第10話 なんか変態だって

 文月の黒い瞳がリグロルを見つめる。


「フミツキ様のお体は確かに女性です」

「うん」

「けれどお心は男性です」

「うん」

「フミツキ様、性別というものはその人を表すのに大きな割合を占めています。しかし全てではありません」

「……うん」

「人が必ず持っている名前すら本人ではありません。名前そのものが本人と同等ではありません」

「……」

「タツシマフミツキという方は、黒い髪で、黒い瞳を持ち、お優しくて、周囲に気を使うことが出来、タルドレム王子の婚約者で、まだちょっとお一人では歩けなくて、お料理が好きで、魔量がたっぷりで、けどまだ上手く使えなくて、お風呂がお好きで、おトイレでドキドキしちゃって、国王様に会う前に緊張しちゃって、美しいお体を持ち、……お心は男性で……、今そのことに悩んでいて、絨毯に埋もれている、……そんなお方です。今挙げたものが当然フミツキ様の全てであるわけではなく、この中でどれかが欠けてもフミツキ様が欠ける訳ではありません」

「……うん」

「フミツキ様は、どんな肩書きが付いても無くてもフミツキ様です」

「……わかんないよ」


 自分の体と精神との乖離に落ち込んでいる文月にはリグロルの言葉が届かない。冷静に耳を傾けることが出来ればリグロルの言葉もそれなりに心に響いたのであろうが、そもそも文月がリグロルの言葉を聞こうとしていない。

 今の文月に外からの言葉は響かない。

 悩んでいるのは自分だけ、自分の悩みを分かるのも自分だけ、誰も分かってくれないという殻に閉じこもりかけていた。

 自分の言葉は届かない。

 そう判断したリグロルはベッドから毛布を引っぺがす。そしてまだ倒れている文月が冷えないようにそっとかける。

 リグロルは文月の頭を優しく撫でて暖炉に薪を足してから扉に向かう。


 「失礼します」


 リグロルはこちらを見ない主にもきちんと一礼して退室した。

 室内が静寂に包まれる。時折薪がはぜるがそれが良く響く。

 どれくらいたっただろうか、未だに文月は瞬きもせずじっと倒れたときの姿勢のままだ。その目は自分の中だけを見ており外を見ていない。

 扉がノックされた。

 文月の返事を待たず扉は勢いよく開けられた。


「ちょっとー!落ち込んでるんだってぇ!」

「ダムハリ!フミツキ様のお返事を待たずに……!」

「なによぉ!動かなくなってるって言ってたじゃなぁい!あははははっ!ほぉら動いてないっ!」

「ダムハリ!失礼ですよ!」

「うっさいわねぇ!手伝って欲しいんでしょ!フミちゃーん!じゃなかったっフミツキ様ぁー!!」


 飛び込むように部屋に侵入してきた人物は文月にかかっていた毛布をいきなりつかんで放り投げる。

 全身あらわになった下着姿の文月のお尻をかなりの強さでひっぱたいた。

 ぱっちーん!!!


「いったー!!!」

「動いたー!!!」


 いきなりの衝撃に文月はお尻に手を当てのけぞる。


「っ~!!」

「あらやだっ!聞いてたけど可愛いったらありゃしないっ!何っ?お尻痛いの?どれどれっ!」


 文月の顔を見て褒めて、いきなり文月のパンツをずらした。


「やーっ!」

「大丈夫!ちょっと片方赤いだけよっ!可愛い可愛い!」


 赤くないほうのお尻をもう一度引っぱたいた。

 ぱっちーん!!!


「いったー!!!」

「ダムハリっ!!」


 度重なる狼藉に耐え切れなくなったリグロルが騒々しい侵入者にむけていきなり蹴りを放った。

 メイド服のスカートから本気の速度で足が伸びダムハリと呼んでいた人物の顔面に迫る。


「うわぉっ」


 ふざけた声を上げながらダムハリはくねりと体をよじらせリグロルの攻撃を避ける。

 避けた隙間にリグロルが体を滑らせ文月を背にしてダムハリの前に立つ。


「いやぁぉ~ほっほっ」


 珍妙な悲鳴をあげながらダムハリはくるくる回りながらリグロルから離れた。

 いきなりお尻を叩かれパンツをずらされた文月は訳が分からず目の前に立ってくれたリグロルの足にしがみつく。

 うわっ座ってるとパンツ履けないっ。

 スカートの陰からそっと侵入者を覗いてみると見事な笑顔でこちらにひらひらと手を振った。

 そこでようやく文月はダムハリを見た。

 美人だった。ただし、残念な、という言葉が先に来る美人。

 目鼻立ちは整っているのだがまず化粧が濃い。赤い髪もくるくるくるくるねじりまくって四方八方に飛び出している。簡易な黒地のローブを着ているのだが描かれている模様が極彩色のぎらぎら状態で見ていると目が回りそうになる。しかもローブが両脇から下まで裂けているのでガーターベルトをはいた美脚がウエストあたりから全部見えておりまるでポンチョのようだ。

