第2話 予想通りの状況。

 フィフラル帝国の第二皇子といえば、傲慢で傍若無人な振る舞いで有名な人物である。大陸で最も強大と言われる帝国の第二皇子という立場でありながら、国政に意識を向けることもなく、全てを優秀な第一皇子に丸投げして遊び暮らしているらしい。

 フィフラル帝国の皇帝と正妃の間に生まれた皇子であり、皇帝によく似た黒い髪と血のように赤い瞳を持つ眉目秀麗な青年。名を、ザイル・フィフラルという。


「殿下。ザイル殿下、起きて下さい。講義は終了しましたよ」


 ラティティリス王国立学園の、最終学年の学生が集う講義室。机に突っ伏して眠る黒髪の青年の肩を揺らし、明るい茶色の短髪の青年が困ったような表情で声をかけていた。周囲の学生たちは皆、そんな二人を遠巻きで見つめている。

 何度も何度も肩を揺らされ、黒髪の青年、ザイルはゆっくりとその身を起こす。不機嫌をそのまま表したような表情でがしがしと頭を掻くと、くわりと大きくあくびを漏らす。「やっと終わったか」と、彼は呟くと、当たり前のように立ち上がり、歩き出した。

 瞬間、周囲の空気がぴんと張りつめる。足を進めるザイルの進行を妨げないように、学生たちはまるで息を合わせたようにさっと動き出し、彼のために道を空けた。ザイルは気にする様子もなくその間を通り過ぎる。彼の後ろには、いつも通りザイルの教科書などの持ち物一式を手にした茶髪の青年が続いた。


 ……ったく。めんどくせぇ。


 ぼんやりと、そんなことを思う。珍しく、成人までの間を過ごす学園ということだったので、どのくらいの講義が行われているのか興味があったというのに。


「知ってることばっかでつまらねぇ」


 ぼそりと呟けば、背後を歩いていた茶髪の青年が困ったような表情を浮かべていた。


「俺は、色々初めて知ることばかりで案外と楽しいんですが。……最近、殿下には知らないことがないんじゃないかと思うようになりました」


 真剣な声音で呟かれた言葉に、くつくつと笑う。「んなわけねーよ。ジェイル」と返すが、ジェイルと呼ばれた青年は僅かに首を振り、「んなわけねーわけねーですよ」と、更にぼそりと呟いていた。

 フィフラル帝国においても、成人するまで所属する学園というものは存在しない。国立の学園は十四歳から四年の間を過ごすのが普通であり、その後は成人までの間、社交界で己を磨くのが王侯貴族というもの。

 一方ここラティティリス王国の国立学園は、同じ十四の年に所属してから成人する二十歳までの六年間を過ごすのである。実際、この学園の講義は大陸各地より集められた者たちが行っており、質が高いと評判だった。だからこそ、少し楽しみではあったのだが。


 暇すぎて、片っ端から教科書やら論文やら史実やら読みまくったのが悪かったな。


 暇つぶしのせいで講義そのものを暇にしてしまうとは、正に本末転倒というもの。我ながら悪手であると、今更ながら思った。


「……にしても、毎度毎度めんどくせぇな。あいつら」


 昼食を取るために食堂へと向かうザイルは、ぼそりとそう呟く。ちらりと視線を向けた先にいるのは、同い年の学生達だ。大方、フィフラルの皇子と仲良くすれば何か恩恵があるかもしれないが、ザイルの噂に違わぬ傍若無人ぶりに声をかけるのを躊躇っている、というところか。実際、ザイルが講義中に大きなあくびをしようが、寝ていようが、注意出来る者は学生はおろか講師たちにさえいないのだから。

 ここに通い始めて最初の一週間は、顔色を窺いながら声をかけてくる者もいた。とくに女子生徒たちは、何を期待してか入れ替わり立ち替わり声をかけて来ていた。見た目がそれなりに整っているのは、自国の貴族令嬢たちの態度でも知っていたため、ひたすらにうんざりしてしまい、適当にあしらっていたが。

