第4話 吸血魔王、覚悟を決める。


 様変わりした城の周辺をこうやって歩くと、やはり月日を感じずにはいられない。

 二年。

 ライラが言うには、あれから二年ほどの年月が過ぎていたのだそうだ。

 それだけの時がこちら側で過ぎていたとすると……。

 王になるべきだった男にしては、遅いペースで俺は計算した。

 一分が60秒で、一秒が百年だと言っていたから結界内で6000年。

 それに60を掛けて一時間分。さらに24を掛けて一日分。365を掛けて一年。それに2を掛けると……。

 6307200000年。

 六十三億七百二十万年。

 どうやら、俺はそれだけの時間を結界の中で体験していたらしい。

 実感はない。持てるわけないが。

 今、俺がこうやって自我を保っていられるのは、もはや奇跡と言っても過言ではないだろう。

 そして、その奇跡を起こせたのは、

 きっと俺が強かったからとか、そういうわけじゃないんだ。


 彼女がいたから。

 彼女の存在が、弱い俺を支えていたんだ。



 ―――



 かつて木々が並んでいたときのように、墓石は辺り一面を埋め尽くしていた。

 ライラが短めの黒髪を跳ねさせながら先導し、俺はそれについていく。

 歩くたび、簡素な墓石が次々と通り過ぎていく。

 小さく墓石に彫られているはずのその名前が、なぜかはっきりと目に入ってきた。

 誰のものなのかが、俺にはすぐ理解できた。

 魔王城で、城下の街で、はたまた地方の麦畑で。

 出会い、交流してきた者たちのものだ。

 そこには知人がいた。

 友人もいた。

 恩師もいた。

 馬鹿なやつも、聡明なやつも、心優しいやつも、活発なやつも。

 誰もかれも、こんなところで死んでいいような奴らじゃなかった。

 死んでいいような奴らじゃなかったんだ。



 ―――



 ライラの足取りが段々と重くなる。

 俺はそろそろ目的地が近いのだと悟った。

 内心ドキドキとしていて、行くのをやめたいとすら思った。

 けれど、我慢した。

 ライラの心遣いに報いたいと思ったし。

 何より、俺が目を逸らすわけにはいかないと思ったから。

 俺は歩くことをやめなかった。



 ―――



 やがて、ライラの足が止まった。

 墓地の奥の奥に、それはあった。


 リナリア・ラフレシア。


 墓石にはそう彫られていた。

 俺はその文字に釘付けになってしまった。

 頭で何とかこの現実を受け止めようとしても、心の部分で否定してしまう。


 もしかして、これまでのことは全部夢なんじゃないか?

 魔王になるプレッシャーから、あの日横になって見ている夢。

 今にも、お嬢様には似合わないほどの活発な声で、「馬鹿ノア!」だなんて言って、彼女が起こしてくれるんじゃないか?

 もしくは、まだあの炎の中なんじゃないか?

 きっと、これは苦しくて仕方がなくて、見ている悪夢なのだ。

 この悪夢を抜ければ、傷だらけの彼女が居て。

 外側だけではなく、心にもきっと大きな傷を負っていて。

 立ち直るには時間が掛かるのかもしれない。もしかしたら、立ち直れないかもしれない。

 それでも、俺が支えて、抱き締めて生きていく。

 完璧な幸せとは程遠くても、彼女とともに生きていく。

 本当は、そんな未来が待っているんじゃないのか?


