26
「折角のお誘いですが、遠慮させていただきます。」
「そう…ですか。」
女性の顔からすっと笑顔が消える。
落ち込む妻を気遣うように、男性がじっと見つめた。
(ああ、悪いことをしちゃったかな。)
場の悪さを感じた。
「あの…。」
「い、いえ。そうだ、せめてお泊りになって下さい。この雨は今日中上がらないと思いますから。客間に布団も敷いておいたんです。」
「まあまあ、そんな詰めよっては…。
すまんね。
でも、妻が言うようにこの雨は明日まで上がらないでしょうから。
どうぞ、遠慮せずに泊まっていってください。」
この土砂降りの雨の中、家まで歩いていくのは億劫だ。
一度厚意を断ったことに引け目を感じていたため、ありがたく寝床をお借りすることにした。
客間は今より少し狭いが、天井が高く広く感じる。
綿がしっかりと詰まった布団は、冷えた体を温めてくれた。
布団にくるまりながら、身に余るほどの親切に
(温かいご飯をわざわざ用意してくれて、お風呂まで。
あの時、見つけてもらえなかったら、今頃、体が冷え切って山の中で死んでいたかもしれない。)
女性が迎えに来てくれた姿を思い返す。
雨の中、傘もささずに、困っているかもしれないとわざわざ見に来てくれた…。
(今時、そんな親切な人がいるんだな…。自分の体が濡れるのも気にせずに…。)
突然、違和感に気づいて布団から跳ね起きた。
心臓がバクバクと音を立てている。
(なんで、あの人は傘をさしていなかったんだ?)
彼女は言った。
雨が降ったら困った人を迎えに来るのだと。
雨が降って困った人を助けるのに、なぜ、傘をもっていなかったんだろう。
親切な夫婦が、不気味に思えてきた。
(胸騒ぎがする…。このままここにいてはいけない…。一言お礼を言って帰ろう…。)
なるべく音を立てないように客間からそっと出る。
真っ暗な廊下を歩いて、居間の前まで来た。
夫婦の話し声が廊下まで漏れている。
そっと耳をすませた。
「悔しい…。なんでお風呂に入らないのよ!図々しくご飯を食べたから、入るかと思ったのに!」
「しっ。大声を出すな。聞こえたらどうする。」
「だって、折角のチャンスだったのよ。兄達がされたように、あいつを茹でて殺してやろうと思っていたのに。」
(殺…す?)
先程までにこやかな笑みを浮かべていた彼女から出た言葉とは思えない残酷な言葉に、息を飲んだ。
「心配するな。天は我々の味方だ。現に歌を歌って雨が降ったじゃないか。」
「そうだけど…。」
「俺だって仲間の仇をとりたい。焦りは禁物だ。」
「そう…ね。」
「我ら一族に伝わる歌にもある。減らせ減らせ、残りしものこそ真なり。残ったものこそ、真の命と天に認められたようなもの。やつらの命を奪い、根絶やして、我々こそが価値ある命だと知らしめようぞ。」
「ふふふ。そうだわ。その通りだわ。」
「さて、風呂に入らなかったあいつをどうしようか。」
「ああ、それならもう決めているの。隣に住む子が卵を身ごもったらしいから、栄養が必要でしょう。その子の餌になってもらうのよ。」
「おお!それはめでたい。御馳走だなあ。」
卵を身ごもる?
餌にする?
聞きなれぬ言葉に頭が混乱した。
(今すぐにでもここから逃げなければ!)
一歩足を引いた時、勢い余って強く床を踏みつけてしまった。
ぎいっときしむ。
会話がピタッと止んだ。
ひたっひたっと歩く音が聞こえ、障子がすーっと横に開いた。
出てきた女性はこちらを見るとにっこり笑った。
「あらあ、おかえりですかあ?」
そう言う女性の顔がぐにゃりと歪んだ。
目が離れて頭の上に突き出て、鼻は溶けて穴だけが残り、口は耳元まで裂けていく。
肌はみるみるうちに茶色くなり、ぬらぬらとした粘膜で覆われた。
自分よりも背丈の大きなガマガエルへと姿を変えたのである。
「ガガガガガ。」
と鳴きながらがぱあっと開かれた口。
その奥に、ぬらぬらとしたピンク色の舌が震えている。
「う、うわあ!」
弾かれたようにその場から駆け出す。
「ガガガガ。」
家を揺らしながら、2匹の大きなガマガエルが跳ねて追ってきた。
靴も履かずに家から飛び出せば、激しい雨が打ち付ける家々から大きなガマガエルが顔を覗かせているのが見える。
「ゲゲッゲゲッ。」
何匹もの蛙が舌を伸ばし、こちらへ次々と跳ねてくる。
「あ!」
右足に何かが引っ付き、引き倒された。
振り向けば、一匹の蛙から伸びた赤い舌が、自分の足首に巻き付いている。
必死にもがくが一向にとれない。
ずるずると地面を引きずられて、大きく開いた口が迫ってくる。
(ああ、もう駄目だ。)
諦めて目をつむった。
「ん?」
突然足が自由になる。
恐る恐る目を開けると、自分を食べようとしていた蛙の姿がない。
妙に暗く、雨が身に降りかからないことから、頭上に何かあると思い見上げて息を飲んだ。
大木ほどの太さがある真っ白な蛇が、口に大きな蛙を咥えて、鎌首をもたげている。
蛇は次々と蛙を飲み込んで、とうとう全ての蛙を食べてしまった。
蛇はこちらをただ眺めて、ぷいっと顔を背ける。
地面を揺らし、家々を押し倒しながらどこかへと這っていった。
あの後の記憶は曖昧で、無意識に家に帰っていたらしく、ベッドの上で目を覚ました。
あの蛇はただ蛙を食べたかっただけかもしれないし、ただの夢だったかもしれないが、
だとしても、恐ろしい目から救ってくれた白蛇に一応お礼を伝えるべきかと思った。
恐らく、あの白蛇は、白蛇神社の御神体であろうから。
財布と念のために傘を持ち神社へ向かった。
昨日と同じ山道を登る。
道中、ふと足元が気になって見下ろし、あるものが目に入った。
そのトンネルの大きさは、丁度、ガマガエル一匹が通れるほどだった。
【END 蝦蟇の怨念】
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