第10章 主宰誌『花衣』創刊と廃刊――愛蔵す東籬の詩あり菊枕
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昭和七年三月、ついにわたくしは念願の主宰誌『花衣』を創刊いたしました。
――星野立子の『玉藻』(昭和五年創刊)、長谷川かな女の『水明』(亡夫零余子の『枯野』を『ぬかご』に改称後同年創刊)に遅れを取るまいとしたんだろう。
そんなうわさが聞こえてまいりましたが、わたくしは平気でございました。
裸一貫からたたき上げ、ついに主宰誌を持つに至ったのでございますから。
四十二歳の誕生日を迎えようとする、爽やかな浅春のことでございました。
巻頭にありったけの思いの丈を込め、「創刊の辞」を掲載いたしました。
――草燃えの丘にたたずんで、わたくしは思う。過去のわたくしの歩みは、性格と環境の激しい矛盾から、妻とし母としても俳人としても失敗の歩み、茨の道であった。芸術、芸術と家庭も顧みず、女としてゼロだ、妖婦だ、異端者だ、こう絶えず周囲から冷たい面罵を浴びせられ、圧迫され、唾されて、いく度か死を思ったこともある。つまずき倒れ、傷つきつつも、絶望の底から立ち上がり、自然と俳句とを唯一の慰めとして再び闘い進む、孤独のわたくしであった。ダイヤも地位も背景も、わたくしにはなかった。
かくして二十何年の風雨に、わたくしの貧弱な才能は腐蝕され、ようやく凋落を覚ゆる年頃とはなった。だが、地上の幸福、女の一生を芸術にかけたわたくしは、何とか目下の沈滞を耕し直したい希望を抱いて、ここに女中もなしの家事片手間に、ほんの小さいものを試みるに過ぎない。
もとより何の形式にもよらず、発行の時をも限らない。この小冊子は、わたくし自らの思索感情を彫りつける分身ともなり、わたくしの俳句修業のささやかな道場ともなろう。久女よ。自らの足もとをただ一心に耕せ。茨の道を歩め。貧しくとも魂に宝玉をちりばめよ。わたくしはこうわたくし自身に呼びかけ、亀の歩みを静かに運ぶのみ。
女学校を卒業し、雑誌の編集を手伝ってくれていた昌子は、
――おかあさん、何もこんなに激しい書き方をしなくても。
そう言って心配してくれましたが、わたくしは答えました。
――かまわないよ、本当のことなんだから。
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文字どおり満を持して生んだ杉田久女主宰『花衣』創刊号の会員は、わたくしの句妹の中村汀女さんと橋本多佳子さん、やはりわたくしの手ほどきで俳句を始めたばかりの長女の昌子も加わり、計三十三名となりました。
俳句は絵や書も上等であってこそという主義のわたくしは、装丁やレイアウトも凝りに懲りまして、隅から隅まで主宰であるわたくしの目の行き届いた俳誌に仕上げました。
具体的にはこんな具合でございます。
判型は菊判で、活版刷りの二十四頁、誌代は三十銭。
和紙による特装版と洋紙の普及版の二種類とし、十冊作った特装版の装丁には、わたくし自身が橘と桜を一冊ずつ手描きいたしました。
裏表紙の女雛は凸版の一色刷りとし、挿絵には沈丁花を描きました。
製本も一冊一冊心を込めた手作りといたしまして、本文を耳つき手漉き因幡紙の表紙で包み、右端に穴を開け、濃緑色の絹の細いリボンを蝶結びにいたしました。
さようでございます。
さながらお嫁入りさせるわが子のように大切に大切に愛しんで、可憐に美々しく着飾らせて、会員になってくださった方々のもとへ送り出したのでございます。
晴れの創刊号に虚子先生は「春着」と題する近詠三句をお贈りくださいました。
府中児や春着の袖をくはえたる 虚子
草じらみ互につけて笑ひけり
冬暖くし雪を見ずして梅を見る
わたくしの、いうところの主宰吟は「菊枕」四句といたしました。
先に虚子先生にお贈りした、あの菊枕を意識した句でございます。
愛蔵す東籬(とうり)の詩あり菊枕
ちなみぬふ陶淵明の菊枕
白妙の菊の枕をぬひあげし
ぬひあげて枕の菊のかほるなり
また、「梅日和」と題し雑誌の中核に据えましたのは、本田あふひ、阿部みどり女、竹下しづの女、中村汀女、橋本多佳子さんなど、全国の主だった女性俳人から届けられた、まばゆいばかりに多彩な贈答句でございます。
