姫様になんてならないから!

三浦むさし

第1話 なんか召喚だって

 薄暗いここは円形の部屋だ。

 かなり広い。

 大人が30人、腕を広げて壁際に立ってもお互いの手が届くかどうか、という位の広さがある。

 薄暗いが、見回せる程度のぼんやりとした明るさはあった。

 うねる様な彫刻が施された太い柱が周囲に立っていた。

 柱は極彩色の神々が描かれた半球型の天井を支えている。

 柱と柱の間の壁一面を文字とも模様とも判別しがたい幾何学的な線が床から天井までびっしりと埋め尽くしていた。

 部屋の真ん中には石のような金属のような不思議な光沢をもった円盤形の舞台があり、その上には一人の黒髪の少年が横向きに倒れていた。

 身に着けているものはTシャツとトランクスだけである。自室での就寝時には問題ないだろうが、儀式的な様式が施されたこの部屋の中では大いに違和感があった。

 少年が横たわっている舞台からは光る霧のようなものが立ち上っており周囲を照らしていたがその霧も徐々に薄れ、最後の一粒が凛とした音色を放つように一瞬だけ輝き、神々が描かれた天井に向かって空中に溶けていった。

 部屋には静寂が広がっていたが、その空気は緊張に満ちていた。


「~~~~~~ったぁ……」


 少年がうめき声とともにゆっくりと動き出した。

 痩せているわけではないが、細い印象のある体つきである。


「ぐ、ぐ、ぐぁ、いたたたたたた……」


 片手で頭をおさえながら片手で上半身だけ起こす。

 足を伸ばしながら体をひねり、尻を床について仰向けに倒れそうになる上半身を背中のほうに伸ばした両腕で支えた。

 顔を天井に向け、痛みで閉じられていた少年の目がようやく開かれた。髪と同じ漆黒の瞳があらわれた。

 男にしては長いまつげである。鼻筋も通っており、眉も緩やかなカーブを描いている。

 唇も血色が良い。部分部分を見ればまるで少女のようだが全体を見ればその顔はやはり男の顔だ。

 あと数年たち、更に男らしさが増せばその容姿だけで陥落する女もでてくるだろう。そんな予感を感じさせる顔立ちだった。


 少年の動きが止まる。


 天井から視線を外し周囲を見渡した。


 後ろにもたれていた体重を前にかけ、両手でごしごしと整った目をこする。

舞台の周りを十数人の人間が取り囲むように立っていたのだ。

 その全員がゆったりとしたマントをはおり、手には簡易な装飾の付いた杖を持っていた。

 その視線全てが少年に向けられている。

 全員が微動だにせず沈黙を守っているが無表情というわけではなく、それぞれの感情を抑えているだけだという事が伝わる。

 ただ共通しているのは、全員が緊張しているという事だ。


「……え?……あれ?」


 少年は再び両手で目をこすり、周囲を見渡す。

 慌てて立ちあがり、もう一度目をこする。


「えっと……あの?」


 その場から動こうにも舞台の中心にいる少年にはどこにも逃げ場がない。

 どの方向を見ても周りには杖を持った人物が立っている。

 Tシャツにトランクスというあまりにも無防備な格好で少年はうろたえた。


 ちゃりん、という金属音をさせながら一人の老婆が舞台に近づいてきた。

 音は老婆の持つ杖にぶら下がっている複数の輪がこすれあった音らしい。

 ちゃりん、ちゃりん、ちゃりん。

 舞台の袖まで近寄ると周囲の者に何かを言った。

 近くに立っていた二人が老婆を持ち上げ、舞台の上に乗せてあげた。

 老婆はにこにことしながら手伝った者に何かを言った。

 軽い冗談だったようで、手を貸した二人がくすっと笑い、周囲に張り詰めていた緊張が和らいだ。

 ちゃりん、ちゃりん、ちゃりん、ちゃりん。

 杖を突きながら老婆が少年に近づいた。


「○■×△、□●▼×◎」


 老婆は少年の前に立ち、やさしい口調で何事かを言うが少年には分からない。


「え?え?、何ですか?」

「□●▼×◎、×◎■×△」


 自分の知っているどの言語とも似つかない言葉に少年はうろたえた。


「えーっと、ごめんなさい。わかんないです」


 自分の置かれている状況も忘れたかのように、少年は申し訳なさそうに首を振る。

 老婆はうんうんと頷き、にこにことしながら自分の持っている杖の先を何度か指差した。

 杖の先には大人の拳より二周りほど大きい宝石が嵌っている。

