第6話 舞踏会の夜。 前

 彼女がその口で一言、「自由になりたい」と言ったならば、すぐにでも解放してやりたいと思う。自分の身分も、伝手も、使えるものは何でも使って。

 そんな風に思う自分が、自分でも気持ち悪い。フィフラルにいた時は、こんなこと思ったこともなかったというのに。


「余程、気に入ってらっしゃるんすね。レンナイト公爵令嬢のことを」


 ザイルがラティティリス王国の王都に借りている屋敷の書斎。ランドルが侍らせている女子生徒たちについての調査を頼んだザイルに、ジェイルは少しだけ嬉しそうにそう言った。「あぁ?」と不愉快さを隠さずに声を漏らせば、彼は気にすることもなく「だって、そうでしょう」と笑った。


「今まで、女性たちが殿下に纏わりつくことはあっても、殿下自身がここまで気にかける女性はいなかったし。誰にも邪魔されたがらない昼寝の時間に自ら呼びつけてるし。こうして彼女の婚約者であるランドル殿下の周辺調査みたいなことをしてるのも、彼女のため以外にないでしょう」


 「問題はそれこそ、彼女がランドル殿下の婚約者である、ということっすけどね」と、ジェイルは少し悔しそうに続けた。

 確かに、彼女がランドルの、他の誰かの婚約者でさえなければ。


 ……なければ、何だ。何を考えてんだ、俺は。


 軽く頭を振り、「ジェイル」と側近の名を呼ぶ。「無駄口叩いてないで、さっさと行け」と言えば、ジェイルはその端正な顔に浮かんだ笑みをそのままに、「はいはい。行ってきます」と言って部屋を出て行った。

 と思えば、また扉を開いて入ってくる。「そういえば、お伝えし忘れてました」と言いながら。


「本日の夜は、学園で舞踏会が開かれることになっておりますから、忘れずに。隣国からの貴賓として、今回こそはくれぐれも参加するよう学園側から言われてますんで」


「……めんどくせぇ」


 執務机に頬杖をついてぼそりと言えば、「諦めてください、では」と言ってジェイルは今度こそ部屋を出て行った。

 フィルラルを含め、他国では十八の年に学園を卒業し、貴族の子女は社交界で経験を積む。しかしラティティリスの学園は二十歳まで卒業が出来ないので、夜会や舞踏会に参加することもままならない場合が多い。そのため、十八の年を越えた学園の子女は、月に一度、学園の大広間で開催される、学生と教師のみが参加を許される舞踏会に出席することを義務付けられているのだ。貴族はもちろんのこと、庶民も参加が可能となっており、商人の子息や騎士を希望している者などは、貴族の子女との繋がりを求めて参加することが多い。

 ザイルがこの国に来てふた月半が経っている。今までに二回、舞踏会が開催されているはずだが、その二回とも、ザイルは欠席していた。面倒臭かったから。

 しかし今回は、そうもいかないだろう。ジェイルの言い方だと、学園側から直接要請があったのだろうから。

 最終学年の途中からという、中途半端な時期から突然留学させてもらっている上に、それを依頼したのは自分ではなく叔父である。叔父の面目のためにも、これ以上の欠席は褒められたものではない。


 ……仕方ねぇ。


「おい。準備しろ」


 背後に控えていた侍従に言い、ザイルはゆっくりと立ち上がった。さっさと行って、主催者となる学園長と貴賓であるランドル辺りに挨拶だけして帰ってこよう。そのくらいの気持ちで参加を決めた。

 夏に向けて随分と主張をするようになった太陽も落ち、黒々とした闇夜が辺りを包む。舞踏会が始まって、どのくらい経っているだろうか。時間通りに最初から参加する気など毛頭ないザイルは、気まぐれに馬車を走らせ、学園の敷地へと入った。

 学園のダンスの授業にも使われている大広間は煌びやかに飾り付けられ、普段の静まり返った様相をすっかり隠してしまっていた。

 襟の詰まった舞踏会用の正装にうんざりしながら、喉元を僅かに緩めつつ会場に入る。いつも遠巻きに、不躾に視線を投げてくる生徒たちが、驚いたような表情でこちらを見ていた。この場にザイルが来るとは思わなかったのだろう。何しろ、今まで一度も来たことがなかったのだから。


