第8話 吸血魔王、仲間に誓う。


 俺は一つ呼吸を入れて、あのときのことを思い出すように語り出した。


 俺やリナリア等の吸血鬼が監禁されたこと。

 俺とリナリア以外は早々に死亡、もしくは人界に拉致されたこと。

 数々の実験を受けたこと。

 その末に、『時の牢獄』と『太陽地獄』なる結界に閉じ込められたこと。

 そして。

 それを破壊して自力で出てきたことと、その過程。


 その後、(ライラから聞いているとは思うが)真祖様から選定を受けたことを説明した。

 努めて感情を殺して話すと、ほとんどの記憶を覚えていて、思ったよりもスラスラと言葉が出てきたことに驚いた。

 だが、同時に安心した。

 苦しかったこと、辛かったことから逃げることは許されない。

 それらを忘れるということは、決意を忘れるということだから。

 無念にも死んでいった者たちの意思を、忘れるということだから。

 大切だった、あの子のことを忘れるということだから。


 大丈夫だ。

 全然大丈夫ではないが、それでも、大丈夫だと思うことにしたから大丈夫だ。

 俺は戦える。逃げることなく進んでいける。


 心の中でそうやって改めて整理をつけ、顔を上げると、


「……なんて顔をしてるんだ。お前ら」


 皆、泣いていた。

 ライラも、リドも、誰も彼も。

 自分が辛かったこと、苦しかったことで泣き言は言ったとしても、涙を流すことはしなかったのに。

 そんな彼らが、俺を想い、涙を流している。


「はは……ほんとに……」


 ああ、彼らのことが、愛おしくて愛おしくて溜まらない。

 これから俺は、そんな彼らを地獄へと引きずり込む。

 命も保証はない。絶望が、想像を絶する痛みが、彼らを待ち受けているのかもしれない。

 けれど、俺は彼らをそこへ導く。共に征く。

 ――――使命を果たす。

 その決意だけは、貫き通して見せると誓って。



 ―――



「作戦を説明する」


 俺がこう言ったのは、皆がひとしきり泣いた後であった。

 全員が泣き止むまで、かなりの時間が経過していたと思う。

 特にタマなんかは「びえーーん!」と喚き散らし、最終的に人型っぽい体はジェル状に溶けだしていた。ちょっとグロかった。


 ともあれ、作戦の説明をした。

 俺が『転生作戦』と命名した、作戦だ。


 俺が記憶を消し、人界の貴族家庭に転生することで、様々な情報を集める。

 とある『タイミング』で、記憶を取り戻す。

 記憶が戻った後、合流し、勇者を殺す算段をつける……。


 ここまで話をして。

 皆の表情を見ると、(ゴーレムを除いて)特に困惑した様子はないようだ。

 タマやリドなんかはニヤニヤしている。

 学院時代、生徒会で共に活動していたからであろう。俺の突拍子もないアイデアなんて、予想済みというわけだろうか。

 同じく生徒会で副会長をしていたライラなんかは涼しい顔をしている。

 俺はそんなライラに向けて、語り掛けた。


「ついては、俺の監視役として、記憶を保持したまま転生できる優秀な者をつけようと思う」


 後ろの方でタマが「はい!はい!私ですか?私ですねっ!」ってな様子で手を上げてぴょんぴょんっとしていたが、ごめんねタマ、君じゃないんだ。

 タマのことはリドに任せるとして。

 俺は「ごほん」とわざとらしい咳をしてから、改めてライラに向き合った。


「頼めるか? ライラ」


 俺が言うと、ライラは立ち、スカートの裾を掴みながら一礼した。


「謹んでお受けいたします」


「うむ」


 俺たち二人には、これだけで十分だった。

 ライラとは魔王学院生徒会での、会長と副会長という関係でもあったため、言い知れぬ信頼関係のようなものがあるのだ。

 言葉にせずとも、俺たちは理解し合える。

 言葉にせずとも、お互いを助け合える。

 学院時代では、おしどり夫婦なんて言われてたっけ。

 隠れライラファンクラブとやらに命を狙われていた頃が懐かしいな。


 後ろで「キー!キー!」とスライムらしからぬ声を出して嫉妬しているタマについては……とりあえず気付いてないフリをしておくことにした。



 ―――



 ライラとの『転生作戦』に関する細々こまごまとした話がまとまった頃。

 会議は終わり、そこには穏やかな時間が流れていた。

 ここ最近で得た知識や、学院時代の思い出について語り合う。

 そこには、まるで魔界に何事もなかったかのような、そんな錯覚を覚えるほど、楽しい時間が流れていた。あの日。全てを奪われたあの日から忘れていた、友との温かな時間。俺が最も好きだった、平穏な時間。