 宝石は水色でぼんやりとだが光っているようだ。

 少年は宝石と老婆を交互に見る。

 どうやら老婆はこの宝石を見ろと言っているようだ。


「これを?見るんですか?」


 伝わらないと思いながらも少年は宝石を指差し老婆に尋ねる。

 またうんうんと頷く老婆。伝わったらしい。

 少年が顔を近づけ宝石を覗き込んだとき、老婆が杖をちょっと動かし、宝石をこつんと少年のおでこに当てた。


「?」


 痛くもかゆくもないが、なんだかいたずらに引っかかったような心持になりながら少年は老婆を見た。

 老婆が一歩下がる。

 その行動を疑問に思う前に、宝石が当たった箇所から後頭部にまで突き抜けるような痛みが走った。


「があああああ!!!!!!!」


 頭を抱えながら少年がその場に崩れ落ちる。

 痛みはまだ収まらないらしく両手で頭を押さえながら悲鳴をあげる。


「いぃいいいぃいいい!!!!!」


 唐突に悲鳴が途切れ全身の神経が切れたかのようにぐたりと少年は仰向けになった。


「大丈夫かい?坊や」


 やさしい口調で老婆が少年に尋ねる。

 少年は大の字になり息を荒くしながらも自分を覗き込んだ老婆をにらんだ。


「な、何をするんですか……!」

「ちょいとね、言葉が分かるようにしたんだよ。今は私の言っている事が分かるだろ、ん?」

「そ、そういえば、わ、分かりますけど……すごく痛かったですよ」


 ふくれっつらで苦情を述べる少年。

 とんでもなく痛い目にあわされながらも相手に対して攻撃的にならない。この少年、どうやらかなりのお人よしらしい。

 何より宝石でおでこを突かれただけで言語を習得できたという異常事態に気が付いていない。

 お人よしの上に少々抜けている感があることも否めない。

 まだ痛みの余韻が残っているのか、ふらりとしながらも少年は立ち上がった。


「さて、言葉が通じるようになったところで坊やには色々と聞きたいことがあるだろう。坊やの質問には何でも答えてあげるよ。でもその前にひとつだけあたしから聞かせておくれ」

「えっと、なんですか?」

「坊やの名前を教えてくれないかい?」

「達島文月(たつしまふみつき)です」


 達島文月、高校二年生。

 強引にわけの分からない状況に落とされたにも拘らず見ず知らずの他人に自分の本名を素直に教えるこの少年、根っからのお人よしである。


「タツシマフミツキ……長いね。どう呼べばいいんだい?」

「えっと、両親や友達とかは文月って呼んでました」

「フミツキという呼び名は何かいわれがあるのかい?」

「いわれというか、7月の事です」

「シチガツ?」

「そうです」

「ふむ……」


 老婆は杖に寄りかかり、わずかに考え込むと口を開いた。


「人に名乗らせておいて自分は名乗らないなんて礼儀知らずだったね。あたしの名前はニムテク・ジ・ウィシジピビック」


 聞きなれない名前で文月は思わず聞き返す。


「え?にむ?え?ぴびっく?」

「ニムテク・ジ・ウィシジピビックだよ、呼びにくかったらニムテクでいいさ」


 あまり呼び名に頓着しない様子でニムテクは気軽に言う。


「あ、すいません。じゃ、ニムテクさんで」

「ああ、いいとも」


 にこやかに受け入れる。


「えっとニムテクさん」

「なんだい?」

「ここはいったいどこなんですか?」

「ふむ……、その質問は、もう一度この珠を見てくれたらわかるよ」


 教えるのではなく、わかるとニムテクは言った。

 ニムテクは先ほどと同じようにニコニコと杖の先の宝石を指差す。

 流石に警戒心をあらわにして文月は眉をよせる。

 あんな痛い思いは二度と御免だろう。

 しかし、にこにこと相好を崩さず文月を待っているニムテクをどうも拒絶しづらいらしく文月は恐る恐るその宝石を再び覗き込んだ。

 杖の先の宝石は先ほどは水色だったのに今度はいつの間にか綺麗な桃色に変わっていた。

 綺麗だな……

 文月はぼんやりとそんな事を考えた。

 ニムテクも今度は何もせず文月を見ている。

 特に何も起こらないので文月は視線をニムテクに向けた。


「えーっと……?」

「もう少し、もう少しだよ」


 にこにこしているニムテクに言われて文月はもう一度宝石を覗き込んだ。

 宝石の中心に小さな薄ぼんやりとした影が現れた。

 人……?

