アンダーグラウンド モスクワⅢ

 ≪試合ゲーム開始だ≫

 その瞬間、弾丸はライフルから放たれ、闇に紛れた機械獣ズヴェーリの前肢に命中した。一撃必殺、には到底至らなかったが、怯ませて、その姿を街灯の下に引き摺り出すことには成功した。

 深夜、川沿いの通りに、3mほどの体躯と鋭い爪を持った四足歩行の、無機質の獣が現れる。

 「うらあッ!」

 現れた機械獣ズヴェーリに、全力疾走の勢いのままアルトが飛び掛かる。向こう見ずだが、どんな相手にも恐れを感じないというのは彼の長所でもあった。

 機械獣ズヴェーリがアルトを振り払う。人狼と戦いながらも、機械の獣は引き続き狙撃のプレッシャーを感じているように見えた。

 「こっちの場所までわかってるみたいだ…400mあるからどうしようもないだろうがな」

 観測手スポッターを務める銀狼ローガンがそういった。生身の人間の場合は装着型視覚デバイスグラストラックの拡張機能で、機械ドロイドの場合は一定以上のスペックのアイカメラであれば、望遠鏡スコープを用いずとも標的がはっきりと見えた。しかし、情報把握の分担化による思考負担の軽減という観点から、狙撃手と観測手という一組のシステムに変化はなかった。

 「それはフラグというやつだ。奴らの進化のスピードを侮らないほうがいいぞ」

 狙撃手スナイパーを務めるフリッツが言った。スコープが不要となった狙撃銃は、軽量化および携行しやすさを主目的とし、より簡素で飾り気のない見た目へと変貌していた。

 ≪機械獣ズヴェーリの姿はきっちり捉えてる。君らも思い切り戦ってくれ≫

 機械獣ズヴェーリの鋭利な爪を、アルトが両方の袖に仕込んだシールドで受け止める。普通なら紙屑のように吹き飛ばせるはずの人間が、予想外の抵抗を見せることに、機械の獣は驚いたような反応を見せた。

 拮抗の隙に、追いついたアズサの跳び蹴りが機械獣ズヴェーリの首に突き刺さった。うなり声をあげて、機械獣ズヴェーリは飛び退く。アルトもその隙に距離を取った。

 「受け止めようとしないでアルト!死んだらどうする!」アズサが標的から目を離さずにそう言った。

 「できると思っちゃったんだからしょうがないだろ。人狼オレの筋力は人間よりもずっと強いんだ」アルトが体勢を立て直しながらそう答えた。

 距離を取ったまま両者はにらみ合いを続けている。

 ≪うーんその気持ちはちょっとわかるな。でもダメだぞ。シールドの基本は受け流すだ。受けたらいかん≫ローガンから通信が飛ぶ

 ≪あんたらはもっとライフルで援護してくれ。捉えてるんじゃないのか≫

 ≪なかなかタイミングが掴めん。軍の公開してる基本演習プログラムをダウンロードしただけだからな≫と、フリッツ。

 ≪マトリックスみたいにはいかねえな≫実質、見学しているだけのローガンがそう言った。

 均衡状態に痺れを切らした機械獣ズヴェーリがアズサに狙いをつけて飛び掛かった。素早く反応したアズサは前に突っ込み、両者は地上と空中で交錯した。着地後体を反転させ、再びこちらに突っ込んできている少女を叩き潰そうと、振り上げた機械の右の前肢にライフル弾が命中する。怯んだ右足では攻撃できず、少女の超近距離クロスレンジまでの侵入を許す結果となった。

 アズサが拳に着けているグローブは特別製だった。しなやかに硬化あるいは軟化する人工筋肉、隕石由来のオーバーテクノロジーがふんだんに使われており、内部に搭載されているナノマシンが使用者の体内のそれと連動リンクして、微細な筋肉の動きを読み取り、使用者の拳を守るように、そしてその攻撃の破壊力を何倍にも引き上げるように、剛性を滑らかに変化させるグローブだった。

