第25話 なんか啓示だって
文月の目の前に女の子が横たわっていた。
簡素なベットの上で白いシーツにくるまれている。
見えているのは顔だけだが、衰弱していると一目で分かった。
頬はこけ、目の下には隈ができ、開いた唇は渇いてひび割れていた。
だが不思議なことに顔が判然としない。視点を向けるとするりとその先から外れる。というか意識が向けられないのだ。
見た瞬間は、こんな顔なのだと思っても次の瞬間には今の顔が思い出せない。
目の前にいるその顔を見ても記憶が継続しない。
見つめ続けているにもかかわらず記憶に残らない。
まるで思い出の中にしか存在しない顔の様だ。
しかし文月はその事について特別な思いを抱かなかった。
不思議だとも思わず、そんなものなのだろうという考えすら持たなかった。
「・・・く、・・・て」
横になったまま女の子が息も絶え絶えになりながら何かを訴えている。
文月は女の子の言葉を聞こうとする。女の子の口元に耳を近づけ、か細い声を拾う。
「は、や・・・く、・・・き、て・・・」
小さく弱弱しい声であったが、その意図は伝わった。
この子は助けを求めている。
しかしどうすればいいのか文月には分からない。
周囲に意識を向けるが何もない。本当に何もなかった。真っ白に囲まているわけでもなく暗闇が覆いつくしているわけでもなかった。
ただただ、何もなかった。
焦りだけが積み重なり文月を追い詰める。
どうしよう、どうしよう、と思っているうちに・・・目が覚めた。
夢を見ていた。
そう思ったとたん、夢の内容がするりと逃げてしまい、夢を見ていたという枠だけが残った。
その枠の中にころりと残っている感情があった。
焦燥感。
急がなきゃと文月は思った。具体的に何をどうしたら良いのか皆目見当はつかないがとにかく急ごうという思いだけが文月の意識を急速に覚醒させた。
心地よい温度。
自分を抱きしめるように置かれた腕。
背中側から聞こえるゆっくりとした寝息。
そしてお尻のあたりに押し付けられる固い感触。
ん?
固い感触?
思わず文月はその固いものをどかそうとお尻側に手をまわしぐいっと横にどかした。
タルドレムの雄叫びの上に文月の悲鳴が重なり隣室のリグロルが飛び込んできた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「フミツキ様、お着換えでございます」
「もぉ、もぉっ、ホントにもおーっ!」
リグロルが持ってきた紫のドレスに文月はぷりぷりしながらも大人しく袖を通し着替えてゆく。
「もうっ!絶対にっ!タルドレムとっ!一緒に寝ないっ!」
「フミツキ様、どうぞお怒りを収めてください。タルドレム様も相応の罰をその身に受けたわけですから」
頬を染めてぷんすかぷんぷん怒る文月をリグロルがやんわりと窘める。
とたんに文月の動きが止まり、頬に朱色が広がり顔全体を覆う。
どうやらタルドレムの一物を握った時の感触を思い出したらしい。
握っただけでなく、あまつさえもぎ取るような事をしてしまったのだ。
ありゃ痛てーわ。文月だってそう思う。
手のひらを頬にあて自分の高揚を抑えようをするが、頬にあてたその手がタルドレムを握っていたと思うといかんともしがたい感情が湧き上がる。
慌てて手を放しぐっと握りこむがさらに感触を思い出しそうになり結局ぱっと開く。
「もうっ・・・あんな固いの・・・」
ぽそりと文月はつぶやいた。
「色々、無理じゃん・・・」
「何かおっしゃいましたか?」
「んんでもにゃいよ、ななんでもない」
「そうですか、なにかお気づきの点があればおっしゃって下さい」
「うんっ、わかったっ、大丈夫っ」
色々と想像して無理になっちゃった文月はあたふたしながらも返事を濁した。
ふぅ・・・妙な想像をしちゃたっけど誤魔化せたかな?
と文月は思ったが当然リグロルは何を想像したかは見抜いていた。
文月の身支度を整えながらリグロルは考える。
初めて男性の、タルドレム様『ご自身』をお手にされたのだ。
もしタルドレム様を受け入れたら、という考えが当然頭に浮かんだのだろう。
現状のフミツキ様のお怒りは嫌悪感や忌避感ではない。
いきなり男性自身を押し付けられて恥ずかしいやら驚いたやら、嬉しいやら嬉しいやら嬉しいやらで混乱していらっしゃるだけなのだ。
さらに意識していただき何度も繰り返し思い出すことで躊躇いを無くしていただくなては!
ただし直接的な表現は避けて、じわりじわりと慣れていただきましょう!
機会到来!!逃してなるものですかぁ!!
「フミツキ様、固い方が良く飛ぶそうですよ」
「なにが?!」
「弓の弦です」
「なぜ急に弓?!」
「太い方が満足されると聞いております」
「えーっと、えーっと、ソーセージの事にちまいない!」
「んー・・・その通りです」
「だよねっ!満足するよねっ!」
「反り具合の角度は」「ひげそりっ!」
「持続力は」「マラソンっ!」
「一晩で何度も」「トイレに起きると困るよねっ!」
「後は、何でございましょう?」
「リグロルさん、リグロルさん?」
「はい、フミツキ様」
「何か隠した意図をお持ちではないですか?」
「まさかまさか、フミツキ様に対して私が隠し事など」
「など?」
「・・・」
「などー?」
「しようはずが、ありません?」
「妙な間の後には疑問形!?」
「お戯れを」
「戯れてるのはリグロルだよね!?」
「まさかまさか」
「そのまさかっ!」
「さあフミツキ様、いつもよりも少々早いですが朝食にいたしましょう」
「すごい強引な話題転換だね」
「自覚しております」
「ならよし」
え?よしなの?
自分で言っておいて何だけど、良いのかな?ま、いいや。
この手の話題が長引くと思考があまりよろしくない方向に向かいそうだと思った文月はリグロルの下手な話題転換に乗ることにした。
「そういえば今日は急ぐって話だったけど食べてる時間はあるの?」
「はい、お食事の時間はございます。もっともお召しあがりになったらすぐに馬車に乗り込んでいただく事になっております」
「ん、わかった。なるべく急ごう」
「かしこまりました」
「そう、急がないといけないんだよね・・・うん」
「?はい、その通りです」
文月の妙な急ぎ具合の原因に心当たりがなくリグロルは疑問に思うが、急いでいただけなければならないのは間違いない。
フミツキ様のお急ぎの原因の追及は後回し、まずは帰城の準備をしていただかなくては。
リグロルはてきぱきと文月を装い立てていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
もはや王族であることを隠す気も無くなったのか、それとも別の事情かかなり早めの朝食はエンバラスの塔の一角を貸し切り状態にしたフロアだった。
「綺麗・・・」
朝日が昇る前の薄紫色のぼんやりとした広大な景色を見ながら文月はポツリとつぶやいた。
エンバラスの塔の中腹にありオープンテラスの様になったそのレストランは、太陽が昇る前の地平線が見渡せた。
地平線の輪郭は薄っすらとしているがその向こうに確かに太陽が存在する黄金の明かりが薄暗い藍の向こうに隠れているのが分かった。
店内は通常なら完全な営業時間外であろうこの時間だったが王族の朝食に相応しく、大人数がタルドレムと文月のために動き回っていた。
二人がテラス席に着くと待たせることなくテーブルに温かい食事が並べられる。
いただきますの前に文月が、ふと広がる景色を見てつぶやいたのだ。時間が止まったような静寂がテーブルの周りに満ちる。
姫君の景色の鑑賞を邪魔してはならぬと、給仕の者たちも緩やかに動きを止め壁際に並ぶ。
「本当、綺麗・・・」
もう一度、誰に対しての問いかけではなく文月がつぶやいた。
日本でも風光明媚な場所は数えきれないくらいある。しかし浮いた大陸の塔から眺める高々度のこの景色は文月の経験の中で断トツの美しさだ。
世界に見惚れている文月の鼻にふと目の前のスープの香りが届いた。
香りにつられ意識を目の前に向けると文月を優しく見ているタルドレムと目が合った。
「あ、ごめん、たべよ?」
「ああ、そうしよう」
「いただきます」
両手を合わせ文月は食事を始めた。
食べながらタルドレムが話しかける。
「フミツキもこの景色が綺麗だと思うか?」
「うん、当然。すごい綺麗だよ」
「そうか、同感だ」
「うん」
タルドレムと文月は広がる風景を見ながら、時折目が合い微笑みあい、会話無く食事を続ける。
その静かさはとても心地よく、二人が同じものを見て同じ感動を受けている静けさだった。
給仕も提供した料理の説明はせず、無言で料理を運び空いた皿を下げる。
この場にいる全員がこの時間の世界が美しいと感じ、言葉は無粋だという気持ちが一致した瞬間だった。
やがてこの時間に文月たちが食べたメニューが「姫君の刻」としてこの店の看板メニューになるのだが、それは今は置いておく。
なんでもこの時間にこのメニューを無言で食べた男女は幸せに結ばれるとかなんとかが売り文句になったとか。
「ごちそうさまでした」
「うむ」
朝食のコースを食べ終わった文月が手を合わせごちそうさまをする。
タルドレムも文月のペースに合わせてナイフとフォークを置いた。
「急ごう」
エスコートを待つことも無く文月は立ち上がる。
「そうだな」
文月の前進力にいささか疑問を持つもののタルドレムも文月と同調した。急いでもらうに越したことは無い。
リグロルがすっと文月の傍に立ち控える。
「馬車が塔の一階に待機している。行こう」
「うん」
文月から差し伸べた手をタルドレムが取り移動を始める。
タルドレムが文月を連れてきたのは塔の中に浮かぶ円盤の上。中心に二人で立つとリグロルが何やら端で操作する。途端に円盤が真下に動き出した。
「おぉっエレベーター・・・」
上に流れてゆく周囲を見渡しながら文月がつぶやく。
「ん?この昇降機にはあまり驚かないんだな」
「あーそうだね。同じ機能のエレベーターってのがあったからね」
「ほほう、そちらではえれべーたーと言うのか」
「うん、えーっと、僕の世界では箱に乗り込んでそれが上下に動くんだ。けど機能としては同じだね」
「なるほどな、人の考えることは世界が違えど似たものになるのだな」
「うん、そうみたい」
人の考えることは世界が違えど似たようなものになる、タルドレムが言ったこの言葉が文月の中にストンとはまった。
つい、文月はタルドレムに半歩近寄り、支えられている手にちょっとだけ力を込めた。
文月のこの些末な変化をタルドレムは敏感に察知し手を支えたまま、そのまま片手を文月の腰に回す。
物思いに耽った文月は全身を守られる安心感で自分の思考に没頭することが出来、タルドレムと密着したことには無頓着だった。
しかしタルドレムから伝わる体温は文月を安心させ、そのまま頭をタルドレムの胸板に持たれさせた。
「フミツキ、降りるぞ」
「え?あ、うん」
タルドレムにもたれかかるのが心地よくて昇降機が止まっても文月はタルドレムにもたれかかったままだった。
周囲のお付きの者も、王子の婚約者をせかす事などできず止まっていたが、タルドレムが文月をせかした事で一斉に動き出した。
自分の思考に沈んでいた文月はタルドレムが近いことに驚く。
「んっ・・・」
「どうした?」
タルドレムから体を離そうとしたが自分からもたれていった事に気が付き文月は内心慌てる。
「い、急ごうっ」
文月はタルドレムを引っ張ることで照れを誤魔化そうとした。
一生懸命に、トテタテと王子を引っ張る姫君に周囲は微笑ましい気持ちになる。
「フミツキこっちだ」
「あうん、そうだねそっちだ」
頬を染めながらタルドレムに引かれる文月の愛らしい姿に周囲はさらに保護欲を掻き立てられる。
「ほら」
「きゃんっ」
文月の一生懸命さについに耐えられなくなったタルドレムが文月を抱え上げる。
自分に密着させれば首に腕をまわしてさらに密着してくる文月にタルドレムは内心大喜び。
文月の胸のふくらみがやわらかい。
急ぐべきだが急ぎたくない。
相反する気持ちを極めて冷静に処理しながらタルドレムは王族専用の馬車に文月を抱きかかえたまま乗り込んだ。
とてもとても丁寧にタルドレムは文月を座席に座らせる。完全に壊れモノ扱い。
そして文月も自分が大事に扱われのがちょっと嬉しい。
文月を座らせタルドレムは隣に座る。通常であれば向かい合わせに座るのだが今だけはこの女の体温を感じたい、という雄の衝動に従った。
「出してくれ」
「畏まりました」
御者に声を掛けるとタルドレムは大きく息を吐きだし背もたれに体重を掛けた。
「どした?」
隣の文月がタルドレムの手の上に自分の手を置き、くるりとした瞳で問いかけてくる。
まったく、この姫は無意識だから困る。
「いや、大丈夫だ」
置いてくれた文月の手の上に自分のもう片方の手を乗せ文月に応える。
文月はその上にさらに手を置いた。
「疲れたの?」
「心配するな、俺は大丈夫だ」
「ホントに?無理はダメだよ?」
両手を互いに重ね合わせながら至近距離で文月はタルドレムの心配をする。
文月が小首をかしげると一房の髪がはらりとほどける。
タルドレムはそのほどけた髪を文月の耳にかけてやった。
手を離すときに指で頬を撫でてやるとくすりと文月が笑った。
来た時とは比べ物にならない豪華な馬車はすぐに宙に浮いたらしく地面からの振動はなくなり景色が後ろに流れてゆく。
「さて、フミツキ、城に着くまでに献石の儀について話しておこう」
「うん、よろしく」
「話したと思うが献石の儀は魔石を城の動力源に投入する作業だ」
「うん」
「具体的には献石の間という部屋に入って作業をしてもらうのだが・・・」
「うん」
「個人によって部屋で行う作業は違うんだ」
「どういうこと?」
「献石の間、というのは、まぁ・・・大きな球状の部屋だ。そこに魔石を持って入るのだが、俺はその部屋で薪をくべた」
「暖炉に薪を入れたって事?」
「そうだ」
「んー???」
「父上は丸い輪をまわしたそうだ」
「ほうほう???」
「母上は水を注いだと言っていた」
「統一性が無いねー」
「そうだな、過去には石を積み上げたとか、息を吹きかけた、という王族もいたらしい」
「なんだかよく分からないね」
「その通り、実際に入ってみないとどんな作業になるのかが分からない、しかし入ればその作業しか無いと確信できる」
「じゃぁ作業で間違えたり迷ったり、なんて事は無いんだね?」
「その通り、自分のとった行動がそのまま城に動力を注ぐ作業になる」
「僕はどんな作業になるのかな?」
「それは献石の間に入ってみないとわからないな」
「うん、まぁそれはそうだね。それで疲れるって事は長い時間やるの?」
「いや、魔石を投入するその作業にごっそり魔力を持っていかれるから疲れるのであって時間はそんなにかからない」
「聞いてるだけだと簡単そうに思えるけど・・・、違うんだよね?」
「俺の場合は薪を一本くべたら膝が震えるくらい疲れたな」
エンバラスの塔を文月を抱えたまま上り下りして平気なタルドレムの膝が震えるほどの疲れとはいったいどれ程のものか。
「どれくらい薪はくべられたの?」
「3本だ」
「・・・、うーん、多いのか少ないのかよく分からないね・・・」
「そうだな、だが今のオリオニズ大陸の現状を鑑みるに十分な量では無かったと思う」
「んー、まぁそっか・・・」
「他に聞いておきたい事は無いか?」
「えっと、魔石と薪が結びつかない」
「なるほど。それには献石の間について話しておこう」
タルドレムが言うには献石の間というのは王城の地下に入り口があるのだが、部屋自体はそこから更に転移した先にあるという事だった。おそらくオリオニズ大陸のもっと深い場所だと推測されるが正確な位置はわからない。
そして魔石を持った状態で転移すると持っていた魔石が変化するとの事だった。
タルドレムなら魔石が薪に変わったという事だ。
そして献石の間に入ると消えかけの暖炉だけがあったので薪をくべた。
くべた途端に体内の魔力がごっそりと暖炉に吸い取られたのを感じ、必死になって3本目の薪を暖炉に放り込んだところで意識を失って気が付いたら入り口で横になっていた。
流石にこれ以上は無理だと感じ、よろけながら入り口の部屋から出たところで待機していた従者に抱えられて再び気絶したそうだ。
「転移は一瞬だがその間に魔石が変化するようだ」
「ほえー、不思議な話だねー」
「他人事のように感想を言っているがこれからやってもらうからな?」
「あ、そうだった、てへー」
大した緊張感も見せず、照れた文月は自分の頭にコツンとぐーをぶつけた。
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