第3話 吸血魔王、情勢を知る。
「…………どういうことだ?」
計算では、俺が封印されたあの時から一分も経っていないはずだ。
だというのに、地下牢に響く音は鎖の音と俺の呼吸音だけ。
奴らはどこにいったんだ? リナリアは?
……いや、ここで考えてたって仕方ないか。
とにかく、牢を出て現状を確かめなくては。
「……フッ!!」
魔力を練り上げ、左腕に集約する。
太陽の記憶からイメージを創出していく。
するとボゥと音を立てて、左腕と左肩に闇の炎が燃え上がった。
俺の腕を拘束していた鎖がどろりと溶け落ちる。
「……よし」
さっきは全力で打ち込もうとして異形と化していたが、任意で威力は調整できるようだ。それに、オンオフできるのも良い。うっかり触って大爆発だなんてことになったらシャレにならないからな。
俺はひとまず左腕はそのままにして、立ち上がろうと足に力を入れた。
「よっこい…………わわっ!」
――が、立ち上がろうとして、俺は思いっきり尻を床にぶつけた。
ズッコケたのである。
「痛てて……」
思えば人族の襲撃から二週間、食事もとらず、怪しい実験で体を弄られる毎日であった。
身体が衰弱するのも、無理はないか。
俺は左腕の炎を一度消して、両手で床を抑えながら、体全体を使ってなんとか立ち上がった。フラフラとよろめきながらも、両足で立ち上がった俺は、あることに気付く。
「なんだ……これ……」
俺が驚いたのは、自分の髪の毛の変化である。見れば、俺の髪は床まで伸び、さらには白髪に変色していたのである。一気に老けてしまった感じである。薬の影響だろうか。もしくは、あの結界の影響だろうか……。
やはり考えていても仕方ないので、俺は長くなった髪を引きずりながら、鉄格子に左手を触れた。牢越しに鍵をさす錠の部分に触れ、炎で燃やす。格子のドアを軽く押すと、ギシギシと音を立てながら開いていった。
俺はまず、重い体を揺らしながら地下牢を探索することにした。
―――
問い:地下牢に彼女につながる手がかりはあったか?
結論、何もなかった。
すべての牢を見て回ったが、リナリアどころか、誰一人としていなかった。それどころか、汚れや誰かが居た形跡すら無くなっている。
強いて言えば、銃弾の跡や、攻撃魔法の形跡は薄く残っていたが、それも僅かなものである。どれも、拷問や実験のために使われていたものだ。大した手がかりにはならない。
そういえば。
俺が目を覚ましたあの牢屋も、体液や血は綺麗になくなっていた気がする。
「…………」
何かが、引っかかる。
何か重大なことを見落としているような、そんな感じだ。
まあいい。
まずはリナリアを探さなくては。
最奥の牢から戻り、最初、俺が閉じ込められていた地点まで戻る。
それから、やんちゃだった幼少期に一度だけ忍び込んだときの記憶を頼りに、俺は出口へ続く階段を探した。
「確かこっちだったかな?」
一応、階段付近の牢屋にも何もないことを確認しながら、俺は階段を登った。
―――
外に出た。が、日は差していなかった。
夜なのだろう。そう思い空を見るも、どうにもおかしかった。
「星も、月もない……?」
思えば、周囲を光源となるものは遠くで光る城下の街の街灯と、危険度皆無のF級魔獣『光虫』が発するまばらな光のみであった。
城下に生き残った同胞がいるという確信を得て嬉しい反面、未だに疑問は残る……。
「あっ」
そういえば。
【創造】の勇者アテムが構築した結界魔法『太陽地獄』で使われていた太陽。
突飛な話であるが、もしかしたら魔界の太陽はあれを使っていたのかもしれない。
とはいえ、無いものはいくら考えても無いのだから、仕方がない。
俺は手ごろな木の枝を拾うと、そこに右手の人差し指を向けて、
「
と呟いた。木の枝は白く光り、周囲を照らす。
生活魔法:『
子供でも使える魔法だ。微弱な魔力しか使えない今の俺でも行使できる。
明かりを手に入れた俺は改めて庭の様子を確認した。
そこにはいつもどおり、数々の芸術的石造が置かれ、花々が咲き乱れた美しく荘厳な景色が広がって……いなかった。
石造は全て破壊され、見れば城壁にはいくつもの傷や、酷いところでは穴があいていた。ところどころに古くなり、乾いた血がついている。
地面には無数のクレーター。草花は燃やされたのか、僅かな雑草のようなものを残すのみで、かつての庭の姿はそこにはなかった。
だが、これまた不思議なことに。
無残な死体や足場を邪魔する瓦礫などはなく、何者かが綺麗に片付けていたようだった。
「…………」
俺は胸中の不安を誤魔化すように、ひたすらに歩を進めた。
―――
地下牢のあった方向から西に向かうと、城の正面に出た。
罅や戦いの痛々しい傷跡は残っていたが、正真正銘の魔王城であった。
考える。
有力貴族の娘であり、幼馴染であり、俺の婚約者でもあった彼女は、魔王城での生活を特別に許されていた。
探すとしたら、外よりも、中を調べてみた方が良いのかもしれない。
そう思い、城内に足を踏み入れようとした、そのときである。
「ノア様……?」
はっ、として後ろを振り返る。
そこには黒い羽根を生やした、小柄な少女がいた。
頭の両側からは、ねじれた小さなツノが後方で立っている。
吸血鬼に並んで貴族の位に立つ種族、悪魔族の特徴を持つ少女。
そして俺は、その女の子を知っていた。
「ライラ……?」
ライラ・サタニキア。
真面目で勉強家で、それでいていつも冷静沈着な女の子。
表情を崩すことはほとんどなく、魔王学校でも生徒会の一員として皆を支えていた。
