第3話エスカトラの女1

壁に沿って人が歩いている。


壁は、横たわったキャタピラのように重厚。


そして巨大だ。


人が小さな虫に見える。


歩道に沿って整列している街路灯は、見渡す限り全て消えている。


時折、強いサーチライトが、漆黒の闇から、立体的な壁を舐めるように照らし出している。


壁に沿って痩せた女が歩いている。


小さな女の子の手を引き、大きな荷物を背負って。


時折、振り返りながら、足速に歩いていく。


まるで、何かから逃げるように。


--------------------


この辺りは、


境界の国 ハイドラ首長国連邦。


砂漠の国 バグー連邦共和国。


軍事国家アトラ。


世界最大の帝国アマルの、南の領土。


そして私たちが住んでいた、地下世界エスカトラが、重なり合う場所。


ハイドラはエイジン大陸とローデシア大陸をつなぐ唯一の陸路にあって、軍事超大国、アマル帝国、そしてデューン共和国の狭間にある。


この凄く大きな壁は、二つの大陸のほとんどを占める野生原野ケラムと、人の住む国を隔てるための防護壁。


アルマダイ〔※1〕の豊富なケラム地帯の生き物は、強靭で知能が高く獰猛。


あらゆる方向に物凄い速度で進化し続けてる。


〔※1:生命エネルギーと言われる波長。あるいは粒子。爆発的な速度で細胞、分子、原子を再結合し、並べ変える。重力と密接な関係がある。分裂時のエネルギー規模は、水素核分裂の69兆6969億倍といわれる。〕


