第5章 実生活の空虚を俳句に託す――東風吹くや耳現はるゝうなゐ髪
1
大正九年(一九二〇)、三十歳になったわたくしは、零余子さんに依頼されたとおり、俳誌『天の川』の「九州婦人十句集」の幹事をつとめることになりました。
一方、『ホトトギス』一月号にはわれながら入魂の随筆「竜眼(がじゅまる)の樹に棲む人々」を掲載していただきました。
むろん、雑詠にも句を毎号採っていただきまして、あとから振り返れば、この年はわたくしがもっとも文筆に打ちこみ、内側から輝きを放った年になりました。
あたたかや水輪ひまなき廂うら
東風吹くや耳現はるゝうなゐ髪
春著きるや裾踏み押え腰細く
鬢(びん)かくや春眠さめし眉重く
え、あとの二句を田辺聖子さんはナルシシズムと評された?……。
言われてみれば、たしかにさようにも受け取られますでしょうね。
ただ、詠んだわたくしにすれば、日々包囲網が狭められるような状況から逃れるには自分自身に目を向けるしかなかった、ということにもなるのでございますが。
実際、自分で申すのもあれですが、当時のわたくしは脂がのっておりまして、
――今月は『ホトトギス』に何句採られるか。
そのことが平凡な日常の最大の関心事になっておりました。
もちろん、それなりの自信があってのことでございますが。
ですので、思ったより掲載数が少なかったり、意外な方の意外な句が優遇されているのを発見したりいたしますと、がくっと膝をつくように落胆いたしました。
いったい、どこがいけなかったのかしら。
虚子先生のお好みではなかったのかしら。
つぎはお気に召す句を作らねばならない。
あれこれ思い悩むと食事も喉を通らず、憔悴のあまり自分でも気味がわるくなるほど面やつれいたしまして、自ずから家のことも疎かになりがちでございました。
ですが、ひとたび、
――そうだ、椿を詠もう。
そう思いつくと矢も楯もたまらなくなり、炊事、洗濯、掃除すべてにおいて行き届かない家は放っておき、弁当持参で何日も山野を歩きまわったりいたしました。
そんな妻を冷やかに眺めている宇内は、
――だれに食べさしてもらっているんだ。
主婦がいちばん傷つく言葉で、ぐさりと刺してくるのでございます。
前言を翻すようで恐縮でございますが、宇内という男は、外での温和な印象とは裏腹に人の好悪がきわめて烈しい性質でございまして、外面のいい分だけ家庭では気難しく、折り合いのよくない同僚の悪口を延々と並べ立てるか、そうでなければ家族の些事を大仰に言挙げして、ねちねちした小言を執拗に浴びせつづけるか。
年ごとに父親に似てくる痩せ頬をぴくぴくさせる、その浅ましさときたら!
家族にすれば、そこに座っていられるだけでも鬱陶しいのでございます。
かたや、わたくしは可愛げのない女でございまして、そんな夫にやさしい言葉のひとつもかけてやれませんので、そのことがまた苛立たせるのでございましょう。
おまえのような者が作る句が見識ある人の目に留まるはずがない、なのにたまに取り上げられるのは俳句とは別の曰くがあるのだろうなど、嫉妬めいたあてこすりを繰り出させずにおかないのでございます。まさに地獄の日々でございました。
――奥三河の生家で培われた家長意識から抜け出せず、妻との会話にも論理的な展開ができない宇内。逆に久女は、俳句で物の見方が深まった。妻の人生が自我の充溢とともに厚みを増してくることを喜ばず、逆に嫉妬する宇内は、何かあっても世間の矢面に立ってやろうとせず、むしろ内からも矢を射る。自分はもうこの男を尊敬できないという発見は、妻に静かな絶望を強いた。
さようでございますか、田辺聖子さんの筆でいらっしゃいますか。
