第31話 なんか潜入だって
「ん、リグロルありがとう、元気出た」
「それはよろしゅうございました。けれどもう少しこのままでも良いんですよ?」
そう言ってリグロルはきゅっきゅっと力を込めて更に文月を包み込む。
「あふーあふー」
しっかりと抱擁された文月は妙ちくりんな吐息を漏らす。
「まぁフミツキ様、なんて愛らしい」
もはや内心を隠すことをやめてしまった。
きゅんきゅんしているリグロルには胸元にかかる文月の息が気持ちよすぎる。
しかし冷静になった文月にとって女性の胸に抱かれているというこの構図は恥ずかしい。
「リグロルっリグロルっほらっあの、タルドレムのところに行かないと」
「え?あっそうでしたね」
「え?忘れてた?」
「……まさかまさか」
まあ、もう何も言うまい。
おほん、と軽く咳払いをしてリグロルはポケットから巻かれた羊皮紙を取り出した。
「フミツキ様、これはウィルオーウィプスの一種です」
そう言ってリグロルが羊皮紙を広げると魔法陣から小さい黄色の光が飛び出した。そっと手のひらに乗せるとぴこぴこ跳ねる。
「おぉー」
「この光は対になっている魔法陣まで飛んでゆきます。今回はこの対となる魔法陣はタルドレム様のお部屋の前、その絨毯の下に置いてあります」
「なるほど、それなら迷う事無さそうだね」
「はい。それとご一緒になられた後にお二人でお召し上がりください」
そう言ってリグロルは食べ物と飲み物が入った
「ありがとう。そうだね、笑った後にすぐバイバイじゃ味気ないもんね」
「はい、甘いものも入れておきました。お口に合うとよろしいのですが」
「わぁ、楽しみにしておくよ」
「存分にお楽しみ下さい。それではウィルオーウィプスを飛ばします。『汝の道をわが道標とせよ』」
リグロルの言葉で光がひゅんと廊下の曲がり角まで飛んでいきその場でフワフワ漂っている。
「わぁ綺麗……。それじゃ行ってくるね」
「いってらっしゃいませ」
自室の前の廊下で良い笑顔のリグロルに見送られ、フミツキはウィルオーウィプスの飛んだ後を歩く。
近づくとウィルオーウィプスはふわりふわりと動き出す。
廊下は明るくもなく、しかし暗闇があるわけでもなく、不思議な光量で満たされている。そんな静かな廊下を文月は灯に導かれ進む。
廊下の分かれ道には、見張りであろう兵士が立っていた。ウィルオーウィプスは兵士の背中側を通り過ぎる。
なんとなく文月は息を殺し、足音を立てないように兵士の後ろをそーっと通った。
わぉ!何このドキドキ感!?
文月が通り過ぎ、角を曲がった後に見張りの兵士が手のひらに明かりを灯し窓に掲げて揺らした。
中庭の中央。臨時に建てられた物見櫓の上でリグロルは、その兵士の灯りを確認する。
受け取った意味は当然『フミツキ様、通過』である。
「順調です……順調ですよ!さあさあフミツキ様!今夜こそ間違いなくご破瓜、そしてご懐妊いただきますよ!」
リグロルの言葉に用もないのに集まったメイド仲間が静かにきゃぁきゃぁ騒めき出す。
今宵、我らの姫君が処女を散らすのだ。
あの可愛い女の子がもうすぐタルドレム王子と事を致す、と考えると同性でも何やら興奮するイベントであるらしい。
明日、フミツキ様がへっぴり腰で歩いていたら、温かいまなざしにならざるを得ない。けど気づかないふりして気遣いして差し上げよう。なんなら腰をさすって差し上げちゃう。暖かいものをお腹に当てて頂くのも良いかも。てな事をメイド達が頬を上気させながらわいのわいのと盛り上がる。
そして第二地点から通過の灯りが揺らめくと、きゃあー!と櫓の上が更に盛り上がった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
一方で文月も薄暗い廊下を兵士の目線から逃れながら進むこの行動に興奮していた。
ふおー!面白い!