エイジンとローデシアの強国達は、覇権を目指し、ケラムの生き物を強化して、強力な生物兵器を生みだした。


生物兵器は、お互いの国を滅ぼし合い、ケラムの生き物をも圧倒した。


そして、生物兵器の廃棄物は、ケラムの生態系を更に過酷にし、国々を脅(おびや)かし続ける。


シーソーゲームは限り無い。


その煽りを受けるのは、いつも私たち。


奴隷や下層の人たち。


実験体にされたり、ケラムの生物の餌食に。


ケラムは、規模が大きいだけではなくて、私たちのものとは違う食物連鎖をいくつも持っている。


パンゲア、パンデミア、ミルゲリア...。


それは、常に変化、統合、改廃されている。


そう先生は言っていた。


先生は、あの日、隣組のみんなの前で処刑された。


過分教育罪で。


先生が教えてくれたから、私たちの心は自由になった。身体は奴隷でも。恐怖や不安から少し自由になれた。


地下国家エスカトラは、この界隈で、圧倒的な軍事力を誇るアトラ国の統治下にある。


アトラから治安警察の人たちが来て。先生を処刑した。優しかった先生....。


治安警察の命令でみんなは、先生が死ぬまで石をぶつけた。


誰もそんなことしたくなかった。


治安警察の言う通り、私も先生に罵詈雑言を浴びせ石をぶつけた。


生き残るために。


命がけで。先生は、絶望の中でも笑顔で息耐えた。


忘れられない。あの日のことは。


あの日の先生の顔だけは。


どうしても忘れることができない。


圧倒的な野生のケラム原野。


ハイドラ首長国連邦に隣接した南部は、特にアルマダイの濃度が高い。


進化のスピードが早くて、巨大化も含め、種の変異のスピードは異常なほどだって。


ケラムでの生存競争は苛烈を極めているって。


先生は教えてくれた...。


この場所は、壁で護られていても、安全じゃない。きっと。


ある時から、ケラムの生き物達は、人間達の住む場所に気がついてしまった。


緩やかで、穏やかな生き物ばかりいる場所に。


ケラムでは絶滅するものさえ、人の住む領域では容易く増え続け、私たちを滅亡に追いやる。


巨大な肉食の牛蛙モンタギューが、古代シャイアン帝国を滅亡させたように。


遺伝子が複雑になり過ぎたケラムの生き物は、系統の違う純粋な遺伝子を取り込むことで、進化のステージが変わる。


人を食べることができた種は、社会を作り、言葉を覚え、別次元の進化を遂げる。


ケラムの生き物達は、そのことに気づいてしまった。


ケラムの獣達は、簡単に捕まえられて、味も良い人間や人間の領域に住む生き物に凄く強い執着をもっている。


私たち奴隷は、どこにいても、ケラムの生き物よりも、最下層の等級の人間よりも、食物連鎖では下。


ケラムの生物を防ぎきれなくなった国々は、1万年の時をかけ、防護壁を作り上げた。7200万kmもの長さの。


大勢の私たち奴隷や下層市民の屍の上に。


壁は厚さは数十メートルのジニリウム鋼。


自ら新陳代謝をする硬くて粘り気のある最強の金属。


高さは標高の低いケラムから見て、数百メートル。


ここも例外ではない。


ここは、他国やケラムとの生き残りをかけた戦いの場所。


この防護壁の近くには、帝国アマルのスカルヤク・マー、アトラのクシイバ、ハイドラのハイドゥクなど、国々の最強の兵曹が常に意識を置いている。


途轍もない火力を持った、生物兵器達が。


悪魔のような兵曹〔※2〕達が。


ここでの攻防に神経を尖らせている。


〔※2 兵曹:体内にアフロダイかアルマダイの強力な炉を持つ生物兵器。アルマダイの豊富なケラムで進化したの生物の遺伝子や細胞をプロトタイプに組み替えて作られる。〕


兵曹こそ、最強の生物兵器。殺人兵器。


サーチライトが、壁を離れ漆黒の闇を切り裂き、並行に引かれた幾重ものラインを照らし出す。


陸車用の綺麗に舗装された片側15車線の公道が防護壁に沿って走っている。


真夜中の海みたいに、穏やかで広大で得体の知れない闇。


大きなライトですら、吸い込むほど深い闇。


私たち奴隷の人生と隣り合わせた、深くて恐ろしい闇と同じ。


穏やかで、緩やか。


でも、いつの間にか、圧倒的な力で私たちを取り込む。


無限の闇。



--------------------


「かぁさん...かぁさ...ん」


!?


