億万年炎で焼かれ続けた吸血魔王、太陽を【吸血】し、勇者どもに復讐する。

雷撃

第一章 魔王の誕生編

第1話 吸血魔王、絶望に牙を突き立てる。


 魔界の中心、王都レプテムに位置するその場所で。

 雲を突き抜け、天まで届きそうな勢いで聳え立つのは魔王のお城。俗に言う魔王城である。

 その屋上に少年はいた。

 真夜中だからか、多くの花が植えられ、貴族たちに人気の屋上庭園にいるのは、少年ただ一人である。


「はぁ~~……」


 少年はため息を吐きながら、芝生の上に座って空を眺めていた。

 今日の月は大きくて、綺麗だ。

 月の光だけで、真夜中だというのに周囲を見渡せるほど明るい。

 普段の少年なら吸血鬼らしく浮かれるのだが、今日はちょっとだけブルーだ。


 そんな少年の元に近づいてくる足音があった。


「な~に不貞腐れちゃってんのよ、ノア」


「……な~んだ、リナリアか」


 金髪の髪をポニーテールにまとめた彼女の名前は、リナリア・ラフレシア。

 少年の幼馴染にして、同じ吸血鬼の一族だ。

 ちょっと生意気だけど、実は少年の婚約者だったりする。


「「なんだ」とは何よ。馬鹿ノアがまた変なことで悩んでると思って来てやったってのに」


「別に頼んでないし……。リナリアこそいいの? お父さん厳しいんじゃないの?」


 少年が座りながら問うと、リナリアはすっと隣に腰を下ろした。


「別にパパは関係ないでしょ? それに、あなたのことが心配なんだから、次期魔王であるあなたのことを優先するのは当たり前じゃない? その……婚約者として」


 彼女は視線を逸らしながらそんなことを言っていた。

 少年はリナリアの顔が見たくなって、近づきながら問いかける。


「そういうものなのかな……?」


「そういうものなのっ」


 そう言うと、彼女は顔を赤く染めながら、いつものように手を握ってきた。

 少年もやや緊張しながら握り返す。

 彼女の手は、冷めた少年の手と違って、いつものように温かかった。

 だから少年は、ポツリ、ポツリと、ゆっくりと話し出した。


「俺、さ……。不安なんだ。俺なんかが、このまま魔王になっても良いのかって。怖くて怖くて、仕方がないよ……。失敗して、皆に迷惑かけてしまうんじゃないかって、不安で眠れないくらいなんだ……」


 魔王の戴冠式は二年後。

 13歳の少年が15歳になる成人の日に行われるのだ。

 その時は、刻一刻と近づいてきている。

 毎日の修練も、そのためにより一層厳しくなっているような気がした。


 魔王学校の友達や周囲の前では自信満々!って感じでいるけど、実際のところは不安で仕方がなかった。

 本当はこんな不安、隠し通すつもりだったのだが、リナリアの前ではなぜか嘘はつけない気がして、つい口に出してしまった。

 少年は内心「しまった!」と思っていたが、彼女は、


「ふーん……」


 といった様子で、それから何かを言うことはなかった。

 代わりに、彼女は、すでに繋いでいた手を、恋人繋ぎをするように指を絡ませてきた。

 無言の時間が続く。

 けれど、その時間は苦痛ではなかった。


(……ああ、なんだか安心するな)