 その影は徐々に輪郭がはっきりとし、膝を抱えた人型になってゆく。

 髪は長く体の凹凸から性別もわかるようになってきた。

 女の人かな……?

 文月がそう思ったとき、ニムテクが杖を動かしこつんと宝石をおでこに当てた。


「……またですか?」

「いいや、今度のは……」

「今度のは?」

「さっきのとは比べ物にならないよ」


 一瞬思考が停止し、苦情を申し立てようか覚悟を決めようか躊躇した途端、想像を絶する痛みが文月の全身を突き抜けた。


「がっ!ぐがっ!!……!……!!!」


 全身を突き抜け続けるとんでもない激痛に悲鳴もあげられず文月はその場に卒倒する。

 意識を失いそうになる激痛に身体を弓なりに反らせる。歯を思い切り食いしばり口の端から泡をふいて白目をむいた。

 痛みで気絶しそうになり、痛みで意識を戻される。

 呼吸することも忘れ文月は全身のあらゆる筋肉を全力で緊張させた。


パリン!


「おや、砕けちまったね」


 ニムテクのそんな声を最後に聞いて文月の意識は完全に闇に落ちた。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 静かな室内で少女がぐっすりと眠っていた。

 いくばくかの時間が過ぎ、やがて少女はゆっくりと目を開けた。

 少女の目に最初に映ったのはベットの天蓋である。純白のレースのふちにはピンクの刺繍が施してある。それが緩やかな曲線を描いてベットの支柱に軽くまとめられている。

 起き上がらず顔を横に向けてみた。全身がものすごく楽なことに気が付いた。

 体の下にあるマットがとんでもなく心地良い。頭のほうを少し高くするために大きなクッションが上半身をやわらかく包み込み支えていた。

 目が覚めたにもかかわらず、起き上がりたくない。そんな気持ちが湧き上がるほど寝心地が良かった。

 ぼんやりとしたまま室内に目を向けてみる。


(豪華な部屋……)


 調度品はそれほど多くはないが広く、そして天井が高かった。

 壁際の二つの大きな窓は上の部分がアーチ型で室内に柔らかい午前の太陽光を取り込んでいた。

 窓の反対側の壁には暖炉が備え付けてあり、ゆっくりと薪がはぜている。

 静かな室内を銀髪のメイドが一人、これまた足音を立てずに動いていた。

 暖炉の火の調整をしたり、丸テーブルを拭きクロスをかけたり、花瓶に花を挿したりこまごまとした作業を慣れた手つきで静かに丁寧に室内を仕立ててゆく。

 メイドがふと何かを感じたのかこちらを見た。

 レース越しだったが目が合った。

 音を立てずにメイドが枕元まで近づいてくる。髪だけでなく眉毛もまつげも銀色だった。

 その時にメイドの腰に反りの付いた小剣が下がっているのに気がつき、自然と身体が硬くなった。

 少女は思わず体にかかっていた柔らかな白いシーツを掴み、鼻まで隠して目だけでメイドを見上げる。


「お目覚めになられましたか?」


 メイドが天蓋のレースを持ち上げにっこりと笑いながら穏やかに話しかけてきた。

 現状に現実感が持てなくてこくこくとシーツの下で少女はうなずいた。


「大丈夫です。そのままお待ちください」


 何が大丈夫なのか皆目見当がつかなかったが瞬きしながら再び頷く。こくこく。

 メイドは丁寧にお辞儀をすると両開きの扉から部屋を出て行った。


(いったい何……?)


 シーツからゆっくりと顔を出しもう一度室内を見回してみた。

 床は毛足の長い絨毯がしかれておりメイドの足音が聞こえなかったのもこの絨毯のおかげだろう。

 壁や天井にはパステル色でつる草のような模様が描かれており柱は磨かれた石で出来ているようだった。

 天井が高いので空気が澄んでいるように感じる。

 暖炉の中でパチンと薪が音を立てた。

 ゆっくりと頭を持ち上げようとして、違和感に気が付いた。

 頭が後ろに引っ張られるのである。

 何かの内因的な症状ではなく、物理的に頭が重いのだ。


(頭が重い?)


