第14話 気持ちの確認。

 物事は、自分と自分以外によって成り立っているが故に、上手くいったりいかなかったりする。今までザイルがこなしてきた仕事でも、色々な課題があったり、問題が立ちはだかったりしたものだ。そしてそれらの課題や問題は、おおよそザイル自身がどれだけ先に想定しているかにより、その後の対応が順調にいくかどうかが決まるのだが。

 今回に至っては、全く想定していなかった。


 いや、想定自体は出来たはずだ。ただ、頭ん中でさっさとその想定を消してた。……さすがに、そこまでバカなことをしでかすとは思わなかったからな。


 ラティティリス王国の王宮、その一室から出て来たザイルは、いつものように整えていた髪をぐしゃぐしゃとかき乱しながら、待たせていた馬車の方へと進む。

 本当に、何と馬鹿な事をしでかしてくれたのか。あの王太子は。


「これで一応、外に漏れるのは防げましたかねー。全く、間一髪というか、偶然でも最初に話を聞いたのがザイル殿下で良かったですよ。レンナイト公爵に知られてたら、大変なことになってましたねー」


 「ま、俺たちフィフラル人には関係ないけど」と言って苦笑するジェイルに、同じく苦い笑みを向けて「全くだ」と答える。

 確かに、フィフラルの人間としては正直どうでも良い話。ラティティリスの国王の座が次代に移った時、少々ごたつくだろう、ぐらいの。しかし、だ。


 ラテルティアは、なるべく誰にも傷がつかない状態での婚約解消を願ってたからな。


 そう考えると、放っておくことも出来ず、わざわざ国王に謁見することになったのだった。


「まあ、何はともあれ、おかげでレナリア嬢のご両親とも、ラティティリス国王とも話はつきましたし。後は噂を流す準備と、新聞の記事に詳しく載せるための話し合い。一週間後の、今年度最後の学園の定期舞踏会で発表すれば終了っすね」


 「この国で最後の夜会になる卒業パーティには、面倒事を持ち込みたくないでしょ」と続けるジェイルの言葉に頷いた。

 待たせていた馬車に二人で乗り込み、扉を閉める。出来ることならば、最後のパーティくらい、彼女をパートナーとして正式に参加したい。まあ、彼女が許してくれなければ意味がないし、正式な婚約者でなければ参加出来ないので、今の自分にはなんとも言えないのだが。


 何でわざわざ俺が、講義を休んでまで余所の国王の説得に来てるんだか……。だがまあ、仕方ねぇからな。ジェイルの言う通り、他のやつらに話を流すわけにもいかねぇ。レンナイト公爵に知られれば、婚約は解消じゃなく、一方的に破棄されるだろう。


 そしてそれは、レンナイト公爵の後ろ盾を、今後得ることが出来なくなるということに他ならない。貴族の方が力を持つこの国において、筆頭公爵家が見向きもしない国王に、どれほどの力があるというのだろう。ラテルティアを王冠と称したあの王太子は、知ってか知らずか、自らが人形となる道を選んだというわけだ。


 そしてそれを、ラテルティアは望んでいないからな。


 婚約者として十年間、共に過ごしてきた同志であり、今はそんな感情はないというが、元々は想いを寄せていた相手である。この国の未来を想えば、穏便に済ませたいと考える彼女の気持ちはよく分かった。そんな彼女の想いを無碍にした挙句、彼がしでかしたことを考えれば、非常に気に食わないし、頭にきているというのが本心ではあるが。

 彼女のためになるならばと、面倒臭いと思いながらもザイルは今、余所の国の王都を走り回っているわけである。面倒臭い。本当に面倒臭い。

 「けど、殿下、本当に良いんすか?」と、斜め向かいの席に座ったジェイルが声をかけてくる。「何がだ」と問えば、「いや、何がだ、じゃないですよ」と彼は呆れたような顔をしていた。


「王太子殿下ですよ。何も言わないで、会場で婚約解消を発表するんでしょう? 大丈夫ですかね……」


 僅かに不安そうな顔をするジェイルに、はっと鼻で嗤って見せる。大丈夫かどうかで言えば、大丈夫なはずもないだろう。ランドルのあの様子では、ラテルティアを正妃に据えて、自分は好きに側室を迎えようとしていたのだろうから。

 だが、それは叶わない。レナリアを正妃に据えれば、絶対に。


 ラテルティアだけが割を食うのは気に入らねぇからな。


 いくら本人たちにとっては円満な婚約解消といえど、婚約者に裏切られたことには変わりないのだ。ラテルティアは今後、心無い言葉に苛まれることも出てくるだろう。社交界というのは、王侯貴族というのはそういうものである。ザイルからすれば、くだらないことこの上ないが。