 彼女と一緒にいると、それだけで穏やかな気持ちになれる。

 心の中に、小さな炎が灯るような感覚。

 言葉に出さずとも。

 君は独りじゃないと、この熱が教えてくれる……。


 少年が安心しきっていると、リナリアはいつのまにか背けていた顔をこちらに向けていた。

 魔界中の誰よりも遥かに澄んだ碧眼で、少年に問いかけた。


「ねぇ、ノア。ノアは、どんな王様になりたいの?」


 その答えは、ずっと前から決まっていた。

 だから、考えるよりも先に、口に出していた。


「俺は、優しい王様になりたい。性別も種族も関係ない。人界も魔界も関係ない。皆が笑って暮らせるような、そんな世界を創りたい」


 たとえそれが、どれだけ困難な道だったとしても。

 どれだけ世界が醜くたって。

 少年は、誰よりも優しくありたい。そう、なりたい。

 そして、皆が幸せになれれば、それはどれだけ幸せなことなのだろう。


「笑顔があふれるような、そんな世界にしたいんだ」


 幼い頃から抱いてきた想い。

 ……きっと、この想いが尽きることはないだろう。


 少年が抱くこの子供の妄想のような願いを、彼女は誰よりも知っていた。

 ずっと、少年が言い続けてきたことだから。


 彼女はいつも少年を馬鹿にするが、この想いを語るときだけは、決して少年を嘲笑しなかった。

 いつも、優しく微笑んでくれるのだ。


 彼女は微笑んで。

 手を繋いだまま、少年に体重を預けてきた。

 こつんと彼女の頭が、少年の肩に当たる。

 目を閉じたまま、彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。


「……なら、ノアは大丈夫。何回失敗したって、何回皆に迷惑をかけたって大丈夫。ノアがノアでいる限り、私が、あなたを支え続けるんだから」


 彼女は少しだけ思案するような表情になり、恥ずかしそうに、また、一度そっぽを向いてから。

 少年の頬にキスをした。


「……誓いのキス。……まだ、ちょっと早いけど」


 いよいよ堪え切れなくなって、彼女は立ちあがった。

 一歩、二歩。

 少年から離れたリナリアは振り返って、また、微笑んだ。


「大好きだよっ! ノア」


 彼女の笑顔は眩しくて。

 でも、目を背けたいとは思わなくて。

 むしろ、絶対に記憶に刻み込んでやるって勢いで見つめて、彼女に怒られたっけ。

























 ………………、

 ……………………

 …………………………?











「ん?」











 ……ん? あれ? 怒られ『た』???


 じゃあ、

 今は一体『いつ』なんだ?











 あれ? あれ?? あれ???

 なんで、どうして、
























 彼女の姿が


                    遠の い 


                    て


                                  いく



       ん







                        だ?
























 ―――



「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 鉄のような血の臭いと排泄物の臭いで、俺は目を覚ました。

 頭が痛い。

 目の焦点は定まらない。

 フラフラと視点を彷徨わせて、気付く。


 俺の両腕は天井から伸びた鉄の鎖でがっちりと縛られていた。


 じゃらじゃらじゃら。


 抵抗しようとしてみるも、体が重く、だるい。

 恐らく、鎖には魔力や体力を弱体化させる魔法が掛けられているのだろう。

 ようやく目の焦点があってきて、目線の先の鉄格子に気付く。


 ……段々と状況が理解できるようになってきた。


 ここは牢屋だ。

 正確に言えば、魔王城の地下に併設された地下牢。

 そこに俺は囚われている。


(いったい何が……)


