第8話 なんか乗竜だって

 リグロルに連れてこられたテラスは流石に見晴らしが良かった。

 外の風が服の隙間を通り抜け文月はその涼しさにほっとため息をつき、次にそこから見える景観にため息をついた。

 記憶の高さで言ったらビルの4階か5階くらいはあるだろうか。もうほとんど沈んでしまった夕日が地平線から下の大地を黒く塗り、空をとても深い蒼に染めていた。地上と空の境界からゆっくりと視線を上げると頭上では星がきらめき始めており、星座なんて何一つ知らない文月だったがこの世界にもまたたく星があることに感激し安堵し、リグロルが用意してくれた草で編んだ椅子に深く深く腰掛けた。


 「綺麗だね……」

 「はい、このテラスはラスクニア城で、最も眺めが良いといわれています」

 「風も気持ちいい」

 「寒くなる前におっしゃってください。冷えは女性の敵ですから」

 「そなの?」

 「そうです」


 お風呂上りの文月の顔はほんのり上気しており、なるほど龍神も惑わされるという言葉に大いに説得力が出る色っぽさを纏っていた。


 「じゃあ温かいお茶をもらおうかな」

 「っ。畏まりました」


 程よく冷め始めた体の温かさを保つために文月が所望したのは温かい飲み物だった。リグロルはすぐにお茶を入れ始める。

 手際よく目の前に置かれたお茶のカップを両手で包み込みながら文月はふーふーと息を吹きかけて冷ます。

 そしてカップのふちにちょっとだけ唇を尖らせてつけた。


 「フミツキ、偶然だね」

 「ぷぉっ」


 テラスの外から声を掛けられ文月はちょっとむせた。


 「驚かせたかな」

 「驚きましたねってなんですかその生き物は!?」


 文月の疑問は当然でタルドレムはテラスの外側、つまり空中から声を掛けたのだ。

 そして声を掛けた本人は奇妙な翼のある生き物にまたがっていた。

 それは一見ペガサスのようだが、物語に出てくるような美しい姿ではなく爬虫類を思わせるような鱗と鋭い爪を持っており、見ようによっては凶悪な印象を受ける翼をバサリバサリと羽ばたかせていた。

 馬とドラゴンが混ざったような感じだなと文月は思う。


 「えーっと、冷たいお茶よりも空で、火照ったからだを冷やさないか?」

 「えーっと?」

 「確か、そうだった」

 「確かって……。でも今は温かいお茶を頂いてますよ」

 「温かい?」

 「はい」

 「冷たいお茶は飲んでない?」

 「飲んでませんね」


 ……。


 「あー、タルドレム様、少し湯あたりしてしまったみたいです。えーっと、寝所まで連れて行ってもらえませんか?」

 「いきなりだなぁ」

 「やっぱりそう思いますよね」

 「思う」

 「……やめませんか?」

 「うむ、やめよう」


 タルドレムと妙に息が合い、この三文芝居をやめることでぴたりと意見の一致を得た。

 ちらりとリグロルを見るとこれ以上の居心地の悪さはこの世に存在しないと言わんばかりの表情で身もだえしており、その身もだえを必死に押さえ込み、結果ぷるぷる震えていた。