わたくしの評論「女流俳句を味読す」は、まだどなたも挑戦されたことがない「女流を女流が評論する」という仕事を、主宰誌の柱のひとつに加えたいと考えていたわたくしといたしましては、気合いを入れた評論家デビューでございました。
随筆「旧友」はお茶の水で同級だった三宅やす子さんへの追悼文でございます。
巻末の久女選の雑詠は、約六十名の女性俳人が賑々しく飾ってくださいました。
――杉田久女による美しい「おんなの雑誌」。
そう評価していただいた『花衣』は評判になり、発売十日で完売いたしました。
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第二号は四月十日に発行いたしました。
今号から装丁は印刷にし、表紙には土筆、裏表紙には翼をつけた童子の舞い姿を描き、挿絵の真っ白なフリージアともども、ひとつずつ手で彩色いたしました。
本文は創刊号より少し増えて三十頁でございます。
巻頭言に、
――宝塚なる七十九歳の母君にこの小冊子をお目にかけます。
としたのはよいのですが、昌子に過激を窘められた創刊の意気が早くも消沈し、弱気な繰り言を書き散らしておりますのは、お恥ずかしい限りでございます。
――『花衣』を出してからますます対人関係の煩わしさ、自分が女であること、無力な独り歩みをしみじみ淋しくも感じ、また思わぬ知己の声援に泣く日もあり、虐げられつつものびやまぬ草木の命を眺めては慰められる。万物流転。雲去り雲来る。栄辱虚名何ものぞ。ただ花を愛し、花を友としつつ静かに孤独を楽しみ得れば足る。美しきものもまた滅びゆく、ただ滅びざるものは芸術のみ。レオナルド・ダ・ヴィンチ
文中の「思わぬ知己の声援」は、ひとつには水原秋櫻子さんの、
――家内が第一に残る隈なく拝見して、たちまち愛読者になりました。
という、わたくしの志すところを見抜かれた温かなお手紙でありました。
富安風生さんもまた、心に残る独特の表現で励ましてくださいました。
――発行の時さえ限らず、何の形式にもよらない、個人の気分本位の俳句雑誌はいままでなかった。あとがつづくに決まっていると思わせるような、がっちりした雑誌ならいらない。
アンチ『ホトトギス』の旗手の秋櫻子さんはもとより、『馬酔木』の同人の風生さんからの激励文を掲載することは、虚子先生のお気に召さないかもしれない。
そんな考えがちらりと編集の頭をよぎりましたが、いや、これほどまで深く崇拝申し上げているわたくしに限って、離反を疑われるはずがないと思い直しました。
評論は「桜花を詠める句 古今女流俳句の比較」を、随筆は「落椿」を掲載し、東京の阿部みどり女さんから寄せられた「ホトトギス婦人句会」の報告、会員宅で開いた「花衣創刊俳句会」の記事と、その折りの参加者の作句、「花衣句帳」にはわたくしが手ほどきしてきた小倉の女流と、交流のある女流の句を掲げました。
「企救(きく)の紫池(むらさきのいけ)にて」と詞書した主宰句には、秋櫻子さんの影響で傾倒しておりました万葉集の影響が表われているようでございます。
万葉の池にかがみて嫁菜(うはぎ)つみ
菱採(つ)みし水江やいづこ嫁菜むら
摘み競ふ企救之嫁菜は駕(こ)にみてり
第二号の発行日より少し前、三月二十九日に、中村汀女さんのご夫君のお世話で横浜税関に就職した昌子が単身上京いたしました。
春寒の毛布しきやる夜汽車かな
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第三号は六月二十二日の発行でございます。
表紙は、表が枇杷の小枝、裏は苺。
みどり女さん、多佳子さんらから寄せられた随筆欄「女人国」においてひときわ光彩を放っておられましたのは、オデオン座で外人に混じってデートリッヒ主演の「モロッコ」を観たときの情景をのびのびとユーモラスにつづられた中村汀女さんの「横浜雑記」でございました。
汀女さんは句もお洒落。
街の上にマスト見えゐる薄暑かな 汀女
小倉発の『花衣』に横浜のモダンなイメージを添えてくださいました。