 決定的に彼女たちが離れていったのは、あの時だろう。令嬢たちの内の一人、それなりに身目も良く、きつめの顔立ちの少女が、次の講義へと向かう途中のザイルの前に立ちはだかり、「ごきげんよう」と挨拶をしてきたのだ。それ自体があまり褒められた行いではなかったが、自分があまりにも彼女たちの声に応じないための最後の手段だったのだろうと、「ああ」と返事をするに留めた。そのまま、ザイルが通り過ぎるのを見守っていれば、何を言うつもりもなかったというのに。

 あろうことかその令嬢は、ザイルの腕に縋り、「お待ちください!」と声を上げた。他国の貴賓に対する態度ではない。

 背後からジェイルがその令嬢を剥がしにかかるより先に、ザイルは問うた。「何だ」と。


「俺に、何の用だ」


 不機嫌を隠そうともしない、低く低い声。令嬢は「ひっ」と声を上げると、その手を放し、一歩後ろに下がった。まさかそのような態度を取られるとは思ってもいなかったのだろう。何も言えずに震える令嬢にザイルは溜息を吐き、「良い度胸だな」と呟いた。


「用もないのに俺の足を止めるとは」


 血のように赤い目を細めて言えば、令嬢は可哀想なほどに身を竦めていて。震える声で何度も謝罪を口にしていた。そんな彼女を横目に、ザイルは次の講義へと向かったのである。

 そうして更に一週間が経った今はご覧の通り。ザイルが歩けば人垣は割れ、彼の進行を妨げる者など誰もいなくなっていた。


 楽と言っちゃ楽だが、一々こちらを窺う視線がめんどくせぇ。……まあ、ここにいるのはほとんどがラティティリスの貴族だろうからな。親から言われて、どうにかして俺に声をかけたいんだろうが。


 はっきり言って、良い迷惑だった。学生は学生らしく、真面目に講義を受けていれば良いというのにと、自分のことを棚に上げてそんなことを思う。どこの国も、大人であろうと子供であろうと、貴族の本質は変わらないようだと小さく溜息を吐いた。

 ここ、ラティティリス王国立学園は、王侯貴族だけでなく一般庶民も講義を受けることが出来る。もちろん、講義棟は別に配置してあり、顔を合わせる機会も滅多になく、ほとんど別の学園であると言っても良い状態だったが。

 そちらの講義棟には、商家の者や芸術家、騎士を志す者などが集まっており、かなり熱心に講義を受けていると聞いている。正直、身分を隠してそちらに移ることが出来れば、周囲からも面白い話を聞けるかもしれないと思うのだが。


 ……フィフラル特有の黒髪と赤眼がもろに出てる俺が、身分を偽ったところで、後がめんどくせぇだけだからな。


 心の底から残念だと思いながら、ザイルは深く溜息を吐いた。

 講義棟とはまた別の棟にある食堂に行き、個室となっている貴賓席で食事をしてから、学園内を散策する。それが、ここに来て二週間の日課である。もちろん、ただ無意味に散策しているわけではなく、れっきとした目的があった。この学園で、短いとはいえ半年間を過ごすにおいて、絶対的に必要なものを探しているのだ。しかしそれは、いまだに見つからない。ザイルにとって、唯一の癒やし。

 昼寝場所。


 外をこんだけ探しても見つからねぇなら、講義棟の中を探した方が良いかもしれねぇな。


 思いながら、ジェイルを背後に引き連れて、講義棟へと入っていく。

 ゆっくりと昼寝が出来る、誰にも邪魔されない場所が良い。ほどほどに日当たりが良く、人目につかず。のんびりとした時間が流れる場所。


「……こことか、な」


 にっと、ザイルは唇の端を持ち上げるだけの笑みを浮かべた。

 そこは、講義棟の中で最も奥まった場所にある講義室だった。講義棟にはかなりの数の講義室があるため、この部屋を含め、奥になればなるほど使用頻度は少なく、ほとんど空き部屋として認識されている。

 一階のため、窓の外には中庭が広がっているが、こちらもまた奥まった場所なので人はいないようだ。日当たりも良く、窓の端の方にのみ大きな木が一本立っているため、日差しが強すぎる時はその木陰に入れば問題ないだろう。何とも過ごしやすそうな部屋である。


