11
白蛇神社の本殿は、地面に直接柱を立てた掘立柱建物である。
お社へとつづく階段の踏み板を、両側から支える
万が一見つかったとしても、丸柱とそれに渡された横木によって追っ手はたやすく入り込めない。
迷うことなく、拝殿の裏へ回る。
6メートルほど先、本殿が見えた。
大の大人が腕を回したとしても両手が届かないほど太く、先が見えないほど背の高い楠が左右を固めて守っている。
何かで削られたような傷がおびただしくついた本殿は、表に暗い影をおとしていた。
(あの階段の下へ行けば…!)
少しでも体を本殿に近づけようと、手を前に突き出し空をひっつかむようにして、足を回転させて走る。
「いああああ!」
耳をつんざくような女の吠える声が後ろから聞こえてきた。
思わず振り返れば、
すでに拝殿の裏に来た女が、髪を振り乱し、
狙いを定めて飛び掛かる鷹のごと速さで、
右手に持った鋭く光る何かを掲げながらこちらに向かって迫ってきた。
(ま、まずい!)
早く逃げなくてはと気持ちが急かされ、冷静な判断を欠いた。
回転させた足は勢いそのままに止まることが出来ず、本殿の階段を駆け上ってしまった。
本殿の戸は貝のように隙間なくぴったりと閉じている。
「うっ、く…!」
戸と戸の境目に指をかけ、必死に横に引いて開けようとするが、びくともしない。
振り向けば、今まさに階段を上ろうとしている鬼の形相の女と目があった。
血走った黄色い白目に浮かぶ小さな黒目でこちらをとらえながら、駆け上がる女。
(ああ、もう駄目だ…。)
息つくことなく走って急に止まったせいか、全身を倦怠感が襲い、力なく本殿へと背を預ける。
階段を上り切った女が、自分に目掛けて右手を振りかざすのを、絶望で光を失った目で呆然と眺めた。
ずーっ…
「ふっ!?」
女が手を振り下ろさんとしたその瞬間である。
突然、ぴったりと閉じていたはずの本殿の戸が重い音を立てて左右に開いた。
支えを失った体が後ろへとバランスを崩す。
今にも倒れそうになった体は、突然現れた白い膜のようなものによって包まれ、本殿の中へと引き込まれた。
白い膜は体を優しく床に下ろすと消え去り、同時に、戸がバン!と音を立てて閉まった。
呆気にとられ、上半身だけ起こし肩を上下させながら戸をただただ凝視する。
外からは、ふーっ!ふーっ!という興奮しきった女の息遣いが聞こえてくる。
がっ、がっと何かが削られる音がした。
恐らく、女が手にしていた鋭く光るものを使って、壁を打ちつけているのだろう。
「へらせ…へらせ…のこりしものが…まことなり。へらせ…へらせ…のこりしものが…まことなり…。」
女は今にも消え入りそうなしゃがれた声で、童歌を繰り返し歌いながら、壁を何かで叩く。
しばらくして観念したのか、歌と音が止み、去っていく足音が消えゆくのを聞いた。
しんとした本殿の中。
湿気た埃の臭いが鼻にぷんと入る。
体感時間で5分ほど経っただろうか、ズッと音を立てて戸が少し開いた。
何故か、もう外に出ても良いという合図に思え、立ち上がり戸に手をかけて開く。
外に出て目に飛び込んだのは、雲一つない青い空。
楠の葉によって砕かれた柔らかな日の光が、疲弊した体を包み込んだ。
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