第15章 入魂の句集『磯菜』刊行を断念――鳥雲にわれは明日たつ筑紫かな




 


 

 昭和十四年八月、筆を折って一年のわたくしは、ひとつの決意をいたしました。

 大正六年に次兄の手ほどきを受けて以来の全句、千何百句の整理でございます。


 

 葉がくれの武士とはならず返り花


 

 さようでございます。

 ようやく、本当にようやく……わたくしは虚子先生の序文を請わずに、自分の手ひとつで句集の草稿を編む覚悟をいたしたのでございます。


 戦局がますます進むこのご時世に、刊行が成るものかどうかわかりませんでしたが、どんなに歳を重ねようとも、万一の場合はたとえ死後でもいいから、わたくしというひとりの俳人の軌跡を、どうしても一冊にまとめたかったのでございます。


 ひたすら無心に整理するうちに、ごく自然にある重要な事実に思い至りました。


 

 ――虚子が採った句にも凡句があれば、採らなかった句にも佳句がある。


 

 それはわたくしにとりまして、なんと大きな発見でございましたでしょう。

 いまこそ真実に目覚めたわたくしは、昂ぶった気持ちを日記に記しました。


 

 ――虚子が雑詠に採りし句のみに価値ありとは思われず。

 自分の一生の句、ことごとく価値あり、生命あり。

 何事もなくそのときは詠みし句さえ、いまここに記してみれば、いずれも優れたる句なり。

 玉のごとく輝ける句、一字の修正を経ずして、その自然に流れ出せる句のみ。

 これこそまことに天授の作なり。

 こしらえもの、政策のための句にあらねばこそ不変の価値あり。


 

 お気づきでございますか、わたくしはもはや「先生」とは呼んでおりません。

 申しては何でございますが、たとえ結社の主宰であれ、その場にいなかった人の思い付きや気まぐれで妙な添削を加えられるより、いく分粗々しい部分があったにせよ生の感興が大事であることを、歳月を経てなお輝く拙句が語っておりました。


 『ホトトギス』の雑詠では不採用になり、のちに、帝国風景院賞で金賞を受賞した「谺して山ほととぎすほしいまま」の一件をあらためて思い返しておりました。


 あのときは事を荒立てたくなくて、あえて曖昧なままにしておりましたが、句稿を通して、いまこそはっきりと浮かび上がるのでございます、荘厳な事実が。


 ――虚子より、水原秋櫻子さんや日野草城さんの鑑賞眼のほうが鋭かった。



 わたくしは若い人たちを手ほどきしたころの俳人の目できびしく自選した句を、だれが読んでもわかるように、丁寧に手帖に清記いたしました。



 

 

  わたくしの没後、虚子が発表した『国子の手紙』なる小説風の文章に、

 

 ――昭和九年から六年間に二百三十通の手紙を久女から送りつけられたが、昭和十五年からふつりと来なくなった。

 

 とありますとおり、わたくしは『ホトトギス』と、日本の俳句界ときっぱり訣別いたしましたが、むろんのこと、俳句そのものを見限ったわけではございません。

 煩瑣な人事を離れ、むしろ本当の俳句に近づけたような気さえしておりました。

 

 さようでございますか。

 のちに文芸評論家の山本健吉さんが、


 

 ――久女はおそらく、近代女流俳人中、随一の天才的な作家であろう。


 

 そんな面映ゆいことを書いてくださったのでございますか。

 また、田辺聖子さんも身に余る過分なご評価を。


 

 ――ものの表層を写すのでなく、ものを凝視し、観察し、その中に自身を投入し、やがて対象と一体化して核心をつかみ出す久女の俳句は、苦吟のあとを残さず、読み手の心を打つ。

 虚子からは嫌われたが、芸術の神からは愛された幸福な俳人。

 感覚、感情、知性をあわせ持つ天才的な創造力は、本来的に自由奔放だが、俳句は座の文芸。すでに出来上がった手法を模倣しながら学習する九百九十九人が作る集団とは相容れない。



 まことにありがたいことでございます。

 さすがは観察千里眼の作家さんでいらっしゃいますね。


 おっしゃるとおり、ああでもないこうでもないとひねくりまわし、こねくりまわした苦吟の痕跡が見え見えの俳句ほど、興醒めなしろものはございませんから。

 俳句は着想した瞬間に、苦もなく十七文字が出てくるのが理想でございます。


 生前のお付き合いはございませんでしたが、わたくしより一つ年上で、


 ――俳句は趣味。


 で通された久保田万太郎さんの句が、わたくしは好きでございます。



 

 

 昭和十五年、五十歳になったわたくしは宝塚に住む長兄の簾行を亡くしました。


 戦況の激化は平和な文化活動に過ぎない俳句界をも巻き込み、巷間を揺るがす、


 ――京大俳句事件。


 が始まったのは二月十五日のことでございます。

 結果、新興俳句は呆気なく衰退し、こういうときは強みを発揮して当然の守旧派『ホトトギス』の独り勝ちとなったことは、まことに皮肉な結果でございました。

 

