第二章 人界の天才少年編

第11話 辺境貴族の天才少年、家を出る。


 

 何度も、同じ夢を見る。


 燃えている。

 家屋が、学校が、……知り合いが。

 焦げ臭いにおい。

 鉄のような臭い。

 魔力は尽きた。

 ……あ。

 俺の大切な人が縛られている。

 何かを叫びながら、俺たちはどこかに連れていかれた。


 ……何だ。

 何なんだ。この感情は。

 煮えたぎるような、怒りの感情だ。殺意だ。敵を全員グチャグチャにしてやりたいという、黒い感情だ。


 俺はこの光景を、実際に目にしたことはない。

 俺の家は裕福で、こんな争いに巻き込まれるようなこともなかったはずだ。

 だから、これはきっと、『俺』の記憶ではないのだろう。

 けれど、知っている。魂が覚えている。

 俺には。

 何か、『使命』があるはずだ。

 何だ。何だ。何だ。

 一体、何なんだ……。


 ――その答えが導かれる前に、俺はいつも目を覚ます。

 ……答え合わせができる日など、来るのだろうか。





 ―――



 ちゅんちゅん……チュン!


 小鳥の囀る音が聞こえてくる。

 朝日が顔を照らし、暖かく包む。

 だが、快適な朝が俺を待っていたというわけではなかった。

 頭痛がするのだ。

 それもこれも全部、最近見る、あの夢の所為だ。

 一向に眠った気になれない。


「お兄様、時間です。起きてください」


 あぁ、天使の声が聞こえる。

 聞くだけで浄化されてしまいそうになる声。

 もしかして、過労で俺は死んでしまったのだろうか。

 もー。

 父さんも母さんも、俺に厳しくし過ぎるからだぞ……。


「お兄様、時間です。起きてください」


 にしても、この天使、同じようなフレーズばかり使うなぁ。仕事のマニュアルでもあるのだろうか。天使会社はホワイト企業なのだろうか。


 ……あ、そっか。


 これはあれだ、魔道具だ。

 生活用魔道具、目覚ましクロック。

 いつのまにこんな綺麗な声が出るものが開発されていたんだっけか。メーカーは大繁盛だろうな。魅惑の天使ボイス……。四十個くらい箱買いしたい……。


 とはいえ、まだ寝ていたいのが本音だ。


「あと、五分…………むにゃむにゃ」


 そんなことを言いながら、俺は目覚ましをオフにしようと手を伸ばした。

 すると、プニっとした感触が手に触れた。

 ふむふむふむ……。

 ん? 

 ……プニっ?


「お兄様、時間です。起きてください。それとも……永遠にお眠り致しますか?」


 意識が一気に覚醒した。

 がばっと起き上がると、そこには侮蔑の視線を送るメイド服姿の妹がいた。

 妹は胸を揉まれていた。

 犯人は、俺だった。


「申し訳ありませんでしたっっ!!」


 跳ね起きた俺は、その勢いのまま土下座を繰り出した。

 十秒、二十秒、三十秒……。

 それだけ経って、顔を上げると、そこには妹の満開の笑顔があった。


「朝食の準備は、すでに終えてあります。制服に着替えたら、リビングへ来てください」


 妹は、そう告げると、俺の部屋から出ていった。

 ドアを閉める間際の笑顔が……怖かった。



 ―――



 リビングに入ると、テーブルにはすでに朝食が並べられていた。

 栗ご飯と、鮭の塩焼き、山菜味噌汁である。

 どれも、東方地区伝統の料理であった。和食とも言われている……。旨そうだ。

 俺は、エプロン姿のまま座った妹を見て、いつものように声を合わせて、言った。


「「いただきます」」


 大根おろしに醤油をかけ、鮭に乗せて栗ご飯をかきこむ。塩気と甘みを含んだそれを、具沢山の味噌汁で飲み込んだ。


「ぷはーーっ! うまい!」


 まさしく、故郷の味だ。

 鮭あたりは南方地区の街から輸入しているのだろうが、栗や山菜はここら辺でよく採れる名産品である。東方地区は年中、自然魔力の影響で季節が秋なのだ。資源も豊富である。食で困ることはない。


