第26話 なんか入室だって

「そろそろ着くぞ」

「え?もう?早いね」

「良い馬と馬車を用意したからな」

「さすがタルドレム、特別扱いだねー」

「特別扱いされているのはフミツキだぞ」

「え?僕?」

「そうだ、何せラスクニア王国の命運を握っている姫君だからな」


 タルドレムがわざとニヤッと笑う。

 文月に適度な緊張と安心感を抱かせるためだ。


「にゃはー、無理無理ー」


 だが文月は緊張した様子を見せずにっこり笑いタルドレムの腕をポンポンと叩いた。

 叩いたその手でタルドレムの服を指先でつまんだまま文月が窓の外を見る。目元に不安が浮かんでいる。服をつかんだのも不安からだろう。言葉や態度は緊張していないフリをしているが、内心ではやはり緊張しているようだ。


「あ、ほんとだ大広場に近いよね?」

「うむ、そろそろだな」


 馬車はすでに城下町の中まで進んでおり最初に二人が降り立った噴水大広場に近づいていた。


「揺れるぞ」


 タルドレムが言うと文月がタルドレムの腕をぎゅっと抱え込んだ。胸がむにっと盛り上がる。

 うむ、至福。タルドレムだって男だ。

 出発した時に乗った馬車よりもはるかに少ない振動が伝わりだした。

 腕にしがみついていた文月は自分を見つめるタルドレムの視線に気が付く。


「むっ!目線がおっぱいだっ」


 当然の事ながら文月としては冗談での発言である。

 返答の予想は「はっはっはっ、つい目が行ってしまってな」的な冗談めかした返しを期待しての発言だ。


「ああ、お前が欲しい」


 とっさに文月はタルドレムの腕を放して自分を抱きしめる。


「ちょっ、まっ、んっ・・・っ!」


 タルドレムから離れ・・・身悶える。


「安心しろ、必ず口説き落とす」

「またっ、そんな事言ってっ、本人の目の前だよ?!もー!」

「そうだ、お前に、フミツキに聞かせている」

「・・・っ!」


 文月は頬を両手で挟む。

 顔!絶対に赤くなってる!体、あっつ!


「タルドレム!タルドレムっ!」


 文月は指を一本立ててタルドレムの前に突き出す。

 指先はぴんと上を指しており、タルドレムから見ると「一回」とも取れる。

 何が一回なんだ?


「なんだ?」

「ダメ!今は!絶対!」

「分かった、いつならいいんだ?」

「いつならってっ!いつでもダメだよ!ぼくだよっ!」

「そうだ、フミツキだ」

「んーっと!んーっと!口説き落とすんでしょ?!」

「勿論だ」

「じゃぁまだダメー!」


 文月は口の前で指でバッテンを作る。


「うむ、待って居ろ」

「ぴぃーっ!!!」


 難攻不落というか四面楚歌というか、なんだか分からないがタルドレムの意思の堅牢さを見せられた気がする。

 真っ直ぐ自分に向けられる好意の視線が心地よい。じゃなくてっ!!!

 やっば!このまま押し切られたら・・・っ。


 落とされるっ!!!

 いやいや!そんな気がするだけ!!!


「待って!待って!ホントに待って!」

「ああ、待とう」

「んー・・・待ってね?」


 こてん、と首をかしげる。


「っ勿論だ」

「・・・うん」


 二人きりの馬車の中は沈黙が満たされる。

 甘いような酸っぱいような、心地よいのか悪いのかよく分からない時間が過ぎる。

 ちょっとして動いたのは、文月からだ。

 ひょい、ひょいと文月はおしりを動かしてタルドレムにぴったりくっつく。

 あ、近すぎた。

 ちょこっと戻ってタルドレムとの間にわずかな隙間を作った。


「えーっと・・・」

「うむ」

「えっとだね?」

「うむ」

「こっちを、その、見ないで?」


 タルドレムは片方の眉をちょっと上げ、前を向いた。


「今は、その、献石の儀?だよね?」

「そうだ」


 前を向いたままタルドレムが頷く。


「そう、そっちが大事!」

「そうだな」

「うん、そうしよう、それがいい」

「うむ、そうしよう」

「うん」


 タルドレムは前を向いたままである。

 文月はもやっとする。


「えーっとタルドレム?」

「なんだ?」

「・・・こっち向いて」


 クスッと笑ってタルドレムは文月と視線を合わせる。

 ぽんっと文月の顔が赤くなり俯いた。

 こっち向いて、何て、何んて、何て、まるでまるで・・・。何かみたいじゃない!!