 そのことを思い出そうとすると、激しい頭痛に苛まれる。

 あまりの痛みに「うう……うぅ……」と呻いていると、


「……おぉ? 目ぇ覚めたかぁぁ?」


 鉄格子の先に、大男がいた。

 筋肉で盛り上がった体。その体は日に焦がされたように黒く。

 髪の色も同色で角刈り。

 顔には醜悪な笑みを浮かべていた。


 ……俺は知っている。

 彼が何者なのかを知っている。

【金剛】の勇者、シャウラ。

 超硬度の装甲を魂器ソウルとする『勇者』。

 そして彼の存在を認知した俺には、失っていた空白の記憶が濁流のように押し寄せてきた……。





 燃え上がる城下の街。

 逃げまどう人々。

 その日、魔界には流れ星が落ちた。

 だけど、落ちたものは隕石などではなく、人間だった。

 七人の勇者と一万を超える武装した軍勢。

 なぜか魔法を使えなくなってしまい、魔族は次々と殺されていった。

 ある者は首を飛ばされ、ある者は心臓を突かれ、

 ある者は体を弄ばれ、内臓を引きずり出されて死んでいた。

 俺と彼女は皆を助けようと思って、魔王城を駆け下りた。

 そしてそこで捕まったのだ。






 それからこの地下牢に連れてこられて、

 そして、俺たちは、ここで…………、


「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええっ!!」


 俺は自ら塞ぎきっていた記憶を全て思い出し、その嫌悪感で嘔吐した。

 吐き出したものは胃液だけだ。そういえば、ここ最近は何も食べていなかった。


「ううぅっっ!」


 先ほどから意識が散漫になるのは、おそらくは投与された薬のせいだ。

 汗が止まらず、涙も止まらない。

 吸血鬼の特性である【再生】を持つ俺と彼女は薬の被検体となったのだ。

 それもおそらく実用的なものなどではない。

 危険な薬物を選び、奴らは俺たちの身体を壊していったのだ。

 まるで、俺たちの命を弄ぶかのように……。


 ……そう、そうだ。

 俺は彼女と…………リナリアとここに連れてこられたはずのだ。

 だったら、彼女は今、どうしてるんだ……?


 そんな俺の疑問と不安に応えるように、




「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!! やめてぇぇぇっ!」




 女声の叫び声が、地下牢に響き渡った。

 聞き間違えるはずがない。リナリアの声だった。

 俺は周囲を見渡すが、彼女の姿は見えない。

 怒りと混乱のままに、俺は目の前の大男に言い放った。


「彼女を……リナリアをどこにやった!?」


 すると男は、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら答えた。


「リナリアぁぁ? ああ、あの吸血鬼のガキのことかぁ!!

 あいつは中々骨のある奴だったなぁぁ。何本薬打ち込んでも、弱音一つあげなかったよぉ! 俺もこの拳でさぁ、お前と同じように何回も殴りまくったんだけどさぁぁ、あの目は最高だったねぇ……。その後は銀を溶かして体に打ち込んでみたよぉ。吸血鬼は銀が苦手だからねぇ……。案の定、お前と同じようにアレルギー反応みたいなもんを起こしてさぁぁ、体中爛れて真っ赤になってたよぉぉ、いひひひひひひひっ!!」


 俺は絶句していた。彼女が受けた仕打ちの辛さに。

 すでに相当なもののはずなのに。

 男の興奮が冷めることはなかった。


「でもねぇ、それでも弱音を吐かないからさぁぁ、次は彼女の身体を『使わせて』もらったよぉぉ」


 …………、

 ………………は?


「なにせ壊れない身体だぁ! あれぐらいの身体でも好む男は軍にいるようでさぁぁ……。そしたらさぁ……ぷぷっ! 彼女、『ノア助けて!』『嫌だぁぁぁ!』『やめてぇぇぇ!』って馬鹿みたいに繰り返すようになっちゃったよぉぉぉお。あはははははは! 今思い出しても最っ高に笑えるねぇぇぇ!!」


 その意味を咀嚼して、理解して。

 俺は鎖を引き千切ろうと必死に体を動かしながら激高した。


「殺すぅぅ!! お前ら全員殺してやるぅ……っ!!!」


 鎖で縛られた両腕から血が流れる。

 それでも構わなかった。

 どうせ【再生】するんだ。腕が欠損したっていい。

 今は殺意だけが俺を支配していた。


 そんな俺を見て、


「あはははははははっ!」


 大男は狂ったように嗤いながら、鉄格子のこちら側に入ってきた。

 俺が睨んでいると、男は俺の前に立って。


「その殺意、いつまで続くかなぁぁああ? 

 魂器ソウル解放――第一位階【深位シンイ】・金剛腕ダイヤモンドアーム!!」


 男が叫ぶと、彼の胸の前にドス黒い球体が出現した。

 それらが四方八方に弾けると、男の両腕に収束していく。

 球体の見た目に反し、煌びやかなダイヤモンドの装甲で両腕は倍以上の大きさになっていた。

 両腕だけが異常に膨れ上がっている。

 何カラットにも削られたダイヤの装甲は、暗闇のなかで鈍く光っていた。


(これが……奴の魂器ソウル……!)


