第2話 吸血魔王、太陽を【吸血】する。
圧倒的な熱の中。
俺はただひたすらに犬歯を突き立て続けた。
『【吸血】、【吸血】、【吸血】…………』
常に炎にあてられているため、口など動かせるわけもない。
心の中で声を出しているに過ぎない。
これをしないと、何をすればよかったのか分からなくなってしまいそうだからだ。
王族吸血鬼の【吸血】能力。
それは、恐れられるに足る強力なスキルである。
スキルは技能として経験して所得するものもあるが、この【吸血】は当然、吸血鬼が生まれながらに得ている特性であるため、吸血鬼以外の生物が習得することは不可能である。
普通の【吸血】能力は大したことはなく、血を吸い取った対象から魔力を得る、といったものであるが、王族の【吸血】は違う。根本的に異なるものなのだ。
なんと、対象に牙を突き立て血を吸いとることで、そこから魂の記憶に接続し、そこから必要な記憶、経験を奪うことが可能なのである。この異常なチカラは、魔界にいくつもの法律を作らせるはめになるほどであった。
もちろん、血を舐めた程度で狙った記憶を奪えるわけではない。魂の記憶が保持している情報というものは膨大なのである。さらに、本人が重視している記憶や経験と狙っているモノが異なる場合、砂漠の中から一粒の砂金を見つけるほどに難易度は跳ね上がる。
ゆえに、欲しい魔法やスキルを相手の記憶から奪おうなどと考えるならば、一度気絶させ、長時間【吸血】し続ける必要があるのだ。
……だが、これは裏を返せば、対象の全ての血を吸いとることが出来た場合、対象の全ての経験……つまりは習得した魔法・スキルを奪うことが可能だということだ。対象を無力化させ、時間さえ十分にあればそれが可能となる。
ゆえに異常、最強。
そして俺は初めて使うこの最凶のスキルで、太陽の全てを奪おうとしていた。
すぐに気づいた。あまりにも無謀が過ぎることだということに。
『【吸血】、【吸血】、【吸血】、【吸血】、【吸血】、【吸血】、【吸血】、【吸血】、【吸血】、【吸血】、【吸血】、【吸血】、【吸血】、【吸血】、【吸血】………………』
心の声で念じ続ける。
当然だが、太陽に血など流れていない。
だから発せられる熱を、炎を、血液だと仮定して吸い続ける。
スキルが成功しているかどうかなど、判断のしようもない。
あまりにも敵の存在が大きすぎて、きちんと吸えているのかなど、分かるはずもない。
だが、俺は折れない。諦めない。
痛みはいまだに続いている。
感覚が麻痺してもすぐさま【再生】してしまうから。
炎を吸い込み続ける行為は、体の内側から激熱で溶かしていく。
痛い。
苦しい。
辛い。
それでも、俺は折れない。諦めない。
不可能、限界に、何度だって立ち向かい続けよう。
すべては、もう一度、リナリアを笑顔にするために。
―――
俺が太陽を【吸血】し始めて、いったいどれだけの時が流れたのだろうか。
相も変わらず、俺は炙られている。
視界は奪われて何も見えないから、具体的な成果があるというわけではない。
だが、どうやら【吸血】は成功しているようだった。
段々と分からなくなってくるのだ。
自分が何者なのかが、分からなくなってくるのだ。
『…………【吸血】、…………【吸血】』
太陽という恒星が生きてきた年月と比べたら、俺の生きてきた人生など刹那に等しい。
奴の記憶が入り込んでくるたび、自分が本当に生物だったのかすら怪しくなってくる。
太陽と自分の境目が無くなっているような感覚だ。
おそらく、記憶の情報密度の高さ、ならびに、ここで太陽に焼かれて過ごす時間があまりにも長いからであろう。
痛くて痛くて、熱い。
でも、こんな感情すら自分が太陽だとするのなら、燃え続ける恒星だとするのなら、納得が行く気がしてくるのだ。太陽に感情がないなどというのは、所詮地上で這い回る生物の考えに過ぎないのだから。
考える力も失せてくる。考えることが嫌になる。だからそんな曖昧な結論で片付けてしまいたくなる。時間というのは理不尽そのものだ。少なすぎても恨みたくなるし、多すぎたら、決断や人間性を奪っていく。
――――けれど。
自分を見失いそうになったとき、彼女の表情フラッシュのように目の前に現れる。
リナリアの、笑った顔、泣いた顔、悔しそうな顔、怒った顔。
その全てが愛おしい。狂おしいほどに愛おしい。
それらは全てが輝いていた。
彼女と過ごした日々は、太陽と比べてしまえば、確かに一瞬の出来事かもしれない。
けれど、関係ない。
その刹那の価値は、どんな永遠にも匹敵するはずだ。
『………‥【吸血】、【吸血】、【吸血】!!』
再び、心の声を張り上げ、己を叱咤する。
彼女の存在が、彼女が俺に与えてくれたものが、俺を俺たらしめてくれる。
俺を繋ぎとめる。
だから、俺は諦めない。
時間の感覚なんてものはすっかり失っているが、きっと、あと少し。
そうやって自分に言い聞かせながら、俺は『無限』に挑み続ける。
―――
「【吸血】、【吸血】、きゅうけ……」
そこで俺の言葉は途切れた。
というか、普通に喋れるようになってる?
声が、戻った?
「……え?」
俺は気付く。
先ほどまで、あれだけ俺を焼き続け、苦しませてきた太陽は、いつのまにか姿を消していた。
視線の先に広がるものは、果てしない闇、闇、闇ばかりである。
「成功した……のか?」
俺は戸惑った。
なにせ、まったくもって実感が伴わないからである。
莫大な時間が流れていた。
視界も、音もなにもかもが焼き尽くされていた。
だから、太陽が消えたあとも、気付かずにこうして闇の中を漂っていたのだろう。
一体どれだけの時間が流れていたんだ……?
