アンダーグラウンド モスクワⅣ

 深夜のモスクワは喧騒に包まれている。この街が沈黙に包まれる時が訪れることはない。

 「運転中に軽く確認したが、あの機械獣ズヴェーリが殺ったのは多分5人みたいだ」

 仕事中に突如として単独行動をしたアルトを迎えに、銀狼ローガンフリッツとアズサは指定した待ち合わせ地点まで来ていた。

 「ニュースでは死体は7人って言ってたが、他にもサイコ野郎がいたってことか」

 路駐した車に寄りかかってローガンは満月を見上げていた。

 「フリッツさん、機械獣ズヴェーリのメモリの中に何か、父につながる情報とかはなかったですか?」

 「残念ながら。破損してる部分もあるから100%ないとは言えないが…。まあ、アレクセイが、あの程度のやつにどうこうされることはないだろうし、な」

 「そうですか…。じゃあ、ダンジョンの情報とかは?」

 「そっちは解析中。終わったら全員に共有する」

 フリッツとアズサがそこまで話したところで、雑踏の奥から、少しばつの悪そうな顔をしたアルトが現れた。

 「お、来たか…。何やってんだお前、取り分減らしちまうぞ」ローガンがそう言った。

 「ごめん…」しおらしい感じでアルトが歩いてきた。帽子をしているため見えないだろうが、頭頂部の獣の耳もぺったりと折れていることだろう。

 「初めての仕事で緊張するタイプでもないだろう。まあ、とりあえず乗れ。戻って反省会だな」

 フリッツが後部座席のドアを開ける。アルトが後部座席に座って、アズサも乗って、その後、ローガンとフリッツがそれぞれ助手席と運転席に座って、車は深夜のモスクワを走り始めた。

 



 「アズサ、眠いか?」

 ローガンの所有する隠れ家の一つに四人は集まっていた。2LDKのマンションの一室で、リビングに置かれた三人掛け程度のソファにアズサは寝転んでいる。

 「めっちゃ眠いですぅ~…」目は瞑ったままで、かろうじて返事はしているという感じだった。 

 「もう3時だからな。仕事終わりだし…。アルト、お前は眠くないのか?」テーブルに二人分のマグカップを準備しながらローガンが聞いた。

 「神経がまだ昂ってる…寝たくても寝れないよ」

 「そうか…。アズサ、寝る前に歯磨け!」

 ローガンにそう言われて、アズサはかろうじてという感じで立ち上がって、眠い目をこすりながら洗面所へとふらふら歩いて行った。

 「使いたかったらシャワーも使えよ!」アズサの消えていった廊下に向かってローガンが言った。

 「…未成年を深夜まで働かせてる。しかも、命の危険のある仕事だ。カタリーナさんにバレたら怒られそうだな…。で、どうしてあんな単独行動したのか、聞かせてくれるか?」テーブルの、アルトの向かいの席に座って、フリッツがそう聞いた。

 「知り合いの匂いを感じたんだ。昔の、研究所にいたころの」

 「研究所の?それってつまり——」フリッツが聞き返した。

 「人狼だよ。人狼の実験体って言った方が正しいか。何人かいたんだ、俺以外にも」

 「ふーん…、確かに、考えたら実験体ってのは複数いるのが普通だな」そう言いながらローガンがフリッツの隣に座る。アルトによく練ったインスタントココアが入ったマグカップを渡した。

 「名前はダニーラ…名前も自分たちで付け合ったんだ、隣の部屋っていうか、となりの檻っていうか…とにかく、たまに、研究員の目を盗んで話したりしてた。そいつの匂いを急に嗅ぎ取ったんだ」

 アルトがココアを一口飲む。昂った精神を温かいココアが優しく包み、体の緊張がほぐれていくのを感じた。

 「そうか…。名前を付けあったっていうのは、二人でか?」ローガンが自分の分のココアをすすりながら聞いた。

 「いや、もう一人いる。シンシアっていう名前の女の子。金色の毛の人狼だった。その二人が友達だったんだ」

 「なるほどね。それがお前が賞金稼ぎバウンティハンターになった理由か。それは、ヴァシリとカタリーナさんも知ってるのか?」

 「ああ。あの二人も知ってるよ。俺は…、シンシアとダニーラに会いたくて賞金稼ぎになったんだ」

 「そういうことは俺たちにも言っといてほしかったな~」ローガンがコーヒーをすすった。

 廊下からシャワーの音が聞こえてきた。アズサは目を覚まして、ちゃんと師匠の言う事を聞いたようだ。

 「で、そのダニーラの匂いを嗅ぎ取ったから、たまらず離脱したってことか…。ダニーラは見つかったのか?」フリッツが聞いた。

 「いや、近くまで行ったけど、結局追いつけなかった。でも写真は撮った」

 「なんの?」ローガンが聞いた。

 テーブルに備え付けられている投影デバイスを通して、アルトが個人用のクラウドストレージに保存された写真がホログラムとして映し出される。人間の死体の写真。引き裂かれた死体の写真だ。

 「これは…つまり、お前の友達が?」フリッツがテーブルに座ったまま聞く。ローガンは立ち上がって、惨殺現場の状況を注意深く確認していた。

 「そうだと思う。それともう一つ、ズヴェーリから逃げる群衆の中に気になる男がいた」

 メガネをかけた若年の男の写真と、国家の管理するデータベースに登録されているその男のデータがホログラム画像の隣にポップアップされる。

 「血の匂いがした。少し、ダニーラの匂いも。こいつも現場にいたんだ」

 「なるほど…確かに偽装してるっぽいプロフィールだ。ヴァシリに連絡しておこう。何かダニーラの手がかりに繋がるかもだ…」ローガンが自分のマグに入ったコーヒーを飲み干した。「そうすれば俺たちの仕事にもつながる。途中で勝手に抜け出した分は、それでプラマイゼロってことにしてやるよ」

 「ああ、ごめん…」

 反省するようにアルトの耳が折れていた。

 「お前も頭数に入れての仕事だ。連携が一番だからな…。とりあえず今日はもう寝ろ。ヴァシリとの話し合いは休んでからだ」そう言ってアルトのマグカップを回収して、ローガンは奥の台所へと向かって行った。

 「お前どうする?自分のところに戻るなら送るが」フリッツは立ち上がって帰り支度を始めようというところだ。

 「いや…めんどくさいしここで寝ていく…」

 四人が今いるのはローガンが持っているマンションの一室で、仕事仲間の、特に子どもたちの寝床としても使われていて、来客用の部屋とベッドも完備されていた。

 「そうか。じゃあまた後でな」

 フリッツが自分の家へと帰っていった。時刻は3時半を過ぎようというところだった。

 「アズサは向こうの部屋行って寝たみたいだ。お前この部屋のソファでいいな?ベッドになるやつだからよ。俺は奥の部屋で寝るから。お前も歯磨けよ。そういう生活習慣のところをちゃんとするようにカタリーナからも言われてるからな」

 ローガンは面倒見のいい男だった。オレグやジャンなど路地裏の子どもたちからはたまに鬱陶しがられるほどだった。

 「わかった。虫歯はイヤだからな」

 アルトは洗面所へと消えていった。

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