 それなのに、ランドルは自分が選んだ相手と円満に婚約するなど、気分が良いはずがない。ちょっとした意趣返しくらい、大目に見てもらえるだろう。

 まあ、今回の計画そのものが、彼らにとっては大きな罰でもあるのだが。残念なことに、今すぐにその罰が、何らかの効力を持つわけではないから。


「下手に先に情報を流せば、余計な横槍を入れてきやがるかもしれねぇからな。取り返しがつかねぇ所まで来てると理解させるには、丁度良いだろ」


 もっとも、国王にまで根回しが進んだこの状況で、ランドルに何が出来るのかという話でもあるが。

 思うザイルに、しかしジェイルは不安そうな顔のままで。「いや、それもそうなんすけど」と、呟いた。


「レナリア嬢のあの話が本当なら、婚約解消が発表された後、何を言い出すか分かりませんよ。彼。ザイル殿下にとっては、不都合じゃないんですか?」


 心配そうな声で問われ、ザイルはすっとその目を逸らす。レナリアの両親を訪ねて行ったあの日、レナリア本人から聞かされたいくつかの話。

 眉根を寄せながら窓の外を見遣るザイルに、ジェイルは小さく息を吐くと、「一度、話しておいた方が良いんじゃないですか」と言った。


「その方が、心の準備も出来るでしょう。殿下も。……ラテルティア嬢も」


 「ついでに膝枕でもしてもらって、休んでくると良いですよ」と投げやりに言うジェイルの言葉を聞きながら、ザイルは深く溜息を吐いた。レナリアの話した事柄の内、一つは想定出来ていたはずのことで、無意識に有り得ないだろうと思っていたことだったから、まだ対応も出来たけれど。

 本当に、想定できない問題と言うのは。自分だけでなく、他人も含め、感情というのは本当に厄介なものだと、暗くなる思考が呟いていた。

 休日明けの学園の講義棟を、こつこつと音を立てて歩く。昼食を取り、すでにジェイルは傍にいなかった。あと三週間もない程度でこの学園を卒業するため、出来るだけ多くの本を読んでおこうとでも思っているのだろう。今更だが、学園の警備体制が整っていて良かったと思う。そうでなければ、休憩時間もずっとジェイルが傍に控えており、正直息も抜けなかっただろう。彼はザイルが何でも知っていると思っているため、休憩中に傍にいるとやたらと勉強についても質問してくるのである。寝かせてくれ。

 廊下を進んで、いつもの講義室の扉の前に立つ。前回ここに来たのは、一週間以上前のこと。エリルを捜して仕方なしに訪れてから、一度も足を運んでいない。いくら自分が彼女に会いたいと思っても、計画を無駄にするわけにはいかなかったから。


 いる、か……?


 どうだろうかと思いながら、取っ手に手をかけて扉を開く。長椅子が並んだ見慣れた講義室の中、姿勢良く座った少女がこちらに気付いたように振り返って。

 ぱあ、と効果音でも付きそうな様子で、その顔を明るく輝かせた。


「ザイル殿下」


 どきりと、胸の奥が疼く。たかが一週間とはいえ、全く顔を合せなかったからだろうか。ただその柔らかい声で自分の名が呼ばれただけで、頬が緩みそうになって慌てて口許を片手で覆った。


「相変わらずここに来てんだな。一人で暇じゃねぇのか」


「いいえ。この時間以外は、周囲に人がいるのが当たり前ですもの。誰もいない空間は、心地良いものですわ」


 こつこつと足音を立てて歩み寄り、彼女の隣に腰掛ける。手元にあるのは、何かの小説だろうか。そういった本も読むのだなと思いながら本を見ていたザイルに、「それに」とラテルティアは続けた。


「殿下がいつここにいらっしゃるか分からなかったものですから。枕が逃げ出すわけにはいかないでしょう?」


 ふふ、と冗談を言うような調子で笑うラテルティアは、いつもの淑女然とした様子とはかけ離れた、子供っぽい表情をしている。口から零れそうになる言葉を、口許を手で覆うことによって押し留め、「そうだな」とだけ応えた。にやつきそうになる表情をそのままに手を外し、「俺専属の枕だからな」とからかうように言えば、彼女はなぜか嬉しそうに笑って、「そうですわね」と言っていて。

 耐えきれずに一度、目を閉じる。本当に、彼女は一体自分をどうしたいのかと、妙に冷静な思考で手を握り込みながら僅かに俯いた。


 どこからどこまで冗談か、それとも全部狙ってんのか……。駄目だ可愛い。本当に可愛い。


「殿下? どうされましたの?」


 これ以上ない程の無表情になってしまったザイルに、ラテルティアは首を傾げながら訊ねてくる。はっとして、「いや、何でもねぇ」と慌てて応えた。彼女の前では、本当に取り繕えなくて嫌になる。

 今日は昼寝ではなく、話をしに来たというのに。

 思うと同時に、我知らず表情が曇った。本当は、話したくもないこと。けれどジェイルの言う通り、もし婚約解消の場でランドルが何か言い出したら、彼女もまた動揺してしまうだろうから。諦めて話すべきかと思い、ザイルの暗い表情を心配そうに見つめるラテルティアの方を向き直った。


「ラテルティア。お前たちの婚約の解消、国王陛下に認めてもらった」


 静かに、ザイルはそう告げる。「遅くなって悪かったな」と言えば、彼女はその青い目を大きく見開いていて。「……本当ですか?」と、その表情の通りの驚いたような声で問いかけて来た。こくりと、ザイルは頷く。「本当だ」と言いながら。