わたくしの評論は「五月の花――古今の女流俳句対比」、随筆は「杜若」。
ほかに、「俳句と生活に就て 初学者のために」を掲載いたしましたのは、家庭と句作の両立に悩む女性に少しでも励ましになればと願ってのことでございます。
――わたくし自身のことでちょっと申し上げにくいが、わたくしは次女出産の秋からただ一人、添乳しつつ野菜風呂敷をさげながら、あるいは洗濯しつつこうして俳句をつくり、目下も女中なしで、朝は五時に起き、ごはん炊きのかたわら、または厨事しながら、手帖を前に句を作ることもある。
堺町の旧店(ふるみせ)の狭い庭の一木一草は、十数年間にわたくしの雑詠の材料にことごとく詠み尽くされた。志さえあれば、かなり忙しくても俳句をたのしむ時間くらいはあるし、また、せっかく見つけた魂のオアシス、俳句の殿堂を遠く望み見ただけで歩み近づくことをせず、すぐ中止したり、少し雑詠に出ぬとすぐ投げ打つのは、あまりに辛抱がなくて、その人物の移り気なことも思われる。
無憂華(むゆうげ)の木蔭はいづこ仏生会
堂にみつ法鼓(ほうこ)は尊と仏生会
ぬかづけば我も善女や仏生会
灌沐(かんもく)の浄法身を拝しける
主宰句として広寿禅寺での四句を掲載いたしました。
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『花衣』会員による八幡公会倶楽部での句会の二句も掲載いたしました。
風に堕つ楊貴妃桜房のまゝ
むれおちて楊貴妃桜尚あせず
雑詠欄には厳選した百十一句(落選六百三十一句)を掲載いたしましたが、男性を含め、投句されるみなさんが着実に力をつけてこられていることが明白で、世話好きなわたくしには何よりの喜びでございました。
牡丹や崩るるに佇ち咲くに佇ち 小川ひろ女 日向
石菖(せきしょう)の花賑はしく径を閉づ 佐藤普士枝 小倉
河鹿きくうしろに月の上りけり 塩崎波留女 宇和島
もてあそぶ木の実は独楽となりにけり 荒川つるゑ 小倉
南風や陸揚げしたる青バナナ 矢上蛍雪 八幡
帝陵の塀におされて大夫待つ 池田良水 八幡
いつもより早き夕餉や花の雨 山戸喜代女 下関
編集後記には、おかげさまで二号も発刊数日で売り切れとなったことへの感謝とともに、またしてもわたくしの悪癖、ぼやき癖を性懲りもなく披瀝しております。
――身辺多忙に、夜の一時二時まで濃いお茶を飲んで無理することもあり、ときに健康を害し、そのため今号なども発行大遅延。お許し願います。妻であり、母であり、また女中兼俳人。一週一度は絵の先生。編輯、毎月手紙の返信等にまったく寸暇がない。
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え、たびたび登場する「女中」に違和感がおありになる?
少し前まではお手伝いさん、いまは家政婦さんと呼ぶのでしょうか。
あのころは当たり前に女中と呼んでいましたが、炊事、洗濯、掃除、繕い物と、家事労働の質も量も、現代とは比べものにならなかった当時、家庭の主婦にとって手伝ってくれる人がいるかどうかは、大げさに申せば死活問題でございました。
――『花衣』はハイカラで、近代的教養女性に受け入れられる空気があった。
久女が蒔いた種は確実に芽吹いている。北九州に俳句作家が育ちつつある。八幡の波止場で、日向で、山口で、下関で、俳句は生まれつつある。
久女の寸評は的確できびしくもあるが、佳句を発見したときの喜びは率直である。自身の実作においても格調高いが、批評指導にも私心なく熱心で、面倒見のよいことを思わせる。久女はどこまでも律儀でまじめで高潔なのである。
田辺聖子さんがそう評してくださっているのですか?
何とうれしいこと!
同性のお味方は本当にありがたいですわね。
まあ、あれでございますが、
――『花衣』と同時期に刊行された西山泊雲(虚子の忠犬ハチ公殿)の句集は仰々しく『徳富蘇峰先生序・高浜虚子先生序』を謳っており、その目次を見れば、中身はさながら歳時記(のごとき古臭さ)。
とされた泊雲老人には申し訳ない心持ちがしないでもございませんが。(笑)
え、ふたつの( )内はあなたさまが付け加えられた文言でいらっしゃる?
