第9話 裏側の話。

 王宮から、そしてレンナイト公爵家から手紙が届いたのは、ランドルにラテルティアと共にいることを認めさせたその日の夜のことだった。学園から屋敷に戻ったザイルは、照らし合わせたかのように同じ日に届けられた手紙に笑いながら、執務室へと向かい、それを開く。

 返事はそれぞれ、ザイルが予想していた通りの物だった。


「やっぱ兄上はちゃんとこっちの王宮に報告を上げていたようだな。……そして国王はあまり交渉に関わりたがってねぇな」


 王宮からの手紙を読み終え、ザイルはぼそりと呟く。気になるらしいジェイルがこちらを見ていたので手紙を渡せば、彼は少し呆れた顔で「なるほど」と呟いていた。


「辺境伯の地位は侯爵家並ですからね。けど、そちらの好きに交渉してもらって良い、ってのはどうなんすかね。金は現状から一割上げるまでが限度ってここに書くくらいなら、自分のとこでどうにかすれば良いのに」


 いくら貴族の方が力を付けていて、彼らの手を借りることが難しいとしても、方法は他にもあると思うのだ。

 その最たる方法が、王太子並びに自分の子息である王子たちに任せるというものである。


 ……そもそも、エリル兄上と俺は二歳しか違わないし、兄上とこの国の第二王子は同じ年のはずなんだがな。


 今回の事業計画にしても、フィフラル側の最高責任者はエリルである。対して、ラティティリス側は王子が関わってすらいない。信用がないのか、才能がないのか、貴族たちの承認が得られないのか。どういうつもりなのだろうと思う。自分たちの力を認めさせたいと思うならば、こういった計画に関わる交渉くらいやってみせれば良いのに、と。

 だというのに、返事はこちらに任せるというもの。自分の国の貴族を抑えることぐらい、自分の国で何とかしてほしかった。正直に言うと、面倒臭いから。


「まあ、それで失敗して先に進まなくなるよりはマシだな。兄上からも頼まれてるし、都合良く動かすことが出来るかもしれないと思えば、むしろ国王の処置を歓迎すべきか」


 思い、ザイルはもう一つの封筒へと手を伸ばした。

 レンナイト公爵へ送った手紙に書いたのは、新規道路事業について良い話がある、という浅い内容の物である。筆頭を名乗る公爵家の当主なので、それだけである程度は察するだろうと思ったのだが、やはり思った通り彼は的確にあの手紙の意図を読み取ったようだった。レンナイト公爵もまた、道路事業には関わっていないはずだが、情報だけは掴んでいたのだろう。


「公爵様は何と?」


「後日、正式に話したいと。妻も同席して、と書いてある。察しの良い相手と話をするのは楽で良い」


 ここしばらく相手にしていなかった頭の回る人間の存在に、思わず気を緩めて呟けば、ジェイルは苦笑いを零しながら「良かったですね」と呟いていた。

 翌朝、ザイルは宣言通り、レンナイト公爵邸へと向かった。ラテルティアがすでに話を通しておいてくれたようで、公爵家の使用人はジェイルの話を聞いてすぐにラテルティアを呼びに行ってくれた。

 ついでに、レンナイト公爵への手紙も渡しておく。公爵自身もザイルがラテルティアを迎えに来ることは知っているだろうから、手紙の返事が来ることも予想しているだろう。帰りも彼女を送って来るつもりのため、公爵からの返事は早くてその時か、遅くても明日の朝だろうと容易に推測できた。


「ごきげんよう、ザイル殿下。わざわざ迎えに来て頂いてありがとうございます」


 馬車の外で待っていると、現れたラテルティアがそう言って綺麗な礼の形を取る。文句なしの挨拶に、「ああ、ごきげんよう。レンナイト公爵令嬢」と返せば、少し変な顔をされた。一応彼女の屋敷の前のため、気を遣ったつもりだったのだが。

