第15話 夕暮れ坂の語らい

 夕暮れ時の住宅街。朱色に染まる道をゆっくりと歩んでいく。

「今のお前は考えすぎなんだ。こだわるのは良いが、形にしなければ何も始まらないぞ」

〔わかってるって。さっき話した大葉先生っていたろ? その人にも相談してみようと思ってる。頭ではわかってるんだけどさ、どうしても踏ん切りがつかなくてさ。今はお前も含めて、色んな人から指摘されたいっつーか。もちろん自分でも面倒くさいやつだなって思ってるんだけどさ⋯⋯〕

 下校中の小学生達と公営バスが鷲津の脇を駆け抜け、緩やかな坂を登っていく。その背中を追いかけるように、鷲津もゆっくりと坂を登っていく。いずこから芳しいカレーの香りが漂ってくる。穏やかで優しさに溢れるこの夕暮れ時というものが鷲津は嫌いじゃなかった。

「好きにしろ。ただ時間は有限だ。いつまでも腐っていられないぞ」

〔それもわかってる。ごめんな〕

「謝らなくて良い。謝るくらいなら早く調子を取り戻せ。お前は調子に乗っている時が一番面白いものを書くからな。楽しみにしているよ」

 それはお世辞ではなかった。心からの厚意と信頼と期待。鷲津、そして南雲の二人は時田の才能を知っている。物語が大好きなことを知っている。

 時田は波に乗っている時こそ真価を発揮する——天才型の物書きだった。心を揺さぶり、胸を熱くさせるような文章こそ時田の本領。自信に満ち、猛々しく邁進するその書き筋は情熱で燃え盛る真っ赤な炎を思わせる。

 しかし天才ゆえの欠点もある。それは文章の質が感情に左右されてしまうことだ。たちの悪いことに天才型は悩んでつまづくことがほとんどない。つまづく前に上手に避けるか、諦めてしまう。何度転んでも描きたいもののために必死に食らいつき、傾向と対策を練って成長していく努力型とは違うのだ。

 要するに、失敗の経験に乏しい時田は感情によるムラを地力でカバーすることが出来ない。

〔わかった! ありがとう。善は急げだよな。今から大葉先生にメールでもしてみるか〕

 鷲津はふっと声もなく笑う。

「ああ。失礼のないようにな」

〔わかってるって! サンキューな〕

「ああ」

 通話終了のボタンを押す。

 時田の文章には人を元気にする魔法が込められている。実際に元気をもらった鷲津と南雲はそれを確信している。元気をくれた親友が悩み苦しんでいるのであれば、手を差し伸べるのは当然のこと。

 鷲津は登り切った坂を振り返った。長い滑り台のように見えるその道は、真っ直ぐに海へと伸びていた。途中でガードレールに遮られるが。朱色に染まる海には夕陽が降り立とうとしていた。やがて水に沈み、眠りへと落ちるために。

 鷲津は夕陽に背を向け、帰路を再び歩み始める。ふと墨汁を垂らしたように夜へと染まっていく空を見上げた。夜は後方から差し込む夕方の残り香を、帳をおろすみたいに少しずつ呑み込んでいく。

「俺も頑張らないとな」

 一陣の風——青嵐が鷲津を追い越していく。ハイタッチするように彼の背中を優しくも力強く押し込んで。

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