第11章 『ホトトギス』同人に推挙――娘がゐねば夕餉もひとり花の雨

 

 

 

 

 あなたさまにもご経験がおありと存じますが、


 ――胸にぽっかりと大きな穴が開いたような。


 とは、ああいうことを指すのでございますね。

 

 昌子、光子に次ぐ愛しい末子であった『花衣』を手放したわたくしは、抜け殻のようになりまして、廃刊の言い訳にした家事はかえって手につかなくなりました。


 一日中ぼうっとして呼んでも返事がなく、魂が抜けた人型になったわたくしを、宇内は幽鬼でも見るような目で眺めては、饐えた胃の底に溜まった汚物を吐き出すような嘆息をつくのでございます。


 やむを得ない事情があったとはいえ、手放してみて初めてわたくしは『花衣』が如何にわたくしの生命そのものであったか、いやというほど思い知らされました。

 あのころのわたくしは、生きていながら生きておりませんでした。

 

 ところが。

 そんなわたくしに思いがけないご褒美がもたらされたのでございます。


 ――昭和七年十月、『ホトトギス』同人に推挙。


 とつぜんの吉報はわたくしを戸惑わせ、狂喜させました。

 同時に推挙された同人は、全国で五十一名でございます。

 西海道の同人は三年前に推挙されていた吉岡禅寺洞さんとわたくしの二名のみ。

 さようでございます。

 わたくしは同じ北九州の久保より江さんより早く同人になったのでございます。


 絶望の底に沈んでいたわたくしにタイミングよく救いの手をさしのべてくださった虚子先生に深く感謝したわたくしは、東方に合掌せずにいられませんでした。

 さようでございます、虚子先生はわたくしの神さまになったのでございます。

 

 この年十月、阿部みどり女さんが主宰誌『駒草』を創刊されました。


 

 

 昭和八年、立子さんの『玉藻』二月号の課題選者をつとめました。

 おそらく、いえ間違いなく虚子先生のお計らいだったと思います。

 

 四月、光子が東京の女子美術専門学校(現女子美術大学)に入学いたしました。

 と申しましても、宇内は相変わらず、

 ――女に学問は要らない。

 の一点張りでございます。


 畳に頭をすりつけて頼んでも学費を出してくれる気がありませんので、嫁ぐとき親から持たされたわずかな預金をはたくなどして工面せねばなりませんでした。

 子宮筋腫の状態がわるいときにふらついて転び、前歯が欠けたままになっておりましたが、娘にはどうしても希望の道を歩ませてやりたかったのでございます。

 

 主婦のわたくしが唯一稼げる手段は、自作の短冊の販売でございました。

 夫の鉄幹さんの洋行費用の捻出のため、疲労で腕や肩が腫れあがるまで、日夜、金屏風に百首の歌を散らし書きされた与謝野晶子さんに倣ったのでございます。


 ですが、わたくしの気性として、疎かなものは人手に渡したくございません。

 一所懸命に書いたつもりでも、あらためて見直しますとアラが目立ってきます。

 完璧を期したいわたくしにとりまして、文字は単なる文字ではなく、絵の一部としての重要な位置を占める芸術でございますので、少しでも全体のバランスを崩すような文字を発見しますと、どうしてもそのまま捨て置くことができません。


 高価な色紙を破棄し、何度でも書き直す妻を、

 ――ご覧なさい。あの婦人はああいうことをして平気なんです。

 宇内は人前で冷然と評するのでございました。


 わたくしの反論、でございますか?

 いえ、いっさい。

 言わなければわからない人には、言っても無駄でございますから。


 

 

 短冊頒布会の代表を曾田公孫樹さんにお願いしよう。

 ふと、そう思いついたのが運の尽きでございました。

 さようでございます。

 その手の話題が大好きな人たちの好餌にされる、


 ――久女伝説。


 なるものがまたひとつ生まれることになったのでございます。


 お騒がせの場面でたびたび登場する横山白虹さんの証言なるものによれば、久女は白虹さん経営の外科医院の応接室で、耳鼻科医の曾田公孫樹さんに短冊頒布会の代表を依頼したものの、「家内の耳に入ったら、またもめるから」と断られた。


 それでも、久女は諦めず「そんな薄情なことが言えた義理ですか、本来なら全部出してくれたっていいはず」と傍目には痴話げんかめいて見えるやりとりがあり、当時三十代前半、三人のなかで最年少だった白虹さんが「久女さん、ここはひとつまあまあまあまあ」と言って収めた、ということになっているようでございます。


 とんでもございません。

 これはまったくの偽証であることを、ちょうどそのとき、横浜から一時帰省していた昌子が証言してくれたことは、わたくしにとりまして幸いでございました。


 光子の学費捻出のため企画いたしましたわたくしの短冊頒布会の代表を曾田さんにお願いしたのは、白虹さんの医院ではなく、曾田耳鼻科の応接室でございます。


 申し上げるまでもございませんが、

 ――痴話げんか。

 云々もまた、話を盛る癖のある白虹さん一流のリップサービスでございます。


  

 4

 

 それはともかくといたしまして。

 頼みの綱に断られ、悄然と帰宅したわたくしは、いつもどおり、なにがあっても絶対的な味方になってくれる昌子に、事の一部始終を話して聞かせ、一緒になって口悔しがり、嘆いてくれることを信じて疑わなかったのでございますが……。

 なぜか、その夜の昌子は少しよそよそしく感じられました。


 

 ――必ずしも母の話に同感はしなかった。いやなことを起したものだ。その母に舌打ちしたいような気もした。母もわるいが父も父だ、という感情がまっ先にはたらき、非情だった。



 さようでございますか、のちに昌子がそんなことを……。

 思えば、幼いころから母親の愚痴の聞き役になり、哀れな母を助けたいと小さな胸を痛めてきたのですから、愛想を尽かされても当たり前でございますよね。

 

 

 昌子が横浜へ帰り、光子が上京すると、わたくしは宇内とふたりになりました。

 ふたりといえど、ひとりきりでいるより、もっとさびしいふたりでございます。

 

 娘がゐねば夕餉もひとり花の雨

 

 ひそかにつけている日記に、わたくしは悲愴な思いを吐露いたしました。

 

 ――死か離婚か。道は一つだ。しかし、私は光子の母として死ぬ方を選びたい。夕暮れ、厨に働くときなど、淋しけれど、子のため生きねばならぬ。張りもない、楽しみもない、愛もない生活。ただ子を恋い、俳句のみ。


 

 

 

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