 余程違和感があったのだろうなと思いながら、「行くぞ」と手を差し出せば、ラテルティアは少し躊躇うように目を瞬かせた後、おずおずとザイルの手に自らのそれを重ねた。


「俺が迎えに来ると言って、レンナイト公は何か言っていたか?」


 ザイルとラテルティア、そしてジェイルが乗った馬車の中、向かいの席に座るラテルティアに訊ねれば、彼女はふるふるとその首を横に振る。「いいえ、何も」と言う彼女に「そうか」とザイルは頷いた。

 普通ならば、婚約者以外の男が娘に近寄ることを、喜ぶ父親なんていないと思うのだが。何か別の思惑でもあるのかと僅かに目を細めるザイルに、「昨日、ランドル殿下にお願いしたのです」と、ラテルティアが声をかけた。


「何か一筆書いて頂けないか、と。学園内では、あの時周りにいた方々が噂を流してくれるでしょうし、いずれ彼らの口からご両親に、つまりは社交界にその噂は流れていくでしょうけれど、一朝一夕では難しいでしょう? ですから、せめてわたくしの家族にだけでも、誤解のないように、と思いましたので」


 「ザイル殿下にご迷惑がかかってもいけませんし」と続ける彼女は、余計なことをしただろうかとでも言うように、おずおずとこちらを窺っていた。その様子が可愛いと思うと同時に、やはり王妃教育を受けているだけの娘だとも思う。

 近頃の令嬢ときたら、夫を立てて大人しくしておけば良い、という考えが根本にあるものだから、ある程度の年齢になるまでは気の遣い方さえも知らない者が多い。にこにこと微笑んで、夫に添えられる華に進んでなりたがるのだ。まあそれも、夫側がそれを望む場合が多いから、ということもあるわけだが。

 そういう令嬢たちが多い中で、王妃というのはまた少し違った存在である。国王の片腕であり、癒しであり、全女性たちの頂点。そんな存在が、ただ添えられるだけの華でいてもらっては困るのだ。良くも悪くも、ある程度先を見通した動きが出来なければ。

 「助かった」と言って笑って見せれば、ラテルティアはほっとしたように微笑んでいた。

 いつも通りの学園で受ける、いつも通りの講義。何ら特別なことなど何もなかったが、明らかにこちらを窺いながら言葉を交わす者たちが多いのは見て取れた。おそらくは、自分が今日、ラテルティアと共に学園に来たことが噂になっているのだろう。ジェイルやラテルティアの友人たちに頼んで根回しはしているところなので、すぐに話は学園中に回り、大した問題もなかったが。


 それよりも、どうやって婚約を解消するか、だな。


 講義を受けながら、机に突っ伏したザイルはぐるぐると頭を働かせる。先日届いたエリルからの手紙、国家間の事業計画。あれを使えば、少なくともレンナイト公爵に好印象を与えることは出来るだろう。婚約が解消された場合の手もちゃんと考えてある。だから婚約を解消するための計画自体に懸念事項はないわけだが。

 ここに来て、最大の問題に気付いたのだ。即ち。


 ……レンナイト公は、ラテルティアの婚約をどう思ってるか、ってことだ。


 貴族の婚姻というのは、本人同士の婚姻というより、家同士の婚姻という意味合いの方が強い。そのため、どれだけ本人たちが互いに毛嫌いしていようと、その婚姻は進められるのが普通である。

 レンナイト公爵家はラティティリスの貴族の中でも最も力のある公爵家であり、この国の現状を見るに、その力は王家すらも凌いでいると予想される。だがしかし、それはあくまでも実質的な力関係であり、形式としては王家の方が上に位置される。

 レンナイト公爵がラテルティアを王家に嫁がせることにより、王家を自由に動かそうというような思惑があるのならば、婚約の解消など夢のまた夢と言えるだろう。その場合、いくらザイルといえども打てる手はかなり限られてしまう。


 ま、限られるとはいえ、ないわけじゃねぇ。その時はその時で考えるだけだな。


 思い、ザイルは考えることを一度放棄して、浅い眠りについた。

 いつも通りの一日の終わりは、いつも通りの終幕だろうと、ザイルは思っていた。いつもと違うのは、帰宅途中にラテルティアを屋敷に送り届けるという動作が追加されたことだけで、屋敷についたらまたいつも通り仕事をして、食事をして、体を清めてから眠るのだと、そう思っていた。