ほほほ、あなたさまも相当お遊び好きな方とお見受けいたしました。
ただ、後述いたしますが、この腰巾着の泊雲老人には、のちにとんでもない目に遭わされましたから、その程度の意趣返しは一向にさしつかえないと存じます。
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第四号は八月十二日の発行でございます。
表紙は多色刷りの露草、裏表紙は一色刷りの向日葵で、本文三十六頁。
会員は四十数名に増え、ますます充実して好調……。
と傍目には映ったようでございますが、内実には波乱を含んでおりました。
それはともかく。
巻頭には「博多山笠」と詞書する久保猪之吉さん、より江さんご夫妻の夫婦句をいただきました。
まばゆくも灯る小路に山笠(やま)立てり ゐの吉
山笠待つや人顔ほのと明けそめし より江
ちなみに、わたくし、このおふたりにはあてられっぱなしでございまして、
――ぼくたちは性格は互いにちがっても、本当に一生のよいお友だちです。
――わたくしたちは、子どもがいなくても、少しも淋しいとは存じません。
と惚気られますと、夫婦仲が険悪なわたくしは身の置き所がありませんでした。
福岡医科大学(現九州大学医学部)耳鼻咽喉科教室の創立二十五周年記念として五月に刊行された猪之吉さんの句集『春潮集』の巻頭の、
――自分を句作に引き入れた妻より江にこの句集を贈る 猪之吉
の文言に、妻の俳句に嫉妬するだけの宇内との差異を思い知らされ、より江さんは博士にとって、一生のもっともよい優れた友であられるが、わたくしという妻は宇内にとって重荷でしかないと思うと、何とも言えない気持ちに駆られました。
だからといって、吉岡禅寺洞さんが言われたようにより江さんを疎ましく思ったことはなく、むしろ、わたくしはこの方の鷹揚な質と句とを愛しんでおりました。
この号のわたくしの評論は「女流俳句と時代相」とし、初学者のための俳句入門の手引きとして「種を蒔くよろこび」を掲載しました。
女流の百花繚乱「花衣句帖」にはいずれ劣らぬ充実した作品が寄せられ、先行きがますます楽しみになってまいりました。
朝々や港目にある薔薇つくり 中村汀女 横浜
坑夫等の祭支度や早出坑(はやあがり) 芥子真寿女 北海道石狩
草の葉のもつれも見ゆえ蛍籠 小川ひろ女 日向
スタンドは花かとまがふ洋傘(かさ)の波 上田清子 小倉
紺蒼の海のあなたの夏がすみ 縫野いく代
一方、拙句は相変わらずの万葉調でございます。
萍(うきぐさ)の遠賀(おが)の水路は縦横に
菱刈ると遠賀の乙女は裳を濡(ひ)づも
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この号で、わたくしは「遅刊について」という一頁を設け、今や遅しと発行を待っていてくださるみなさま方にお詫びいたしました。
例によって取り留めもない繰り言ですので、概要をお話しいたしますね。
――主人の神経衰弱、私の病臥、女中はなし、来客は多し、毎日の郵便、炊事、洗濯などで、夜中の二時、三時に居眠りしながら書くありさま。案内状一本、返信などまったく何から何までひとりで、精神的にも孤軍奮闘の私。主人にもつい叱言の言われどおし。
『花衣』は幸いに会員費もあるので、当分お金で廃刊の苦労はないが、女ひとりで毎号きちんと他誌のように一月一回発行することはとうてい望めない。出来次第、四十日になったり、五十日になったり、発行は自然遅れがちになるかもしれない。
もとよりこの小冊子は、わたくしの拙い研究発表と、わたくし及び愛読者の俳句向上の小道場でありたいと念願している。売るには拙い『花衣』だが、何卒みなさまのご寛容を願う。
え、星野立子さんの『玉藻』を意識しての一文か、でございますか?