さすがは人情の機微に長けた人気作家さんでいらっしゃいますね。
まるでわたくしたち夫婦の諍いを間近でご覧になっていたような。
2
この年八月、わたくしたち一家は父の納骨のため、信州の松本に出向きました。
日頃は赤の他人より烈しく憎み合っている夫婦でも、外聞が何より大切な宇内のことですから、妻の実家の法事に欠席するような不始末は決していたしません。
ぎくしゃくした雰囲気を周囲に気取られないようにして長いこと汽車に揺られ、松本駅に降り立ったときは、だれとも口も利きたくないほど疲労しておりました。
何とか持ちこたえ、法事を済ませたとたんに、ふっと気を失ってしまいました。
往診してくださった医師の診断では、
――かなり進行した腎臓病。
ということでございました。
少女期のマラリア罹患が遠因か、絶え間ない夫婦の軋轢によるストレスか。
いろいろ脳裡に明滅いたしましたが、考えてもどうしようもございません。
長い旅は無理と指示され、やむなく浅間温泉で療養することになりました。
宇内に伴われ、しょんぼりと帰途につく昌子と光子の身が案じられてなりませんでしたが、鉛のように重い身体を動かすことさえままならぬわたくしは、鷹の湯の最奥の一室に伏したまま、涙に暮れながら幼い娘たちを見送るのでございました。
紫陽花に秋冷いたる信濃かな
夏雨に母が炉をたく法事かな
精進おちの生鯉料理る筧かな
障子締めて炉辺なつかしむ黍の雨
3
でも、とつぜんの療養生活は、思いがけない安寧をもたらせてくれました。
妻の顔さえ見れば皮肉をぶつけてくる夫と離れていられる幸せ。
桃源郷のように憬れていた信州に滞在できる幸せでございます。
少し長くなりますが、この翌年に発表した随筆を引かせていただきましょう。
――いったい、わたくしは子どもの折から、父母に伴われて鹿児島、沖縄琉球をはじめ台湾あたりまで、旅から旅へと歩いて成長盛りを過ごしたので、そんなことから旅好きになったのか、旅行がいつもわたくしを元気にし、いろいろな苦労やわずらいから再び勢いよく立ち上がらせてくれる。どんなときでも旅に出たあとは心身ともに復活して、再び力強い生命の闘いをつづけてゆくことができるのである。ことに夏は涼しい山のほうへ行きたいと思うが、いままで歩いたなかでは、父祖の故郷、信州松本辺が一番頭に残っている。
甲州から信濃の国へ入ると急に水量も多く、樹は茂り、山はすぐれて美しく、桑畑や屋根に石をのせた農家、そうしたものにも何ともいえぬ情趣がある。ことに、白いなつめの花と宝石のような紺青色の紫陽花と山霧の浅間の温泉宿。朝日にぬれ輝く金色の桑の海。軒近く這い茂る葡萄や干瓢にする夕顔の白い花。林檎畑、繭棚の見える家々の窓。そういうものを背景とした美しいアルプスの連峰の色、雲の変化。まったくお国自慢のようであるが、信濃の山と、あの山国の清澄な空と山の色は、ほかではとうてい見ることのできない特殊な美しさをもっている。
南国の琉球などで見る海の紺碧もすこぶる魅惑的であるが、あの松本盆地付近で見る高燥な空の色、夜のらんらんたる星月夜、朝夕の山の透った色は、いつまでも頭に残っている。浅間の噴煙を眺めつつ、小諸から次第に上りになる高原の秋草や松や唐松の木立ちなども、じつに絵のようで、ほんとに信州くらい風景のよい国は少ないと思う。
もうひとつ、これも金をかけて集めるというのではないから趣味などと口はばったいことは言えないけれど、わたくしは、日本紙を見たり集めるのが何より好き。手漉きのよい日本紙。出雲紙とか越前紙。信州の農民が月秋の副業に手漉きにして草木の色で染めるとかいう草木屋の月明紙。榛原や鳩居堂、上海の九華堂とかのよい詩戔。何でもよい紙を見たときには自分でも求め、買えない上等の紙には、涎を垂らして目だけで味わう。人さまからいただいたりすると、それを手近に置いて眺めたりするのが楽しみでもあり、手漉きのよい紙などに字を認めるのも、またなく楽しい。