「ザイル殿下、学園長はあちらに」


 ゆっくりと周囲に視線を投げていたザイルに、後ろについて来ていたジェイルがそう耳打ちする。早々に帰ろうとしているのがばれていたらしい。ちらりとそちらを見れば、ジェイルはやはり、お見通しだとでも言いたげな顔でこちらを見ていた。


「ご挨拶が終わりましたら、帰宅しても大丈夫じゃないかと思いますよ。学園側としても、貴方がこの会場に現れたことを示せればそれで良いでしょうしね」


 フィフラル帝国は大陸で最も力のある国である。ラティティリス王国の国力も低くはないはずだが、フィフラル帝国には遠く及ばない。そんなラティティリス王国の学園に、フィフラル帝国の第二皇子が通っている。学園側としては、その事実を公表したいのだろう。だからこそ、今回はジェイルに直接打診してきたのだろうから。

 ジェイルの言う通り、会場内を真っ直ぐに突っ切って行けば、学園の教師たちと言葉を交わす学園長の姿があった。「学園長」と、ザイルが声をかければ、彼ははっとした様子でこちらを振り返り、僅かにその頭を下げた。学園内では、教師と学生以外の身分の差を誇示してはいけないということになっているため、精一杯の礼儀といえよう。


「お招き頂き感謝する。何度も招待されていたのに、参加できずにすまなかった。色々と立て込んでいてな」


 本当は面倒臭くて参加しなかっただけだが、学園側としては今ここに自分が立っているということが大事なのだろう。今この場には、学園に通う貴族の子息たちが多く参加している。つまり彼らがここを立ち去れば、彼らの両親へと話が届くというわけだ。「滅相もない」と言って、学園長は嬉しそうに相好を崩していた。


「ザイル殿下にお越し頂けるとは、私共も鼻が高い。この学園は大陸内でも有数の知識人のみを教育者として招いております。殿下の今後のお役に立てれば幸いにございます」


 格式ばった挨拶を受け、「では」とだけ返してその場を後にする。本当は他にも返答のしようはあるだろうが、自分はこれで良いと思い直した。傲慢で傍若無人な第二皇子は、周囲に気を遣う必要などないだろうから。

 後はランドルに最低限の挨拶だけをして帰ろうと周囲を見渡す。彼の容姿は目立つため、すぐにでも見つかるだろうと思っていたが、大広間に鳴り響きだした音楽に、人々が中央へと集まり始め、視界を遮ってしまった。舞踏会の本番である。

 背後のジェイルの方に視線を遣れば、「あちらに」と言って彼は会場のど真ん中を指し示す。華やかな男女がダンスを始める中、ランドルがラテルティアの手を取ってそこに立っていた。二人揃って、仮面のように綺麗な笑みを浮かべながら。

 その光景に湧き上がってくる面倒な感情に、頭を軽く振って気付かないふりをして、さて、この一曲が終わるまでどうすべきかとその場で立ち止まったのが運の尽きというやつか。


「ザイル殿下、ご機嫌麗しく……」


「殿下がこのような場にいらしたのは初めてですわね!」


「学年が違うためお会いする機会もなく、こうしてご挨拶出来て嬉しい限りですわ……!」


 一瞬の隙をついて、ザイルの周囲を華やかな少女たちが取り囲む。目に痛いほどの輝くドレスと宝石、混ざり合う花々の香り。思わず眉を顰めるが、彼女たちは気にも留めていない様子だった。


「邪魔だ、どけ」


 低く唸るように言うが、舞踏会という場に高揚した少女たちは気にも留めずにころころと笑う。それどころか、無遠慮に腕や背に触れられ、思わず口元が引き攣った。やはりどこの社交界でも変わらない。美々しい姿に隠された、彼女たちの思惑。