 しかし重いといっても動きを制限するほどの重さではなくあくまで違和感である。頭に何か載っているのかと思いながらもベットの上で上半身を起こした。

 さらりと黒髪が両耳の上をすべり体の脇に流れた。艶やかで長く黒い髪である。

 髪の重さで頭が重く感じられたのだ。


(長い……髪……)


 驚いて自分の頭に手をあててみた。つやつやとした質感を手のひらが感じる。

少し引っ張ってみるとつんつんと頭皮も引っ張られる。間違いなく自分の髪だと感じる。

 体を覆っていたシーツをめくり、ベットのふちに腰掛ける。

 どうにもふらふらする。

 片足を絨毯につけると室温よりも少しだけひんやりとした毛足に足が沈んだ。

少女はゆっくりと両足を絨毯の上におろし立ち上がる。

 立ち上がりはしたのだがめまいとは少し違う酩酊感で、ぽすん、と再びベットに腰掛けてしまった。

 バランスが取れない。


(変?何か変?)


 今度はゆっくりと慎重に立ち上がる。

それでもやはり倒れそうになる体を、あわわあわわと腕を振って持ち直そうとする。

 とてててて。

 自分の意志とは無関係に体勢が崩れ、ベットから数歩進んで窓のほうによろける。

 そこでついにバランスを崩した。

 膝から落ち、ぺたんと尻餅をついた。

 丁度窓から入る陽光があたっていた場所だったので絨毯が暖かい。


(うわぁ、気持ちいいなこの絨毯)


 一瞬、現状を忘れ絨毯をなでなでとさする。

 窓を見上げると太陽がまぶしかった。


(まぶしー)


 そう思い、片手で太陽を遮ろうとした。

 手のひらがほんのりと温かくなる。

 両手で太陽を遮ろうとした。

 両の手のひらが温かくなる。


(てーのひらをーたいよーにー)