 こんな最高の環境であるが……、実は今日、俺はこの故郷を旅立つ。


「お兄様、ちゃんと中学の生徒手帳入れましたか? 筆箱、忘れてませんよね? 財布は? ハンカチは?」


「お前は俺の母親か! さすがに心配し過ぎだわ! ……ってか、ミラだって一緒に行くんだぞ。分かってるのか?」


「私のことは心配ありません。準備は完璧です。お兄様以上の不安要素などありません」


「……俺、信頼されてないの?」


 とは言ったものの、まぁ、そう言われても仕方がないと思う部分はある。


 俺の妹、ミラ・クリアードは天才である。

 それは何も、魔法や剣術に限った話ではない。勉学、料理、芸術、エトセトラ……。彼女はあらゆる方面に才能があった。


 対して、俺、レイ・クリアードと言えば……、まぁ、魔法や剣術に関しては妹を凌ぐくらいの実力はあるつもりだが、その他で胸を張れる要素などない。


 詰めが甘いだとか、考えが及ばないとかいうことは、割と頻繁にある。そのたびに妹に助けてもらっている気がする。


 小学校低学年の頃なんかは、女の子のスカートを風魔法で吹いて回って、裁判直前まで持っていかれた男である。妹が話力を持って女の子たちを納得させなければクリアード家から勘当されるところであった。やばいな、俺。考え及ばないってレベルじゃねぇぞ……。


 ……と、まぁ。

 完璧超人の妹と、ポンコツの兄。

 それがクリアード家の兄妹である。


 ところで、俺は妹のことが好きだ。

 あぁ、もちろん恋愛的な意味ではなく、兄妹愛的な意味で、の話だ。だが、舐めないでほしい。俺はシスコンレベルで妹のことを愛しているのだから……。


 俺たちは双子である。つまり俺は、ほんのわずか早くこの世に生まれたので兄という役割に落ち着いている。言わば、年齢の差などない、役職名的なところの兄でしかないのだ。


 だというのに、ミラは俺のことを兄として慕ってくれる。何なら、毎朝起こしてくれるし、料理作ってくれるし、新妻レベルで俺のことを愛してくれている。働きすぎて、家のリアルメイドたちが三十人ほど職にあぶれたくらいだ。