 美人台無し。


 「リグロル」

 「はいっなんでしょう!」

 「いやそんな、何もかも振り切る勢いでの返事はいいから」

 「この羞恥を忘れるためならどんなことでもいたしましょう」

 「……なんかごめんね」

 「いえ、とんでもございません。全ては私の不徳と致すところです」


 リグロルが深々と頭を下げる姿を見てある程度の妥協は必要かと文月は思う。


 「タルドレム王子と一緒に空を回遊してくればいいのかな?」

 「ありがとうございます。ありがとうございます」


 二度言った。


 「という訳だからタルドレム王子、申し訳ありませんがちょっとつきあってもらえませんか?」

 「ああ、構わないよ、元々そのつもりで来たんだし」

 「じゃリグロル行ってくるね」

 「はいお気をつけて行ってらっしゃいませ」


 リグロルはそう言って、都合よく置かれていた階段を設置して文月を手すりの上まで誘導する。


 「うわっと。どこに乗ればいいの?」

 「俺の前に座れるか?」


 そういってタルドレムが片手で手綱を持ちながら、文月に向かって手を差し伸べる。

 文月は両手で掴んでいたリグロルの手を片手だけで持ち、自由になったほうの手をタルドレムに向かって伸ばした。

 奇妙な馬ドラゴンは静止したホバリングしているわけではなく、それなりに大きく上下に動いている。

 恐る恐る空中に伸ばした文月の手をタルドレムがしっかりと握る。うわっ力強い。


 「来い」

 「とうっ!」


 タルドレムの声を合図に文月はリグロルの手を離し、お姫様には似合わない掛け声でタルドレムの前に飛び込んだ。

 二人分の重さに馬ドラゴンが一瞬ぐらりと傾き数メートル落下する。


 「おちぃー!」

 「つかまれ」


 安全装置なしのジェットコースター。

 浮遊感で血の気が失せ、文月は自分のお腹に回されたタルドレムの腕にしがみつき反射的に体重を後ろにかけた。

 顔の前に文月の洗い立ての頭があり、その湯上りの香りに一瞬くらりとするがタルドレムは片手で体勢を立て直しふわりと滑空に移った。


 「フミツキ、目を閉じているの?」


 ごうごうと風がうなる中、タルドレムがフミツキに声をかける。

 言われて文月は自分が今まで目を閉じていたことに気がつき目をゆっくりと開けた。

 テラスから見た光景よりもさらに大きな景色が広がっていた。

 太陽はすっかり沈んでしまっていたが澄んだ空気のおかげか文月は自分がどこまでも広がっている空間の真ん中にいるような気がした。

 タルドレムがゆっくりと旋回する。左手に飛び出してきたラスクニア城が見えていた。特別ライトアップされている訳ではないが、それぞれの窓には灯りがともり、それこそ御伽噺に出てくるようなお城の印象を際立たせていた。ああ、あの城は温かいんだな、と文月は思った。


 「綺麗なお城ですね」

 「あぁ、俺もそう思う」

 「自慢ですか?」

 「そうだね、自慢だ」


 嫌味無く誇らしげにお城を自慢するタルドレムの態度に文月はくすくす笑う。


 「おかしい?」

 「ううん、全然」


 少し無言の間ができる。

 しかし居心地の悪い時間ではなく二人は同じ評価を下した城を一緒に眺めながら風を切る。


 「空は意外と冷えるから」


 そう言ってタルドレムは自分が羽織っていたマントの中にフミツキを入れる。

 ばさりと頭からマントを被らされて文月は少しわたわたしながら顔を出した。

 一つの穴から二人で顔を出したので更に密着度が上がる。


 「ホントだ、寒かったんだ」


 マントにくるまれて自分が以外に冷えていたことに気がつく文月。

 背中のタルドレムの温度が温かくて心地よかった。

 ラスクニア城を左手に見ながら大きくゆっくりと旋回していると、城とは違う灯りが地上に現れてきた。

 ラクスニア城が上に向かって伸び上がっている印象があるのに対しその灯りの群れは広がっているように感じた。


 「あれは街?」


 文月はちょっと振り向きつつタルドレムを見上げる。


 「そう。ラスクニアの城下町だね」


 街の明かりは寄り添いあい、城とはまた違った温かさを持っているように感じる。その灯りの群れは大きく山すそのほうまで広がっていた。

 近づくにつれてまだ動いている人々や建物が見えてきた。

 時間的にはまだ日が落ちたばかりで大きな道にはまだかなりの人々が行きかい、その声や表情もここまで届くような気がした。


 「活気がありそうな街ですね」

 「そうだな、この時間に眠りにつく者は少ないだろうね」

 「お店とかあります?」

 「勿論。何か欲しいものでもあるの?」

 「うーん、特にはないですけど……おいしいものとか?」

 「ん?城の料理は口に合わなかった?」

 「あ、違う違う、お城の料理はおいしいです。ただ僕は、ほら、まぁ庶民だったから、知らない街で食べ歩きとかしたいなーなんてちょっと思ったり」

 「ふむ、じゃぁ明日城下町に行ってみる?」

 「え?いいですか?」

 「勿論」

 「やった」


 タルドレムは城下町の上を静かになるべくゆっくりと馬ドラゴンを滑らした。文月と一緒に足元の街を見下ろしながら、候補を何店か思い浮かべる。はたしてこの目の前の少女はどんなものに興味を示すだろうか。文月の好奇心を刺激するものにタルドレム自身も興味がある。

 時間はまだ少し余裕があったはずだ。明日くらいは城下町の散策にあてても良いだろう。

 少しずつフミツキのことを知り、自分の事も知ってもらうには必要な時間だとタルドレムは考えた。

 足元のにぎやかな灯りたちが過ぎ去り、もう一度静かな時間が二人を包む。今度の沈黙は明日のことを考えてちょっとわくわくしている二人の沈黙だった。

 タルドレムがゆっくりと馬ドラゴンを中庭に着陸させる。


 「あれ?テラスに戻らない?」

 「危ないから」

 「乗る時は危なくなかったですか?」

 「危なかったよ」

 「けど乗りましたよね?」

 「下に6番隊を用意させておいたから大丈夫」

 「6番隊?」

 「魔術師の班さ」

 「わぁ、落ちたら浮いたりした?」

 「そうだね」

 「…………」

 「今はもういないから試すなよ?」

 「はい」


 中庭にはリグロルが先回りして二人の到着を待っていた。

 馬ドラゴンが羽をたたむとタルドレムがバサリとマントを広げ文月を解放する。


 「うわ、意外と寒いね。ただいまリグロル」

 「お帰りなさいませ」


 タルドレムのマントから抜け出した文月をリグロルが満足そうに見つめる。

 馬ドラゴンはそれなりに体高があるのでリグロルは文月が降りるのを手伝おうと両手を伸ばす。文月はタルドレムに片手を支えられながら、片手をリグロルに向かって伸ばし落馬気味にリグロルにしがみついた。ぎゅっと抱きついたらリグロルの髪からまだ湯上りの香りがふわりと立ち上がった。あ、いい匂い。


