のダウンロードを終えたフリッツが言った。
「はーい」
師弟が同時に返事をした。無事に残ったフリッツのバイクはオーナーの命令を受け、自立走行を開始し、自動でフリッツの家の車庫に戻っていく。
地図に表示されるアルトを示すドットも、待ち合わせ地点として示した場所に向かって動き始めた。死んでいないようで良かった、と、大人二人はそれを見て安堵した。
「ところでマトリックスってなんですか?狙撃の時になんか言ってた」後部座席に座ったアズサが、助手席のローガンに尋ねた。
「え?ああ、昔の映画だよ、100年前くらいの。面白いよ、パブリックドメインだからタダで見れるし。昔の映画なんだけど、今見ても考えさせられるような描写も出てきて――」
「あー」アズサは話の途中にもかかわらず気の抜けた返事をした。
これは見ないだろうな、と、大人二人は思った。
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