第26話 最初は誰でも初心者 後編

 高慢ちきなクラシック作曲家。その名は北王子月穂。

 大学内で有名な者の一人だ。ハイエロファントゲームスの幹部の一人であるだけではなく、その派手な服装と高圧的な性格をやはり周りが放っておけるわけもない。

「う、うちですけど⋯⋯」

「あなた音楽やめた方がいいわよ! 才能ない! よくもまあこのようなゴミ音を人様の前で流せたものね⋯⋯恥を知りなさい!」

「おい北王子。それ以上言うならこっちも黙ってないぞ」

 椅子から立ち上がった時田が一歩前に出た。北王子に相対して睨みつける。

「⋯⋯? あら。フールなんちゃらご一行じゃありませんの。失礼。視界に入っていなかったものだから気付きませんでした」

 一瞬だけ意外そうな顔をしているところを見る限り、本当に目に入っていなかったのだろう。それだけ怒り心頭していたということだ。演技でなければだが。

「時田さん。あなた九十九様に勝つとかなんとか言っているそうですけれど」

「それがどうしたんだよ」

「ありえないことを実現しようとするのはやめてくださる? あなたがしていることは鉛を金に変えるのと同じ。見苦しいの一言に尽きますの」

「鉛だって磨けば金になるんだよ」

 北王子はふんと鼻を鳴らした。

「めちゃくちゃもいいところ。まともな会話もできないのですね。物書きはペテン師とよく言うけれど⋯⋯まあ今はそんなことよりも、あなたよ」

 そう言って金星をキッと睨み、

「あなたは音楽を冒涜しています。これ以上、音を鳴らして欲しくない。だって音がかわいそうじゃない。私、あなたみたいな音楽をおもちゃみたいに扱う人が大っ嫌いなの。⋯⋯さあ今すぐこう言いなさい。“私はもう音楽を作りません“と」

 と、理不尽な誓いを立てさせようとした。

 時田がまた反論しようとしたが、金星の挙げた手に遮られてしまう。うちが言いますという意思表示だ。

 三人は思わず息を呑んだ。普段おどおどしていて人見知りのはずの金星が戦う姿勢を見せるというのは、どうなってしまうかの想像が付かず緊張してしまう。

「嫌です」

 短くはっきりと。笑顔を讃えて。金星は自分の意思を伝えた。

「⋯⋯これだけ言われて、それだけしか言い返せないんですの? ああっ! ますます気に食わない!」

 髪をこれでもかと両手でかきむしる。人前で行うには度胸のいる行動だ。そんな行動を北王子が出来るのは彼女の我が強すぎるせいか、それとも我を忘れるほどの怒りなのか。

 と、北王子は急に掻くことをやめて顔を上げる。そこには敵意を剥き出しにした目があった。

「いいわ。あなたが音楽を辞めたいと思うほどの挫折と敗北を教えてあげる」

「わかりました。これから上手くなるのでまた聞いてもらえますか?」

 それは笑顔を一切崩さない金星の放った一撃だった。

「あああああ!! もうなんなの!? あなた本当にムカつくわね! 聞くわけないでしょ!? ゴミなんだから! ゴミよ? ゴミ!」

 それでも金星は笑顔を崩さない。北王子の暴言を無言で受け止めるのみ。

「いい!? 酷い目に合わせてあげるから覚えてらっしゃい!」

 猛烈な暴風が過ぎ去っていったかのように、また辺りはしとしとと降る雨音のみになった。

 誰も話さない。何も言わない。

 時田は呆気にとられ、鷲津は難しい顔をし、巻原はどこか遠い目で外の雨を眺めていた。

 なんとか気を取り直した時田が、

「金星⋯⋯大丈夫か?」

 と、金星の肩に手を置こうとした時。

「どうせガチでやるなら最高の環境を揃えろ」

 どこからともなく南雲がやってきて、そう言った。

「⋯⋯え?」

 思わず目を丸くした金星を気にせず、南雲は続ける。

「自論だがロースペックなもので努力しても得られるものは少ない。最初からハイスペックなものを必死こいてマスターした方が実りは多い。ハイエロファントも愛用している『シンフォニー』がオススメだ」

 ちらと金星のPCに目を向ける。

「音楽を作るなら、PCもノートよりデスクの方が良いだろう。金があるなら別だけどな。それとモニターを持っていないならそれも併せて買うと良い」

「あ、ありがとうございます」

 南雲は総合研究棟の出入り口を睨みつけた。正確にはその先に見える怒り狂った背中を。

「最初は誰でも初心者だ。自分より劣った者を好き好んで批判する奴など、地獄に落ちてしまえばいい」

 そう言ってから南雲も「じゃあな」と出入り口を潜り、雨の中へと消えていく。

「な⋯⋯なんかしらけちゃったな! 二階の談話室でボドゲでも借りて遊ぼ——」

「う、うち頑張ります!」

 時田の提案を遮り、金星が大声を出した。

 声は出入り口のガラスと雨のベールに包まれてしまう。彼の背中に届いているかは分からない。

 ——届いていて欲しい。

 金星はそう心の内で願ってから、体の前でグッとガッツポーズを決めた。

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