行動はメタルギアソリッド、頭の中で流れるBGMはミッションインポッシブルである。
意味もないのに廊下の壁に背中をつけて歩いたり、置いてある壺の後ろに身を潜めちゃったりする。もう、こちらスネーク侵入に成功したって言いたくって仕方がない!
リグロルから渡された籠がなかったら飛び込み前転で兵士の背後を通り抜ける程のテンションである。ドレスではないこの服装なら可能だ。
今の文月の格好は下着とネグリジェを着て、その上から外套を羽織っただけである。動きやすさはドレスの比ではない。
身に付けているものは全てリィツィのお手製で着心地が良い上に動きの阻害も無い逸品だ。
自然と漏れ出すくすくす声を抑えるために自分の口元にグーを当てての忍足。なんとも元気な姫君である。
見張りの兵士たちも心得ており、文月が近くなると自然に通路に背を向ける。
中には文月が通り過ぎた後、わざわざ「ん?」と声を出してガシャリと鎧を鳴らして振り向く者もいる。
そんな兵士の、ん?、を背中で聞いて文月のテンションは駄々上がり。
城中の心遣いを気づかぬうちに一身に受けながら、文月はタルドレムの部屋を目指す。
目標地点まで、あと階段3つと廊下約100mである。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ラスクニア城内でフミツキ様お夜伽計画を知らない唯一の人物、タルドレムは自室にいた。
「ふっ、ふっ、ふっ」
上半身だけ脱いでタルドレムは腕立て伏せの真っ最中だった。ただの腕立て伏せではない、逆立ちしての腕立て伏せである。しかも足首には金属の重りが巻いてある。
「ふっ、ふっ、ふっ」
ぽたりぽたりとタルドレムの顔を汗が伝わり落ちる。身体に掛かる負荷は相当なものだろうに滴る汗程タルドレムの表情は苦しそうではない。むしろ涼やかな顔でハードな事をこなしている。どうやらこれがタルドレムの日常らしい。いつもやっている事を今日もやっているだけに過ぎない。
やがて、ひょいっと逆立ち腕立て伏せをやめ、タルドレムは更に膝と腰にも重りを巻き付け再び逆立ちをする。
「ぐっ、ぐっ、ぐっ」
流石に重いのか苦しそうな声が漏れるが止める気配は無い。まるで鍛錬に集中する事で邪念を追い払おうとしてる修行僧の様である。
実際タルドレムの脳裏にはフミツキが沢山いた。
フミツキの笑顔がよぎる。流れる黒髪がよぎる。光る瞳がよぎる。艶やかな唇がよぎる。
可愛らしい声音がよぎる。細いウエストがよぎる。お尻の曲線がよぎる。胸の谷間がよぎる。
香しい髪の匂いがよぎる。柔らかい体の感触がよぎる。
フミツキがよぎる。フミツキがよぎる。
フミツキの裸体がよぎる。
タルドレムは逆立ち腕立て伏せを止めて、更に身体中に重りをつけ足し始める。腰、肩、肘、首、更に口にも紐で縛られた重りを咥えた。
ぐらりと揺れながらもタルドレムは逆立ちをする。
「ぐっ!……!、ぐっ!……!」
重りの総重量はトンに迫る。もはや人の業とは思えないがそれでもタルドレムは逆立ち腕立て伏せをこなす。指先は硬い床にめり込み身体中の筋肉は超過負荷に悲鳴を上げ血管を浮き上がらせて盛り上がる。咥えた口から滴る液体は汗かヨダレか。
瞳を充血させながらもタルドレムは逆立ち腕立て伏せを尚も続行する。
だがしかし、当然のことながら人外の逆立ち腕立て伏せをこなすタルドレムにもようやく限界が訪れた。
「ぐはあ!!!!」
髪を逆立て、目を血走らせ、全身から魔力と湯気を吹き出しながらタルドレムは立ち上がる。
「ばぁ!」
可愛らしい声を上げて文月が部屋に飛び込んできた。
目を見開く文月。
空白の時間。
「きゃぁーーーーー!!!!」