いいえ、とくに『玉藻』が念頭にあったわけではございません……。
ございませんが、ご尊父の虚子先生という超大物が、背後に大仏のように構えていらっしゃる環境と、かたや四面楚歌で孤軍奮闘のわたくしでは、端から比べものにならないことは、万人が認めざるを得ない事実ではございましたでしょうねえ。
当時は『花衣』の句会のほか、『ホトトギス』の作家が小倉を訪れると歓迎句会を催すなど他出が多く、当然のごとく不機嫌きわまりない宇内に「席の温まる暇もないご活躍ぶりですな」などと皮肉を言われ、そのたびに苛立っておりました。
そんなわたくしに久しぶりの吉報が届きました。
『ホトトギス』七月号の虚子先生選『ホトトギス』雑詠で、「無憂華の木蔭はいづこ仏生会」など三句および楊貴妃桜の二句が、初めて巻頭を得たのでございます。
さらに、翌八月号で虚子先生ご本人が、
――ただ灌仏の仏を拝んだというだけのことではあるが、それを「浄仏身」と言い「拝しける」と言うところに、作者のその仏に対する憧れの強い情が出ている。一種の抒情句とも見るべきものである。今度の久女さんの句は、五句ともに張りきった句で、おもしろいと思う。
的確に評してくださいましたことは千万の味方を得た思いでございました。わたくしという俳人の真髄を余すところなくご理解くださった恩師への感謝をいっそう深くし、この方にわたくしの真心を捧げ通そうと、決意を新たにいたしました。
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ところがでございます。
せっかくご期待くださったみなさまを、あっと驚かせることに相なりました。
八月二十八日発行の第五号にて、『花衣』を廃刊といたしたのでございます。
最終号は、表紙は十薬で彩色なし、本文わずか六頁の小冊子でございました。
依頼してあった田中王城さんの「八月十六日宮津にて」三句、橋本多佳子さんの随筆「葛の雨」と三句を巻頭に掲載していることからもおわかりのとおり、本当に慌ただしい廃刊でございました。わたくしは廃刊の辞をしごく簡単に認めました。
――せっかくみなさまのご親切なご声援にもかかわらず、この度わたくしの健康と家庭の都合により廃刊いたすことと相成りました。みなさまのご親切に報いまつる間とてなく、まことに申し訳ないことながら、お許しくださいませ。わたくしもまだまだ力足らず、二人の子の母としても、また滞りがちの家庭のことをも、もう少し忠実にしてみたく存じております。 八月二十八日
奥付に「急告」として会計係の山口飄々子名で「誌代や会費の精算は後日させていただきますので、勝手ながら、しばらくお待ちくださいませ」と明記しました。
律儀な久女さんらしくない、何とも不可思議な廃刊劇、でございますか?
――表立って言えない事情があるにちがいない。
さように受け取っていただいた方々も少なくなかったようでございます。
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話しにくければ傍証を、でございますか?
さようでございますね。
わたくしが『花衣』会員の福田無声女にお出しした手紙を引いてみましょうか。
――『花衣』廃刊を決意、お驚きと存じますが、何も言上できませぬ。
わたくしが女のくせに少々やりすぎましたのと、家事も万事一人で夫にも子にも気の毒にもあり、『花衣』をいたせばますます世間からも嫌われ、とうてい一人でこの上いたしましてみても駄目ですので、いずれあらためてご挨拶申し上げます。
女の身はやはり不遜な態度でなく、以後つつましく一人作句したいと存じます。何事もわが身の愚かゆえと不才微力をかえりみず、やり過ぎたためです。お恥ずかしゅうございます。いまは一向惜しいとも思わず、静かに一人修業し、修養したく存じます。お丈夫にお元気でお暮らしくださいまし。
廃刊決意
つゆくさのしげるにまかせこもりけり
淋しさはつゆくさしぼむ壺の昼 (九月五日)
持病の子宮筋腫の悪化と廃刊を案じ、横浜からしきりに手紙を寄こす昌子にも、本当のことは知らせずにおきました。
――雑誌運営の雑務に追われていたら、肝心な句作の時間も、心の余裕もなくなる。それに、虚子先生のお嬢さまの立子さんが『玉藻』を始められているから、わたくしがあんまりやり過ぎるべきではないと思う。自分の余力があったら、あちらをご援助したほうがいい。
春愁の子の文長し憂へよむ
春愁癒えて子よすこやかによく眠れ
望郷の子のおきふしも花の雨
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――久女はその作品から見ると剛直、硬骨を思わせるが、実際は優柔不断で歯がゆいばかりに他を配慮する。自分が尊敬する人間には盲目的に、ひたむきな信頼を捧げ、その人間に倚りかかり、自分のイメージで過大に評価し、相手を息詰まらせてしまう。相手に等質の見返りを要求するところがあり、それは相手の退路を断つことになるのだが、その辺の省察がまったくできていない。人の思惑にかまわず、やりたいことをやるという強気が、案外、ない。
田辺聖子さんがそう洞察してくださったのでございますか?
