第15話 いつかの記憶と、黒い炎
深い深い、闇の中にいる。
闇の中に、淡く燃える炎が一つ。
ただ、その色が世界を照らすことはない。
その色は黒。
拒絶の漆黒だった。
『憎い。憎い。憎い』
黒炎の中から声が聞こえる。
誰の声だろうか。
そう思って耳を傾けていると、次第に声は大きくなっていった。
『憎い。憎い。…‥憎い!』
やけに聞き覚えのある声だ。
俺は気になって、炎の奥から響く声に問う。
「ここはどこですか? あなたは誰ですか? 何がそんなに憎いんですか?」
立て続けに聞いてみたが、返答はない。
俺は手持無沙汰になって、ここに至るまでの経緯に想いを馳せた。
(そうだ。たしか俺は、黒竜に殺されかけて……)
奴の炎で炙られて。
死を確信した瞬間、瞼を閉じて。
開けたはずがない、この瞳に、黒い炎が映ったのだ。
なら、あれからミラは――――、
そんな俺の思考を断ち切るように、黒炎は再び口を開いた。
『……痛い、辛い、苦しい』
それは何だか、感情が思わず溢れ出してしまったかのような声で。
俺は疑問よりも、共感を覚えていた。
ああ、そうだよな。
痛かったし、辛かったし、苦しかったよな。
身体の傷や痛みだけなら、どれだけ楽だっただろう。
大切な人を守れなくて。もう、取り戻せない幸せがあることを知って。
どれだけの虚しい思いをしたのか……。
何より、心が悲鳴を上げていたんだ。あの時は。
――――あの時。
あの時とは、一体いつのことだろうか。
この憎しみは、一体誰のものだろうか。
最近見た、あの夢と関係があるのだろうか。
疑問は浮かび、水泡が弾けるように消えていく。
あぁ、そうだ。
今は、そんなこと、どうでもいいんだ。
俺には守るべき者がいる。
妹が、まだ戦っているんだ。
だから。
俺は一歩進み、炎へと手を伸ばした。
感情を共有した今なら分かる。
この炎の持つ、強大なる力と。
それを操ることができるという、確信に近い何か。
そして。
現状を打開するには、この力に頼る他はないということが。
「力が必要なんだ。その片鱗だけでもいい。俺に貸してくれないか?」
指を触れながら尋ねると、炎は再び口を開いて答えた。
『……いいだろう』
今まで愚痴と弱音しか吐いてなかった癖に、なぜか上から目線な声にイラっとしながらも、俺は気付いた。気づいてしまった。
炎の喋る、この声が……、
――――自分の声だ、ということに。
―――
目を開けると、すぐに、これは只事ではない事態に陥っている、と、察することができた。
焦げ臭いにおいに目をしかめながら見ると、なんと、焼け焦げていたのは自分の身体だった。
ジュクジュクと溢れ出すように、焦げた体から血が流れている。
草原に出来た血の池の中心にいるのも、何を隠そう、この俺だった。
仰向けに倒れていた俺は、周りを見渡す。
バドさんは黒竜と対峙していた。
かなり焦っているようだ。
ということは、黒竜の出現は予定外のことだったということなのだろうか。
馬車のおっさんは、怯えながらも、手綱を離していなかった。すごいな。プロだ。
妹のミラは……。
姿を探していると、彼女は一番分かりやすい場所にいた。
倒れていた俺を、覗き込むように立っていたのである。
ショートボブの黒髪を揺らし、普段、俺以外の前では無表情を貫く彼女の双眸からは、涙が溢れ出している。
やがて、思い詰めたような表情をした彼女は、胸に手を当てた。
手の平からは、バチバチと黒い稲妻が弾けている。
何か打開策でもあるのだろうか。
(いや……)
さっきの表情を見るに、俺の本能的に、その力を、今、ここで使わせることは止めさせた方が良いと判断した。
だから俺は、よろよろと右手を上げ、彼女を制した。
「だ……じょうぶだ……まっ、でろ……」
ふむ。思ったように声がでないな。やはり、肺を潰されたのは大きかったか。
ちらりと見ると、ミラは目を見開いていた。
そりゃあ、そうだろう。さっきまで死に絶え絶えだった人間が、いきなり声を出したら、驚くどころの話ではない。
まぁでも、そこは俺の妹だ。俺への信頼度は折り紙付き。
俺が「大丈夫」と言ったら、すぐに涙を引っ込めて、一歩後ろへ下がった。
右の手を胸に当て、意識を集中させる。
イメージするのは、あの黒い炎。
あの炎を出すことが出来れば、絶体絶命の状況でも、引っ繰り返せる。そんな確信があった。
俺はあの炎を、俺の
己の魂を具現化した存在であり、唯一無二の能力を持つ武装。それが魂器だ。
魂器は、命の懸かったピンチにこそ目覚めるのだと聞いている。
俺はこれまで、魂器を発現したことはない。
だから、目覚めるとしたら今なのだと直感していた。
魔力を練り上げる。
体の中心に、一か所に集めていく。
さらに意識を集中させる。意識の底へと潜っていく。
すると、体の芯に、一瞬、熱が奔ったかのような感覚に陥った。
はっとして、身体の傷を見る。
しかし、そこに傷らしい傷は残っていなかった。
爪で抉られた傷も、炎で吹き飛ばされ、焦げ落ちた皮膚も、元通りに再生していた。
左腕には、先ほど闇の世界で見た、黒い炎が燃え盛っていた。
これらも驚くべきことであるが、俺がもっと驚愕していたことは……
――俺が、この状況に、さほど違和感を覚えていないということだ。
まるで、どんな傷でも再生することが当たり前だったかのように。
まるで、黒い炎が最初から左腕で燃えていたかのように。
俺は自分の現状に、一切の困惑もしていなかった。
……それどころか、どこか懐かしいような気さえ、していたのだ。
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