子供の声?。


こんな所に子供が.....。


だめ。


人のことなんか気にしてられない。


この子を、絶対にアマルかアトラの1等市民にしてみせるわ。


私は、幼い娘の手とお守りをしっかりと握りしめ、また歩き始めた。


お守りから微かにこぼれる粉は、暗闇で微かに光り、ほのかな花の薫りを漂わせる。


とても良い香り。


私の家は、昔から、ブラッククロウの奴隷の家系。


ブラッククロウは、エスカトラを闇で支配する有力なマフィアの1つ。


他の勢力との抗争も絶えない。


エスカトラには、ブローカーなど幾千もの組織が拠点を置いている。


「かぁさん....かぁさ...ん」


再び声が....。


私達は立ち止まった。


一人なのかしら...。


お母さんとはぐれてしまった?。


い、いや。


あの人や、父さん、母さん....みんなの命、無駄にはできない。


私は、誘惑を断ち切るように、首を振った。


「ママぁ。どうしたの?。」


娘のアイが、不安そうな声を出す。


「え?。」


「誰とおしゃべりしてるの?。」


「あ、ああ独り言。ご、ごめんね。ママ、じ、自分に言い聞かせてたの。」


「いいきせるの?。」


私は、幼い娘を抱き上げ強く抱きしめた。


あぁ。


私の大切な宝物。


誰にも汚させやしない。


左手に握っていた御守りは手放せない。


また、光る粉が舞った。


独特な匂いがする...。


とても不思議な薫り。


遠くのサーチライトの僅かな光が、娘の顔を微かに照らす。


可愛い顔。


まるで天使みたい。


「それよりアイ。何か聞こえない。」


「何かってなあに?。」


「聞こえるでしょ?男の子の声。」


「ううん。聞こえない。」


「お母さんって呼んでるじゃない?。」


「お母さんって聞こえないよ。」


「アイ。ちゃんとして。」


「......。」


「かぁさん...かぁさ...ん」


「あの男の子、少し障害があるのかしら。リョウちゃんみたいに...。」


一足先に逃げた隣組のヤンゴン夫妻と息子。


娘と同じ年の男の子。


名前はリョウと言った。


あぁ...。


子の親として、放っておけない。


はぁ...。


私は決意を固めた。


娘を抱きかかえ、子供の声のする方へ引き返す。


中央にある歩道。


殆どのスペースを、50mくらいの幅の四角い柱が占めている。


あの柱は上の階層の公道を支えている。


声はあの大きな柱の裏にから聞こえる。


私は、全く車の通らない漆黒の広い道路に入った。


走って横ぎるために。


怖い...。


真っ黒な海に溺れるような錯覚さえ覚える。


少し明るい中央の歩道まで、気が遠くなるほど遠く感じられる。


もう息が続かない。


「な、何て、広いの...。」


やっと歩道についた、声の聞こえる柱の裏に向う。


背中の荷物を背負い、アイを抱き直した。


完全に、息が上がっている。


苦しい。


「ママァ。アイがお荷物持ってあげようか?。」


「ありがと。大丈夫。」


優しい子...。


やっぱり私の天使。


私は、喘ぎながらも娘に微笑んだ。


「アイ歩けるよう。」


フー。フーー。


私は、息を吐くともう一度、しっかりと娘をかかえ直した。


こんなところで、あなたを歩かせられるものですか。


ハァ、ハァ。


私の息が静かな闇に、コンクリートの柱やアスファルトにこだまする。


「かあさ...」


声にかなり近づいてきた。


「リョウちゃん?!。」


私は思わず叫んだ。


声がそっくり。


いや。


リョウちゃんの声。


「大丈夫よ。どこにいるの!?。出て来て!。リョウちゃん!?。リョウちゃんなの?。」


「おか、さん」


「時間が無いの!。早く出て来て!。助けてあげ.....!。」


ハッ!?


アァッ!。


私は、戦慄を覚えた。


身体中に電流が流れる。


か細いはずの声...とても音量が大きい。


それに、何この臭い....。


肉の腐ったような強い臭いが....。


「ウッ。」


くっ臭いっ...。


「かあさん」


同時に、獣の唸り声が....。


...ゴゴゴゴーー...