 腕を伸ばし太陽の前で両手をゆっくりと振ってみる。

 指の間からちらちらとこぼれてくる光が目にも体にも心地良くて、太陽そのものに触れようとするかのように腕を伸ばした。

 幼い頃に感じた事があるような心の動きがもう一度胸にじんわりと広がった。

 何も考えず幸せな気持ちでもう一度太陽に腕を伸ばす。

 ドアのノックの音がした。


「失礼します」


 先ほどのメイドが扉を開け室内に何人かを招きいれた。

 メイドを含め室内に入った全員が目を奪われた。

 窓から差し込む光の中で、太陽そのものの祝福を受けるかのように黒髪を広げた少女が光に腕を伸ばしていた。

 幻想的な光景だった。

 陽光が少女の白い肌を照らし、まるで少女そのものが薄く輝いているかのような印象を受ける。

 輝く身体と対照的に光を吸い込み続けるような長い黒髪が少女の背中側に広がっていた。

 光と戯れていた少女が室内に入ってきた人物達に気がつき腕を下ろし顔をこちらに向けた。

 髪と同じ色ではあるが、こちらは輝きを放つような瞳で全員を見た。

 少女は驚いて立ち上がろうとする。

 両手を前について腰を浮かそうとして、ぽふん、と元通りに絨毯に座り込む。

 もう一度挑戦して、ぽふん。

 今度はゆっくりと挑戦してみる。なんとか立ち上がることが出来た。

 生まれたての小鹿を連想させた。

 バランスをとるために広げた両腕が空中をふわふわとしていたが、やがてそれもおさまる。

 視線は足元を見つめていたが体が落ち着いたのかようやく顔を上げ目を前に向けた。

 太陽のスポットライトの中にすらりとした姿が立ち上がった。

 少女が身に着けているのは薄手のゆったりとした長く白いネグリジェだけである。

 それが日の光を通すので彼女の体のシルエットがはっきりと分かった。

室内の全員の視線を集めていた少女が沈黙を破った。


「あの……えっと……?」


 鈴を転がすような耳心地の良い声だった。

 ちょっと不安そうな声音を聞いて、ニムテクが隣に立っていた青年のわき腹を持っていた杖でつついた。


「ほれ、何時まで見惚れているんだい?支えてあげな」

「え?はい」


 少し慌てた様子で青年が少女の前まで駆け寄る。

 いきなり知らない人物に近寄られ少女は一歩後退するが、バランスがとれずそのまま倒れそうになる。

 空中を掴もうとした少女の手を青年がつかみ、咄嗟に背中に手を回し少女の身体を支えた。

 自然と二人の顔が近くなる。

 スポットライトの中の登場人物が二人になった。

 支えた青年は少女よりも頭ひとつ分背が高かった。

 青年は緑を基調とした軍服のような服を身に着けており腰には細身のサーベルを下げていた。

 何より特徴的なのは彼の髪の色だった。生え際は濃い緑色なのだが毛先に行くにしたがって群青色にグラデーションしていた。

 青年の濃い緑色の瞳が少女の黒い瞳を見つめる。


「う……ぁ、あ、ありがとう」


 間近で視線が合うのが恥ずかしかったのか少女が目を心持ち伏せながらぽそりとお礼を口にした。

 長いまつげが光る瞳を半分ほど隠す。


「さて、まだうまく立てないようだから一旦ベットにお戻り」

「……はい」


 ニムテクに言われ、少女が従順に頷いた。

 青年に支えられながら少女は再びベットに腰掛る。

 青年が一歩下がると当然のようにメイドが進み出て青年と入れ替わりシーツをめくり流れるような動作で少女を横にして胸元までシーツをかけた。

 あまりに自然なメイドの誘導に少女は抵抗するきっかけすらつかめなかったようでそのままおとなしく横になったまま一同を見つめた。


「気分はどうだい?」


 一同の視線が少女に集まり沈黙が部屋に満ちる前にニムテクが少女に声をかけた。


「あ、まぁ、悪くはないです……けど」

「けど?」

「何か変な気がします」

「ふむ、いきなり大人数が部屋に押しかけてくれば変な気もするだろうね」

「あっと、そうじゃなくて、それもそうなんですけど……何だか体が変なんです。思いどうりに動かないというか、……自分の身体なのに変な感じがします」

「ふむ、まぁ、そのうち慣れるさ」

「慣れる???」

「鏡を見たかい?、いや、その様子じゃ見てないね。ちょっとその姿見をここまで持ってきておくれ」


 ニムテクが言うと、先ほどの青年に付き従ってきたメイド二人が姿見を持ち上げ枕元に持ってきた。

 覗いてみなさいとニムテクが鏡を指差す。

 少女は少女と目があった。


(綺麗だな……)


 ちょっと不安げに揺れる瞳も長い黒髪もすっきりとした鼻梁も大人しめの唇もよく整っている。

 そして鏡を見ている事実に思い当たり、その表情が驚愕に変わってゆく。

 ゆっくりと手を動かして自分の顔に触れる。当然鏡の中の少女も同じ動作をする。

 恐る恐る上半身を起こして鏡に近づく。

 自分の顔に触れ、鏡に手を伸ばし、また自分の顔に触れる。

 突然気が付いたように自分の胸をわしづかみにし、顔面蒼白になる。

 少女がバサッとシーツをめくり両手を中に突っ込んだ。


「おっと、見るんじゃないよ」


 自分の身体を、とくに足の間を確認しようとした少女を隠すようにニムテクとメイド達がベットの脇にさっと立ち並んだ。

 緑髪の青年は視線をあちらこちらに外すがあまりにもぎこちない。


「うそぉおおおー?!?!」


 少女となった文月が、今更ながらようやく絶叫した。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「まぁ落ち着きな」