 何度も、何度も。

 妄想を繰り返しては、現実から逃げようとしている。

 けれど、分かる。

 根拠はないけど、分かる。

 これは現実だ。

 触れる風が。

 静かな中でもかすかに聞こえる生活の音が。

 身体を支配する重い重い倦怠感が。

 これが紛れもないリアルだと叫んでいる。

 それでも、どうしても現実だと認めたくないから。


「死体は、あったのか?」


 そんな、墓の前で言うべきではないことを口についていた。

 ライラは俯いたまま、ポツポツと、当時の惨状について語り出した。


「リナリア様は……リナリア様が居た牢屋には、20発分の銀の弾丸と、大量の血と、炎と雷魔法の焦げ跡が、残っていました……」


「……そう、そうか」


 魔力の残滓は、死んで1ヶ月ほどその場に残る。

 ライラほどの実力者が、魔力の識別を間違えるようなことはないだろう。


 彼女は様々な実験や、暴力を受けた。

 銀の武器で出来た傷を【再生】することはできない。

 尊厳などなく、身体を徹底的に弄ばれ。

 体中を切り刻まれ、撃ち抜かれ、喋ることもできないほどに痛めつけられた後に。

 勇者の一人、【炎雷】の勇者の魂器ソウルによって、跡形もなく消し飛ばされたのだろう。


「ああ……あぁ………‥」


 彼女が受けた惨状を想像して、力が抜けてしまった。

 俺は彼女の墓石の前で両膝をついた。

 ぽたぽたと流れ落ちる涙を抑えることなどできない。


 苦しかっただろう。

 心細かっただろう。

 彼女はいつも俺が苦しいときは支えてくれたのに。

 俺は、彼女の傍にいてやれなかった。


「ごめん……ごめんなぁ……っ!」


 ずっと、ずっと好きだったんだ。

 朗らかな表情も。

 照れた横顔も。

 意地悪なことを考えてるときの顔も。

 時々見せる真剣な表情も。

 そのすべてが好きだった。

 君の全てに惚れていた。

 億万年生きた数奇な人生だったけれど。

 君のことを忘れたときなど、一瞬もなかった。


「ぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 俺は墓石を抱き締めた。

 彼女の温もりを求めて抱いていた。


 それは無常なほどに冷たかった。



 ―――



 泣いて、泣いて、泣いた。

 みっともないほどに、泣き喚いた。

 身体中の水分という水分が、涙に変換されたのだと思う。

 涙は枯れた。

 身体の機能として、それが俺から失われたとき。

 残ったものは胸の中に灯された炎だった。

 その熱は、じんわりと俺の全身に広がっていく。


「……………………………………………………」


 俺はきっと、変わらなければならないのだろう。

 少年のままではいれられない。

 強くなくては、守れないから。

 弱いままでは、搾取されるだけなのだから。

 理想論だけでは、世界は変えられないのだから。


 安易な行動に移すことは、許されない。

 現状を受け入れろ。

 目の前の現実を受け止めろ。

 その先にいる倒すべき敵を、しっかりと見据えろ。


 逃げるな、戦え。


 そのために必要なものは、もう分かっているはずだ。


「ライラ、門を開いてくれ」


 俺は立ち上がり、隣にいたライラにそう告げた。

 彼女は首肯して、胸に手を当てた。

 白く光る球体が、ライラの前に現れる。

 彼女はそれを右手で掴み、砕いた。

 ガラスのようにそれがはじけ飛ぶと、バリバリバリ! という雷音が鳴った。

 黒の稲妻が彼女の前で落ちる。

 そこには巨大な黒い穴が出現した。


 魂器ソウル・もう一つの境界アナザーゲート

 彼女の魂器ソウルだ。

 人界と魔界を繋ぐ門。

 各大陸を繋ぐ、転移門。

 空間を飛び越えることのできるそれらと同じ門を作り、任意の場所に繋ぐことができる。

 それが彼女の固有スキルである。

 行ったことがある場所に限る、という能力の制限はあるが、きっと、この先の戦いにおいても頼りにするチカラであろう。


「どこに繋ぎましょうか」


 彼女が問う。

 俺は宣言した。


「『生命の泉』に行く。王の資格を頂きに、な」


 俺はライラと並び、黒穴に歩いて行った。

 後ろはもう、振り返らなかった。



 ―――



 生命の泉。

 それは中央大陸南方、超森林地域の中心部に位置する、巨大な湖である。

 そして、そこに伝わる言い伝えを、王国民なら知らぬ者などいないだろう。


 神話の時代。

 神々と悪魔族が争っていた時代。

 魔族に、悪魔族しかいなかった時代。

 悪魔族の一人であり、唯一【吸血】と【再生】能力を得た者がいた。

 我らが吸血鬼の真祖、ゼル・ブラタスキ。

 彼は最凶最悪であった。 

 元々持っていた魂器ソウルの固有能力、【解放】によって、刺した相手の魂の奥底に眠るチカラを無理やり引き出し、暴走させ戦いを激化させた。

 彼は混沌と化した神話の大戦において、血肉と憎悪を浴びながら笑い続けた。

 彼は二刀の愛剣を振るい、殺して回る。

 深紅の長剣と、魂器ソウルである蒼の短剣を、彼は本能のままに振り回した。

 殺した相手の血は、死ぬ前に一滴も残らず【吸血】する。

 敵も味方も、彼には存在しない。

 腹を吹き飛ばされても【再生】し、思うがままに血を吸って進み続ける。

 同胞である悪魔族を全て喰らった彼は、神々にさえ、その刃を振るった。

 無論、神々は激怒し、抵抗した。

 ……が、彼は止まらなかった。

 彼は神々さえも【吸血】し、やがて魔界に住む全生物の魂を吸いつくした。


 そんな彼が最期を迎えた場所が、ここ、『生命の泉』というわけだ。

