第18章 角川書店より『杉田久女句集』刊行

 

 

 

 

 

 着々と句集の準備を進めていた昌子は、昭和二十七年が明けると作家の川端康成さんと一緒に『ホトトギス』事務所に虚子を訪問し、序文を依頼してくれました。


 老獪かつ卑劣な虚子も、当時『伊豆の踊子』『雪国』などの作品で圧倒的な人気と実力を誇っていた作家の依頼は無碍に断れなかったようでございます。この点、


 ――昌子の作戦勝ち。


 大いに褒めてやりたい気持ちでございます。 

 



                   🌠




 そして十月、角川書店より『杉田久女句集』が刊行されたのでございます!


 文庫本サイズ。

 装丁は池上浩山人さん。

 生前、わたくしが整理しておいた千四百一句が収録されました。


 ハードカバーの表紙は雲竜紙、背は白のクロス。

 角川書店社長の角川源義さんが昌子ら遺族に贈ってくださいました特装版の十冊は、そのご厚意を示すように、目も覚めるような純白のクロス装でございました。



 ところで。

 時間を少しもどしますと、こんな話がございます。

 昌子が各版元をまわって、懸命に句集刊行の依頼をしていたころのことですが、


 ――久女さんのものを出すと虚子先生のものがいただけなくなるので。じつは、戦前に虚子先生から内々にそういうお話がありましたので、申し訳ないですが。 

 

 ある出版社では、そう言って断られたというのでございます。

 残念ながら、やはりそういう事実があったのでございますね。



 

 

 それはともかくとして。

 仕方なしに書いてくれた虚子の序文を引いてみましょう。

 

 

 ――杉田久女さんは大正昭和にかけての女流俳人として輝かしい存在であった。『ホトトギス』雑詠の投句家のうちでも群を抜いていた。生前、一時、その句集を刊行したいと言って、わたしに序文を書けという要請があった。喜んでその需めに応ずべきであったが、その時分の久女さんの行動にやや不可解なものがあり、わたしはたやすくそれに応じなかった。このことは、久女さんの心を焦立たせて、その精神分裂の度を早めたかと思われる節もないではなかったが、しかしながら、わたしはその需めに応ずることをしなかった。

 

 久女さんの没後、その長女の昌子さんから、母の遺稿を出版したいのだが、一応目を通してくれないか、という依頼を受けた。わたしは喜んでお引き受けするという返事を出した。送って来たその遺稿というのを見ると、まったく句集の体を為さない、ただ乱暴に書き散らしたものであった。それを整理し、かつ清書することを昌子さんに話した。昌子さんは丹念にそれを清書し、再びその草稿を送って来た。

 

 わたしは句になっていると思われるものに○を附して、それを返した。

 その面白いと思われる句は、かつて『ホトトギス』雑詠欄その他でひと通りわたしの目に触れたものであるように思えた。ほかに遺珠と思われるものは、そうたくさんはなかった。


 試みにその句数句を挙げてみようならば、無憂華の樹かげはいづこ仏生会 灌浴の浄法身を拝しける 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ むれ落ちて楊貴妃桜尚あせず 咲き移る外山の花をめで住めり 桜咲く宇佐の呉橋うちわたり 風に落つ楊貴妃桜房のまま むれ落ちて楊貴妃桜房のまま 菊干すや東蘺の菊もつみそへて 摘み競い企救の嫁菜は籠にみてり これらの句は清艶高華であって久女独特のものである。なお、この種の句はほかに多い。


 生前の序文を書けという、その委嘱に応ずることができなかったわたしは、昌子さんの求めるままに丹念にその句を克験してこれを返した。


 思ひ出し悼む心や露滋し     虚子



  

 

 それにいたしましても「送って来たその遺稿というのを見ると、まったく句集の体を為さない、ただ乱暴に書き散らしたものであった」とは、いったいどこをどう押せば、さような大嘘が出てくるものでございましょうか。

 この原稿を読まされた昌子の当惑を思うと、わたくしはぎゅっと胸が痛みます。


 ――先生、恐れ入りますが、事実とは異なりますので、どうか修正を。


 そう言い出せない遺族の立場を重々承知のうえでの真っ赤な嘘でございます。

 妖怪に着物を着せたような虚子は、大悪党以外の何ものでもございません。


 それに。

「面白いと思われる句は、かつて『ホトトギス』雑詠欄その他でひと通りわたしの目に触れたものであるように思えた。ほかに遺珠と思われるものは、そうたくさんはなかった」とは、これまた何という嫌味な!


 羽織袴でふんぞり返った首領でありながら、所詮はこの程度の小器であったことを自ら世間に触れまわったことに気づかない。心ある人は去り、残ったのは揃って腰巾着ばかりゆえ、周囲のだれひとりとして、その愚かしさを忠告してくれない。


 王者の老残とは、まことに悲しいものでございますね。



 

 

 選りにもよって、そんな虚子に俳句の師事を願い出た昌子……でございますか?

 七転八倒の苦しみを与え尽くされた相手の城に思いきって飛び込むことで、亡母の真実、さらに俳句の本質に迫ってみようとしたのではございませんでしょうか。


 かつて、わたくしは宇内に間諜と疑われたと騒ぎ立てたことがございましたが、さようでございます、昌子は間諜として『ホトトギス』へ入ったのでございます。


 その健気な娘の思いに対して、老獪な虚子は、


 ――あなたには特別に二十句見てあげまよう。


 高飛車に言い放ったのでございますから、もうもう呆れ果てて何も申せません。

 同人で十句、会員で五句のところ、特別に二十句と、いかにも恩着せがましく。


 そのうえ、あろうことか、


 ――あなたはお母さんのあとをつぎなさい。


 とも言ったのでございますから、その傲岸不遜たるや、鋼鉄の心臓どころの話ではございません。あまりのおぞましさに、いまも体中の肌がぞわぞわ粟立ちます。

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