 まさかラテルティアを送り届けた際にレンナイト公爵に呼び止められ、屋敷に招かれるとは思ってもいなかった。


「急にお招きして申し訳ない、ザイル殿下。お会いするのは初めてですな。ガレイル・レンナイトです。これは妻のレティシア。以後、お見知りおきを」


「ごきげんよう、殿下」


 ラティティリス人に多い、淡い金色の髪と青い瞳の厳めしい顔立ちの男性と、華やかでありながら穏やかな顔立ちの、珍しい銀髪と青い瞳の女性。ともに年齢は四十台半ばといったところか。

 レンナイト公爵と、その奥方である公爵夫人に挨拶をされ、ザイルもまた「こちらこそ、お見知りおきを」と取り繕った愛想笑いを浮かべた。ちなみにラテルティアはすでに自室へと下がっており、ここにいるのはザイルたち三人と、控えているジェイルだけである。


「では早速、本題に入らせて頂いてもよろしいか?」


 応接室の椅子に腰かけ、足を組みながら言えば、レンナイト公爵も奥方も異論がないというように頷いた。


「レンナイト公もすでにご存じの通り、現在国家間の道路事業が一時中断を余儀なくされている。単刀直入に言えば、カーリネイト辺境伯がごねているせいで」


 きっぱりと言い切れば、レンナイト公爵は少し面白そうな顔になる。そんな彼の表情に気付かぬふりをして、ザイルは先を続けた。


「ラティティリス王国の国王陛下に伺いを立てたところ、カーリネイト辺境伯との交渉はこちらで行って構わないというお返事を頂いた。俺は一応、他国の人間なのだが、陛下にとっては些細なことなのだろう。そこで、その件については了承し、俺が交渉を行う予定なのだが……。カーリネイト辺境伯とすぐに交渉を行うよりも、良いことを思いついたものでな。貴公にも聞いて頂きたいと思った次第だ」


 にっこり、と笑ってザイルは言う。本来ならば、カーリネイト辺境伯と交渉すれば早いのだ。納められる金額が上がったとしてもそれはフィフラルの物ではなく、また国王から正式に交渉を委託されているため、少々値段が予想を上回ったとしても、そこまで咎められることはないだろう。だが、だ。

 それだけでは、面白くない。ただ、そう思ったのだ。ごねれば自分に良い結果になるというのは、甘すぎるというものである。


「幸いにも、今ならば間に合うことが色々とあってな。……その内の一つが、カーリネイト辺境伯の領地が担うことになっていた、国境における道路の建設だ」


 当初、この国境における道路の建設において、最短であるカーリネイトがあっさりと了承したため、その他に候補地が挙がることさえなかった。しかし今にして思えば、それは少しおかしいのだ。

 国が行う事業は、少しでも不公平がないように、最低でも二つから三つの候補地を挙げる所から始まる。そしてその内からより条件に合う場所を探し、決定するのだ。少なくとも、フィフラル側では行われていたのだが。

 ラティティリス側ではそれが全く為されていなかった。

 単純に辺境伯の力が強すぎたか、比べるべくもなく酷い土地がゆえか。どちらにしろ、ザイルからしてみれば、あまり褒められた決定とはいえなかった。


「俺は、これを機に別の候補地を視野に入れるべきではないかと思っている。その最たる候補が、ティフォール、そして……ネイリスだ」


 意識して裏のある笑みを浮かべれば、レンナイト公爵は面白そうにこちらを窺っていた。「だから、ですな」と、彼は呟いた。


「まずは私に話を持ってきた、と。私の妻が、ネイリス伯爵の妹だから」


 底の見えない、柔らかい笑みを浮かべて、レンナイト公爵は言う。ザイルはそれに頷き、「その通りだ」と答えた。


「道路の建設は、それに伴って与えられる金銭の他に、いくつもの旨味があることを貴公なら理解しているだろう。ネイリス領は農耕地とのことだが、道が通ればそこに町が出来、人が集まる。……俺は貴公に、この新たな候補地に対する優先権をお譲りしようかと思って手紙を出させて頂いた。悪い話ではないだろう?」