王子の部屋が吹っ飛んだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「最優先はお二人の所在確認!一番隊は瓦礫の撤去!六番隊は救護の用意をお願いします!」
お夜伽計画の首謀者であるリグロルがタルドレムの部屋で指示を飛ばす。
「私は大丈夫だ。フミツキの所在を確認してくれ。安心しろ、フミツキも無事なのは間違い無い。走り去っていったからな」
そう言いながらガラガラと瓦礫を押し除けながらタルドレムが立ち上がった。埃まみれではあるがどうやら怪我は無いらしい。
瓦礫を押し除け歩きながらタルドレムは重りを外してゆく。ガコン、ゴトンと重りが重量物の音を立てて床に転がる。
「瓦礫よりも殿下の重りの方が重そうですなぁ」
一番隊の隊長、クジアが呆れ気味にタルドレムに言う。
「それにしてもつけ過ぎじゃありませんか?」
「そうだな私もそう思う」
全ての重りを外してタルドレムは肩をぐるぐる回した。
タルドレムの従者がタオルを持ってきて体を拭き始める。
「フミツキを脅かしてしまった」
「みたいですな。余程驚かれたようだ」
そう言って2人は大穴を見る。
かなりの厚さの壁が見事に吹っ飛び冷たい外の風が入ってくる。城下町のヘミングの灯りが良く見えた。
「随分と見晴らしが良くなりましたな。はっはっはっ」
「ああ、良い景色だ」
クジアの言葉にタルドレムも満更でもなさそうに同意した。
「タルドレム様、申し訳ございません。事の経緯を説明致します」
リグロルが膝をつき頭を下げてタルドレムにお夜伽計画を話した。聴き終わったタルドレムはため息をついた。
「なるほどな、そういう事か。どうせ王と王妃からは私に知らせるなと口止めされていたのだろう?」
「はい」
「やれやれ」
あの両親のやりそうな事だ。なるほど、夕食の時の上機嫌に納得がいった。
「折角のお前達の根回しを無駄にしてしまったな」
「とんでもございません。処罰はいかようにして頂いても受け入れる所存です」
「取り敢えず処罰については有無も含めて後回しだ。先ずはフミツキの保護を優先する」
「かしこまりました」
「まあ城内に危険な場所は無いし、お姫様のお陰で魔物も殆ど排斥されたし、そのうち誰かが見つけるでしょうな」
蓬髪をガリガリかきながらクジアがのんびり言う。
「フミツキは魔力を暴発させながら右の方へ駆けて行ったな」
「ってー事は、宿舎側ですな。尚更すぐに報せが入るでしょう」
タルドレムの言葉にリグロルの表情が強張る。それにクジアが気が付いた。
「ん?なんだ?」
「城内に一つだけ危険箇所が御座います。一つというか一部屋あります」
「そんな部屋あったか?」
「ダムハリの部屋です」
リグロルの言葉にタルドレムとクジアが眉を寄せる。
「ありゃ危険つーか……まぁ、お姫様にとっちゃぁ危険かもな」
「ダムハリを否定するつもりは無いが、確かにフミツキの目には入れたく無いな……」
「早急に!迅速に!速やかに!フミツキ様を保護します!」
「真っ直ぐあいつの部屋に向かわれた訳でもあるまいからここで待って」
クジアの言葉を最後まで聞かずにリグロルは走り出した。
フミツキ様発見の報せを待つなんて出来なくて自ら動き出す。まるで何かに追い立てられているかの様な全力疾走。スカートをちょっとだけ持ち上げ体を前傾にして駆け抜ける。廊下の端の開いていた窓から空中に飛び出した。長々とした飛翔、そして着地と同時の受け身を取りながらも殆ど速度を落とさず更に駆ける。
「フミツキ様に!何かあったら!……今度こそ!切り落とします!」
リグロルは柳眉を釣り上げ次の館に飛び込んだ。
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