20
こんなに太陽が照っているのであれば、川の水は光を反射させて輝いていることだろう。
川へと続く右の道を下っていくことにした。
しばらく歩くと、さあーっと水が流れる音がし始めた。
その音に混じって、また、あの歌が聞こえてくる。
「へーらーせ、へーらーせ。のこりしもーのがまことなり。」
明るく弾むような声の調子で、楽しそうにけたけたと笑っているのが分かる。
どうやら子供が歌っていたようだ。
川の音に混じるということは、水遊びをしているのだろうか。
心配になって木々の間から川岸を覗こうとするが、背の高い草のせいで人影どころか川さえも見えない。
(ま、笑っているから大丈夫か…。)
と前を向き、心臓が跳ねた。
さっきまでは誰もいなかったはずなのに、どこからか現れた女性がこちらに向かって歩いてきていた。
綿のタオルを頭に被り、長い髪を後ろで結った、かっぽう着姿の女性。
その人はこちらに気づくと、にこっと微笑んだ。
瞳の大きな丸い目、小ぶりで短いが形の良い鼻、薄桃色の唇は口角が上がっていて、ぷくっと膨らんだ頬がとても愛らしい。
思わず見とれてしまっていると、彼女はこちらに近づいて、話しかけてきた。
「お散歩ですか?」
たまを転がすような胸を震わせる声である。
「あ、ああ、はい。今日は休みでして。」
緊張で声が上ずる。
女性は挙動不審な態度を意に介さず、休みということに食いついてきた。
大きな目をきらきらと輝かせてこちらにずいっと迫る。
「まあ、そうなんですか。これから川に行かれますの?」
「え、ええ。」
「そうなのですね。あの、1つお願いしたいのですけど。」
「え?なんでしょうか。」
「もしかしたら聞こえているかもしれませんが、さっきから童歌を歌っているのは私の子供達なんです。
その子達と水遊びに来たのですが、お腹が減ったというものですから、ご飯をとりに行こうと思いまして。子供だけだと不安ですから、見ていただけると嬉しいのですけど…。」
こんな見ず知らずの人間に頼む方が危険な気がするが…。
それだけ切羽詰まっているということだろうか。
自分も子供だけで遊んでいることに不安を感じていたので、そのお願いを引き受けることにした。
「ええ。いいですよ。」
「本当ですか!ありがとうございます!必ずお礼はしますから。」
と早口で言って、女性は走り去っていった。
(親がいないと子供は何するか分からない。)
自分は川へ向かって走った。
「へーらーせ、へーらーせ。」
歌声が大きくなってきた。
川が流れる音もごうごうと勢いを増す。
林を抜けて息を切らしながら岸に出れば、目の前を流れる幅の広い川と、その側で座っている3人の子供達が姿が見えた。
「のこりしもーのがまことなり!」
3人は歌いながら、並べた数枚の葉っぱを指さしていた。
それを見てあっと思い出す。
複数の物の中から何か一つを選びたい時に歌う、数え歌だ。
他県では「どれにしようかな、神様の言う通り。」と歌うらしいが、ここB県C群ではこちらの歌詞の方がポピュラーである。
最近はめっきり歌わなくなったが、子供の頃にはよく歌っていたので、聞き覚えがあったのだろう。
懐かしくなって近づくと、1人がこちらに気づいた。
そして、2人に耳打ちする。
3人は体を寄せ合って、黒目の大きな目でこちらをじっと見た。
少しでも近づこうものなら、更に身を固くする。
まるで小動物のような怯え方。
(突然知らない大人が近づいてきたらそりゃ怖いよね…。)
目線を合わせて笑顔をつくり、「お母さんに頼まれて来たんだ。怪しい人じゃないよ。」と優しく話しかけるが、子供達は何も言わず、表情を崩さない。
(参ったな…。)
と頭をかく。
ほぼほぼ手ぶらで来てしまったから、子供が喜びそうなものなど持っていない。
何かないかとあたりを見渡して、ふと、子供たちの前にある葉っぱが目についた。
頭に浮かんだのは、昔よく作って遊んだ笹船。
これで一緒に遊べば、緊張をほぐせるかもしれない。
「これ、1枚もらってもいい?」
指をさして尋ねると、少し間を開けてからこくんと頷いてくれた。
(本当は笹が良いけれど。)
と残念に思ったが、やり方を思い出しながら葉っぱを折っていく。
「これ、なんでしょうか?」
手の平に完成した葉っぱの船を乗せて見せる。