彼女を救える可能性はあるのか?
俺は疑問を払拭するため、辺りを見渡した。
探しているのはもちろん、あの巨大な時計盤である。
意味もなくあんなものが設置されているとは、思えない。
おそらくは、あれは時間をカウントしているのだろう。
絶望させるために用意していたのだろうが、利用させてもらう。
それはすぐに見つかった。
結界に閉じ込められたときと同様、真後ろにあったのだ。
俺はその針の位置を恐る恐る確認した。
だが――――、
「……え? あ、あれ?」
俺は困惑した。
なにせ、その針は12時から動いていなかったからである。
苦痛があったから、体感的に少し時間を長く感じてしまうこともあるだろうが、まったく時間が過ぎていないなんてこと、ありえるのだろうか。それとも、本当に意味なんてなくて、ただのモニュメントだったということだろうか。
「あ……いや、そうか」
そうだ。この世界の百年は現実世界の一秒と同等だと、【創造】の勇者は言っていた。
この時計には秒針がない。
つまり、この時計の長針が一分を指すころには、六千年もの時が流れているというわけである。長針がまったく動いていないことから、おそらくは三千年も経っていないのだろう。
思えば、数千年の時間なんて気が遠くなるほどに莫大な時間だ。太陽を【吸血】するだなんてことには確かに考えられないほどの時間が掛かるのだろうが、それでも数千年あれば可能だったということなのだろう。
「……よし」
そうと分かれば、もうこの結界に用はない。
俺は脱出しようと周囲を見渡すが、やはりこの時計盤と俺以外に物体は存在しないようであった。
ならば、脱出方法は一つであろう。この結界を破壊するのだ。
……いや、早計だということは分かっている。ただ、今はとにかく時間が惜しい。
彼女に、早く会いたいのだ。
「ふぅぅぅ」
呼吸を整える。
俺は癖で咄嗟に右腕を前に構えた。何らかの魔法を行使しようとしたが、途中で思い
勇者アテムは言っていた。「この星を壊滅させるほどの威力でなければ、この結界は破壊できない」と。
持ち前の神話級魔法ですら歯が立たなかった太陽を閉じ込めていた結界だ。おそらくはその言葉は真実なのだろう。
「なら……、試してみるか」
そう言って、俺は【吸血】した太陽の炎で破壊しようと、それを顕現させようとした。
魔法とは異なり、スキルの使用に数百を超えるアルファベットを頭で想起する必要はない。そこに経験があり、熟練されていればいい。また、魔法のような現象が絡むようなスキルであれば、それに魔力が加わるといった感じだ。
だから俺は、最大限の魔力で太陽のチカラを使い、結界を破壊しようとしたのだ。
温存したい気持ちもあるが、この結界はそんな生半可な考えじゃ壊せないと思ったのだ。
――――太陽を、そのままあの時計盤にぶち込んでやる!!
そう、そのつもりだったのに。
俺の目の前で起きた現象は、予想外のものであった。
グチグチグチグチィ!!
「………………………………え?」
音の鳴る先を見た。
それは俺の左腕であった。
俺の左腕が、音を立てながら変形しているのだった。
赤く、マグマのような左腕は溶け落ちたかと思えば、何度も拍動して巨大化する。
腕全体には、太陽を思わせる
左肩からは噴出するように炎の翼が出現する。
その異端な形の腕と燃える翼は、神話の時代、大暴れした悪魔イフリートを思わせるものであった。
左半身を圧倒的な熱が支配する。だが、その熱が苦痛に感じることはなかった。
「ああ、そうか」
俺は勘違いしていた。
太陽の魂の記憶を得たことで、俺は太陽を扱えるものだと思っていた。
でも、それは違った。
確かに王族吸血鬼の【吸血】能力は、『魂の記憶に接続し、そこから経験を盗むことで、対象の魔法やスキルを奪う』というものだ。
しかし、対象が死滅するまで【吸血】すると、それは魂に内臓するすべての情報を取り込むこととなる。つまりは、『魂そのものを奪う』ことと同異議であるわけだ。
そして、『魂を奪う』ということは、俺の中には取り込んだ者の魂が、確かに存在するというわけだ。
つまり、俺は太陽を『扱える』ようになったのではない。
俺は太陽と『一体』になったのだ。
そう認識した瞬間、橙色に燃えていた炎は、俺の色に変色していった。
すなわち、深く、暗い闇色に。
ドス黒いその炎は、残酷な世界を憎むかのようであった。
俺は納得する。この色こそが、俺の色なのだということに。
彼女を傷つけたこの世界を、理不尽を。
俺は決して許しはしない。
この黒は、その証明だ。
「すぅぅぅう」
再び呼吸を整える。
左肩に生えた炎の翼に意識を集める。
「――――ッ!!」
炎を噴出させ、その推進力をもって俺は時計盤に肉薄した。
暗黒の炎を集約する。
俺は、異形と化した左拳を固く握り、矢を引き絞るように構え――――、
ドッガァァァァァァアアアアアアアアアアア!!!!!
世界を殴った。
――――瞬間、轟音、炎上、崩壊。
時計盤は炸裂音と共に霧散した。
闇の炎は、世界を燃やし尽くした。
―――
俺は、重たくなった瞼をゆっくりと開けた。
身体を縛る鉄の鎖に、鉄格子。
目覚めたその場所は、俺が囚われた魔王城の地下牢に違いなかった。
「…………?」
だが、俺の中に疑問は残った。
じゃらじゃらじゃら。
俺の動きで揺れる鎖の音。
俺自身の呼吸音。
それ以外の音が、一切存在しなかったからである。
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