 何かってなにさ?!恋人さ!ちっがっくっっってっ!


「もーっ・・・」


 自分の中で飛び交う危うい単語にいたたまれなくなり文月はぽふんとクッションに倒れ込んだ。

 タルドレムの方に女性特有の曲線美を描いたお尻が向けられる。

 いたずらついでに撫でてやろうか、なんて邪な考えがタルドレムの頭をよぎる。


 コンコン。馬車の扉が外からノックされ声が掛けられる。


(「タルドレム様、到着いたしました」)


 馬車はどうやら正門を通り抜け城の正面に到着したようだった。

 残念な気持ちとホッとした気持ちでタルドレムは文月に声をかける。


「フミツキ、着いたぞ」


 そう言ってタルドレムは文月の腰とお尻の間の微妙な位置にポンと手を置く。

 ひょいっと文月が起き上がるとタルドレムの手が文月のお尻の下に敷かれた。

 もみっ。


「あんっ」

「あ・・・すまん」


 あまりにもストレートな文月の艶っぽい反応にかえって冷静になりタルドレムは謝罪を口にする。

 当の文月は自分の口を押さえて涙目になりぷるぷる震えていた。

 小さな声で訴える。


「手・・・抜いて・・・」

「あ、あぁ」


 すぽんっと手を抜くと文月はびくんと体を震わせたが今度は声を押さえ込んだ。


「降りられるか?」


 タルドレムが聞くと文月は真っ赤になりながらもコクコク小さくうなずいた。

 馬車のドアが外から開けられ、タルドレムが先に降りる。


「お帰りなさいませ」


 タルドレムのお付きであろうメイドや執事達が頭を下げる。

 タルドレムは振り向き、馬車の中の文月に手を差し伸べた。


「フミツキ?」


 染まった頬を何とか鎮めようと文月はパタパタと両手で顔を扇いでからタルドレムの手を取った。

 ちょっとスカートを持ち上げながら馬車から降りる。うーん、慣れない。


「お帰りなさいませ」


 リグロルが頭を下げて出迎えてくれていた。


「ただいま、リグロル。ふぅー」


 見慣れた顔を見て文月はほっとする。ほっぺが赤いのバレないかな?


「フミツキ、移動するぞ」

「うん」


 タルドレムに促され文月はエスコートされながら正面玄関の扉をくぐった。

 広いエントランスに入れば左右にズラリとメイドと執事達が並び一斉に頭を下げた。


「お帰りなさいませ」

「わぁ・・・」


 数十人の綺麗にそろった一斉の挨拶に文月は驚く。タルドレムにエスコートされていなければ委縮して体が硬直してただろう。幸いタルドレムは文月の緊張に気が付きゆっくりと歩く。文月は無意識にタルドレムに寄り添った。それは仲睦まじい男女の距離である。

 二人の後ろに付き従いながらリグロルは内心でタルドレムを大絶賛。流石でございます!