 そんな時間の中。

 歓談も落ち着いてきたところで、リドが「しかしなぁ……」と呟いて、心の底から嬉しそうに言った。


「よかったぜノア。これで、ようやく人族共に報いを受けさせられるってもんだ! ようやく、あいつらを蹂躙できるッ!」


 竜族特有の発達した牙を覗かせながら、彼は笑ってそう言った。

 それは抑え込んでいた激情。

 ここにいる皆が、抱えているもの。

 その一端が、彼から漏れ出したのだ。


 俺は悩んだ。

 彼の気持ちが、痛いほど分かるから。

 でも、それでも。

 そんなものは間違っている。

 俺たちの『使命』は、そんなものではない。


「あくまで、標的は勇者たちと、彼らを護衛する魔法騎士たちだ」


「……? それはあくまで最初の段階は、ってことだろう? 俺が言ってるのはな、邪魔になるやつを一旦殺してから、人族を駆逐するってこった」


「それは駄目だ」


「……あぁ?」


 その声には、イラつきや怒りはなく、困惑のみが含まれていた。

 本当に分からない。そんな様子だった。

 当たり前だと思っていたことが、「違う」と言われたようなときに浮かべる素っ頓狂な顔。

 彼が浮かべているのはそんな顔だ。


 だから俺は認識を正すことにした。

 リドだけではない。ここにいる皆の意識を改めさせるために。


「罪無き者は殺さない。戦うべき相手を間違えるな、リド・プライド」


 俺が言うと。

 途端に、空気が変わった。


 呼吸が苦しくなるような、張り詰めた空気。

 バチバチと、リドの牙のその隙間から、稲妻のようなモノが漏れ出している。


 リドは怒っていた。

 以前の彼なら、怒りに任せて殴りかかるところだったが、今、彼は『闘争』という竜族に備わった本能を必死に抑えている。

 血走った眼で、声を絞り出すようにして彼は問うた。


「なぜだ……なぜなんだ、ノア!」


 俺の顔を見たら、殴りかかってしまうと考えたのか。彼は地面に向かって咆哮した。

 そのまま、抑えられない激情を言葉にして続けた。


「お前だって見たんだろう! あの惨状を、あの地獄を!! 俺の友達も、親代わりみたいだった竜族の寮のおばちゃんだって殺された! いや、もっと酷いことをされた奴だっていた! リナリアだって、散々な目にあったそうじゃないか! これだけのことがあって、どうして、お前は……っ!」


 冷静でいられるんだ!!!


 リドの叫び声は、玉座の間に虚しく響き渡った。


 もし、これが何もない「いつも」の中にあった光景なら。ライラやタマが不敬だなんだと言って、リドを懲らしめていたことだろう。

 けれど、リドの怒りを咎める者など、この中にはいなかった。咎めることなど、できるわけがなかった。もちろん、俺も。

 あの光景を見ていて、彼の気持ちに反対できる者などいないだろう。

 一方的な虐殺だった。

 抵抗する者は圧倒的な戦力で殺された。「どうかこの子だけは助けて欲しい」と懇願した親は子供ごと貫かれ殺された。逃げる者は魔法で吹き飛ばされ殺された。隠れた者は建物ごと炎で炙られて殺された。

 血が。

 悲鳴が。

 大量の首が。

 臓腑が。

 地獄が、そこには在った。


「あいつらの報いを受けさせてやるんだ! 俺はやるぞ! 俺は殺すぞ! 抵抗する奴も懇願する奴も逃げる奴も隠れる奴も、全員撃ち抜いて殺してやる! そうじゃなきゃ、皆が報われないっ!」


「……駄目だ。駄目なんだよ、リド。それじゃあ何も変わらない、変えられない」


 怒りに身を任せた復讐に意味はなく、先はない。

 きっと、血濡れた手を見て抱く感情は、虚しさだけだ。

 そして、筋のない復讐は、新たな復讐を生むだろう。

 それでは駄目なのだ。


 俺はリドに近づいた。

 ゆっくりと近づいた。

 止めようとしたライラを手で制して、腰を落とし、リドと目線を合わせた。

 その瞳は、怒りと悲しみで濡れていた。


 ここにいる誰も。

 ここまで生きてきた王国民の誰も。

 あの光景から、完全に立ち直った者などいないのだろう。


(でも……それでも)