 そのくせ腰から胸下までの幅広のベルトを巻いており、胸のふくらみとウエストのくびれ具合をこれでもかとアピールしていた。

 ぼんっキュッぼんっの抜群のプロポーションにすらりと伸びた手足を持っているから素のままのほうが絶対に美人だと断言できる。

 なのになぜかマイナス方向に全力投球している感がひしひしと伝わってくる。

 素材は確実に秀逸なのに、この目もくらむような外見は意図してか天然か。とりあえず街ですれ違っても目線は逸らさなければいけないタイプの人種だ。

 文月は一瞬オカマバーのママがハイテンションで踊りこんできたのかと思ってしまった。


「なによぉ、元気そうじゃない?」

「ダムハリ、フミツキ様の前ですよ。まずはご挨拶をなさい」


 かなりカチンと来ている口調でリグロルがダムハリに告げる。


「あははっそれもそうねっ!初めましてフミツキ様、あたしはダムハリ!よろしくねっ!」

「はぁー……。フミツキ様、大変失礼いたしました。この騒々しい男はダムハリ。こんな人格でも7番隊の隊長です。治癒魔法はかなりの腕前だと認めざるを得ないのが大変に口惜しい人物です」

「あ、あ、そうなの、へ、へぇー、すごいね」

「そうよっ、あたしったらすごいのよ!」

「えっ?ちょと待って、騒々しい……だれ?」

「ダムハリです」

「ダムハリよっ、ダムハリっ、覚えた?ダムハリよっ、よろしく!」

「あ、うん、ダムハリさんだね、こちらこそよろしく、うん名前は覚えたよ。じゃなくて……、をとこ……?」

「いやんっ乙女よ!」

「どういって説明したら良いものか躊躇われますが……とりあえずこやつの体は男です。そして中身は変態です」

「ちょっとっ!本当の事言わなくてもいいじゃないっ!」


 あ、変態も本当なんだ。


「え?体が男って……胸が……」

「胸はあるわよ」


 そう言ってダムハリは首元から縦に入っている切れ目を両方に勢いよく広げ胸を飛び出させた。

 ぶるんっ!