 道路事業を各領地で行うとすれば、かなりの予算が必要になる。ようは、ネイリス伯爵に対しての大きな貸しを作るのはどうか、という提案だった。今後、何らかの事情でその貸しが上手く使えることもないとはいえないから。

 レンナイト公爵は笑みを浮かべたまま、「見返りは、何が望みですかな?」と問い掛けてくる。

 ザイルはふるりと首を振って、「何も」と答えた。


「国から出す金額は、カーリネイトに出すはずだったものをネイリスへと譲ろう。もちろん、カーリネイトとも引き続き交渉するため、確実にネイリスに移るかどうかは保証できないがな。……俺は、兄上が責任者を務めるこの事業を、問題なく終わらせたいだけだ」


 まあ、あわよくば、レンナイト公爵に自分の存在を良い形で覚えておいてほしいという狙いもあるが、それを口にするのはまだ早いから何も言わなかった。

 レンナイト公爵は僅かに疑わしげな表情を浮かべた後、夫人と顔を見合わせる。「少々時間を頂きたい」と、彼は言った。


「私個人としては、反対する意味もない話だ。妻の実家が繁栄するのは、私としても嬉しい話ですからね。だが、それをネイリス伯、義兄が応じるかどうかはまた別の話になる。条件も含めて、話をしてみようかと」


 幸い、現在は社交シーズンで、貴族たちは領地からこの王都へと居を移している。「そう長くはかからないでしょう」と言うレンナイト公爵に、「では、任せよう」とザイルは鷹揚に頷いた。

 正直なところ、ここに来たのはある意味、レンナイト公爵に対する顔作りが主な目的なので、成功しようが失敗しようがどちらでも良い。ネイリス伯爵が無理を言うならば、先程言った通りティフォール伯爵に話を持っていくつもりだし、自分の領地以外にも候補地があり、そちらがより良い条件を示したと言えば、カーリネイト辺境伯といえど、我儘も言えなくなってくるだろう。ここに来た時点で、目的は達成されたも同然なのである。

 ネイリス伯爵とティフォール伯爵の双方が拒否したとしても、それを口にしなければそれまで。あくまで候補地が他にあると言うだけでもそれなりに揺さぶりはかけられるわけだ。

 屋敷に戻ったらその辺りの交渉条件の精査と、エリルへの状況報告を行わなければならない。そう思いながら、温くなった紅茶を喉に流し込み、「それではそろそろ」と、ザイルは席を立つ。ここで話すべきことは、全て話し終えたから。向かい合って座っていた二人も追うように席を立ち、ザイルは応接室から出ようと歩き出して。

 ふと、後ろを振り返り、「レンナイト公爵」と、呼びかけた。


「王太子の婚約者としての、ラテルティア嬢の現状を、ご存じか」


 ゆっくりと、そう問いかける。以前はラテルティアが婚約解消を望んでいなかったから、レンナイト公爵に知られることを恐れていたようだったが、今は違う。むしろ知られていた方が、都合が良い。全く知らなかったとしても、自分が口にしたことで彼が違和感を持ち、独自に調べてくれた方が。

 しかしそんな考えとは裏腹に、レンナイト公爵は苦々しい表情で、「存じております」と答えた。


「私としても、妻としても、王太子の娘に対する扱いは、とても許容出来るものではない……。出来る事ならば、すぐにでも婚約を解消してやりたいのです。しかし……」


「それは出来ない、と?」


「そうです」


 夫婦そろって、溜息交じりに暗い表情を浮かべる所から、彼らとしてもラテルティアの婚約は不本意なものとなっているのだろう。それが分かったのは収穫だったが、しかしそれを解消することは出来ない、という。


 どういうことだ?


 思うも、彼らがそれ以上話す気配がなかったので、ザイルはただ「そうか」とだけ呟き、今度こそ帰路についた。ランドルとラテルティア。彼らの婚約には、王家と公爵家を繋ぎ、王太子に公爵家の後ろ盾を与える以外の、何か別の意図があるのかもしれない。

 こちらで調べてみるしかないかと、ジェイルに指示を飛ばしながら、ザイルは馬車の中で深く溜息を吐いた。

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