 俺はその目を見つめながら、今にも暴れ出しそうなリドの右腕に触れて、言った。


「俺たちは、変わらなくちゃいけないんだよ」


 立ち直る力がない者は……、仕方がないと思う。

 あれだけのことがあったのだ。

 誰もが誰も、強いわけではないのだから。


 でも、俺たちは魔界の代表だ。

 力がある者は、その力に責任を持たなければならない。

 だから。


「力を正しく使わなくちゃならないんだ。この力は、罪なき者を一方的に蹂躙するような、あいつ等みたいなことをするために、在るものじゃない」


「……じゃあ、お前は、この力で一体何をするつもりなんだ?」


 俺は立ち上がり、振り返りながら言った。


「革命だ」


 俺は玉座に戻ると、皆の驚いた顔を見渡した。

 座らずに、立ったまま言葉を続けた。


「人族も魔族も関係ない。誰もが笑えて、幸福になれる新たな世界を、この手で創る。これ以上、誰かが不当な理不尽に苦しむことがないように。子供の妄想みたいな世界を、実現させてみせる」


 馬鹿馬鹿しい夢。

 けれど、現実にしてみせると誓ったから。


「そのために、まずは人界の支配者、勇者どもを殺す。邪魔する魔法騎士も殺す。復讐をもって、望む世界を手に入れる。そのためには、俺一人の力じゃ足りない。だから……」


 俺は再び、ぐるりと皆の顔を見渡し、


「俺の夢に、お前らの力を貸してくれ」


 腰を折って、頭を下げた。

 俺は王様だけど、俺一人の力なんて、ちっぽけなものだ。

 皆の力がなければ、きっと使命を果たすことはできないだろう。

 だから、頭を下げる。そのことに抵抗感は全くない。

 叶えるべき理想のために、できることはすべてやると決めたから。


 俺自身の感情なんて、些細なことだ。

 俺の中にある、リドが抱いたような怨念と破壊衝動なんて、些細なことだ。

 それを抑え込み、俺は、前へと進んでみせる。

 過去に囚われ続けるわけにはいかない。

 時は進み、それでも世界は変わらないのだから。


 驚いたように息を呑むような音が聞こえて。

 その後、口を開いたのは、リドだった。


「頭を上げてくれ……いや、頭を上げてください、我が魔王」


 言われたとおり、顔を上げる。

 するとそこには、先ほどと同じ光景が広がっていた。

 全員が膝をつき、俺を見ていた。


 リドを見る。

 その瞳にはもう、怒りや悲しみは映っていなかった。

 そこに在るのは静かな炎。

 決意の炎だ。


 彼は固い表情のまま、忠誠を誓った。


「俺は……俺たちは貴方についていきます。俺たちの力も、命も、貴方の思うままにお使いください」


 そう言われ、また皆の顔を見る。

 その顔から察するに。

 もう彼らに、迷いは無いようであった。


 やがてリドは堅っ苦しい、似つかわしくなかった雰囲気を取っ払って、俺に小言を言ってきた。


「……まったく、お前に頭を下げる日がこようとはな。思ったようにはいかんものだな、ノア」


「ああ、そうだな」


 ……リドは気付いているのだろうか。さっきからライラとタマがジトーっとした視線を彼に向けていることに。


「言っておくが、約束は果たせよ? あんまりに腑抜けていたら、その座から引きずり下ろすからな!」


 と、そこまで言ったリドの頬を、タマの変形巨大化右腕パンチが炸裂した。

 吹っ飛んだ彼の元には、いつのまにかワープしたのか、ライラが仁王立ちして立っていた。


「……リド様、お話があります」


 それからは、正座したリドを説教するライラの時間だった。

 ミノは相も変わらずあたふたとしていて。初めて見るわけでもないだろうが、ライラの説教を見てゴーレムがビビっていた。タマはリドを見てニヤニヤしており、いつ攻撃してやろうかと狙っているようだった。アイリスは、それらに気にも留めずに、ゴーレムに隠れながら俺の方を見ていた。


 平和で、平穏な風景。

 つい最近まで『いつもどおり』だったこの光景。

 俺が知らない苦しみを、この二年で彼らは経験してきただろう。

 これからも、彼らは傷つき、苦しんでいくのだろう。

 だから。

 彼らだって『報い』を求めているはずだ。


「……ああ、分かってるさ」


 俺は、呟くように、先ほどのリドの言葉に返答した。

 苦しみや悲しみは、これからも、ふとした時に俺を蝕もうと迫ってくるだろう。

 そして、逃げることはできないのだろう。

 あの日を忘れることなどできないのだから。

 ……そう。

 だから俺は、向き合い続ける覚悟をした。

 苦しくても、悲しくても。

 たとえ、この道が、修羅の道だと知っていても。





 邪魔者を殺し、

 七人の勇者を殺し、

 この世界を壊し、

 新たな世界を創る、そのために。


 俺は進み続ける。


 ――――俺は、戦い続ける。


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