 なぜ、ここまで俺の世話をしてくれるのか。


 一度聞いてみたが、「お兄様が危なっかしいからです」と一蹴された。

 うんうん。事実だからね。仕方ないね。


 俺が妹の尊さについて考えながら栗ご飯をつついていると、緑茶を飲んで落ち着いたミラが話しかけてきた。


「今日は朝食を終えたら、最後に持ち物を確認して、馬車乗り場へ向かいます。馬車は待ってはくれません。分かってますね?」


「……はいはい」


 もしかしたら。

 俺は、もう、妹なしでは生きていけないのかもしれない……。



 ―――



 食事を終え、準備物の再確認をして、俺は二階の自室を後にした。

 階段を下りてミラと合流すると、そのまま、ある部屋へと向かった。

 リビングの隣、玄関に近い位置にある一室だ。


「すぅ、はぁ……」


 ちょっとだけ緊張したので、深く呼吸を入れる。

 ドアを三回ノックすると、「どうぞ」という声が返ってきた。


「失礼します」


 中に入ると、目に入ってくるのは大きなベッドだ。屈折しているそれに腰を落ち着かせている細身の女性の顔色は、あまり良くはない。

 その女性の前には、多くの書類が積み上げられていた。


「あら、レイにミラ。そんな大荷物を持って、どうしたのかしら」


 きょとんとした表情で聞いてくる女性に、俺はため息を吐きながら答えた。


「母さん、俺とミラは今から央都に向かいます。学院の試験を受けに行くんです」


 そう。

 ベッドの上で書類を次々と捌いているこの女性は、ミリア・クリアード。俺の母親だ。


 母さんはポカンとしていたが、やがて思い出したようだ。


「……そういえば、今日だったわね。ごめんなさい、ちゃんとした見送りもできなくて」


「いいんです。母さんは、もっと体をいたわってください。丈夫なわけじゃないんですから」


 母さんは、魔力欠乏症という病に掛かっている。

 突発的な超魔力消費によって引き起こされる病気だ。


 通常、多少、無理をしたからといって、気絶するくらいだろう。起きれば魔力も回復し、ケロッとしているケースが大半だ。

 だが、極たまに、それ以降も魔力が元に戻らず、回復するどころか断続的に魔力が体から漏れ出してしまうことがある。


 それが魔力欠乏症。


 そして、魔力が失われ続けることによって、寿命は確実に短くなってしまう。寿命が近づくと、身体機能に障害が現れ始める。

 患ったからといって、一年や二年で死ぬ、というわけではないが。個人差はあるが、二十年は生きられないと言われている。


 軽い病気ではない。

 安静にしておくべきだ。


 だと、いうのに……。


「そういうわけにはいかないわ。私にはやるべき事があるのだから」


 誰かが心配するような声を掛けると、母さんは決まってそう応えた。


 母さんは仕事を一向に誰かに託そうとはしなかった。

 仕事というのは、ここ、東方地区東端の街アステラの統治である。


 クリアード家はアステラの統治を任されている。他の貴族と同様、父さんは魔法騎士として働いている。ので、アステラの統治者は母さんというわけだ。


 とはいえ、状況が状況だ。

 父さんも気を利かせて有能な人材を派遣し、統治を任せようとしたが、母さんは断固として拒否した。他の貴族もやっていることだと母さんを宥めようとした父は腹を殴られた。


 母さんは、極度のワーカーホリックである。

 今回のことも、別に認知症に陥っていたわけではない。


 ただひたすらに忙しく、忘れていただけなのだ……。


「母さんのことは尊敬してますけど……、俺たちが央都で勉強している間にポックリ逝かれたりしたら、たまったもんじゃないんですからね」


「あら、心配してくれなくとも、そう簡単に私はくたばらないわよ。……そうね、出ていく前に、少しだけあなたたちに話をしましょう。そこに座りなさい」


 ちらりと横を向くと、ミラが、こくりと頷いた。

 まさか。

 ここまでの時間も想定して動いていたのか……。

 妹の有能さに戦慄しながら、ベッドの傍らに置いてあった椅子に腰を掛けた。


「時間もないだろうから、手短に」


 母さんはそう言うと、書類を置き、俺たちの方を向いた。


「いいですか。才ある者、力ある者には、その能力を世の為、人の為に使う責任があります」


 ピシャリと母さんは言い放った。

 厳格な母さんと父さんが、俺とミラによく言うことだ。母さんも父さんも、確かにこの言葉に背かずに、立派に生きていると思う。


「自分のことをおざなりにしろという意味ではありません。己の幸せのために力を使うことは、力を持つ者の権利と言えるでしょう」


「ですが、私は信じています。あなたたちが、己の私利私欲のみのためだけにソレを使うのではなく、助けを求める誰かのために、動ける人間だということを」


 何だか。

 胸の奥がキュッとした。


「……私の言いたいことは、伝わりましたか」


 彼女は真っ直ぐな視線で問うた。

 俺は心の中にある躊躇や迷いを曝け出しつつも、目を見て答えた。


「…………はい」


 ミラは静かに頷いていた。


「ならばよろしい」


 母さんは微笑みながらそう言うと、俺とララの肩に手を回してきた。

 強く抱きしめられた。


「母は、あなたたちの幸せを、心から願っています」


 胸の奥が、引き締められるようで、苦しかった。



 ―――



 俺は大荷物を背中に抱えると、「いってきます」とメイドや執事の方々に告げて、玄関をでた。


 振り返る。


 そこには十五年過ごした、我が家があった。

 山の上にある広い屋敷だ。たくさんの思い出がある。

 幼少期から鍛えられた思い出も、友達や家族と遊んだ思い出も。

 けれど、俺は今日、ここを旅立つのだ。


「いってきます……!」


 俺は、もう一度だけ、そう言って。

 ミラの手を引きながら、馬車乗り場へと向かった。

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