源氏物語かに、源氏の君がよい紙を貯えた蒔絵のみ、厨子を開けていろいろな見事な薄葉の中から、自分の趣味に合った薄葉を探し出し、それに美しい字で返歌を認めるというような条があったが、、昔のよい紙に、昔の人の美しい字で、趣味のある手紙などもらったら、どんなにうれしいことだろう。敢えて源氏趣味というわけではないが、よい紙、よい筆墨、上等の古い蒔絵の硯箱、よい香、これらのものが年中身近に豊富に集められ、気に入った筆でよい紙に自由に認められるようになれたら、さぞうれしかろうと思うのみで、目下はその、ひととおりでない紙好きのわたくしも、自由に上等な紙を蒐集することができない。
そのほか春秋の山野を歩きまわり、弁当持ちで竜胆や野菊や春蘭や、いろいろな草花を摘み歩くこと、これもわたくしの大切な年中行事で、少ないわたくしの趣味は、まずこのくらいのものである。(「吾が趣味」昭和十年九月『俳句研究』)
鷹の湯から枇杷の湯に移った浅間温泉での療養がはかばかしくなかったわたくしは、納骨したばかりの父の墓に詣でたのち、東京の実家へ移ることになりました。
松本城の天守をはるか南方に見晴るかす新しいお墓への道の辺には、亡父の簾蔵がこよなく愛した野紺菊がひっそりと、精いっぱい香り高く咲いておりました。
野菊はや咲いて露けし墓参道
墓の前の土に折りさす野菊かな
4
東京の実家に引き取られたわたくしは、神田や牛込の病院に入退院を繰り返しましたが、このときの治療費はすべて実家が工面してくれました。
宇内が知らん顔を決めこんでいたのか、それとなく言ってやったが薄給を理由に出さなかったのか、その辺の事情は病人のわたくしには知らされませんでした。
けれども、このときのやり取りによって、薄々気づいていたわたくしの結婚生活の破たんを、母や兄、姉たちが確信したことはたしかでございましょう。
一方、小倉へ帰った宇内は持病の痔の悪化で入院することになり、九歳の昌子は奥三河に預けられ、四歳の光子は東京の実家に連れて来られることになりました。
虫鳴くや三とこに別れ病む親子
鬼灯や父母てだて病む山家の娘
山馴れで母恋しきか三日月
宇内が退院すると昌子は小倉に帰され、父親との二人暮らしになりました。
病床のわたくしは、宇内が職場から帰宅するまでの時間、学校から帰った昌子がどうして過ごしているか気が揉めてなりませんでしたが、遠い子を案じながらも、何から何まで身内の世話になるばかりの身を嘆くしかございませんでした。
悲しみを告げて悔あり春の暮
山茶花や病みつゝ思ふ金のこと
粥すする匙の重さやちゝろ虫
秋晴や栗むきくれる兄と姉
老顔に秋の曇りや母来ます
そんな昌子が父親に連れられて見舞いに来てくれたことは、俳人としては平凡な形容ですが、これしか思いつきません、まさに天に昇るがごときうれしさでございました。
にこにこと林檎うまげやお下げ髪
朱唇ぬれて葡萄うまきかいとし子よ
秋朝や痛がりとかす縺れ髪
吾子に似て泣くは誰が子ぞ夜半の秋
このとき実家から離婚話が出されたことを、わたくしはのちに知りました。
それを侮辱と受け留めた宇内は、快復したわたくしが小倉へもどってから、
――これだけの迷惑をかけておきながら、そっちから別れてくれとは、どういう了見なんだ? 常識というものを知らないのか、おまえも、おまえの身内も!