いやはや、まったくもっておっしゃるとおりでございます。
え、あなたさまにもよく似た性癖がおありになる?
わが子同様に慈しんできたものを廃された経験も?
やはり、あれでございましょうか、信州人の血ということになりましょうか。
周囲にとっては、何とも厄介な存在なのでございましょうね、わたくしたち。
あの、いま、わたくし、にわかに気持ちが動きました。
いままでどなたにも堅く口を閉ざしてまいりましたが、生真面目と言われたわたくしが、あれほど慌ただしく、会員のみなさまへのご無礼も承知で『花衣』を廃刊せねばならなかったその理由を、いまこそ打ち明けさせていただきとう存じます。
はい、ご拝察のとおり、それは夫に関係する出来事でございました。
ある宵、血相を変えて帰宅した宇内は、拳をブルブルふるわせつつ、
――おい、これを見てみろ!
妙な封書をわたくしに突き付けました。
訝しく思いながら開けてみますと、思いきり安物の便箋に、極端に右肩上がりの癖のある字で、わたくしを誹謗中傷する文言がびっしり書き込まれておりました。
小倉中学の校長宛てに、匿名で送られてきたのだそうでございます。
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――離婚するか『花衣』をやめるかだ!
幽鬼のごとく目を吊り上げた宇内は、そう言ってわたくしに迫りました。
夫婦別れは望むところではございますが、昌子と光子が結婚するまでは、金銭的にも外聞的にも、たとえ仮面であろうとどうしても夫婦でいなければなりません。
――娘たちにこれ以上の苦しみを与えぬこと。
それがわたくしが採るべき最優先の選択でございました。
で、バタバタと慌ただしく店仕舞いしたのでございます。
匿名の脅迫状の送り主でございますか?
むろん、大方の見当はついておりますが……。
言わぬが花というものでございましょう。
俳壇に絶大な権力をもつ虚子先生の『ホトトギス』王国にとって、九州の片隅で産声をあげたばかりの『花衣』など取るに足らない存在だったはずでございます。
ですが、どこでどう勘違いされたのか、あるいは諌言が吹きこまれたのか、
――このまま『花衣』を野放しにして、久女のやりたいようにやらせておけば、やがては『玉藻』を脅かす女流随一の俳誌に成長することは自明の理である。
身内贔屓を公言して憚らない虚子先生への忖度も含め、丸の内の『ホトトギス』事務所では、まことしやかなうわさが囁かれていたやに伺っております。
さらに、新興俳句の一翼を担う存在として発展していけば、『ホトトギス』本体の脅威にさえなりかねないという尾鰭を付けたうわさ、あげくには『ホトトギス』七月号の雑詠巻頭採用には『花衣』廃刊への闇の取引があったのだろうなどとも。
世間というものは、見ているようで見ていないもの。
また、見ていないようで見ているものでございます。
え、人気も実力も立子さんを凌いでいた証拠?
さあねえ、如何なものでございましょうねえ。
何と申しましても俳人は俳句がすべてでございますから、生々しい時代が過ぎ、時に濾過されて残った句が真実を物語っているのではございませんでしょうか。
え、またしてもわたくしの弟子の橋本多佳子さんの証言でございますか?
――『花衣』が廃刊になったその夏小倉に行って察したことは、神崎縷々氏とのことの縺れが久女に悲しみを与え、何もかもいやになったのではないかと思った。
よくもまあ、下品な三面記事めいたことを。
句姉としての指導の不足を悔いております。
ただ、あの方も他人に影響されやすい性質でございますから、わたくしが没した直後は横山白虹さんら唇の薄い人たちの口車に乗せられていたかもしれませんが、加齢とともに人柄にも深みが増し、わたくしへの懐古譚も趣を変えてまいります。
多かれ少なかれ、人間にはそういう一面がございますから仕方ございません。
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