 広いエントランスを抜け長い廊下を歩き、タルドレムは中庭が見える部屋に文月と入った。木目を基調とした木の香りが漂う部屋だった。室内を満たす午前の光が柔らかい。

 ソファーに文月を座らせるとタルドレムはテーブルをはさんで向かい側に座る。すぐに二人の前に湯気の立つカップが置かれた。


「全員下がってくれ」


 タルドレムが言うと室内にいたメイド達は一礼して退室した。当然リグロルもである。

 タルドレムはカップを傾けちょっと口を湿らせた。


「さてフミツキ、いよいよ献石の儀に取り掛かってもらう」

「うん」


 カップを両手でもった文月は湯気の向こうのタルドレムに頷く。

 タルドレムは懐から一枚の羊皮紙と小箱を取り出してテーブルの上に並べておいた。

 羊皮紙には如何にもな魔法陣が描かれており文月は目を奪われる。


「おぉー、魔法陣だ・・・本物?」

「当然本物だ。ちゃんと発動する」

「すごい!どんな効果があるの?」

「献石の間に入るための個人認証というか許可証になる」

「なるほど、セキュリティ用なんだね。んで、どうやって発動させるの?」

「中心に血を垂らすんだ」

「え゛」

「そうすると血を垂らした当人が記録される」

「えー・・・この場合血を垂らす人というのは・・・」


 文月は自分をゆっくりと指差す。タルドレムはゆっくり頷く。


「その小箱の上に指を置いてくれ、チクっとする程度だ」

「うわー、気がひけるー」

「城の中心部だから入るのにわざと手間をかけているんだ。行けば誰でも入れるという訳にはいかない。どうか理解してほしい」

「うー・・・うん」


 まぁそりゃそうか、空飛ぶ城の基幹システムと言えるような場所に入出するのだ。けど痛いのはやだな、けどこのままって訳にもいかないよね・・・。

 文月は恐る恐る小箱の上に指を近づけ、置いた。

 想像していたよりかは遥かに少ないが、痛みが一瞬走る。

 びっくりして指を離して見ると指先にぷくりとルビーのような赤い珠が膨らむ。


「中心に垂らしてくれ」


 眉を寄せたタルドレムが魔法陣の中心を指す。

 文月が魔法陣の真上で指先を下に向けるとぽたりと一滴たれた。

 黒で描かれていた魔法陣が瞬く間に光りながら赤に変わり朧げな光を放ち始めた。

 それを見届けたタルドレムが小箱を裏返す。


「フミツキ、もう一度指先を乗せてくれ。血が止まる」

「うん」


 まだ血が滲んでくる指先を小箱に乗せると、澄んだ音と共に暖かいような冷たいような感じが一瞬した。


「どうだ?」


 タルドレムがテーブルを回って来て隣に座り、文月の手を取る。

 文月は自分の指先よりもタルドレムの真剣な眼差しに目を奪われる。

 タルドレムは傷が塞がったか確認のため、文月の指先をやさしく撫でる。

 近くで見るとタルドレムって意外に睫毛長いんだな・・・。


「大丈夫そうだな・・・痛い思いをさせてすまなかった」


 血を出した文月よりも痛そうにタルドレムは眉間に皺を寄せ、文月の手をなでる。


「大丈夫、大丈夫、気にしないで」

「そうか・・・」

「こりゃ」


 文月はタルドレムの眉間のシワに指を当てる。

 ぐにぐにぐにー。


「皺が寄ってるぞー」


 文月の可愛らしい気遣いにタルドレムは苦笑した。

 彼女に心配をさせてしまったな。いかんな。フミツキには笑っていてほしい。


「ありがとう」


 そう言ってタルドレムが微笑むと文月も笑いながら眉間から指を離した。

 自然と緩む頬を意識しながらタルドレムは羊皮紙と小箱を懐にしまう。


「さて、次は陛下に今の羊皮紙を提出しよう」

「うぉ、王様かぁ・・・」

「苦手か?」

「苦手って言うか緊張するよ」

「まぁそうだな」

「うん」

「ふむ、慣れてくれ」

「んー、頑張る・・・」


 胸の前でこぶしをぎゅっと握る文月の頭を撫でてからタルドレムはテーブルの端に乗っていた呼び鈴を指先で弾いた。小さいながらも澄んだ音が響く。

 すぐにドアがノックされた。


(「お呼びでしょうか?」)

「ああ、入ってくれ」

(「失礼いたします」)