 右拳で喉を突き上げる。生物をコピーした弊害か、機械生命体は機能的には存在しないはずの気道をつぶされたことに怯んだ。その隙にアズサはしっかりと大地を踏みしめ、速度を増した左の正拳突きを機械獣ズヴェーリの顔面に見舞う。

 機械獣ズヴェーリが後ろに飛び退く。それをアズサが追いかける。反射的に繰り出された右の爪を、アズサはシールドで一瞬だけ弾いて浮かせてから、右アッパーで吹っ飛ばした。アズサの後ろから飛び上がったアルトが背中に飛び乗って、力任せにその背中を叩くと、機械獣ズヴェーリは明らかに苦悶の表情を見せ、思わず上げた顎に叩きこまれたアズサの回し蹴りでさらに声を漏らした。

 背中のアルトを振り下ろし、一際大きな咆哮をあげると、標的はその場から駆け出した。

 ≪逃げた、追え!≫

 咆哮に一瞬怯んだ二人だったが、ローガンからの通信を受け、すぐさま走り出した。


 

 その光は摩天楼の夜景に隠されていたが、満月は確かにそこに出ていた。

 人気の少ない川沿いから人通りの多い場所へと標的は逃げていた。街中に突如現れた機械の獣に群衆は逃げまとい、一部は薙ぎ倒され、その隙間をアルトとアズサが通っていく。

 ≪追いつけるのかこれ!?≫頭の中で思い描いた文章を飛ばすので、走りながらでもアルトのクリアな声色が再現されて音声チャンネルには流れる。

 ≪追いつく、街中に不慣れなのは向こうのほうだ。俺たちも逆側から挟んでる。それより他の賞金稼ぎネズミたちが集まってきている。横取りに気をつけろ≫

 「アルト!」アズサが示した方向、複雑に入り組んだ裏道を通って、二人は彼我の距離を縮めていく。壁を走って、ゴミ箱や自販機を飛び越え、二人は常人離れした動きで狭い路地を高速で駆け抜けていた。

