第25話 最初は誰でも初心者 前編
季節は六月の色へと変わっていった。
しとしとと続く、天の軒先から落ちる雨だれのような雨。糸のように伸展した雫が総合研究棟入り口前の地面に落ちて弾けていく。時に規則的に、時に不規則に。
雨粒の大きさなのか、それとも地面に衝突するときの速度なのか音階は常にまばらだ。幾重もの雨音はまるでコンサートホール内で響き渡る拍手。あるいは街の雑踏。はたまた大勢の鳥達による羽ばたきか。
頭の中で耳に飛び込んでくる音の情景がぐるぐると浮かんでは変わり、浮かんでは変わり。自分にとって最もしっくりくる例えを探す。これは一種の職業病みたいなものかもしれない。誰しも自身の行っている活動が日常生活に影響してくるというのはよくある話だ。音を聞いて様々な景色を想像したり、覚えた感覚を言語化したりしてその音を形にする。きっとこれもその類。
優しい雨が降りしきる静かな外の光景を見ながら金星は思った。自分もあれだけリズミカルに音を奏でられたらな。と。
「⋯⋯うーん」
膝の上に置いたノートPCのデスクトップ上で、マウスカーソルを大きくぐねぐねと動かす。聞いてもらうか否か。『制作曲』フォルダの中に入っているたった一つのファイルをしばし眺めては、そのフォルダを閉じる。これで四回目だ。
いや⋯⋯やっぱり聞いてもらおう。時田さんだってうちらに悩みを打ち明けたんだから。
誰かに聴いてもらわないと分からないことは沢山ある。それは中学までやっていたピアノで痛いくらいに知ったじゃないか。
「あ、あの!」
「お、どした金星」
時田がきょとんとした顔で金星を見た。鷲津と巻原もつられて顔を向けてくる。
「は、初めてパソコンで曲を作ってみたんですが、聴いてもらえませんか?」
出来る限り緊張していない風をよそおって言った。いつも通り。朗らかに。
なぜなら『常に楽しく真剣に』こそがモットーだからだ。相手に気を遣わせたくないとか、弱みを見せたくないとかそういう理由ではない。金星も時田と同じく悩むと煮詰まって身動きが出来なくなるタイプだから。ゆえに形だけでも楽しく真剣に行動するようにしている。
“ずっと続けていればいつか本物になる“
小学生の頃。ピアノのレッスンで失敗してひどく落ち込んでいた時、おじいちゃんにそう教えてもらった。
その時、おじいちゃんはただの暗示だと言っていたけれど⋯⋯今ではもうその言葉の真意に気づいている。
ずっと続けるということはとても難しいことだ。難しいということはやり遂げる人が少ない。だから延々と長い時間、難しいことを続けていれば⋯⋯それは本物になる。
常に楽しく真剣に。それはモットーであり、本物になるための挑戦だ。
表現したいことをワクワクドキドキしながら、一生懸命創り上げていけるような人になる。そして活力に満ちた真剣な眼差しで、思う存分に曲を創作する。そそるじゃないか。
「お、マジか! 確か最初に頼んでいた曲って、あれだよな。カノブレイズ城内で流すやつ」
「ですです。正直自分でもあんまりな出来ではあると思っているんですが、ちょっと聴いてほしいです」
「聴いてもらって初めて分かることもあるだろう。いいぞ。どんどんやれ」
「そうね。金星ちゃんの曲って今のところ聴いたことないし。素直に楽しみ」
ではさっそくと、あせあせした笑みを維持したまま、カノブレイズ城内をイメージした曲『獅子』を再生する。
まず皆の耳にやってきたのは、流麗なピアノの旋律だった。誇りある獅子を彷彿とさせる力強い打鍵と気品溢れる音の余韻が『獅子』をモチーフとしているカノブレイズ王国のイメージにピッタリだった。
「え、めっちゃいい⋯⋯」
「金星。入金先を教えろ」
「宝箱のSEを聞かされた時はどうしたもんかと思ったけど⋯⋯これは余裕で素人のレベルを超えているわね」
メンバー達の評価が上々で、金星は一瞬だけ嬉しそうにしたが、すぐにまたあせあせした笑みに戻してしまった。問題はこれからだったからだ。
「ん?」と、異変を感じ取った時田が口をへの字に曲げる。
次第に流麗なピアノに雑音——伴奏が加わってきた。
これはひどい。そうとしか言えない。例えるならばオーケストラのメンバーに何十人ものタンバリンを持った赤ちゃんが参入したようなものだ。
「急に曲のクオリティがお遊戯会レベルになったわね」
「これはあれだな。MAD初心者にありがちなとっ散らかってる感に似ている」
「し、辛辣すぎです! もっと優しく言ってください!」
するとその時。
わぁぁと叫ぶ金星の元に一人の女性が近づいてきた。ヒールの音をかつかつと高らかに鳴らしながら。
こちらへやってくる女性は身体のラインを強調する黒のタイトワンピースを着ていた。まるで結婚式に参列するかのような格好だ。肩と胸元を露出させる作りを見るに、夜の街で仕事をしている女性にも思える。
女性に気付いた金星はきょとんと首を傾げるばかりだったが、他三人は女性の顔を見て面白くなさそうにした。なぜなら彼女のことを知っていたから。
「いったい誰です!? このゴミみたいな音を垂れ流している輩は!」
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