 という音が聞こえそうなほど張り艶のある豊満な胸が外気に晒される。

 健康的で快活そうで我侭な、けしからんパイオツである。


「おっきぃっ!」

「んっふふー」


 驚いた文月に気を良くしたらしくダムハリはその場で軽くジャンプする。

 当然胸が大きく上下に揺れ、その存在感と質量感をこれでもかと主張した。


「見苦しい!しまいなさい!」


 リグロルが怒鳴る。艶っぽい笑みを浮かべてダムハリは胸をしまった。


「胸があるのに……男?……下は?」

「下もあるわよ」


 前掛けのようになっているローブをダムハリはゆっくりと焦らすように捲り上げはじめる。

 化粧や衣装はともかく素材は美女である。その美女が自らの下半身を晒すために脚を大きく開き、隠している布を持ち上げようとしている光景はかなり扇情的だ。


「切り落とします」


 表情の消えたリグロルが氷の声で宣言し、腰の小剣に手をかけてスラリと引き抜いた。


「フミツキ様のお目をこれ以上汚したら、……切り落とします」

「ちょっとぉリグロルっ、あたしの何を切り落とすのっ?」


 真っ赤な唇をゆっくりと舐めながらダムハリの手はローブを捲くるのをやめない。


「フミツキ様、お手を離していただいてもよろしいですか?踏み込めませんので」

「リグロル!リグロル!落ち着いて落ち着いて!ダムハリさんも止めて!分かったから止めて!」


 ダムハリはニヤリと笑い手を止める。次にぱっと手を広げるとローブはふわりと足元まで広がった。

 リグロルはまだ剣をしまわずダムハリをにらんでいる。睨まれているダムハリは腰に手を当てニヤニヤと笑っているだけだ。

 やがて……、盛大なため息をリグロルがつき、小剣を鞘にしまった。


「人選を間違えたと今つくづく悔やんでいます。フミツキ様、私の落ち度です。大変に申し訳ありません。お尻は大丈夫ですか?」

「ちょっとひりひりしてるけど大丈夫だよ。びっくりしたよ」

「そうですね、あの非常識な外見と言動をいきなり浴びせられて平気な人はもはや人ではありません。それは人でなしです」

「なぁに?ずいぶんな物言いじゃない。あたしはあたしを余す所なくぜぇーんぶ受け入れているんだからそれで万事解決よっ!」

「あなたのその受け入れの話を……はぁー……」


 心底疲れたリグロルがため息でしゃべるのをやめてしまった。


「おつかれねっリグロル。あたしが癒してあげようか?」

「結構。心労の原因に癒されたくはありません」

「あんただれ?」


 いきなりダムハリが文月を指差した。急な指名で文月はリグロルのスカートをギュッとする。


「えっ?」

「あなたはだぁーれ?」


 もう一度ダムハリが文月に問いかける。


「達島文月……です」

「ううん、それはあなたの名前でしょ?もう一度聞くわ。あなたはだーれ?」

「僕は……えっと……達島文月という名前で」

「そうね」

「日本からやってきて……」

「ふーん」

「向こうでは高校生で……」

「そう」

「えっと……男で……」

「そうね」

「だけど……女にされちゃって……」

「そうよね」

「えーっと、…………」

「それがあなたの全てなの?」

「いや、そうじゃなくて」

「そうよね、言い尽くせないわよね」

「あー……はい」

「同じ質問を、あたしにしてみてちょうだい」

「え?」

「あたしがあなたにした質問よ」

「あーっと、あなたは誰ですか?」

「あたしはあたしよ!」


 何を言っとるんだこのオカマ。


「あたしの髪型が変わったら、あたしじゃなくなるかしら?」

「いいえ」


 髪型を変えたくらいでこの強烈なキャラクターが消えるとは思えない。


「あたしのメークと衣装が変わったら、あたしじゃなくなるかしら?」

「いいえ」

「あたしが魔法を使えなくなったら、あたしじゃなくなるかしら?」

「いいえ、仕事は変わりそうですけどね」

「あははっそうね、もう城にはいられないわよねっ」


 にっこりとダムハリは笑う。


「それじゃ、あたしの性別が変わったら、あたしじゃなくなるかしら?」

「それは……」

「どうして言いよどむの?」

「大事なことだから」

「まぁ大事よね」

「けど……ダムハリさんなら……そのままの気がします」

「あなたはどう?性別が変わって、あなたは変わった?あなた自身は変わっちゃった?」

「僕は……僕のままです」

「そうよ!あなたはあなたのままなの!なーんにも変わっちゃいないっ!」


 ダムハリはくるりと一回転してぴしりと文月を指差す。リグロルがその指を忌々しげに睨む。


「あー、そうか、僕は……僕なんだね」

「そうよ、簡単で当たり前よ。ま、それをどれだけの深さで納得できるかは人それぞれだけどねっ」

「ありがとうございますダムハリさん。何かちょっとすっきりした気がします」

「やーねー、ダムハリって呼んでちょーだい。フミツキ様ぁん」

「うん、ダムハリ。これからもよろしくね」

「きゅーっ!可愛いわっ!ねっリグロルっフミツキ様ちょっと借りていい?いい?ねぇいいっ?あたしの部屋でもっとお話しましょうよ!」

「あなたの部屋などにフミツキ様を絶対に行かせません。あんな狂気染みた部屋。何よりこの後フミツキ様は国王様との晩餐です」

「ねっフミツキ様このあと予定ある?あるの?無いんだったらちょっと来なさいよっ。面白いものいっぱいあるからっ!」

「ご予定はあると言っているでしょう!」

「あ、あのごめんなさい。この後は無理なんです。国王様と夕食だから」

「もぅそうなの残念っ。何よリグロル、予定があるならあるって言いなさいよね」

「くっ……この!」

「じゃフミツキ様っ。あたしは7番隊の詰め所か自室にいるからいつでも来てね!」


 文月の返事を聞く気がないのか聞くまでも無いと思っているのか、あっという間にダムハリは退室した。


「……いやー……すんごい人だったね」

「申し訳ありません、文月様。事前に失礼な言動は極力控えるようにかなり強く言いつけたつもりだったのですが、それでもあの様でした」

「ううん、リグロルが謝ること無いよ。あの性格だもん、他人の指示なんて聞こえないんじゃない?」

「おっしゃる通りです。その通りなんですが……やはり、申し訳ない気持ちになってしまいます」


 バタンといきなり扉が開いて再びダムハリが顔を覗かせた。


「パンツ履きなさい」


 バタンと扉が閉まった。

 一瞬何の話かと思ったが文月は顔を真っ赤にしながら膝立ちになりようやくリグロルのスカートを離す。

 いそいそとパンツをひきあげ自分でお尻に手を回し食い込み気味になっている状態を戻した。

 リグロルは歯を食いしばり扉を睨みつけている。


「あなたが言いますかっ!」


 ついに我慢できなくなったのか、もはやぶつけるべき相手はいないのに扉を指差して怒鳴った。

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