 「リグロルいい匂いー」

 「フミツキ様も素敵な香りですよ」


 二人で抱き合ったままお互いの髪をくんくんしてくすくす笑いあう。


 「あっ、そろそろ夕食の時間です。準備を致しましょう」


 文月の魅力に取りつかれていたリグロルが正気を取り戻し体を離す。

 ひょいと振り向くと二人のじゃれあいを見ざるを得なかったタルドレムが口を妙な角度に曲げて居心地悪そうに腕を組んで立っていた。


 「なかなか割り込めないものがあるね」

 「リグロルいい匂いですよ。タルドレムも嗅いでみます?」

 「いや、フミツキを堪能したから結構だ」

 「ぇ?あ、そうか……むっ」


 自分の風呂上りの香りを知られて体の一部を見られた様な気持ちになり文月は無意識にリグロルに体を寄せる。


 「大変失礼致しました。フミツキ様をお部屋にお連れしてお召し代えしてまいります」


 フミツキといちゃラブしちゃったリグロルがタルドレムに謝罪し頭を下げる。


 「その格好でもいいんじゃない?親父も気にしないと思うよ」

 「国王様の懐の深さは私達も承知しておりますが、だからと言ってそのご好意にいつも甘えてよいというものではないと自戒しております」

 「え゛っ」

 「どうしました?フミツキ様?」

 「国王様……、だよねー、タルドレムは王子だもんねー。王国には王様がいるのは当然だよねー」


 二人っきりでの食事だと勝手に思いこんでいた文月だったがタルドレムとリグロルの会話から今までなぜその考えに至らなかったのかと愕然とした。


 「ねぇ、タルドレムのお父さん、あ、王様って怖い?」

 「いや?どうかな?怒るとそれは当然怖いけど、……うーん、怖くはないと思うよ」

 「あー、身内の意見だもんねー、リグロル、王様ってどんな人?」

 「大変に心が広く、私達下々のことまで気を使い、ご自身のことより民のことを優先されるような大変立派で尊敬に値する人格の持ち主です」

 「あー、身内の前だもんねー、どうしよう、傾向と対策ってないかな?」

 「フミツキ様、落ち着いてください。傾向と対策をしてどうするおつもりですか?」

 「それは当然、悪印象にならないようにして……」

 「はい」

 「悪印象にならないようにして……それから」

 「はい」

 「……どうしよう、僕はどうしたいんだろうね?」

 「フミツキ様、我らがラスクニア王国、そのマドリニア王。その御方の前で着飾る必要はありません」

 「?」

 「フミツキ様はフミツキ様のままで国王様の前に現れるのが一番です」

 「……?」

 「それが最も礼節を重んじているという事です」

 「うーん、なんだかよく分からないけど分かったよ」

 「夕食に関しては、そんなに気にすることもないと思うけどな」

 「そうなの?」

 「うん、気を使わなければいけない人物なんて今はいないしね」

 「いや、一番気を使わなければいけない人物との夕食だよね?」

 「緊張する?」

 「する」

 「大丈夫、俺も一緒だから」

 「じゃぁ、フォローよろしく」

 「ふぉろー?」

 「何か失敗したら手助けしてってこと」

 「ああ、安心しろ」

 「私もおそばに控えておりますのでどうぞあてにして下さいませ」

 「ありがとう、頼ることになると思うー」

 「それじゃまた後でね」


 タルドレムはそう言って馬ドラゴンにまたがり再び空に舞い上がる。

 中庭の上空を旋回しながら文月に手を振り、城の塔の後ろへ去っていった。


 「さぁフミツキ様もご準備いたしましょう」


 タルドレムが消えたほうを眺めていた文月にリグロルが声を掛けて促す。


 「うん」


 リグロルに片手を支えられながら文月は歩き出す。


 「フミツキ様、お空ではタルドレム様とどんなお話をされたんですか?」


 両開きの扉を開けてもらいホールの階段を上りきったあたりでリグロルが文月に声を掛けた。


 「あー、何話したっけな?うーん、大した事話してなかったと思う」

 「お子様は何人欲しいとかのお話はされなかったんですか?」

 「されなかった!」

 「あら残念です」

 「明日城下町に連れて行ってもらえるって話だけ!」

 「まぁ!それは素晴らしいですね」


 リグロルのきらきらした目をみて気がついた。

 しまった。

 デートのフラグを立てちゃった。

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