 全生物の力を奪った彼は、悠々と湖の中心に現れ、


「飽きた」


 そう言い放つと、魔剣で己の胸を突き刺した。

 彼の固有能力【解放】が発動し、彼の体内に縛られていた数多の魂は解き放たれた。

 そして、彼の血と肉から流れ出した魂は、湖に溶ける。

 その水が水蒸気となり、雲となり、魔界中に雨となって振り落ちた。

 そんな数多の魂を含んだ『生命の雨』により、新たな生命たちは産声を上げた。

 知性のない魔獣たちにも変化が起きる。

 魔族の魂を得た魔獣たちは魔族となり、知性を持ち始めたのだ。

 こうして湖は、『生命の泉』と呼ばれるようになった。

 湖なのに『泉』なのはそういうわけなのだ。


 そして、なんと彼は死んだわけではなかった。

 彼は自分の魂器ソウルを魔剣と同化させていたのだ。


 ある日、吸血鬼族の少年が、たまたま湖の中心にある岩に到達した。

 剣を抜くことを認められた少年は、魔族たちの王となった。

 いつしか、彼の者の魂を宿した魔剣は、王を見定める選定の剣となった。


 ・選定の剣を岩場で抜き、死ぬときは最期に魂を『生命の泉』で【解放】すること。

 ・ゼル・ブラタスキを最高に楽しませること。


 この二つが、王になる条件であり、真祖と契約する条件だった。



 ―――



「これは……」


 俺たちは今、『生命の泉』の中心点、その上空にいた。

 ライラが黒羽根で飛び、俺は彼女の手を掴んでぶら下がっているような状態だ。

 確かに、俺たちは転移し、件の湖の空に浮かんでいるはずであった。

 ライラの魂器ソウルは正確無比だ。間違えるはずはない。

 が、湖の様子は、明らかに以前のものとは異なっていた。


「赤いな……不気味なほどに」


 そう。以前は水がきれいで有名で、水深600メートルもあるそこは、底の底まで透き通っていた。

 が、自然の魔力をコントロールしていたオーブが奪われたせいか、水は真っ赤に変色していた。


「これじゃ、『生命の泉』なんかより、『死の泉』って感じだな……」


 悔しい。

 だが、今すぐどうこうできる問題でもないだろう。

 故郷の風景を壊されたことは歯がゆいが、今は当初の目的を果たすとしよう。


 本来なら岩場に刺さった剣が見えるはずなのだが、見渡してみても岩も剣も見当たらない。

 自然魔力の変調というものは、環境に少なからず影響を与える。

 それを抑制していたオーブが消えたのだ。水深くらい変化していても不思議ではない。

 俺は現状を打開するため、隣のライラに許可を求めた。


「ライラ、少しだけもらっていいか?」


「了解しました」


 俺はライラの手を掴んでいる左手と逆の右手を胸に当て、意識を集中させた。

 目前に現れた球体を砕く。

 すると、右手が青白く光った。無数の浮き上がった線が発光していたのだ。

 魂器ソウル王のキング命令ギアス

 右手に宿る、概念的魂器ソウルだ。

 大層な名前の魂器ソウルだが、能力は大したものではない。

 いや、有用的なものではあるが、最強の力ってほどのものではない。

 手に触れた対象と、強制的に魔力回路を繋ぐというものだ。

 魔力を与えることもできるし、貰うこともできる。

 そんなスキルだ。


 俺はボロボロで力が入らないので、ライラに空中で引き揚げてもらうと、抱き締める形になった。その背中に右手を当てた。彼女の背中も青白い線が無数に光る。

 やがて彼女から魔力を受け取ると、身体の調子が幾分かマシになったような気がした。


 準備は整った。

 さあ行こうと、彼女から手を放そうとした、そのときである。


「ノア様……ご武運を」


 ライラがすごく不安そうな表情を見せたのである。

 仕方ないと思う。

 王の選定で認められなかったら、真祖に殺されるという話もある。

 これまで二年間会えなかった相手と、また離れ離れになってしまうのではないかという不安を抱くことは、どうしようもないほどに理解できた。

 俺だって、これ以上、仲間と離れたくはないしな。


「大丈夫だ。任せとけ」


 だから俺は、努めて軽くそう言って、彼女の頭に手を置いた。

 くしゃくしゃとその頭を撫でる。

 俯きながら恥ずかしがる彼女を見届けて。


「行ってくる」


 俺は彼女から手を放した。


 空中で反転すると、真下に向けて右手を構える。

 十万ものアルファベットで成る緑色の魔法陣を空中に展開。

 そこに魔力を流しながら、


風神ノ息吹ボレアス・ブレス!!」


 叫んだ。

 風の神話級魔法、風神ノ息吹。

 真下に放った暴風は、湖を穿ち、穴をこじ開けた。

 俺は岩場の中心に降り立った。


 そして、そこにあった深紅の魔剣の柄に触れた。


「う……っ!」


 すると眩い光が視界を奪った。

 瞼をゆっくりと開いていくと、

 そこには俺と同じように長い白の髪を伸ばした女が胡坐をかいて座っていた。


「貴様、何しにここに来た?」


 思わず息を呑む。

 女の放つ威圧が凄まじいものだからだ。

 魔力がどうとか、そんな問題ではない。

 もっと暴力的で畏怖をも与える、神秘的な何か。


 女を見て思った。

 伝説では男となっているが、彼女こそが真祖ゼル・ブラタスキであると。


 俺はひと呼吸入れて、覚悟を決めた。

 努めて平静に、平然と、俺は答えた。


「王に、成りに来ました」


 女を見ると、

 その口は、引き裂かれんばかりに吊り上がっていた。


「カカッ!」


 女は不気味なニヤケ顔をしていた。


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