 魂器ソウル

 己の魂を具象化した、固有武装。

 他者を殺し、他者の魂を取り込むことで、魂の質を上げていく。

 そうやって、進化していく。


 奴の、あの禍々しい姿の魂器ソウルに至るまで、一体どれほどの同胞の血が流れたのだろうか。

 想像しただけでも恐ろしく、同時に怒りが沸き上がってくる。


(殺す……絶対に殺す……!)


 じゃらじゃらじゃら!

 鎖を揺らし続ける。

 何とかしてこの鎖を解こうと藻掻く。


 そんな俺に対し、奴はクツクツと嗤いながら大声で話しかけてきた。


「一時間だ。一時間俺はぁお前を殴るぅっ! 殴り続けるぅ!」


 奴は拳を握り、構える。


「そうだなぁ。もしぃ、お前が一時間経っても折れなかったらさぁ、そんときはぁ彼女……えっとリナリアちゃんだっけかぁ? 見逃してやるよぉぉ?」


「…………な、に?」


「だ・か・ら・さ」


 言うと、大男は顔を歪ませ、腰を落とした。


 瞬間、目の前にあった拳が、消えた。


 時間が止まったかのような錯覚を覚えるが、そうではない。

 鮮血が舞った。

 奴の拳が繰り出され、俺の顔面が撃ち抜かれたのだ。


「精々、頑張ってくれよぉぉお! あひゃひゃひゃひゃひゃっ!」























 ―――



 俺は殴られ続けた。

 殴られて、殴られて、殴られた。

 そのたびに体中の骨がひしゃげ、血が流れた。

 顔面のときは鼻が折れ、目が潰された。

 胴体のときは、あばら骨を折られ、内臓を潰された。


 ……それでも、俺の心は折れなかった。


「はぁっ、はっ、はぁぁぁあ? やっぱりおめぇ化け物じゃねぇえかぁ!!」


 血の海と化した床の上で、息を切らしながら大男――【金剛】の勇者シャウラは吐き捨てるようにそう言った。


 彼の言葉を聞いて、俺は思う。


(化け物……確かに、そうかもしれない)


 俺の身体は……、吸血鬼の王の力を引き継いだ俺の身体は、どんな傷も即座に【再生】する。この力を含め、俺の持つ全ての力に、皆は尊敬の念とともに恐れも抱いていた。

 それでも、この力を国のために、故郷のために使えるのなら、それでいいと思っていた。

 だけど、そんな故郷は滅んでしまった。


(それでも……今は、まだ)


 心が折れない限り、俺が負けることはないんだから。

 彼女を救うために、奴らを殺すために、俺は諦めない。俺は折れない。


 俺は澄み切った殺意で大男を睨み続けた。


「なんだぁぁぁ? その目はぁぁぁぁ!!!」


 俺の目を見て、怒りを覚えたのかシャウラは激高した。


「死に損ないがぁっ! 生意気な目で俺を見るんじゃねぇぇっ!!」


 地下牢内がビリビリと震える。

 奴の魔力が、またしても爆発的な勢いで膨れ上がっているのだ。


 シャウラが腰を落とし、再び構える。

 次は、弄ぶのではない。『絶対に殺す』という確かな殺意が満ちた目が俺を射抜いた。


魂器ソウル掌握――――第二位階…………」


 彼が魂器ソウルの位階を進める式句を唱える。

 俺は決して目を閉じないと決めていた。

 たとえ、奴の一撃をもって俺が死ぬことになろうとも、目を逸らすことは、皆に申し訳が立たないと思ったのだ。


 どれだけ堕ちようとも、王族としての責務は果たす。

 その決意を抱いていた。

 だから見逃さなかった。



 突如として奴の右腕が切り落とされたところを。



「あ? あがぁぁぁぁぁぁぁ?!?!?」


 彼はもう一つの腕で右腕を抑えると、痛みを体現するかのように床の上で悶絶した。

 俺の視線は、自然とその後ろ、事を成した人物に吸い寄せられる。


 長い長い銀の髪は床まで着きそうなほど。

 薄い微笑みを浮かべるその顔を見て、俺は絶句した。


(……こいつ、人間、なのか?)