そんな女の子が。
俺が確認するよりも前に、自前の翼をはためかせ、飛びついてきた。
俺は彼女を抱き締めるほどの力は残っておらず、押し倒される形になってしまった。
ぽたぽたと顔を何かが濡らした。
彼女の涙だった。
「うぅ……うぅっ……ノア様……信じて、おりましたっ……!」
俺の知っている彼女には似つかわしくない、その涙声を聞いて。
彼女の苦しみを、確かに感じ取った。
俺は彼女を抱き締めた。
泣き終わるまで、抱き締め続けた。
―――
彼女は泣き止むと、俺がいない間に何が起こっていたのかを、教えてくれた。
中央大陸代表(仮)、ライラ・サタニキア。(悪魔)
中央大陸代表補佐、タミルセルバン・マイナーフェルスター。(スライム)
竜闘大陸代表、リド・プライド。(リザードマン)
土神大陸代表、ゴーレム・オルゴール。(ゴーレム)
魔宮大陸代表、ミノ・パルテノン。(ミノタウロス)
浮幽大陸代表、アイリス・ベル。(ゴースト)
ゴーレムという魔族に心当たりはないが、他は残り全員、俺の旧友にして級友だった。
彼らは、襲撃後、まだ大陸代表でもなかった頃、しばらくは王都レプテムの復興に協力して尽力した。
人族の襲撃はここ、王都レプテムのみにとどまったらしい。
やはり、というか。
人族の狙いは『生命の泉』にあるオーブと、魔王の命だったようだ。
奴らの襲撃後、オーブはなくなり、泉は汚染されていたそうだ。
つまり、奴らは無関係の魔族を徹底的に殺して回ったということになる。
人族からしたら、魔族の命などカスほどの価値もないということだろうか。
許せない。
人族の襲撃の際。
ライラたちは、魔王たる俺の父親が用意していた古代結界が張り巡らされた魔王城の地下要塞に逃げ込むことができたようだ。
地下要塞は全王都民を収容できるほどの大きさであったが、逃げ遅れた者、戦った者もいるため、逃げ切れた者は人口の三割に満たなかったという。
七割は殲滅されたか、人界に奴隷として囚われていったそうだ。
生き残ったライラたちは、死体の処理や、瓦礫の排除、土魔法で作った簡易な仮説住宅を作り、建物の再建設などに尽力した。魔王学院の生徒や教師の生き残りなどが、魔法を使って急ピッチで作業は進められた。
その後、優秀な魔法運用により、一ヶ月という驚異的な速さで王都は機能を取り戻す。
中央大陸全土に及ぶグランド王国、その地方からは、「夜が続くことで、畑が立ち行かない」と言われ、各地方に何人かの人材を派遣。
これによって、王国のいざこざは、完璧とはいかないまでも何とか解決した。
それから、次の魔王の座を狙い、当時の各大陸代表の内、何人かが名乗りを上げた。
中でも、竜闘大陸代表だった暴竜ヴェルヘノムは、王都に侵攻し、強引にでも自分が魔王になるつもりでいたらしい。
そこを同じ竜闘大陸出身だったリドが一対一の決闘にて打倒し、彼は新しい大陸代表となった。
もっとも戦闘能力の高い竜族の代表が討たれたことで、他の代表は委縮し、その後は争いという争いは起きなかった。代表たちと協力し、各大陸をライラたちは治めていった。やがて、二年の時が経ち、成人したライラたちが他の代表とも交代した。
二年。
そう、あの日から二年の月日が、すでに経っていたのである。
意図的に考えることを避けていた可能性。
想像以上の莫大な時間が、あの日から過ぎていたという可能性を、彼女の話を聞きながら、俺は察し始めていた。
そして、その予想は的中した。
結界内の時計の針は、静止していたのではない。
何度も何度も回転した結果、たまたまあそこで止まっていただけなのだ。
少し考えれば分かることのはずだった。
地下牢を探索していた時点で、気付くべきことであった。
きっと、考え着くことすら、怖くて俺にはできなかったのだ。
ライラは先ほどから、意図的にリナリアのことを話題に出さないようにしている。
それが答えだった。
あとは、俺が現実を受け入れる覚悟をするだけだ。
話が一段落したところで、俺は知らぬ間に浅い呼吸を繰り返していた。
それを意識的に深呼吸に変えていく。
頬を伝う冷えた汗を拭って、ライラの瞳を見た。
その瞳は揺れていた。
言い出せないのだろう。
これ以上、彼女を苦しませるわけにはいかない。
俺は、ライラにゆっくりと話しかけた。
「……なぁ、ライラ」
「……なんでしょう、ノア様」
「リナリアは、今、どうしてるんだ?」
ライラは一度俯き、俺の表情を伺うような視線を送ってきた。
あまり見ないでほしい。
きっと、今の俺は酷い顔をしているだろうから。
ライラは迷い、それでも意を決した。
「…………………………ついてきてください」
彼女は手を差し出す。
俺は汗まみれの手で、その手を握った。
彼女の黒い羽根が上下に一度大きく動くと、俺たちは空中に浮いた。
悪魔に種族的に備わる飛行スキルだ。
風のような速度で、城から南下していく。
辿り着いた場所は、かつて城を囲むように木々が立っていた場所。
森のようでもあったそれらは、全て燃え尽きたようで、ところどころにある切り株しか姿を見せなかった。建築に使ったのだろう。
そしてそこには、代わりに別のモノが立っていた。
無数の石である。
十字架の形をした石の群。
それらには、一つ一つに名前が彫られていた。
彼女に連れてこられた場所は、新設された墓地であった。
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