「次の学園の定期舞踏会で正式に発表される。ああ、王太子はまだそのことを知らねぇから、ラテルティアもあいつには言うなよ。余計なことをされては困るからな」


 念を押すように言えば、ラテルティアは素直に頷く。ほっとしたような顔で、「これで、わたくしは自由になるのですね」と言う彼女に笑いかけて。視線だけを、僅かに俯かせた。

 彼女に伝えるべきだと思った話は、これだけじゃなかったから。「ラテルティア」と声をかければ、彼女はまた僅かに首を傾げて見せる。先を促すようなその態度に覚悟を決め、「もし、だ」と、いつも通りの声音を心がけて、口を開いた。


「もし、前に王太子が言っていたように、……今まであいつが行ってきたことが、あいつにとっては、本気でお前のために行ってきたことだったと言うならば、お前はどうする」


「……え?」


 真っ直ぐにラテルティアの目を見つめて問いかける。彼女は意味が分からないとでもいうように、僅かに眉根を寄せ、不審そうな顔をしていた。

 実は、学園に入学した当初、ランドルの婚約者であるラテルティアを妬み、彼女に対する嫌がらせがあったらしい。ランドルはラテルティアを庇ったが、嫌がらせは巧妙になり、事態は悪化しただけだった。だから、ランドルは逆の行動に出ることにしたという。ラテルティアを護るために、敢えてラテルティア以外の者たちに気を許したように見せかけた。ラテルティアはランドルに望まれていない、お飾りの婚約者だと周囲に示したのだ。

 ランドルがそうしたことで、ラテルティアは周囲から疎まれるよりも、同情の目を向けられていたという。彼女は元々模範的な淑女で、妬みや嫉みで目が眩まなければ、誰もが認める存在だったから。

 それが、レナリアから聞かされた話の内の一つ。もちろん、その話のどこまでが真実なのかなんて、ザイルには分かりかねるが。

 ラテルティアはじっとザイルの視線を受け止めていたけれど、一つ息を吐くと、「今更ですわね」と呟いた。


「もし本当に、ザイル殿下の仰る通り、ランドル殿下がわたくしのためを思って他の方々と共にいたとしても、わたくしはむしろ、傷ついただけでしたわ。本当にわたくしを思ってくださっていたなら、ただ声をかけてくださるだけで良かった。それだけで、わたくしは耐えられたもの」


 その表情は、近頃はあまり見ることがなくなった、暗く、哀しそうなそれ。しかし一瞬の後にその表情は消え、ふわりと笑って見せる。「でも、もう過去の事ですわ」と、彼女は呟いた。


「あの方がわたくしを思っていようといなかろうと、あの方がわたくしから離れてしまったのは事実です。そして、わたくしの心も、もうとっくにあの方から離れております。もちろん、十年の間婚約者だったわけですから、同志としての情はありますけれど。……あの方への想いはもう、不思議なくらいすっきりと冷めておりますのよ」


 くすくすと笑い、彼女はこちらを見上げてくる。「だから、何も問題ありませんわ」と、彼女は続けた。


「今更、婚約の解消をなかったことにしてくれ、なんて言いません。次の婚約者が出来るまでの間とはいえ、やっと自由になれたんですもの。……気にせず、解消の段取りを進めて下さいませ」


 「それが心配だったのでしょう?」と、彼女は首を傾げて笑う。その顔があまりにも晴れやかで、ザイルはほっと息を吐いた。「ああ、そうだな」と言えば、彼女は嬉しそうにまたくすくすと笑う。「殿下は、お優しすぎますわ」と、ラテルティアは呟いた。


「たかが膝枕の代償に、こんな面倒事に首を突っ込んで。わたくしが後悔しないのかということまで気にされて。……殿下の妻になれる方は、きっと幸せですわ」


 ぽつり、と呟かれた言葉に、どんな意味があったのか、ザイルには分からなかったけれど。彼女の言葉で告げられたその言葉は、素直に嬉しかった。「当たり前だろ」と、いつもの調子でにっと笑って見せれば、彼女はまたくすくすと笑って、「そうですわね」と言った。


「何にしろ、お前が良いならそれで構わねぇ。次の舞踏会で発表する。今年度最後の舞踏会だから、国王も含め、親たちも参加するって話だからな。……何かあったら言え。出来る限り、対処してやるから」


 ぽすりとその銀色の頭を撫でて、ザイルは笑いかけた。王太子との婚約が解消された後に、彼女がどのような視線に晒されるか、想像に難くない。同情的な視線であっても、嘲笑うようなそれであっても、どちらにしろ、好奇の目が向けられることは避けられないだろうから。

 ラテルティアはくすぐったそうに、はにかみながら笑うと、こくりと一つ頷いた。「気にかけてくださり、ありがとうございます。ザイル殿下」と呟いた彼女にくつりと笑い、「礼は膝枕で十分だ」と冗談交じりに告げる。

 くすくすと穏やかに笑う彼女の膝を借りて、ザイルは一週間ほどぶりに、深い眠りに落ちた。

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