 激流のような俺の感情さえも、彼女の表情一つで押さえられていくような感覚がある。

 異常なほどの美。

 存在するだけで他の生物を嘲笑うかのような、まるで神を体現したかのような女だった。


「ああああああ!? アテム様、なぜ……っ!?」


 シャウラの嘆き声など意に介さず、アテムと呼ばれた女はくすくすと笑いだした。


「だってあなた、このままだと彼を殺してしまうじゃない。それは命令違反よ。彼と彼女には、まだ役割があるのだから……あ、腕の方は新しいのを作ってあげるから我慢しなさい」


 言うと、女の人差し指と瞳が虹色に光った。


「【創造】」


 その一言の式句で、シャウラの右腕は、完全に元通りになる。

 そして、俺は彼女が何者なのかを思い出した。


(【創造】の勇者、アテム……)


 アテムはシャウラのことなど気にも留めず、俺の頬に手を触れた。

 一瞬だけ臆したが、嫌悪感が募り、俺は彼女の行為に睨みを返した。


「触るなッ!!」


 俺は彼女に唾を吐きつけた。

 だが、彼女は怒るでも、殴るでもなく、目を輝かせた。

 頬が紅潮し、口が引き裂かれるほどに嗤って、言った。


「ここまでされて、その目……。まさに、頂点に立つ王の瞳。……ようやく、見つけた。あなたなら、私と同じ場所まで来れる。【神位】まで、来れるっ! うふふふふふっ」


 そうして彼女は、興奮そのままに懐から二枚の札を取り出した。

 一つは赤。一つは黒の札。

 それらは光沢を放っている。

 その中心には、それぞれ魔法陣が描かれている。


 知っている。文献で読んだことがあるからだ。

 古代魔道具の一つ、『結界札ケッカイフダ』。

 現在も一般的に使われている『魔札マフダ』の一種とされているが、古代魔法を起動させるといった点において、希少性には天と地ほどの差があるだろう。


 魔道具は魔法陣に、魔法行使に必要な数百を超えるアルファベットを書き記した上で構成し、そこに魔力を込めることで、魔法的な効果を発動させる道具である。


 その中の一つであり、すでに時代から失われたはずの魔道具、結界札ケッカイフダは、札の中に閉じ込めていた結界魔法を展開する魔道具だ。対象を封印する封印型と、そのまま展開する改変型の二つがある。


 結界魔法自体、世界を創り、一部改変するような行為だ。十万語を超えるアルファベットと、イメージの難解さ、膨大な魔力量が必要な魔法なのだ。行使できた者は神話の時代の神くらいだとも言われている。


(……それを構築できると言うのだから、奴は神にさえ届く存在だということか)


 俺が思案していると、彼女は非常に 嬉しそうに、弾んだ声で話しかけてきた。


「この二枚は、私が【創造】した、固有の結界札ケッカイフダ。その名も、『時の牢獄』と『太陽地獄』」


 そして彼女は説明する。

 俺がこれから辿る地獄の行き先を……。


「『時の牢獄』は真っ暗な空間に、この世とは異なる時の流れを閉じ込めた結界よ。対象者が感じる百年は現実換算にして一秒。さらに、内側から結界を破壊するとなると、とてつもない威力の魔法が必要になるわ。この星を壊滅させるほどの、ね。結界に閉じ込められた大半の個体は三百年もすると脱出を諦めて、茫然自失となる……。もし、外的要因で何らかの救出があったとしても、札を解析して、対抗魔法陣を描くのに最低でも一日は掛かるでしょう。現実世界での一日は八万六千四百秒だから、結界内では八百六十四万年経ってることになるわ。そのときには普通の個体なら精神……魂が死んでいるわ」