3人は首を傾げた。
「これはね、葉っぱの船だよ。川に流して遊ぶんだ。見ててね。」
川のぎりぎりまで近づいてそっと船を浮かべる。
上手いこと出来たらしく、葉っぱの船はすーっと川の流れに乗っていった。
3人は興味がわいたらしく、前のめりになって船を眺めていた。
「作ってみる?」
と聞くと、元気よく頷いたので、作り方を教えることに。
最初は緊張して表情は固かったが、作った船が川に浮かぶと満面の笑みを見せてくれた。
母親によく似た、愛らしい笑顔だ。
葉っぱ船に飽きた子供達に水切りを教えていると、遠くから人が走ってくる足音が聞こえてきた。
「すみません!ありがとうございました!」
ご飯をとりに行っていた母親が戻ってきた。
手には籠のようなものを持っている。
「何もありませんでしたよ。」
「本当ですか!あの、これ、良かったらどうぞ!」
籠のなかから裸のおにぎりを1つ取り出して自分に差し出してくれた。
「良いんですか?」
「はい!もらってください。」
「じゃ、じゃあ、いただきます。」
「子供達がお世話になりました。」
女性はぐっと頭を下げた。
折角仲良くなれたのにお別れをしないといけないのは寂しいが、他人の家庭にいつまでも居座るのは申し訳ない。
「いえ、こちらこそ、楽しかったです。」
悲しそうな子供たちの目に後ろ髪が引かれたが、笑顔で手を振ってその場を立ち去った。
きた山道を戻る。
風が木の葉を揺らす音と、足が土を踏む音が侘しく鳴る。
行きと違い、1人でいることが寂しく思われるのは、それだけ子供達といた時間が楽しかった証拠だろう。
(最初はどうなることかと思ったけれど、最後は心を開いてもらえて良かったな。)
手に握ったおにぎりに目をやる。
白くふっくらと炊き上がっていてとても美味しそうだ。
ラップで包んであるわけでもないので、このまま手に持っていたら砂がついたり手がべたべたになってしまう。
丁度、お腹も空いてきたことだから、食べながら帰ることにした。
つやつやとしたおにぎりを眺めごくりと唾を飲み込み、かぶりつく。
(ん…?)
もっちりとしたお米の食感が口いっぱいに広がるはずが、何故かわさわさとした妙なものが口にへばりついた。
おにぎりから口を離して見れば、なんと手の中にあったのはおにぎりではなく、首から血を流した小鳥であった。
死んで間もないのか、じんわりと温かい。
「うげえ!」
鳥の死骸を投げ捨てて、山道を駆け抜け山から飛び出た。
無我夢中で走り、息が切れて田んぼのあぜ道でうなだれる。
「おーい。どうした?」
声に驚き振り向けば、田んぼで作業をしていたおじさんがきょとんとこちらを見ていた。
混乱したその勢いのまま、今しがた体験したことを話す。
その話を聞いたおじさんはがっはっはと笑った。
「それはきっと狸だな。今時化かされる奴がいるなんてなあ。」
「は?狸?」
「おうよ。あの山は昔から狸が出るって知られてるんだ。子供の頃、山の中で遊んで怒られたことはないか?それは子供が狸に化かされやすいからだよ。」
「そんな、まさか本当に化かされることがあるなんて。…子供の面倒を見て鳥の死骸を食わされるなんてとんだ目に遭いました。」
子供達も狸が化けていたのかと思うと、親切を足蹴にされたようで悲しくなった。
「いや、化かすつもりはなかったのかもな。」
「え?」
「鳥なんて、山の中じゃ貴重なタンパク源、狸にとっちゃごちそうだろうさ。ただ子供達を見てくれたお礼をしたかったのかもしれないよ。」
「…。」
「いや、分かんないけどな!ま、家に帰ったら口をしっかりゆすげよ。」
おじさんはそう言って止めていた作業を再開した。
山に狸が出る。
そんな話、聞いたことがなかった。
住み慣れて知り尽くしたと思っていた地元の、知らなかった一面を垣間見た。
なんとも不思議な休日であった。
さて、近頃地元に妙な噂を聞くようになった。
山に流れる大きな川に、誰が作ったか分からない葉っぱの船が必ず3つ揃って流れているというもの。
その噂を聞くたびに、あの日見た子供達の笑顔が思い出される。
葉っぱを見つけては、船をつくる。
無邪気な子供達の姿が目に浮かんだ。
【END 子守り】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます