第23話 なんか同衾だって

「えぐっえぐっ、ぐずん、ぐすっ…」

「何か暖かいものでもお飲みになりますか?」

「ぐずっ、ぐす……、ぅぅ……、ぅあーん」

「大丈夫です、大丈夫ですよ、落ち着いてください」


 暖かい室内でリグロルは文月を抱きしめてその背中を優しく撫でていた。

 この部屋もエンバラスの塔の内部だがタルドレムと文月が入った部屋よりも幾分かグレードが落ち、そして狭い。

 手狭なその部屋に設えてあるシングルベットに腰掛けて文月はぐずぐずと泣いていた。

 当たり前だがリグロルも文月もちゃんと服を着ている。

 服は着ているが二人の髪はしっとりと濡れ、まだ風呂上りの余韻を残していた。


「うっうっぐずっ、ひっく、ひっ、うぅっ」


 文月の目からぽろぽろと涙がこぼれる。

 両拳で目をこすり続けて延々と泣き続ける。

 取り付く島もない状態の文月だがリグロルは落ち着いて文月に静かに話しかける。


「フミツキ様、クルシュにお砂糖を多めに入れました。どうぞお口になさってください」


 文月の隣に座り、自分の体温が文月に伝わるようにぴったりと体を寄せてリグロルがカップを文月に手渡す。


「えぐっ、えぐっ、ぐずん、ぐずっ」


 泣きながらも文月はリグロルからカップを受け取る。

 両手が空いたリグロルは文月の腰に手を回し、もう片方を文月の腿に乗せる。

 密着したリグロルから服越しではあるがゆっくりと温かみが文月に伝わった。

 しゃくりあげながらも文月はカップに口をつける。


「ぐずっ……、ぐずっ……、ずず……」


 リグロルは文月の隣に座ったままカップを啜る文月を優しく見守る。

 カップから口を離したタイミングでリグロルは文月の涙をやわらかいハンカチで拭う。

 文月が飲み物を口にする。

 カップが離れたタイミングでリグロルが涙を拭う。

 そんな事が何度か繰り返された。

 カップの中身がなくなりかけたところでリグロルがカップを受け取る。

 しかし片付けることはせず、片手で持ったまま文月に寄り添い続ける。


「ぐずん……、……、……ぐずっ」


 暖かい飲み物のおかげかようやく文月のぐずりも落ち着いてきた。

 それでもリグロルはじっと文月の隣にいた。

 さらに時間が経ち、文月の鼻のすすり具合もようやく静かになったときにリグロルは、ぽんぽんと文月をやさしく叩き立ち上がる。


「カップを片付けますね」


 サイドテーブルにカップを置くだけだったがリグロルはわざわざ文月に伝える。

 コトリとカップを置いたリグロルの背中に文月が呟いた。


「見られた……」

「えっ?」


 あまりに唐突にしかも小さな声だったので思わずリグロルは疑問の声を上げた。

 すぐにリグロルは振り向いたが文月はぐったりとうなだれており艶やかな黒髪がカーテンのごとく垂れ下がりその表情は見えない。


「……タルドレムに見られた……」

「フミツキ様?」


 ゆっくりと文月は顔を上げる。リグロルと目が合った。

 泣いて少し赤くなった目元に潤んだ黒い瞳。

 瑞々しい黒い瞳からさらにぽろりとしずくが溢れた。


「タルドレムにおしっこ見られたっ」


 やけを起こしたような口調で文月は訴える。


「もうだめだー、お漏らしは捨てられるー、緩いのは捨てられるー、粗相は捨てられるー、おしっこは、ぽいっだー!」

「フミツキ様、落ち着いてください。タルドレム様はフミツキ様の粗相をご覧になっておられません」

「……え?ホント……?」

「本当です。私がタルドレム様のご覧になるより早くタオルを床に置きましたし、タルドレム様ご自身もすぐに背中を向けてくださいましたから」

「本当に?」

「はい、本当ですとも」


 実際はタルドレムは文月のお漏らしを目にしていたかもしれない。しかしわざわざその事をタルドレムが指摘するなどありえない。王子であるタルドレムの常識的な人格を踏まえてのリグロルの返事である。


「ほんとに見られてない?」

「はい、見られておりません。タルドレム様もタオルが落ちてご自身のことで慌てておられましたから」

「はぅっ……そうだった……」


 タルドレムの筋肉質な背中と引き締まったお尻を思い出して文月は顔が火照る。

 腰から落ちたタオルを止めたその筋肉のしなやかな動きが鮮明に思い出された。


(筋肉ぐいって動いた、ぐいぐいって動いてた)


 文月はぽーっとなってその動きと背中を何度も思い返す。


「……ま、……き様、……フミツキ様?」

「なっ、なにっ?」


 タルドレムのお尻で頭が一杯になっていた文月はリグロルの呼びかけに3度目で反応する。


「大丈夫ですか?」

「え?大丈夫だよ。……多分」

「そうですか、それではそろそろお部屋に戻られませんと」

「部屋?戻るって?」

「タルドレム様とフミツキ様のお部屋です」

「え゛」

「すっかり夜も更けてます。お夜伽の時間的にはちょうどよい頃合ではないでしょうか」

「よくない頃合だよ!」

「お召し物をもう少し薄手で脱がされやすいものにしましょう」

「厚手でがっちりしたのがいい!鎧とかいいっ鎧とか!」

「さあフミツキ様、こちらのお召し物に着替えましょう」


 そう言ってリグロルが取り出したのは下着一式とベビードール。


「うわっ、透けてるっ透けてるから!」


 下着はともかくベビードールの透け具合に文月はドン引きである。

 そんな下着は事に挑むときに女性が身に着けるものであって断じて男が身に着けるものではない。

 あ、そうだった。


「むりっむりっ」

「サイズは合ってますよ?」

「違うって無理ですって!」

「では脱がしますね」

「まってー!」


 リグロルは素早くフミツキの後ろに回りこむと一瞬でボタンを外す。


「ぬおっ、早っ!」


 シャツを脱がされまいと文月は自分を抱きしめる。

 上半身に意識が向かったその隙にあっさりとスカートが脱がされた。


「どわー!」


 パンツのまま文月がベットの上に転がる。

 リグロルが放り投げたスカートのポケットからシャランと音を立てて転がり落ちたものがあった。


「あら、大事なものが」


 そう言ってリグロルはその落ちたものを拾い上げる。

 リグロルが離れた隙に文月はベットの毛布をかき集めてぎゅっと抱きしめた。


「フミツキ様、大事なものです。どうぞ大切に扱いください」


 リグロルがそう言って文月に渡したものは魔法店でタルドレムに買ってもらったおもちゃだった。


「え?やっぱりこれ高級品なの?」

「いいえ、お値段自体は高いものではございません。しかしこれのもっている意味はとても大切なものです」

「うわぁ、この状況でなんだか聞いてはいけない予感がするよ……」

「これはコルシュームと言って、生まれたばかりの赤ちゃんに与えるおもちゃです」

「うん、タルドレムもそう言ってた」

「そしてこれを男女間で贈るということは、男性からしたら『私の子どもを産んでくれ』、女性からしたら『あなたの子どもが産みたいです』、という意味で妊娠前の男女間でやり取りされるものです」

「聞かなきゃよかった!」

「ちなみにこれはフミツキ様がお求めになったのですか?」

「えーっと、えーっと、僕からお求めになっちゃったよ!」

「なんて素晴らしい」

「クーリングオフはあるでしょうか?!」

「お言葉はわかりませんが、意味はわかります。ございません」

「いつもニコニコ現金払い!」

「さあさあフミツキ様、コルシュームを持ってお部屋へお戻りになられなくては」

「リグロル、目が怖いっ目が怖いっ」

「痛いのは最初の一回だけだそうです。タルドレム様に全てをお委ねしましょう」

「被告人に最終弁論の余地をぉ!ぬわー!」


 文月の控訴もむなしく、抱きかかえていた毛布を剥ぎ取られた、と思ったら一瞬で素っ裸。


「うわぁっうわぁっ」


 真っ赤になって自分の身体のあちこちを両手で隠そうとするが当然隠せるものではない。

 一生懸命恥らう文月を見てつられたのかリグロルの頬もちょっと高揚している。


「さあフミツキ様、そのお姿も大変に魅力的ですがその魅力を隠すとより一層魅力が増しますよ」

「ちょっ、ちょっと、うわっ、のおぉー!」


 あっというまに白を基準としたレース飾りのブラとショーツを着けられた。

 リグロルはひらりとベビードールを広げる。


「これを羽織ってください」

「ひょぇー、お代官様それだけはご勘弁を!」

「落ち着いてください、お体を冷やしてはいけません」

「いやそれ着てようと着てなかろうと冷えるよね?!」

「その通りです、防御力は無しですが破壊力が急上昇です」

「え!今の何がその通り?!てかその破壊力は自爆だよね?!」


 ベットの隅に追いやられ、もはやこれまでかと文月が覚悟した時ドアがノックされた。

 コンコン。


「リグロル、誰か来たっ」

「そのようですね」


 文月の前にベビードールを広げリグロルはドアに向かう。


『フミツキ、いるか?俺だ』


 リグロルはドアを少しだけ開ける。


「ようこそタルドレム様、フミツキ様はお召し変えの最中です」

「あ、そうか、うん、あー、入ってもいいか?」

「フミツキ様のご許可を確認します」


 リグロルは文月の方に振り返る。


「フミツキ様、タルドレム様が見えられました。お招きいたしますか?」


 文月は猛烈に考えた。

 今タルドレムの入室を拒否すれば再びリグロルがベビードールを着せようとするだろう。

 では入室を許可した場合はどうか。

 まず目の前で着せようとすることはしないだろう。とりあえず時間稼ぎだ、その間に対策を考えるのだ。


「う、うん、いいよ、入ってもらって」

「畏まりました。タルドレム様、お待たせいたしました、どうぞお入りください」

「ああ」


 室内に入ったタルドレムと文月の視線が合わさる。


「あ」

「え?……見るなー!」


 文月は目の前に広げられたベビードールを引っつかむと大慌てで毛布の下にもぐりこむ。

 かわいらしいお尻をふりふりしながら文月はなんとか全身を毛布で包み込んだ。

 毛布に包まれ顔だけ出して座っている文月の姿はまるで巾着のよう。


「ふーっ、んで何のよう?」

「ん?あ、そうか、そうだな」


 目線をあちこち揺らしていたタルドレムだがすぐに平常心を取り戻す。


「実は明日、できれば朝早くに城に戻って献石の儀に取り掛かってもらいたい」

「けんせきのぎ?」

「先ほど話した、城の動力源に活力を投入する儀式のことだ」

「え、あ、うん、わかった……、それだけ?」

「いや、まぁ、それだけではないんだが」

「?」


 言いよどんだタルドレムに巾着の文月が首をかしげ黒い瞳をぱちくりさせる。


「あー、つまり明日は早起きな挙句、疲れるだろうから今日はゆっくり休んでくれ、という事だ」

「それって、つまり……今晩は無しってこと?」

「何が無しなのか、とぼけるつもりはないが。まぁ無しだ。もともと無理強いはしないと言っただろう」


 文月は思いっきり息を吸い込み大きく吐き出した。


「はぁー、よかったよ……」

「そうか」


 タルドレムはなんとも複雑な表情をした。


「あ、そのタルドレムのことが嫌いとかじゃないからね?安心してね?」

「ああ、安心した」


 なんともいえない沈黙が室内に満ちる。

 毛布からはみ出していたベビードールを文月はゆっくりと引っ張り込んだ。


「それではフミツキ様、そろそろご就寝なさいますか?」

「うん、そうだね、寝るよ。タルドレムお休みなさい」

「いえ、フミツキ様、眠られるのはタルドレム様とご一緒ですよ」

「え゛?」

「この部屋は侍女の部屋です。フミツキ様がお休みになられるような場所ではありません。狭いですから」

「ちょっ、ちょっ、プリーズ待って!」

「俺は先に部屋に戻っていよう」

「はい、すぐに参ります」

「ではフミツキ、後でな」


 タルドレムは部屋から出て行った。


「リグロルぅー!」

「なんでございましょう」

「どうしましょう!」

「そう申されましても、お休みになられるだけですから(残念ながら……)」

「あ、そうか。けどなー、けどなー」

「ささ、タルドレム様がお待ちです。フミツキ様、どうぞ」


 そういってリグロルが促したのは先ほどタルドレムが出て行った扉とは違う扉だ。


「え?そっちなの?」

「はい、お部屋は隣同士になってますから。まさかそのお姿で廊下を歩かれるわけにも行きません」


 言われてみればその通り。

 どうやら先ほどタルドレムはわざわざ廊下に出て来室したらしい。

 紳士である。


「大丈夫です、お部屋からどんなお声が聞こえても私は聞こえませんから」

「ちょっ!その一言が余計だよ!」

「あら、お声を上げられるんですか?」

「上げません!絶対がまんする!」

「我慢はしないほうが良いと聞きますよ」

「それでも頑張るから!」

「ご立派です。では頑張ってくださいね」


 そう言ってリグロルはドアを開けてベビードールを文月に羽織らせる。


「それではフミツキ様、おやすみなさい」

「うん、おやすみ」


 リグロルに送り出されて文月は隣室に入る。

 パタンと後ろでドアが閉まった。

 あれ?乗せられた?

 室内はすでに薄暗くちょっと肌寒い。


「えっと?……タルドレム?」


 静かに文月は問いかける。

 ゆっくりとやわらかい絨毯を踏みしめて奥に入る。

 ベットが見えた。

 ベットの上には両腕を頭の後ろに回し仰向けになったタルドレムがいた。


「フミツキか」

「う、うん」

「魅力的な姿だな」

「え?ちょっやだっ、そういうこと言わないでよ」


 文月の姿を見てタルドレムが正直な感想を口にする。

 しかしそれが正直な感想であると分かるほど文月は恥ずかしさがこみ上げる。

 所作無げに文月がもじっと体をよじる。


「寒いだろう。先ほども言ったが明日は早い、そして間違いなく疲れる。早く寝よう」

「そっそうだね、寝よう、眠ろう、ぐっすりと」


 タルドレムは先に毛布に入り半分を持ち上げる。


「ほら、来い」

「う、ん」


 文月はゆっくりとベットに腰をおろしタルドレムの横に寝転んだ。

 ふわりとタルドレムが毛布で自分と文月を包んだ。

 暖炉の最後の火がパチリと小さな音を立てて消えた。

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