「おちっ!落ち着きって!落ち着いてますよ!ビックリですよ!!」


 驚愕が未だ去らぬ文月をニムテクが宥める。


「何か飲んで落ち着きな、温かいものがいいかい?」

「あう…!あう…!」ふるふるふる。

「かしこまりました」


 文月の返事をどう解釈したのかメイドが優雅にお茶の準備を始めた。

 先ほどの青年は文月が落ち着いたらまた来るということで退室しており、今この部屋には文月とニムテクと最初からいたメイドの三人である。

 すぐにメイドがお茶を二人分用意して持ってきた。ベットのサイドテーブルにトレイを置き文月に丁寧に手渡した。

 ニムテクにもお茶を渡し、メイドは二人から三歩下がった。

 文月が深呼吸をし、お茶を一口含んだのを確認してニムテクは話し出した。


「さっき若い男が来ただろう。あんたを支えた男」

「はい…?いましたね」


 何の話だろうと文月が小首を傾げる。

 さらりと黒髪が流れた。


「あれがあんたの相手だよ」

「僕の……相手?僕の何の相手ですか?」

「結婚相手さ」

「んが!?」


 可愛らしい瞳を大きく広げて文月が硬直する。

 お茶をこぼすかもしれないと思い、メイドが文月に駆け寄りゆっくりとカップとソーサーを抜き取った。

 文月の手はまだカップを持った形で固まっている。

 5秒経って再起動。


「……!、な…!、ちょっと……!」

「あんたを呼び寄せたのはこのあたし。理由はあの男、タルドレム王子の結婚相手を探していたのさ」


 理解の範疇を粉砕したニムテクの言葉に文月は首をふるふるさせて口をパクパクする。


「……!……!…!…………はぁぁぁー……」


 奔流の様な文句や怒りや抗議の言葉が頭に溢れかえった、が結局文月の口から出たのは大きな大きなため息だけだった。


「僕を……元に戻して、帰してください……」


 小さな声だが切実で真摯な願いを文月が口にする。


「無理だね」


 何の逡巡もなくニムテクが文月の言葉をぶった切った。


「そう睨まないでおくれ、意地悪で言っているんじゃないよ」


 文月のキッとしながらも潤んだ目線をニムテクが手を振りさえぎる。


「あんたの頭をつついた杖を覚えているかい?あの先についていた宝珠が割れちまったのさ」


 ニムテクが言うには文月を呼び寄せたのも言葉が分かるようになったのも性別を変えたのもあの宝珠の力によるものだそうだ。

 しかもあの宝珠はめったなことでは手に入らない秘宝のようなものらしい。

 どうすればもう一度宝珠が手に入るのかという文月の質問にニムテクは予想外の答えをした。


「魔物を倒すのさ」

「……?……え゛?」


 鉱脈を探すとか、持っている人から高額で買い取る等の返答を予想していた文月は唖然とした。


「マモノ……ですか?」

「そうさ、ちなみにあの壊れた宝珠は先々々代の王の時代に地底の割れ目から這い出てきた魔物を倒した時に手に入ったそうだよ。角と翼が生えていて全身から火を噴く巨人だったと言われているね」

「言われているねって、なんですかそれ?」

「容姿からすると地底の悪魔の一種だろうよ」

「え?悪魔って……いるんですか?」

「もちろん」

「もちろんって…」

「フミツキは魔物を見たことがないのかい?」

「ないです!ないです!あるわけないです!」

「それにしては『魔物』という言葉は知っているね?」

「えっと……、聞いたことがあるというだけで……」

「じゃぁそう珍しいものでもないだろう」


 文月は言いよどんでしまった。

 知識としてはあるが、それをそのまま信じている訳ではない。だがニムテクは魔物の存在を疑うどころか、あって当然という認識らしい。

 しかも宝珠はその魔物を倒して手に入れた、ときた。

 宝珠が手に入らない言い訳かな?という考えが文月の脳裏を横切る。

が、言い訳にしてはあまりにもお粗末過ぎるとも思う。もっと文月が納得しそうな理由なんて文月自身でもいくつか思いつく。


(よりにもよって魔物って……)


 文月は目を閉じ指先で可愛いしわが出来た眉間を押さえる。

 とにかく一旦落ち着こう、どうにも最初から向こうのペースに流されっぱなしだ。

 そう思い文月は大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。


「僕は……。達島文月17歳です。稜山(りょうざん)高校の2年。部活は中学は陸上部、高校では器械体操部に所属しています。家族は両親と妹が一人います。学校の成績は真ん中よりは上だと思います。趣味は読書とゲーム。最近興味があるのが料理です。両親が留守のとき妹にせがまれて作った料理がたまたまおいしく出来てそれ以来興味がちょっと出てきました」


 自己認識と現状確認のためだろうが文月が自己紹介を始めた。


「これはご丁寧にどうも。あたしはニムテク・ジ・ウィシジピビック。このラスクニア王国の王宮で宮廷魔術師をしているよ。得意な魔術は回復系や補助系の魔法だね。生まれは下級貴族の出だけど、学園時代に魔法の才を買われ引き抜かれて以来の王宮暮らしさ。あと、年なんて忘れたね」