「ジェイル。俺はここで寝てるから、お前も休んでろ。講義の前に起こせ」


「……結局寝るのに、講義には真面目に出るんすね」


「……何か言ったか?」


「いえ、何も。では、講義の前に戻ります」


 ザイルの低い声音にひくりと頬を引きつらせ、ジェイルは部屋を出て行った。途端、しんとした空気が満ち、ザイルは僅かに息を吐き出した。

 どこにいようと息が詰まる。生まれと見た目のせいだと理解はしていたし、仕方がないことだと諦めてもいる。講義中に眠っているのは確かだが、あのような体勢で深い眠りに落ちるはずもなく、疲れは残るばかり。

 休む時間があっても良いと思うのだ。


 講義用の長椅子が固いのが難点だが、まあ良い。


 春先のため、少し肌寒く。なるべく日当たりの良い所へと足を進め、最も窓側の席に座り、横になろうとして。

 「ん?」と、ザイルは小さく声を漏らした。先ほどまで誰もいなかったはずの中庭に、いつの間にか現れていた人影。いや、その人影があるのが丁度植栽の陰になっている場所のため、この場所からだけ見えたという方が正しいかもしれない。ベンチに座る、一組の男女。

 その男子生徒の方に見覚えがあり、軽く首を傾げてその二人を見遣って。

 「……おいおい」と、思わず呆れた声が漏れた。


「あれ、王太子じゃねぇか」


 この学園に入ったその日に、自分の元へ挨拶に来たラティティリス王国の王太子、ランドル・ラティティリス。ザイルより一つ年下で、透き通るような金髪と白い肌、青い瞳。柔和で整った容姿を持つ、正に皆が想像する通りの王子様である。

 そんな彼が、今女子生徒と二人きりでいる。しかも。


 ……あれ、婚約者の令嬢じゃねぇだろ。


 ランドルの婚約者と言えば、腰のあたりまである銀色の真っ直ぐな髪が特徴的な、公爵家の令嬢のはず。レンナイト公爵家、だったか。ラティティリス王国で序列一位の筆頭公爵家であり、貴族たちに権力が偏りつつある王国内で、ランドルの後ろ盾となるために現国王自ら願い出て婚約が決まったと聞いている。

 しかし今彼の隣にいるのは、真っ黒な髪を肩のあたりまで伸ばした少女だ。快活という言葉が似合うような、明るい雰囲気の美少女である。

 まあ自分には関係のない話だと思い、ザイルは今度こそ横になろうとして。

 再度、動きを止めた。僅かに身を屈めるようにして、また一人の女子生徒が現れたからだ。ランドルや女子生徒よりもずっとこちらに近い、というか、窓の外、すぐそこの大きな木の下。


 ……あれが確か、レンナイト公爵家の令嬢、だったか。


 流れる銀髪は陽の光をきらきらと反射して美しいが、こちらから見える横顔はさして特徴もない平凡なもの。正直な話、あまり人の美醜に興味がないので判断が正確かは分からないのだが。美しいか可愛いかと問われると、どちらかといえば可愛らしいと言うべきだろうか。ランドルが自分の元を訪れた時に伴っていたから、その顔は見知っていた。

 そんな彼女は今、こそこそと隠れるようにして木の陰に身を潜め、じっとランドルの方を見ていた。ランドルと、女子生徒が楽しそうに笑いあう姿を。何を言うでもなく、表情を曇らせるでもなく、ただ、じっと。


 ……また、めんどくせぇ知識が増えやがった。


 これだから、王侯貴族というのは。思い、ザイルは深く息を吐く。家同士の結びつきを大事にする王侯貴族にとって、政略結婚など当たり前。だからこそこうして、面倒な事態も稀に起こる。まあそれでも、婚約が覆るということは滅多にないが。

 三人の様子を少しの間眺めた後、ザイルは今度こそ椅子の上に身を横たえた。隣の小国の次期王妃が誰になろうと、ザイルにとってはどうでも良いことだったから。

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