 ただし。

 戦後、新興俳句の旗手だった日野草城さんは虚子の推薦で『ホトトギス』同人に返り咲き、よくもまあというような句を臆面もなく詠まれたそうにございます。

 

 新緑や老師の無上円満相        日野草城

 先生の眼が何もかも見たまへり

 先生はふるさとの山風薫る

 

 昭和十三年四月『ホトトギス』五百号記念号に挨拶文「高浜虚子先生のご長寿を祈り、『ホトトギス』五百号記念を遥かに祝福いたします」を寄稿した吉岡禅寺洞さんともども除名処分を受けたわたくしからすれば、怒りや諦めを通り越して、

 

 ――まこと人の心はわからぬもの。

 

 何とも言えず面妖な心持ちに駆られたものでございました。


 

 

 

 この年、三省堂から『俳苑叢刊』と名づけた句集シリーズが、全二十八冊で刊行されました。

 文庫本サイズ、本文九十頁前後、時節柄、粗悪な用紙で定価五十銭という代物でございましたが、それとてわたくしにとっては高嶺の花でございましたから、小倉の昏い煤煙の下からはるか東方を、指をくわえて見ているしかござませんでした。


 二十八人には、松本たかし、後藤夜半、日野草城、加藤楸邨、阿波野青畝、中村草田男、西東山鬼、竹下しづの女、中村汀女、星野立子さんたちが名を連ねておいででしたが、ことにわたくしを鋭く刺激いたしましたのは、汀女さんの『春雪』と立子さんの『鎌倉』に寄せられた虚子の序文でございました。


 

 ――清新なる香気、明朗なる色彩あることは共通の風貌である。

 女性の俳句というものは古くからあるが、わたしらの時代においては、大正時代にぼつぼつその萌芽を見、昭和時代において成熟し、男子を凌ぐものが出で来た。その代表と見るべきものは、この姉妹句集である。


 

 姉妹句集とは言いも言ったりでございます。

 立子さんの前に立ちはだかりそうなわたくしを退け、代わりに汀女さんを置いた名プロデューサーとしての虚子の満足げな笑みが目に浮かぶようでございました。


 ほかに、しづの女さんの『颯(はやて)』の巻頭の、

 

 女手のをゝしき名なり矢筈草        虚子

 

 これ見よがしな一句を、わたくしは憎まずにいられませんでした。


 世間はうわさしたはずでございます。

 いくら実力があっても、新興俳句運動の衰退で以前にも増して俳壇を牛耳るようになった高浜虚子に睨まれたら、この程度の小冊子すら出版は適わないのだと。



 

 

 昭和十六年十月、次女の光子が竹村猛さんというよき伴侶を得まして、宇内と共に結婚式に上京いたしました。

 これで母親としての役目を終えたわたくしは、いっそう抜け殻になりました。

 夜は昌子宅に泊まりましたが、沈みがちな母親にとても気を遣ってくれました。


 

 ――句会で仲間と交流する機会も、師の選句に一喜一憂することも、それどころか、あれほど精魂を傾けた俳句を発表する場も、すべてを失った母は精彩がなく、悲痛で胸が痛んだ。

 

 

 さようでございますか、のちにそう回想しておりましたか。

 やはり昌子はわたくしの一番の、最後までの味方でございました。

 娘に見放されなかったことだけが、わたくしの救いでございます。

 

 

 歌舞伎座は雨に灯流し春ゆく夜

 蒸し寿司のたのしきまどゐ始まれり

 鳥雲にわれは明日たつ筑紫かな



 

 

 この年、

 

 ――女誓子。

 

 と言われた橋本多佳子さんの第一句集『海燕』が交蘭社から刊行されました。

 序文は山口誓子さん、題字は水原秋櫻子さん、表紙絵は信州野尻湖の別荘が隣同士だったご縁で楠本健吉さんという豪華メンバーが顔を揃えておられました。

 このほかにも、同輩はもとより、後輩の俳人たちまでが続々と句集を刊行される現実を、わたくしは遠くから黙って見ているしかございませんでした。

 

 なぜそこまで句集の出版にこだわったのか、でございますか?


 さようでございますね、ネット小説の執筆やオンライン句会などバーチャル世界の住人でいらっしゃるあなたさまには、ご理解いただけないかも知れませんが、ペーパーレスが当たり前、紙の句集は贈られてもむしろ迷惑という当節とちがい、あのころは紙の本しか自分の句を後世に遺す手段がなかったのでございます。


 ですから、たとえ掌に収まるほど小さなものでもいいから、わたくしという人間がひとりの俳人として生きた証しを、どうしても遺したかったのでございます。

  

 昭和十七年八月、義父の和夫が亡くなりまして、宇内と共に奥三河の松名にしばらく滞在いたしました。同じころ、昌子の夫、石一郎が北支へ出征いたしました。

 前年に始まった太平洋戦争は国民を巻き込み、破滅へと突き進んでおりました。

 

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