背筋が凍る。


「おかァ.....」


サーチライトが丁度足元を照らす。


「ギャァーーーーー!。」


おびただしい量の血!。


服!。


手!。


耳!。


アゴ!?。


引きちぎられた...。


食い破られた腹!。


散乱している....。


な...な...な、何これ!。


何なの一体!。


アイ!。


アイ!。


私のアイ!。


アイは、目を見開いて固まっている。


可哀想に。


噂には聞いたことはあった....。


この辺りにいる化け物。


逃げた奴隷をおびき寄せて食べるって.....。


化け物を呼び寄せるブラックヒヤシンスだけは持ってちゃいけないって。


口から心臓が飛び出しそう!。


心臓は早鐘のように鳴り、止めどなく額から汗が流れる。


あ...あれは...。


人の腕。


何物かに食いちぎられて落ちている細い腕。


あれは...。


何を握っているの....?。


一体何を.....。


...ひっ!。汗


お...お守り...。


どういうこと!?。


わ...私のものと同じ。


お、同じお守り!。汗


3日前。


先にエスカトラを逃げた友達のヤンゴンと一緒に貰った。


奴隷主の奥さんから貰ったお守り。


気が遠くなる。


アイ!。


アイ!。


みんなの良き理解者だった主長さん奥さん。


逃がしてくれた。


あの人も、母さんも、父さんも、捕まってしまったけど。


奴隷商人に捕まってしまったけど。


捕まったら最後。


バラバラにされて売られてしまう。


新鮮な臓器として...。


お守りから、粉が?。


このお守り。


な、なに、この匂い!。


どういうこと?。


はっ!?。


ブ、ブラックヒヤシンス....!?。汗


「アイ!アイ!。いらっしゃい!。早くっ!。」


逃げなくては。


取り返しのつかないヘマを...。


「かぁさん」


もう一度、サーチライトが辺りを照す。


何かが、露わに映し出された。


何?!。


これ何!?。


ヒッ!。


け、け、毛虫。


ヒイィ!。


大きな毛虫!。


背中は蠍のように反り上がり、尻尾の先端には赤ん坊の顔のようなものがついてる。


不気味な声はその顔から出てる。


虫の癖に、獣のような荒い生臭い息遣い。


く、臭いっ!。


これが、ブラックヒヤシンスに引き寄せられる虫!?。


逃げなくちゃ!。


獲物の仲間の声を真似、獲物を引き寄せる。


胴体の中央には大きな口。


両側には何本もの腕。


細くて長い女の人の様な腕。


触手だわ!?。


触手が!触手が何かを口に運んでる。


人!?。


人間だ!。


小さい。


あの服...。


ハッ!?。


リョウちゃん!。


リョウちゃん!。


ギャァーーーーーー!。


ゴリ、ゴン...


骨を噛み砕く鈍い音と肉が潰れる様な音。


化け物の荒い息が近づく。


長い腕が掴みついてきた。


はっ!。


捕まってしまった。


いつの間にか!。


怖い....。


動けない....。


ヒイィッ!。


ハッ!。


アイ!。


アイは!?。


「アイ!に、逃げてーーー!。」


声が...声が...。


恐怖で声が出ない。


いや!いやよ!。


誰か!。誰か助けて!。


誰か娘をアイを!。アイを助けて!。


必死にもがき、声を出そうとした。


こ、声が....。


「アイ、アイ!アイ!逃げて!。」


ママが食べられている間に、逃げて....お願い。


お願いよ。


死臭と化け物からでる粘液の甘い悪臭。


....気が遠くなる。


数十cmまで引き寄せられた。


「キャーー。」


アイの悲鳴!?。


アイ!。


どうしたの!?。


どこ!?。


何とかしなくては。


いや!。離して!。


いやよ!。


触手は細いのに凄い力!。


ビクともしない。


化け物の口が一気に開いた。


強烈な悪臭がする。


視界がボヤける。


気が遠のく。


「...タク。あそこ...。」


「....おう....。」


どこかで、若い男女の声が聞こえる。


幻聴?。


眩しい!。


光が頭上を照らすと、同時に何かが空から降って来た。


空から黄色い何かが...。


なに?。


これは夢?。


幻覚?。


私もう....死んでしまったの....?。


...ダン...


黄色い何かはアスファルトに着地した。


地面が少しめり込んだ。


急に触手の力が弱くなった。


何か重い塊が足に当たった。


熱い!。


痛い!。


立て続けにドタドタと何かが地面に落ちる。


触手が....。


反動で飛ばされ、アスファルトに頭と身体をぶつけた。


ライトを光らせた、何かが上を旋回した後、アイの声の方に飛んで行った。


エルカー(飛行車)!?。


ヘッドライトを点灯したエルカー(飛行車)!?。


黄色いつなぎを来た少年?。


巨大な毛虫と戦っているの?。


時折サーチライトの明かりで見える華奢な身体から想像できないほどの怪力。


化け物と渡り合っている。


信じられない。


これは夢?。


夢なら醒めて。


お願い。


「いやぁー!。」


また、アイの泣き声!。


娘をアイを助けて!。


お願い!。


お願い!!。


私はどうなってもいい。


言葉が、声が出ない!!


身体動かない。


「この野郎!今だケイ。」


他にも人が...。


「ビンセント!。奴をどけてー。」


「うわっ。タク!。タク!。やばい!。やばい!。」


黄色い少年。凄い力。


アンドロイド?。


助けに来てくれたの?。


助けに?。


良かった...。


真っ暗に....。


あぁ...落ちていく。

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