 二つのうち一つの道の先は再び大通り、という分岐点の直前でアルトが急に止まった。

 機械獣ズヴェーリを追っていたはずのアルトが、急にsっけにとられたような顔をして、標的が逃げた方ではない道を見つめている。

 「アルト!?」アズサも慌てて立ち止まった。声を掛けられても、アルトは彼女の方を振り向かなかった。

 それは、いつもはない感覚だった。満月で研ぎ澄まされた彼の嗅覚が何か覚えのある匂いを嗅ぎ取っていた。

 「ダニーラ…?」

 そう呟くと、アルトはアズサを置いてずっと眺めていた道へと走り出していってしまう。

 「ちょ、ちょっとアルト!師匠せんせい!アルトが一人で行っちゃった!」

 ≪おいおい反抗期か?どこ行くつもりだあいつ≫ローガンがメッセージの最後に、いぶかしがるリアクションを表した絵文字をついでに張り付けた。

 ≪位置はこっちでも補足してる。とりあえずアズサは標的を追え。アルトのことは仕事の後だ≫

 フリッツの指示を受けて、アズサは再び走り出す。裏道から大通りに出ると、ちょうど100mほど先に標的の機械獣ズヴェーリの姿を見つけた。

 「いたッ!」

 機械獣ズヴェーリの方もアズサを認識したようだったが、対峙しようとせずそのまま走り続けた。群衆は悲鳴を上げ、我先にと逃げ惑う。

 「待てッ!」

 アズサが駆け出す。彼女の履いている靴も、グローブ同様、人工筋肉がふんだんに使われていて、使用者の走力を強烈にブーストさせる。

 ≪捕まえらるか?アズサ。こっちももう着く≫フリッツの報告。

 ≪任されました!≫

 人をかき分け、ごみ箱や自販機を蹴って、加速して跳びながら機械獣ズヴェーリを追う。壁を駆け上がって、機械獣ズヴェーリの背に向かってアズサは飛び掛かった。

 「捕まえた…捕まえてない!」

 あと少しで手が掛かるというところで機械獣ズヴェーリに躱された。

 「師匠せんせいーーーーーー!!!」

 機械獣ズヴェーリの進行方向からバイクに乗った銀狼ローガンフリッツが現れる。

 「やっぱ狙撃よりも俺たちは近接戦こっちだな」二人のバイクは機械獣ズヴェーリに向かってさらに速度を上げていく。

 「これなら慣れてるぜ」走行するバイクから、フリッツはライフルを構えて機械獣ズヴェーリに向けて二発撃った。

 機械獣ズヴェーリが獣を模した存在である以上、当然関節ジョイントが存在する。そして前脚の関節ジョイントに弾丸を精確に入れてやると――機械獣ズヴェーリはなすすべなくひれ伏す。

 「!?」機械の獣は自分の身体に起きた以上に再び驚愕する。こんなに想定外のことが続く時というのは、大抵は死神に魅入られている時だ。

 機械獣ズヴェーリが体勢を崩すのに合わせて、その眼前の20mほどまで迫ったローガンが、バイクから垂直にジャンプする。結果、猛スピードのバイクが機械獣ズヴェーリの顔面に向かって突っ込む。

 「あらよっと」

 空中で反転したローガンがバイクの燃料電池に向かって拳銃を撃つや否や、バイクは機械獣ズヴェーリもろとも爆発し、吹き飛んだ。

 着地したローガンのもとに、バイクに乗ったフリッツと、走ってきたアズサがやってくる。

 「ハァ…ハァ…、ふぅう…、倒しました?」アズサが息を整えながら訪ねた。

 「頭が半分吹っ飛んだが、まだ生きてる…が、時間の問題だ、もう自壊も始まってる」

 三人は急いで機械獣ズヴェーリのもとに寄っていった。ローガンが半分吹き飛んで焼け焦げたその頭を注意深く観察する。

 「うん、狙い通りメモリも生きてる。視覚情報を吸い取れそうだ。フリッツ頼むぜ」

 「さすが師匠せんせいです!」

 「本当に狙い通りか?いつも適当だから怪しいな」

 フリッツが機械獣ズヴェーリの頭に手を触れると、記録されている、その目を通して見てきた映像が、フリッツのストレージにダウンロードされていく。機械獣ズヴェーリの亡骸はすべて国が回収ししかるべき研究機関に送られることになっているので、肉体の一部でも個人が保有することは違法行為であったが、メモリに刻まれている視覚情報などの、いわゆる記憶については、その限りではなかった。それらの情報は機械獣ズヴェーリが自ら死を選ぶとともに完全に消去されるため、機械獣ズヴェーリの一部を違法に所持しているという証明が不可能なことと、その情報を使って賞金首が何人殺したかを確認し、賞金額を確定することに用いられるためであった。同時に賞金稼ぎがその機械獣ズヴェーリを仕留めた証明にもなっていた。

 「よし、次はアルトだな。今、車持ってきてるからそれで迎えに行こう」

 記憶のダウンロードを終えたフリッツが言った。

 「はーい」

 師弟が同時に返事をした。無事に残ったフリッツのバイクはオーナーの命令を受け、自立走行を開始し、自動でフリッツの家の車庫に戻っていく。

 地図に表示されるアルトを示すドットも、待ち合わせ地点として示した場所に向かって動き始めた。死んでいないようで良かった、と、大人二人はそれを見て安堵した。



 「ところでマトリックスってなんですか?狙撃の時になんか言ってた」後部座席に座ったアズサが、助手席のローガンに尋ねた。

 「え?ああ、昔の映画だよ、100年前くらいの。面白いよ、パブリックドメインだからタダで見れるし。昔の映画なんだけど、今見ても考えさせられるような描写も出てきて――」

 「あー」アズサは話の途中にもかかわらず気の抜けた返事をした。

 これは見ないだろうな、と、大人二人は思った。

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