「えーっと……、なんか間違えた気がする!」


 文月が頭を抱えて声を上げる。


「私も紹介をしたほうがよろしいでしょうか?」


 メイドが静かに言う。


「お願いします!」


 やけになった文月がメイドをにらむが、ちょっと涙目なので全然怖くない。


「昨日よりフミツキ様付きのメイドを申し付かりましたリグロルと申します。以前はニムテク様の身辺のお世話をさせていただいておりその折にニムテク様直々に回復系の魔法を教わりました。つたないながらも一応のお免状をいただきこの度の大役を仰せつかりました。回復系の魔法のほかには剣術を少々嗜んでおります。年は19になります。非才の身ではありますが全力を尽くす所存です。どうぞよろしくお願いいたします」

「あ、はい、こちらこそよろしくお願いします」


 とても丁寧なリグロルの一礼に冷静になり反射的に頭を下げる文月だったが、引っかかる言葉があったようだ。


「……えーっとあの……」

「なんだい?」

「魔物でもひっかかりましたけど……魔法って?」

「フミツキは魔法を知らないのかい?」

「さっきと同じです。聞いたことはありますけど」

「ふむ、ということはフミツキは魔法を使えないのかい?」

「当たり前です」

「なんと。悪魔の宝珠を粉砕するほどの魔力を持っているのにね」

「知りませんよ」


 本人には全く自覚はないのだが、頬を膨らませてプイっと横を向く仕草がとても愛らしい。

 文月の常識からすれば魔法だ魔力だ優れているといわれてもピンと来ない。


「ふむ……。流石に王子の婚約者が魔法を使えないのはマズイねぇ」

「婚約者になんてなりませんよ」

「もうなってるよ」

「……ぐっ。魔法なんて知りませんから」

「女の子の夢、お姫様になれるチャンスだよ?」


 女の子じゃない!女の子にされたんだ!そんな夢なんて見たことない!

 様々な思いが渦巻き、文月は息を大きく吸いこんでようやく心情を吐露する。


「お姫様になんてなりませんから!」


 怒鳴るにはあまりにも不釣合いな可愛い声がお姫様の部屋にそこそこ響いた。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 怒るには怒ったのだが、慣れない体では部屋を飛び出すというわけにもいかず、かといって現状に対して否の意思を周囲にアピールしたい。

 その結果文月が取った行動は、そのままシーツにもぐりこんで出てこないというなんとも微笑ましいモノだった。

 少しだけシーツからはみ出している黒髪から、ぷんすかぷん!程度の怒りのアピールが感じられるのがまた愛らしい。

 ニムテクはあっはっはと笑って、とっくに退室していた。

 室内には文月とメイドのリグロルだけである。


「フミツキ様、そろそろ限界なのではないですか?」

「!……」


 二人きりになってからしばらく時間がたった時、リグロルが文月にやさしく声をかけた。

 ギクッ!とシーツの盛り上がりが硬直する。

 リグロルが声をかける前からシーツがもじもじと動いていた。

 両足をこすり合わせるような動きからリグロルが文月の生理的要求を指摘したのだ。


「シーツを汚されても私は気にいたしませんが、10を超えた妙齢の女性が意図的に粗相するというのはいかがなものかと思いますよ」

「くぬぅ……」

「ちなみにトイレはあの扉です」


 リグロルが指をそろえて室内にある少し小さめの扉を指す。

 頑なにシーツにもぐっていた文月がちょこっと顔を出しリグロルが示した扉を 確認する。


「お手をどうぞ」


 リグロルが当然のごとく文月を支えるために両手を差し伸べる。

 反抗心と羞恥心がせめぎあい、かなりの接戦を行い、2種類のプライドがそれぞれに援軍として参加し、その結果。

 文月はおずおずと手を伸ばした。

 まだうまく立てない文月の両手をリグロルが下から握る。リグロルは後方確認を一瞬で済ませ、文月の両手を引く。

 あんよはじょうず。


「お上手ですよ」


 微笑ましい雰囲気を身にまといリグロルがやんわりと褒める。

 だが文月にとっては17にもなってただ歩くだけの事を年上のお姉さんに褒められるのは恥ずかしいだけだ。

 それでも限界が近い文月は頬を染めながらもリグロルに導かれるまま目的の扉に向かって歩く。

 扉の前まで来るとリグロルは片手を背に回し、一瞬で扉を開けすぐに手を握りなおす。

 慎重に室内へ導きスルリと文月の後ろに回った。

 一目見て使用方法は予想が付いた。いわゆる洋式便座に近いものだろう。これなら一人でできると文月は考える。


「失礼します」


 リグロルは文月のネグリジェをまくりあげ、下着を足首までずり下ろした。


「にゃあ!!!」


 ぷるん、つん、の両属性を備えた白いお尻が外気にさらされる。

 リグロルは文月を後ろから片手で抱き上げるように支え、もう片手でネグリジェをまくったまま文月を半回転させて器用に便座に座らせた。


「どうぞ」


 ネグリジェを持ち上げたまま後ろからリグロルが声をかける。トイレといっても大人4人は余裕で入れるほどの広さがあるためリグロルが文月の後ろに控えても窮屈さは感じない。


