第7話 使える者は。

 一週間の内、最終日の七日目は休校日となっている。

 ザイルは朝から執務室に篭もり、執務机に置かれた書類を淡々と読み、確認し、サインをし、添削して、資料を添付する。稀にぐしゃぐしゃにして捨て去りたいような書類もあるが、自分の元まで来る書類は他の者の目にも問題ないとされた物が多いため、滅多にないのが救いである。フィフラルにいた頃から延々と繰り返している作業だが、この国に来てからの方が効率が良いというのは皮肉な話。何せフィフラルでは、執務室に近付くことさえ出来なかったから。


「殿下。こちら、先日依頼された調査報告書になります。また、各種お手紙が。こちらは、皇帝陛下からのお手紙になります」


 ジェイルがそう言って最初に差し出して来た封筒の蜜蝋は、正しくザイルの父親、フィフラル帝国の皇帝、クィレルの紋章が押された物だった。とうとう来たか、という思いと、考えていたよりも余裕を見てくれたようだという思いが胸の中を巡った。

 封筒を開いて、中の紙を取り出し、目を通す。書かれていた内容は、おおよそザイルが予想していた通りの物。

 「陛下は何と?」と訊ねてくるジェイルに、はっと鼻で笑う。「さっさと帰ってこいってよ」と言えば、ジェイルもまたその答えの予想ができていたらしく、苦笑いを浮かべた。


「俺の、皇位継承権の放棄を認めれば帰ってやるって言ってんだが、父上も往生際がわりぃ。ジェイル、返事書いとけ。さっさと認めろってな」


「嫌っすよ。自分で書いてください」


 本気で嫌そうに言うジェイルに内心で舌打ちをしつつ、机の上の書類を整理する。面倒くさいが、返事を書かない訳にはいかない。

 引き出しを開けながら「他は?」と訊ねれば、ジェイルは手元の封筒を二つ、執務机の上に置いた。


「いつも通り、エリル殿下とネルティア妃殿下からのお手紙です」


 返信用のレターセットを脇に置き、二通の封筒を手にする。父は今回が初めてだが、兄と義母とは、半月に一度程度は手紙を交わしている。いつも通り自分を心配する内容だろうと思いながらも、知らず頬が緩んだ。封筒を開き、中の手紙を確認して。

 すと、表情を真面目なものへと変える。変化に気付いたのか、ジェイルが「どうかしましたか?」と訊ねて来た。

 ザイルは少し考えた後、それをジェイルへと見せた。


「兄上からの手紙に、建設中の新しい道についての素案が入ってた。面倒事が起きたらしい。ラティティリスにいるなら丁度良いから、調整と交渉をしてきて欲しいことがある、ってな」


 フィフラル帝国とラティティリス王国を行き来する者たちの多くは、フィフラルの南西にあるセンディンズ辺境伯が治める領地センディンズと、ラティティリス南東にあるグンズレル伯爵が治める領地、グンズレルを通る道を使う。道と言うよりは、広大な原野が広がっているため、どこを通っても問題ないというところか。ザイルもフィフラルからラティティリスを訪れるのにこの道を使った。単にフィフラルとラティティリスを行き来するというのには良いのだが、双方の首都へと向かおうとするならばかなり遠回りになるのが難点の道である。

 そこで、現在フィフラルとラティティリス、双方の合意の元で新しい道の計画が進んでいた。ラティティリス側も、フィフラル側も、すでに半分ほど道を開通しており、後は数か月をかけて、お互いの側の道へと繋ぐというところまで来ていたのだが。


「今になってラティティリスのカーリネイト辺境伯が通行料だなんだと言い出したらしい。今回の事業は国家間の物だ。当然、道を作るのは国だってのに、迷惑料を徴収するだの言い出したみたいでな。……ラティティリス王家への忠誠心は、俺が思ったよりも低くなってるな」


 五年越しの計画が、一人の老人のせいで止まってしまっているらしい。面倒臭いことこの上ないが、まあ、よくあることでもある。兄が困っているというのなら、何とかするのが自分だというだけだ。


「ラティティリスの地図持ってこい、ジェイル。あと、ラティティリスの貴族名鑑もな」


「はっ」


 ザイルの言葉と共にジェイルは動き出す。出したものの、まだ使っていないレターセットを書類の横に避け、戻って来たジェイルがそこにラティティリスの地図を広げた。

 元々の計画では、ラティティリスの王都を出て、諸侯の領地を通り、カーリネイト辺境伯の領地を抜け、フィフラルへと入るようになっている。フィフラル側の国境は、デズィリア辺境伯の領地で、そこからまた諸侯の領地を抜け、帝都へ。森を開墾し、川に橋をかけ、二つの首都を結ぶ大掛かりな計画である。だというのに。


「交渉、というのはカーリネイト辺境伯と、ですか? ……交渉の余地、あるんですか? 金持ってこいとか言われそうっすね」


 ザイルの記憶が正しければ、元々カーリネイトはかなり荒れ果てた土地であり、それもあってラティティリスの王家からかなりの金銭が渡ることを約束されているはず。その上で通行料と言い出すのだ。ジェイルの言う通り、ごねる目的は金銭だろう。