口を極めて責め立てることになるのでございます。
言葉少く別れし夫婦秋の宵
栗むくや夜行にて発つ夫淋し
病床のわたくしの唯一の救い、それはやはり俳句でございました。
ことに虚子先生から見舞いにいただいた短冊の薄紅色が好ましく、
芭蕉月をかくして暗き縁に在り 虚子
病室の壁に掛けてもらった一句を、飽きもせずに眺めておりました。
ただ、このころの虚子先生は人気の山を頂まで登り詰めていらして、
どかと解く夏帯に句を書けとこそ 虚子
熱狂的な女弟子の奇矯な行動に事寄せてご自分の威力を誇示される句を、平然と発表されていたのでございますが、この度外れた状況に少しも疑義を感じなかったのですから、当時のわたくし、相当やられておりましたね、虚子先生マジックに。
5
翌大正十年七月、わたくしは一年ぶりに小倉へもどりました。
そこには以前とまったく変わらない生活が待っておりました。
それどころか、プライドの高い宇内は実家から出された離婚話を根に持ち、
――おまえの家の者は感謝という言葉を知らないのか!
長旅の疲れもあって体調の万全ではないわたくしを執拗に責め立てました。
蚊帳の中より朝の指図や旅疲れ
個性(さが)まげて生くる道わかずホ句の秋
追い詰められたわたくしが泣いて家を飛び出すまで、宇内の罵倒はやみません。
かといって、面子を重んじる宇内ですから、何が何でも離婚には応じませんし、わたくしはわたくしで、人情の機微に疎い宇内のもとに後妻がきて、子どもたちがどんなに苦労するだろうと思うと、実家へ帰ってしまうこともできませんでした。
一方、俳句仲間に対する宇内の嫉妬も、以前にも増してひどくなりました。
わたくし宛てに届いた手紙を水で濡らして開封し、再び郵便受けに返しておく。
人さまに教える身でありながらそんな浅ましいことまでするようになりました。
先述のとおり、太田柳琴さんや長谷川零余子さんら、親しくしている男性俳人との関係について、まるで現場を見ていたようなうわさを流す人たちがおりまして、小倉中学の職員の間でも話題にのぼったことがあったようでございます。
実際、わたくしの没後、いっさいの抗弁が適わなくなった仏(と自分で申すのも妙なものでございますが)について、あることないこと触れまわった横山白虹さんをはじめ、俳人という芸術家の名にふさわしくない、人品骨柄の卑しい人たちが、残念ながらわたくしの周囲には少なくなかったのでございます。
申しては何でございますが、軍都にして工業都市である小倉にはびこる無知蒙昧な拝金主義は、文化に携わる人たちまで浸食し尽くしていたのかもしれません。
夫婦の不幸はそれだけではございませんでした。
四六時中、宇内を苛立たせる嫉妬の最大の対象。
それはわたくしという女が、宇内という男の妻に留まらず、
――俳人杉田久女として、一個の独立した人間として、社会に認知されること。
そのことに尽きることを、わたくしは直感として感じ取っておりました。
うっかり無防備にしていて、思わぬところから飛んできた石礫の痛さにうずくまったり、生々しい傷口をさらに深く抉られたりしないように、全身を板のようにして身構えているわたくしにとって、家庭は生き地獄そのものでございました。
妄想癖の嵩じた宇内の嫉妬は、しだいに歯止めが効かなくなりました。
句会の費用はもとより、そのうちに『ホトトギス』の会費まで出し惜しむようになりましたので、わたくしはついに俳句を諦める決意をせねばなりませんでした。
そして、太田柳琴さんのご紹介で、近くの教会へ通い始めたのでございます。
無心にひとりで遊んでいた赤子の手からガラガラを取り上げるようにして俳句を取り上げられたわたくしは、歳時記に代わる聖書に救いを求めるようになります。
年中いがみ合っている両親を、子どもたちがどのような気持ちで見ていたか。
娘たちの前で繰り広げた修羅場を思い出すと、申し訳なさに胸が詰まります。
6
さしもの暑さもようやくという九月半ば、わたくしは六歳の光子を連れ、熊本県江津湖畔に中村汀女さんを訪ね、素封家のご両親からも歓待していただきました。
汀女さんは熊本県立女学校に在学中から地元紙への投句を介して『ホトトギス』を知り、同じ九州の女流のわたくしにお手紙をくださったお若い方でございます。