「あ、あの一人でできますから……」

「なさった後、拭き方などはご存知ですか?」


 知る分けない。


「い、え、けど、適当に……」

「手抜かりがあると後で痒みがでたり、ご病気になられたりしますよ?最初だけですからどうかお手伝いさせてください」


 親切心から言われると、文月の性格では無碍に断る事ができない。なにより限界である。


「~~~~~っ」


 悲鳴ともささやき声ともつかぬ叫びが文月の口から漏れると……決壊した。

 しゃぁああああ!!!

 水の入った風船の口を指で挟んでおき、それをいきなり放したかのような勢いだった。

 音もそれなりに響く。

 リグロルがネグリジェを持ち上げているため文月の背中半分は丸出しである。

 きゅっとしまったウエストから広がる丸いお尻が体重で少しつぶされ桃が僅かに横に広がっている。

 お尻の割れ目が始まる綺麗なくぼみにも少しだが飛沫がとんだ。

 もちろんリグロルは全てを見ているが表情に出すことはせず、立ち位置も身体の向きも変えず文月が終わるまでただ静かに立つ。


「くぅ~~……」


 文月は膝の上に握りこぶしを作り、下を向き目をきゅっと閉じる。

 自分の排泄音を他人に聞かれるのがこんなに恥ずかしいとは知らなかった。

 やがて水音が収まると文月が開放感と羞恥心で耳まで赤くしながらリグロルに終わりを告げる。


「終わり……です……」

「はい、よくできました」


 リグロルは隅に置かれていた紙の束を何枚か手に取る。


「少しだけ腰を持ち上げていただけますか?」


 ちょっ?!何もかも丸見え?!

 そんな思いがよぎるが、もはや今更だという思いが全てを覆いつくす。

 おとなしく腰を少しだけ浮かせる文月。少し呼吸が早いかも。

 すんなりとリグロルは後ろから下に手を入れた。


「拭くときには前から後ろへ動かすのが基本です」


 そう言ってリグロルはまずはポンポンと紙を優しく文月の中心とその周辺に当ててゆく。

 新しい紙を取り、先ほどよりはちょっと強いが、なでる様に前から後ろへ拭いた。

 お尻の後ろまで飛んだ飛沫もちゃんとふき取る。


「次は前からです」


 リグロルは文月の前に回り今度は正面からネグリジェをまくり、おなかの前にまとめる。


「足を開いていただけますか?」


 ひぃぃいい!!!

 文月は内心悲鳴をあげた。

 下着が足首辺りにあるので足を開けば膝だけ広げる格好になる。

 裸でがに股。

 もう逝ける。

 悲鳴が出ないようにグーを唇に当て、もう片手で自分を抱きしめる。

 ゆっくりと文月の両膝が離れた。

 記憶にあるより面積も小さく、濃さも遥かに薄くなった黒い茂み。

 ためらいも無くリグロルは紙を毛に当て水気を取り始めた。

 腿の付け根も拭き、膝の裏近くまで丁寧に紙でふき取った。


「終わりましたよ。さあ、お立ちください」


 リグロルは再び文月の手をとり立ち上がらせる。

 いったん文月の両手を自分の肩に置かせ、リグロルはゆっくりとしゃがむ。

 自由になった両手で足首辺りにあった下着を持ち上げ丁寧に上まで持ち上げる。

 持ち上げた後は文月の腰を抱きしめるように後ろに手を回しお尻の下着の位置を整えた。

 ゆっくりと立ち上がりながら肩にあった文月の手を下から握った。

 トイレの扉を後ろ手に開けリグロルはベットまで文月を誘導する。


「あ、あの、もう横にはならなくていいです」

「かしこまりました、ではこちらへ」


 リグロルは大きな丸テーブルの前の椅子に文月を座らせた。


「ふぅー……」


 文月が大きなため息をつく。リグロルは文月の斜め後ろに控えた。

 静かな時間が過ぎる。

 暖炉の薪がはぜた。

 ぱちん。

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