 うんざりだ。


 深く息を吐いたザイルは、強引に少女たちの間を割って進み、囲いを抜け出した。「お待ちください、ザイル殿下!」と、名残惜しそうに背後から甘ったるい声が聞こえてくるけれど、ただただ煩わしいだけだった。

 だからこんな所、来たくなかったというのに。

 思い、再度足を進めて。

 ふと、視界に入ったその姿に眉を顰める。今までに何度も見たその姿。しかし、彼女の方はおそらく、知らないだろう。自分のことを。

 丁度良いと思って、ザイルはそちらへと歩き出す。話してみたかったのだ。その髪色を見た時から、ずっと。彼女の名前は、確か。


「ごきげんよう、レナリア嬢」


 歩き様に給仕から受け取った二つのグラスの内の一つを渡しながら、ザイルは以前ラテルティアから聞いた彼女の名を呼んだ。黒い髪に青い目を持つ愛らしい少女。その姿を初めて見た時、彼女はこの国の王太子に寄り添っていた。

 レナリアと呼ばれた少女は驚いたようにこちらに視線を向けると、慌てて礼の形を取った。「ご、ごきげんよう、ザイル殿下」と震える声で答えながら。

 その様子に、くつりと笑う。傲慢なフィフラルの第二皇子の姿は、学園の貴族たちだけでなく、庶民にも知られているようだ。


「良いドレスだな。青い生地に、黒い刺繍。誰かからの贈り物か?」


 どう見ても庶民である彼女の手が届くはずのない、高級な仕立てのドレス。

 くつくつと笑いながら言えば、レナリアは困ったような表情を浮かべてこちらを見ていた。何と応えれば良いか迷うように、その視線を彷徨わせる。誰かに助けを求めるような素振りだと思いながら、彼女の視線の向かう方向を見れば、踊る男女の肩越しに、青い瞳と目が合った。

 焦りか、怒りか。いつもの柔和な笑みを消して、こちらを見ながら完璧にステップを踏むランドルと、そんな彼の視線を追ってこちらに目を遣ったラテルティア。


 ……彼女と共にいながら、別の女に気を取られるとはな。


 見る者が見れば、分かるだろう。彼の気持ちがどこにあるのか、なんて。

 はっと、鼻で嗤ってザイルは再びレナリアの方へと視線を戻す。「安心しろ。俺はお前らの事に苦言を呈する気はねぇ」と呟けば、彼女は驚いたような顔でこちらを見上げていた。


「あくまで俺は他国の人間だ。この国の王太子が何しようと、興味ねぇよ。ただ少し、お前と話してみたかっただけだ。付き合え」


 相手の了承を得るというよりは、命令するようにザイルは告げる。レナリアは少し戸惑うような様子を見せた後、「分かりました」と小さく応えた。


「ずっと思ってたんだが、ラティティリス人にしちゃ、珍しい髪色してんな。お前の両親はどこの国の出身だ?」


 青い目はラティティリスに多いが、黒い髪は珍しい。フィフラルはもちろん、大陸の東部に多い髪色である。大方、両親のどちらかが隣国であるフィフラル出身ではないかと思い訊ねれば、案の定レナリアは「母がフィフラル出身ですので」と応えた。


「母は両親……私の祖父母と、あまり仲が良くないようで、詳しくは教えてくれませんけれど……。フィフラルの出身だということだけ、教えてくれました。父はごく普通のラティティリス人の商人です。裕福とはとても言えないのですが、私に後学と今後の商売の繋がりを持たせるため、無理をして学園に入学させてくれました」


 とつとつと語る横顔にも、その立ち姿にも、ただの商人にはない気品があるように見える。もちろん、王太子が自らの傍に置くために、教育しているのだと言われればそれだけだが。

 どうにも引っかかるのだ。彼女の顔を見ていると、何かが頭の隅を掠める。あれは一体、何なのだろうか。

 まじまじと彼女を、そうとは分からぬ程度に観察しながら、言葉を交わす。彼女自身の話から、ものはついでだと思い、彼女たち庶民が受けている講義についての話も聞かせてもらった。

