第16話 想いの暴走


 

 燃ゆる左腕を携えて、俺は妹の泣き腫れた目元を逆の手で拭く。

 嬉しそうに笑うミラに微笑んで、視線を黒竜の方に移した。


(バドさん……頑張ってるみたいだけど……)


 眼前には、羽根を使って四方八方に飛び回りながら、大槍で黒竜と死闘を繰り広げているバドさんの姿が目に入った。一人でよくやっている。

 さすが、と思わざるを得ない。

 だが、ジリジリと押されている。

 このままいけば、先に折れるのはバドさんの方だ。


 バドさんはA級冒険者だ。

 いや、学院に試験の依頼を受けるともなると、魔法騎士の身分を隠していた可能性もある。

 実力は、肩書以上のものなのかもしれない。


 が、相手は危険度S級魔獣、黒竜だ。

 発見され次第、魔法騎士とS級冒険者でチームを組んで対応するほどの驚異である。

 バドさん一人では荷が重い。


 助けよう。そう思った。

 確かに俺達を騙していたのは腹が立つが、別に悪意があったわけじゃない。殺そうとしていたわけじゃない。

 もし、俺達が赤竜に負けそうになっていたら、試験の結果がどうなるかは別として、おそらく加勢してくれただろう。

 そんな信頼を置けるほど、バドさんとは長い仲だ。

 妹に手を出そうとしたら、挽肉にしてやるところだが。おそらく、そんな身の程知らずなことはしないだろう。


 けれど。


 方針を決め、加勢してやろうと思い、左腕の炎に意識を向けた途端。

 俺の脳裏に浮かんだ言葉は……、


「――――邪魔だな」


 思ってもいない、そんな言葉だった。



 ―――



 殺意。憤怒。悔恨。怨念。


 ――――憎悪。


 俺を支配していたのは、そんな感情だった。

 沸き上がるそれらの感情を肌で感じて、同時に思った。

 俺は、何を迷っていたのか。

 別に獣人のニワトリ野郎なんてどうでもいいではないか。

 奴を守りながら戦うなど、非効率すぎる。

 確保されるべきは、妹ミラの安全だ。

 彼女は助けなければならない。

 根拠はなく、そう思った。

 そしてそれが第一の希望とするのなら、

 他の全てはどうでもいい、そう思ったのだ。


 大切な人を、守れるなら、それでいい。

 他の全ては邪魔だ。

 そして、俺の邪魔をする奴は、たとえ危険度Sの魔獣だろうが、外の世界からの侵入者だろうが、神様だろうが……。


「殺してやる」


 溢れ出した言葉。

 俺はたぶん、笑っていた。

 そして、自分で紡いだその言葉こそが、着火剤となった。


 俺は左腕の炎を燃え上がらせる。

 熱くなればなるほど、俺の中にある、あらゆる悪感情が解放されていくような感覚に陥る。

 そしてそれを欲している自分がいることに、気付く。


(もっと、もっとだ……)


 さらに、火力を上げていく。

 すると、バァッ!! という音とともに、左肩から炎が噴き出した。

 それは翼。

 神への叛逆を思わせる、黒翼。


「ヒッヒッヒッ」


 暴れ狂いそうになる力を前にして。

 俺は嗤っていた。

 この力を振るえば、邪魔者は全員殺すことができる。

 それだけの、人の域を超えた力だと、確信した。


「死ね」


 呟き、炎を使って俺は加速した。



 ―――



 噴射させた炎で空を駆ける。

 狙うはただ一つ。


「テメェの首だ! クソ野郎!!」


 黒竜の眼前へと肉薄する。

 驚愕したニワトリ野郎がこちらを向いているが、関係ない。

 巻き込まれて死ぬなら、その程度だったということだろう。

 俺は気にせず左腕を引き、弾丸を放つように撃ち抜いた。


 インパクトした瞬間、ゴゥッ!! と空気が揺れる。


 闇の炎は、空気をも燃やしながら、黒竜を飲み込まんとした。

 黒竜は咄嗟に両翼で身を守ったが、防御に使ったそれらは呆気なく燃え落ちる。


 地面へと落ちゆく黒竜。

 俺は空中を反転し、片翼の噴射でもう一度肉薄する。


 落ちながらも抵抗しようとした黒竜は、炎を吐こうとするが無意味である。

 そんなもので、

 俺に勝てるとでも思ってるのか?


「アハハハハハハ!! 呑気な奴だなァ!」


 黒竜が炎を吐き出すよりも先に奴の口元に到達した俺は、口腔の中に左腕を突っ込んだ。


「テメェが爆ぜろよ。クソ野郎」


 逆流した炎と黒炎が奴の腹へと溜まっていき、膨れ上がる。

 黒竜の歪んだ顔を見て、俺は己れの醜悪さを認めつつも、笑いを堪えられなかった。


 ドッガァァァァァァアアアアアアアア!!!