 話しながら興奮している。明らかに頭がおかしい奴だ。

 そうだというのに、この女に対して、俺が抱く念は畏怖。そして恐怖だ。


「『太陽地獄』は……あなたもご存じでしょう『炎地獄』の上位互換の結界札ケッカイフダよ。炎の中に閉じ込めて、【再生】持ちの対象を封印する……。『太陽地獄』はその強化版として、王族などのより強い吸血鬼を完全封印するために作り出したの。無論、この結界には正真正銘、の(・)が(・)じ(・)め(・)ら(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)わ」


 言い終わると、彼女は二枚の結界札ケッカイフダを拘束された俺の身体に張り付けた。

 そして、その嫌味なほどに美しい顔を、密着させて言った。


「……そして、この札は何重にも掛けて封印するから、助けは絶対に来ない。あなた自身が、この結界を打ち破らない限り、絶対にあなたは助からないし、あの子は救えない」


 ……馬鹿げた話だ。

 独自結界を作る際、ギミックとして何かを組み込む場合、その何かを外から持ってきて閉じ込めるか、もしくは創って入れ込まなければならない。

 もし、彼女の言うことが本当であれば、彼女は『狂った時間概念』や、『太陽』というものを外から持ち込んだか、自分で創り上げたことになる。


 普段なら、ありえない話として割り切り、鼻で笑うこともできるような話。

 だが、彼女の言葉には魔力があった。

 その全てを真実かと思わせるような魔力が。

 ……【創造】の勇者アテムなら、概念や太陽だなんて代物すら、創ることができるのかもしれない。


「もし……あなたが本当にこの結界を抜け出すことができたなら。私は、人界の最も高い場所、白亜の巨塔『オベリスク』の最上階で、あなたを待ちましょう」


 結界札ケッカイフダから浮き上がった魔法陣が、それぞれ赤と黒で輝く。


「……私はあなたを信じているわ」


 期待と希望に満ちた瞳で、彼女はそう言った。

 やがて魔法陣の光は牢屋を埋め尽くしていく。

 二人の姿が遠くなっていく。


「待て……ッ!」


 呼び止めることばが、二人に届くことは無かった。































 俺の視界は、黒と赤で埋め尽くされた。

 そして、そういえば、と気付く。

 リナリアの叫び声は、いつのまにか聞こえなくなっていた。






















 ―――結界『時の牢獄』・『太陽地獄』―――



 目が覚めると、そこは真っ暗な空間だった。

 自分が目を開けたのかも分からなくなるほどの暗黒空間。

 しかし、何もないというわけではなかった。


「何だ……これ」


 振り返った先にあったものは、それはそれは巨大な時計盤だった。

 その大きさは、魔界にて最も大きな建造物たる魔王城すら超えるほどであった。


 長針と短針がそれぞれ一本ずつ。12時を指している。秒針は無いようだ。

 経過時間をカウントでもしているのだろうか……。


「とにかく、脱出の方法を探らないと……」


 見たところ時計盤以外には何もないが、何もしないわけにはいかない。

 魔力を上げて結界を破壊するのもアリだが、それは最後の手段でいい。


 時計盤に何かヒントがないだろうか……。

 俺が思案していると、途端に眩い橙色の光が視界を満たした。


 振り返る。

 そこには太陽があった。

 地上から太陽を眺めるように、ただの光の粒だったそれは、まばたきをするたびに近づいてくる。

 十秒、二十秒、三十秒。

 それほどの時間が経つ頃には、俺の身体に炎が燃え移っていた。


「……ッ!? これが『太陽地獄』かっ!」


 太陽は近づく。

 あれだけの熱をもった恒星が近づいてくるのだ。逃げても無駄であることはすぐに分かった。


「……ぐっ!」


 俺は苦し紛れに右手を前に出すと、脳内に記憶している炎系魔法への対抗となりうる魔法の構成文字列を思い浮かべ、十万にものぼるアルファベットで構築した魔法陣を展開する。