 器が知れるなと、ザイルは息を吐いた。


「辺境伯とはもちろん、交渉してみる。だが、そうだな……。今、道が開通しているのは、どこまでだ?」


「今現在は確か、デズィリアに入る一歩手前、と言ったところだったはずですが。ラティティリス側も、まだカーリネイトには入っていなかったと思います」


 ジェイルの答えに、ザイルは頷く。デズィリア、そしてカーリネイトに入る前、ということは。

 まだ、間に合うか。


「……先に、ティフォール伯とネイリス伯に会いに行く」


 言いながら、今度はラティティリスの貴族名鑑を開く。「ティフォール伯爵と、ネイリス伯爵、ですか?」と不思議そうな顔になるジェイルに、ザイルは「ああ」と答えた。


「今回の計画が持ち上がった際、カーリネイト辺境伯はそれほど文句を言うこともなく領地に道を通すことを許可した。だから他の領地には目を向けていなかった。首都同士を繋ぐのに、カーリネイトが最短の地だったからな」


 だが、こうしてごねてくるならば、交渉材料は多いに越したことはない。

 ラティティリスの地図に描かれた、カーリネイトと書かれた地の上下に、ほんの少しではあるが、フィフラルのデズィリアと隣り合う地がある。それが、ネイリス伯爵とティフォール伯爵の領地だった。

 カーリネイトの南に位置するティフォールに道を通すならば、カーリネイトよりも少し遠回りになるが、カーリネイトの北に位置するネイリスに道を通すならば、カーリネイトとほとんど変わらない距離である。

 二人の伯爵について、交渉材料になるようなものはないかと、手始めに貴族名鑑に手を出してみたわけだが。

 とある事実を理解した瞬間、ザイルはその顔に笑みを浮かべた。相手の出方次第ではあるが、これは使える。あらゆる意味で。


 そろそろ、一度挨拶しておきたいと思ってたとこだ。


「いっそのこと、全部一緒に解決するのも悪くねぇな」


 ぼそりと呟いたザイルに、ジェイルが「へ?」と間抜けな声を漏らすけれど、それには何も返さず、ザイルは地図と貴族名鑑を片付ける。「今言った二人の調査を」と言えば、ジェイルはこくりと頷いた。

 机の真ん中に再度レターセットを持って来て、今度こそそれに文字を書き始める。まずは、それぞれ話を聞く所からだ。


「で、頼んでた調査はどうなった?」


 かりかりと音を立てながら手紙に文字を書きつつ、ジェイルにそう訊ねた。紙が擦れる、かさかさという音がする。「面白いことが分かりましたよ」と、ジェイルは言葉の通り、楽しそうな声で言った。


「王太子殿下のお相手たちのほとんどは、本当にただの庶民ですね。殿下の仰った通り、貴族にこれ以上の力を付けさせないためでしょう。国民からの支持は高い国ですから。……ですが、お一人。殿下が気にされていたレナリア嬢についての報告で、興味深いものが」


 言って、ジェイルは報告書を差し出してくる。きりの良い所まで手紙を書き、ペンを戻してから、書類の束に手を伸ばした。すらすらと、書かれていた文字に目を通して。

 かっと、目を瞠った。ああ、そうだ。言われてみれば、分かる。

 どうりで。

 「お気に召されましたか?」と問いかけてくるジェイルに、にっと笑みを向けて「上等だ」と答えた。それと同時に、頭の中でぐるぐると考えを巡らせる。ラテルティアに、自由を贈ることを決めたのだ。ならば、使えるものは何でも使うべきであろう。

 例えそれが、彼女の家族にしても、彼女の恋敵にしても、自分の父親、フィフラルの皇帝にしても。

 書類を脇に置いて、再び手紙を書き始める。かりかり、かりかりと随分長いこと書いていたザイルの手元にある手紙の数は、全部で五通にもなった。


「何しろ、三ヶ月しかねぇからな。ジェイル、これをラティティリスの王宮へ。兄上からも行ってるだろうが、一応現状報告しとかねぇとな。で、これをレンナイト公爵家へ。こっちとこっちを兄上と義母上。これは父上な。ネイリス伯爵家へは……まだ良いか。あと四通は手紙を書かねぇとだが、時機を見て送る。この五通だけ先に頼む」


「承りました」


 差し出した手紙を受け取り、ジェイルが頭を下げて部屋を出て行った。一気にしんとした空気が辺りに満ちる。

 誰もいなくなった執務室で、ザイルは深く息を吐き、椅子の背もたれに身体を預けて目を閉じた。

 全てが上手く噛み合うとは、さすがに思っていない。けれど、一つ一つが問題なく進めば、もしかしたらという願望はあった。長い間、最小限に留めていた自分の功績が、また一つ増えることになるかもしれず、それもまた父の思惑通りなのかもしれない。けれど、それで自分の望みが叶うならば構わないとも思う。

 それに、何より。


 ……ラテルティアが、喜んでくれれば良いんだがな。


 背を起こして、再び執務机に向かう。彼女を自由へと導く一つ目の策は講じた。けれど、絶対というならばまだ足りないから。

 策を補う情報と企て、そして失敗してしまった時の予備策を練っておくかと、ザイルは先ほどジェイルから預かった報告書に、再び目を通し始めた。

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