 室内に先ほど退室した執事やメイド達が入ってくる。リグロルも最後に入ってきた。


「陛下に謁見を賜る」

「畏まりました」


 タルドレムが言うと執事達は頭を下げて了承した。


「フミツキ、行くぞ」

「うん」


 文月はタルドレムに手を引いてもらって立ち上がり、そのまま腕につかまり支えてもらった。

 なんと自然なエスコート。

 部屋を出て絨毯のひかれた廊下を歩く。角を曲がり階段を上り下り、そしてまた歩く。

 段々と廊下の窓が少なくなり、城の中心部に近づいて行く。そして門兵が二人立っている豪奢な扉の前に来た。


「陛下に謁見を賜りに来た」

「畏まりました。お話は伺っております、どうぞお入りください」


 門兵の一人が重そうな扉を開けてくれた。

 中に入るとそこは大きな図書館とでも言うような部屋だった。窓は無く、壁は全て天井まで届く本棚が備えてありびっちり本で埋まっていた。室内には数人が机に向かい羽ペンで書類に書きこんでいる。部屋の一番奥には天井から床まで届く赤いカーテンが垂れ下がっていた。

 室内を見渡したがマドリニア王はいない。

 あれ?ここが王様の部屋じゃないの?あたまから「?」を出して文月は隣のタルドレムを見上げた。


「ん?あぁここは執務官の部屋だ。陛下の部屋はあのカーテンの奥だ」


 なるほど、流石に扉一枚向こうに国の最高権力者がポンといるわけではないらしい。

 タルドレムはカーテンの前に置いてある机に進む。その席に座っていた人物が立ち上がりタルドレムに向かって頭を下げた。机の位置や服の装飾を見るに、この人物が室内で一番位の高い人だろう。


「陛下に謁見を賜りに来た」

「畏まりました。伺っております。扉をつなげますので少々お待ちください」


 そう言ってその人はカーテンの奥に入って行ってすぐに戻ってきた。


「お待たせいたしました。お入りください」


 カーテンを片手で持ち上げながら頭を下げる。しかし見えるのは黒。

 暗いのではない、ただただ黒いのだ。あまりに黒すぎて現実感が伴わない。


「わ、まっくろ」

「行くぞ」


 タルドレムに導かれるまま文月は一緒にその黒に入る。ふわりと浮き上がったような気がした。


「陛下、タルドレムです。フミツキの認証紋を持参いたしました」

「うむ、ご苦労」

「わっ」


 目の前の風景が突然変わり、文月は思わず声を上げた。

 ここは間違いなく王様の部屋だろう。広々とした部屋には柔らかい絨毯が敷き詰められ、備えられている家具は芸術品のような装飾が施されている。しかし押し付けるような華美さは無く、室内はとても落ち着いた雰囲気だった。

 室内は静かなためマドリニア王の低い声は部屋の端にいてもよく聞こえた。


「わっあの、おはようございます」


 文月はペコリと頭を下げる。


「うむ、フミツキもご苦労だったな。いやこれからか」

「あ、えっと頑張ります」

「うむ、頼んだぞ」

「は、はいっ」


 タルドレムと文月は連れ立って、椅子に座っているマドリニア王に近づきその前の大きな机に羊皮紙を置いた。


「こちらになります」

「うむ、受け取った。すぐに認証させよう。このまま向かってくれて構わん」

「畏まりました。それではすぐに転移の間に向かいます」

「うむ」

「それでは失礼します」

「し、失礼します」


 二人は一緒に頭を下げる。そんな二人をマドリニア王は目を細め、少しだけ頬を緩めて見つめた。

 後ろを向くと出てきたところはやはり黒。枠だけ見れば鏡のようだが映るものは本当に何もない。

 枠の中に一歩踏み入れると再びの浮遊感。そして二人は先ほどの執務室に戻ってきた。


「転移の間につないでくれ」

「畏まりました」


 カーテンを持ち上げながらタルドレムが言うと先程の室長らしき人物が立って待っており返事をした。

 室長と入れ替わりで二人がカーテンの外に出るとタルドレムが文月を見つめる。


「いよいよだ。こちらの勝手な言い分を押し付けて申し訳ないが・・・よろしく頼む」

「うん!頑張るよ」


 室長が出てくる。


「お待たせいたしました。転移の間につないであります」


 二人は手をつなぎ一歩を踏み出した。

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