村長さんの娘として大切に育てられた汀女さんは、十歳年上のわたくしを、
――お姉さま。
と呼んでくださり、以後、さらに頻繁にお手紙をくださるようになりました。
この年の暮れ、熊本市出身の大蔵官僚で淀橋税務署長の方と結婚して上京されたのちも、句姉妹としての文通は当分のあいだ途切れることなくつづきました。
まさかこの汀女さんがのち、星野立子(虚子先生の令嬢で俳誌『玉藻』主宰)、橋本多佳子(わたくしが俳句を指南)、三橋鷹女(歯科医師夫人)さんとともに、
――昭和の女流4T。
と呼ばれ、わたくしの死後も華やかな作家活動を展開されて、昭和五十九年には芸術家にとって垂涎の的である日本芸術院賞を受賞されるまでになろうとは……。
ともあれ、汀女さんとの出会いは俳句への情熱をよみがえらせてくれました。
そのころには四六時中妻を監視する面倒に飽き始めていた宇内の許しを得て、ちょうど一年間遠ざかっていた『ホトトギス』への投句を再開したわたくしは、
――今月は虚子先生の選に入ったとか駄目だったとかに一喜一憂しない。
感情の振り幅の烈しい自分に、そのことだけをよくよく言い聞かせました。
冷却期間によって、かつての過ちを見直すことができたのかもしれません。
偶然の要素が多い現象としての結果にこだわらず、いつも曇りのない平静な心を保ち、日々の暮らしの中で見聞きしたこと、自分の心の叫びを素直に句にする。
不純物の混じりやすい人事を越えた芸術の基本に返ろうとしたのでございます。
ほどなく、自分のなかで何かが変わったことが実感されました。
無に帰したことにより、新たな句境が開けたのかもしれません。
夢のように楽しかった江津湖畔の景をさっそく詠んでみました。
藻の花に自ら渡す水馴棹(みなれざお)
藻を刈ると舳(へさき)に立ちて映りをり
おのづから流るる水葱(なぎ)の月明り
7
この年の十月、抜きん出た美貌の持ち主で「筑紫の女王」として知られた歌人の柳原白蓮さん(わたくしより五歳年上)が、一介の炭鉱夫から叩き上げた炭鉱王の夫、伊藤伝右衛門さんのもとから七歳下の東京帝国大学出の労働運動家、宮崎竜介さんのもとに奔るという大スキャンダルが巷の話題を独占いたしました。
驚いたことに白蓮さんは、ひそかに九州を出たその日の朝日新聞の夕刊に、
――女性の人格的尊厳を無視するあなたに、わたくしは永久の訣別を告げます。
捨てた夫への絶縁状を公開するという大胆な挙に打って出たのでございます。
前代未聞のスキャンダルを耳にしたときのわたくし、でございますか?
東京の実家での病気療養中に、あまりに不幸な結婚生活を見かねた母や兄たちが言い出した離婚の一件は、いまだに夫婦の間に深い溝をつくっておりました。
でも、白蓮さんのように相思相愛のお相手はわたくしにはおりませんでしたし、それより何より、母親に置き去りにされた娘たちのことを考えると、たとえどんなに堪え難い日常であったとしても、自分ひとり家を飛び出すなど、とてもとても。
それに。
感情につき動かされやすいわたくしにしては珍しく、この件につきましては冷静な判断が働いたのでございます。
――妖婦、毒婦。
轟々たる非難の一方、途方もない金持ちであっても、思考や言動、粗野な人柄は炭鉱夫のままで、あれでは東洋英和女学校で高等教育を受けたインテリ女性が逃げ出すのも無理がないと、世間の同情が寄せられた白蓮さんとわたくしとの決定的なちがい、それは夫の宇内が伊藤伝右衛門さんとは真逆であったからでございます。
――資産家の息子、美学校出の俊才、世話好き、遊びはしない。
少なくとも傍目には、絵に描いたような理想の夫でございます。
わたくしが白蓮さんを真似たとしても、世間の共感や同情は一片も得られまい。
そのことばかりは、磨き抜かれた鏡のように、冷たく明々白々でございました。
事実、宇内は中学の職員間でも持ちきりだったという白蓮事件を、
――インテリ女が聞いて呆れる。所詮、女のやることは、万事この程度だ。
ますます尖ってきた顎を得意げにしゃくって嘲笑しておりました。
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