 黒竜は爆散した。

 散り散りとなった奴の身体は、ぼとっぼとっ、と草原に落ちていく。

 轟音と爆発の衝撃は、僅かに立っていた木々を吹き飛ばした。

 俺は勝ったのだ。



 ―――



 ごとりと落ちた魔石を、ふらふらとした酩酊感を覚えながら眺めて、

 俺はぐるりと周囲を睥睨した。


 ミラは「お兄様!」と叫びながら近づいてくる。よかった。あの様子なら怪我はしていないみたいだ。


 俺は健気な妹に微笑みかけ、近くで倒れていた人影を見下ろした。

 ニワトリ野郎だ。

 運がいいのか、緊急回避が上手くいったらしく、炎の直撃を免れたらしい。


 ニワトリ野郎は気を失いかけているのか、「うぅっ」という呻き声を上げている。さて、どうしたものか。

 うーむ……。

 ……うん。


「よし、殺そう」


 ちょっとだけ悩んだけれど、俺はそう決断した。


 だって、こいつが生きていたら、俺に変な恐怖心でも抱いているかもしれない。

 恐れから、直接俺ではなく妹のミラを手に掛けるかもしれない。

 可能性はゼロではない。

 なら殺すべきだ。

 俺は燃え上がる左腕の炎を見て、そう思った。


 この炎は不思議だ。

 見つめていると、寂しさと、執着心と、なによりも怒りと憎しみを思い出させてくれる。

 そして、あらゆる俺の中にあるストッパーを外してくれるような感じがする。

 不安はない。

 この炎に勝てるモノなどないはずだから。


 俺は次に、遠くでカタカタと震えている人間の男を見た。

 彼はどうだろう。見たところ、魔力もひ弱で強くはなさそうだが…‥。


「いや、やっぱり駄目だな」


 うん。

 コイツは全貌を見ているし、俺がニワトリ野郎を殺したら密告するだろう。

 キャメラとかいう撮影用の魔道具をニワトリ野郎が持っていたことからして、遠距離通信用の魔道具を受け取っている可能性がある。

 だとすれば、俺達が魔法騎士たちに奇襲を受ける可能性がある。

 それは駄目だ。


 だって、これから全部殺すつもりなのに、こちらが後手に回る選択肢を取るのは悪手だろう。


 炎が使える時間は無限とは限らない。

 なら、俺は炎が使える間に、元の俺より強い奴は全員殺すべきだ。

 そうすれば、大切な人を失わずに済む。

 万事解決というわけだ。


「よし……とりあえず」


 方針は決まった。

 俺はニワトリ野郎のトサカを右の手で掴み上げ、視線を合わせる。

 とはいえ、やはり気絶しかけているようで、受け答えができるような状態ではないようだった。

 本当に殺すべきだろうか。そんな迷いが一瞬頭を過ったが、すぐに思い直す。

 ニワトリ野郎は、所詮、獣人。

 馬車の男は、所詮、人間。

 2人とも、たかが人族だ。


 俺は左拳に魔力を込めた。

 炎が一点に集中され、燃え上がる。

 勢いを乗せ、それを振り下ろそうとして――――、


「お兄様!!」


 拳は、後ろから抱き締められ、止められた。


 振り返ると、そこには遠くに居たはずのミラの姿があった。

 走ってきたにしても、早すぎではないか?

 俺は妹が来る前に全てを済ませるつもりだったのだ。

 予定外の出来事だ。

 だが、俺は妹の静止をも振り切ろうとして力を入れた。


 けれど、俺は続く言葉で完全に動きを失ってしまった。


「それでは『約束』と違います!! あなたには、果たすべき『使命』があるでしょう……?」


 言われ、

 頭が真っ白になった。


 ……何を、

 ミラは、何を、言っているんだ。


 約束? 使命?

 俺は知らない。そんなものは知らない。

 でも、ああ……。

 憎しみや怒り、寂しさを覚えているように。

 きっとそれは、『俺』にとって大切なものだったのだろう。

 だって、優しく抱きしめられているだけのはずなのに、動けそうにない。

 目頭が熱い。

 衝動に身を任せるな、と、今になって魂が俺を引き止める。

 そんな自分自信に、迷いと戸惑いを感じてしまう


「……駄目、なのか?」


 呟くように、そう言葉を零すと。


「ええ、きっと……。あなたは、それを望んでいないはずです」


 諭すように言ったミラの言葉で、暴走していた悪感情が収まっていく。

 炎はいつの間にか消えていた。

 それと同時に思い出すのは孤独。

 大切な何かを失いたくないという、漠然とした不安の波。

 怖くて。怖くて。ガタガタと身体が震えあがる。

 俺は、優しく抱きしめてくれるミラに、体重の全てを預けていた。


「うぅぅっ、うわああああああああああああああっ!!! ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 両の目から、涙を流す。涙を流す。涙を流す。

 俺は恥も外聞も知らず、赤ん坊のように泣きじゃくった。

 どうして俺は涙を流しているのか。

 理由なんて、おそらく『俺』にしか分からないんだろうけれど。

 寂しくて、苦しくて、辛くて。

 長い長い間、積り積もったそんな感情が、溢れ出したのだろう。


 俺は、……まぁ、他の人が聞いたら馬鹿げた話なんだろうけど。


 ――――億万年ぶりに、涙を流した気がしたのだ。



 ―――



 泣きじゃくる俺を、ミラは決して離さなかった。

 そのことがすごく嬉しかった。肌を伝う熱に、安心したのだ。

 ――――やがて。

 温かさに包まれて、俺は眠るように意識を手放したのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る