水神ノポセイドン・大幕カーテン!!」


 海色の魔法陣が弾けると、神話の時代に存在した水の女神が起こしたという水害を思わせる勢いの激流が、下方から俺と太陽を分断するかのように出現した。

 水属性の未確認固有魔法を除けば最上位にあたる神話級魔法。


 ……だが、次の瞬間、それは弾け消えた。


 水滴の一つも残さず蒸発し、俺の前から掻き消えた。


「………………………………あぁ?」


 どろり。

 何かが溶け落ちた。

 何かではない。俺の眼球だった。


『がっぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?』


 声は出なくなっていた。


 途端に激痛が全身を浸食した。

 溶ける。

 どろりどろりと皮膚を溶かし、血など流れぬままに骨、内臓に至るまでもが破損していく。

 痛い熱い痛い熱い痛い熱い熱い熱い熱い熱い熱いあついあついあついあつい……、


 しかし。


 俺は死ななかった。死ねなかった。

 溶け焦げて消えゆこうとする体を、吸血鬼の特性たる【再生】が修復していく。

 王族たる俺の【再生】の修復速度と、太陽が体を焼く速度が同一のものなのだろう。

 酸素が枯渇しそうになっても、体内酸素すら自身の身体と認識し、【再生】していく。

 なるほど。太陽はおそらく俺の魔法をかき消した地点から動いていない。その距離であれば、一瞬で俺を殺すのではなく、炙り溶かすことになる。


 意識を手放してしまおう。発狂してしまおう。そう思った。

 痛みなど忘れるほど狂ってしまえば、楽になれる。

 この苦しみを、忘れてしまえば……。


 ――そんなとき、胸の中に浮かんだものは、彼女の笑顔だった。


『……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ッッ!!!!!!』


 俺は歯を食い縛った。

 いや、歯などとうの昔に溶け落ちてしまったが、とにかく俺は食い縛った。


 リナリアは今も、苦しんでいるのかもしれない。

 同胞の生き残りがいるかどうかは分からないが、城下でのあの惨状を見る限り、地下牢への救出の望みは薄いだろう。なんせ、あの日から一週間は経っていたのだ。


 彼女は今も苦しんでいる。汚されている。

 精神的にも、肉体的にも辛い思いをしているだろう。

 もしかしたら、もう元の生活には戻れないかもしれない。


『……それでも』


 俺は、彼女とともに歩みたい。

 俺は、彼女を救いたい。

 だって、彼女は、俺にとってはかけがいのない友人で、幼馴染で、婚約者なのだから。


 ――――俺が、折れるわけにはいかないんだ!!


『ぁぁっぁああああああああああ!!!!』


 この苦しみを忘れるわけにはいかない。

 この痛みを忘れない限り、俺はまだ死なないのだから。

 まだ、彼女を救える可能性は、残り続けるのだから。


 ……【創造】の勇者は言った。

 この結界での百年は、現実世界での一秒だと。

 ならば、千年で壊してみせる。


 ――――そして、君を救ってみせる。


 閃いた突破口はただ一つ。

 あまりにも荒唐無稽で、無理難題な方法。


 アテムは言っていた。

 太陽は、正真正銘、本物を閉じ込めていると。


 彼女の発言を鑑みて、俺は思考する。


 太陽が、現実のものだった場合。

 もしくは現実の太陽の理を理解し、手順を追って作られたものである場合。

 そこには記憶が残る。


 記憶。それが宿る場所。すなわち魂。

 脳に入っている知識としての記憶のみではない。心に刻まれた感情の記憶。

 それが魂には宿っている。


 吸血鬼の王の血が流れる俺の権能【吸血】には、他の吸血鬼にはない特性を保持している。

 血を吸いとることで、魂の情報、本人を本人たらしめる記憶に接続し、奪うことでそれを自分のものとすることができる。


 だから俺は決めた。

 太陽を【吸血】してやると。


 相手は生物ではない。

 意味などないのかもしれない。

 俺は虚しく燃え続けるだけかもしれない。


 たとえ、そうだとしても……。


 脅威から救ってあげられなかった彼女を前に。

 まだ、助けることができるかもしれない彼女を前に。


『俺が、諦めるわけには、いかないんだ…………!』


 俺は犬歯に再生を優先させながら、熱波に向けて牙を突き立てた。



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