 ザイルたちが受けている講義には、領地を治める術や投資の如何などがあるが、彼女たちの方は当たり前だがそのような話はなく、市場経済や一般的な経営などの講義があるようだ。その他にも、他国の歴史の有無や、言葉、振舞い方についてなど、様々な違いがある。やはり教科書や資料だけでも取り寄せようかと、ザイルが考えていた時だった。


「珍しいですね。ザイル殿がこの場に現れるなんて」


 ふと声をかけられてそちらに顔を向ける。レナリアと話している内に、いつの間にか曲が終わっていたようだ。

 どこか硬い笑みを浮かべながら現れたランドルは、一瞬だけ視線をレナリアの方へと向け、またこちらを見遣る。何を話していたか気になって仕方がないという、焦りを灯した青い目に、ザイルは僅かな嘲りの色を表情に浮かべて「これはこれは、ランドル殿」と応えた。


「丁度良かった。あんたを捜していたんだ。このような場で、挨拶もなしに去るのも悪いと思ってな。……まあ、あんたの方は俺に挨拶するつもりで来たわけじゃねぇようだがな」


 くつくつと笑いながら言えば、ランドルは僅かにその目を細め、また柔らかい笑みを浮かべる。「いえいえ、とんでもない」と、見るからに思ってもいないことを口にしながら。


「貴方の姿が見えて、慌ててご挨拶に参った次第です。ザイル殿も、踊ってみてはいかがですか? 貴方目当てのご令嬢が沢山おられるようだ」


 周囲を一定の距離を空けて囲む、少女たちを指し示しながらランドルは微笑む。自分たちのことを言われているらしいと悟った彼女たちは、その頬を上気させ、期待に満ちた眼差しをこちらへと向けていて。

 ひくりと、頬が引き攣った。


「お気遣いどうも。だが、俺は挨拶をするためにあんたを捜してただけだ。もう帰る」


 不自然にならない程度に声を張って言えば、令嬢たちからはあからさまに残念そうな気配を感じた。面倒臭い。ただひたすらに面倒臭い。

 そんな感情が顔に出ていたのだろう、ランドルは小さく笑うと、「では、私はこれで。良い夜を」と言いながらこちらに背を向ける。彼はレナリアの方へと歩み寄り、何かを囁いて、そのまま広間を後にした。王太子とのダンスを願っていた少女たちの視線を浴びながら。

 さて自分も当初の予定通りにこの場を後にしようかと思いつつ、ザイルは無意識に視線を彷徨わせる。ランドルは一人で自分の元へと訪れた。では、彼と踊っていた少女は一体どこへ行ったのだろうかと、そう思って。

 ふと、その場に留まったままの黒髪の少女に視線を留めた。


「行かなくて良いのか?」


 周囲を気にするようにちらちらと辺りを見回すレナリアにそう声をかければ、彼女ははっとしたように身体を強張らせる。青い目には、先程よりも濃い怯えと困惑の色があった。目の前にいたのだ。この場で彼女が、間をおいて広間を出て行ったとしても、行きつく先は簡単に予想がつく。そう分からないわけもない。いくら自分が彼らの関係に気付いているかもしれないとしても、そのような決定的な行動に出るのは躊躇われたのだろう。

 まあ、自分としては本当にどうでも良いし、むしろ。


「言っただろ。興味ねぇよ。さっさと行け」


 心底どうでも良いというような声音で告げれば、レナリアは礼の形を取った後、その場で踵を返す。庶民の少女にしては優雅な足取りで、彼女はランドルが出て行ったのとは違う出口から、広間を出て行った。


 ……ラテルティアのためを思うなら、行かせるべきじゃなかった、か?


 思うも、どのみち彼女は彼を追っただろうからと、一人納得した。


「ジェイル。ラテルティアは?」


 再び視線を辺りに彷徨わせながら、ザイルはそうぽつりと呟く。レナリアに声をかけてから、一定の距離でザイルの護衛をしていたジェイルは、さっとザイルの元に歩み寄って「あちらです」と応えた。

 ジェイルが示した先は、月明りに照らされたバルコニー。ダンスに興じる男女の向こうで、銀色の髪がきらきらと輝いて見えた。

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