第3話 なんか準備だって

「フミツキ様、お腹はこなれましたか?」

「えっと、まだ少し張ってる……かな」

「お食事は多すぎましたか?」

「あ、いえ、僕が勝手に食べ過ぎただけですから。けどちょっと多かったかな?」

「畏まりました。次回からは調整いたします」

「ありがとうございます」

「それではもう少ししたらタルドレム王子がお見えになりますのでご準備をいたしましょうか」

「タルドレム王子って?……あ……え゛ぇー?」


 緑髪の王子の顔と、そして自分との関係を思い出し露骨に嫌そうな顔になる文月。


「あらフミツキ様、綺麗なお顔がもったいないですよ」


リグロルがやんわりとたしなめるが文月の不機嫌は直らない。


「来てもらっても何を話していいか分からないですよ」

「お気にする必要はありませんよ。話題なんて男性から提供するものです」

「いや、そうじゃなくて」

「何かお気になることでもございますか?」

「ほら、なんだかよく分からないけど婚約者って事になってるんでしょ?それがなぁ……なんだかなぁ……」

「意識してしまわれますか?」

「僕は意識なんてしたくないけど、向こうはそう思っているんですよね?」

「それは勿論です。婚約者のお話は何度もニムテク様とされておられたご様子でしたから」

「あー、ですよねぇ……相手が僕をそう見てると考えると……」


 リグロルがくすりと笑う。


「お年頃ですね」

「違います」


 うふふとリグロルが笑い文月に両手を差し出す。文月はふてくされながらもリグロルの手を握り返した。大人しくリグロルに支えられながら文月は歩く。

 リグロルが文月をつれてきたのは部屋の一角だった。日本で言えば屏風で目隠しされた場所である。壁際には大きな鏡や豪華な化粧台が並んでいた。

 隣の衣装部屋にも続いており衣装部屋には扉が無いのでずらりと奥まで並んでいるドレス等が文月の位置からでも見えた。


「フミツキ様のお好みの色などございますか?」

「青系が好きです、けど……」

「それなりの点数はございますよ。ご希望されればここにあるもの以外の新着もご用意できますが」

「いえ、その、えっと王子のために着飾るんですよね?」

「ええ、そういたしましょう」

「その……嫌われたいってわけじゃないんですけど、あまり好意はもたれたくないなぁ……なんてちょっと思ったりして」

「あら」

「すみません……」


 文月のために働いているリグロルに対して失礼な考えだとは思うが男に好かれたいとは思わない。


「では、あまり媚をうってない装いにいたしましょうか」

「うーん……はい……」


 全くもって乗る気になれないが、駄々をこねてわがままを押し通す程の断固たる理由が見つけられず文月はリグロルの妥協案に頷いた。

 リグロルは隣の衣装部屋に入りすぐに青いドレスを3着持って来た。文月にも見えるように順番に屏風にかけてゆく。

 最初のドレスは胸元が大きく開いておりおそらく正面に立っても胸の谷間が見えると思われた。その時点で文月の中で却下。

 次のドレスは首元から足首まで全身を隠してくれそうだ。だがぴったりしすぎて体のラインが浮き出ること間違いなしである。これもダメ。

 最後のドレスはスカートはふわりと広がって可愛らしいが上着が付いているので胸の膨らみもウエストのくびれも隠される。ちょっと幼いかなとも思うが文月は最後のドレスを指差した。


「これ……かなぁ」

「畏まりました」


 リグロルは最初の2着を隣の部屋に戻すと文月を脱がし始めた。

 身に着けていたネグリジェは頭からすっぽりかぶるものだったのでリグロルは一旦しゃがんでネグリジェを捲り上げた。

 自然と文月は両手を挙げることになる。ネグリジェに持ち上げられ黒髪がまとまり、そしてぱさりと広がった。

 リグロルはネグリジェをハンガーにひっかける。

 ふと文月の視界の端に壁に備え付けられた大きな鏡が入り目を向ける。その中には黒髪の美少女が所作無げに立っていた。

 黒い髪と輝くような白い肌。少し儚げな瞳とすらりと通った鼻梁に桜色の唇、首から下に広がる色づき始めた果実を思わせる滑らかで柔らかい凹凸。身に着けているものは下半身を控えめに隠す白い下着のみ。

 あまりに無防備なその姿は劣情を催すのも憚られるような完成一歩前の美の象徴。

 文月は思わず胸を抱きしめて隠した。鏡の中の美少女も同じく自分を抱きしめて少しうつむき頬を染めた。


「まずは下着です」


 リグロルは文月の腕を通し後ろに回りブラジャーを胸に当てた。後ろから抱きしめるようにしてブラと胸の間に手を入れ、ふくらみを持ち上げるようにしてやさしく収める。リグロルの手のひらが文月の胸の先端を少しかすめた。


「……っ!」


 吐息ともとれるような小さな小さな悲鳴が文月の口からこぼれる。自分の身体に走った感覚に文月自身が驚いたし、それなりに色づいた声が無意識に飛び出した事にもっと驚いた。自分の精神を置いてきぼりにして体だけが女性になっていることに文月は暗鬱たる気持ちになる。文月の気持ちが顔に出たのだろう。


「今は少し敏感な時期のかもしれませんね」


 リグロルが文月の両肩に手を置きそっと話しかける。


「大丈夫です。すぐに慣れますよ。私も胸の膨らみ始めた頃には服が当たるだけで乳首が硬くなり恥ずかしい思いをしたものです」


 そうなんだけど、それだけじゃないんですよ、と文月は思う。自分の体が自分の管理下にないというこの状況は精神的にかなりきつい。何より今の文月の心情に共感できるであろう他人はいないという現実が文月の孤独感をいっそう募らせる。リグロルに対してあてつけになるかもしれないと思い、文月はため息を飲み込む。しかし飲み込んだため息は消化されず文月の表情を更に暗いものにしてしまった。敏感に文月の表情を察知したリグロルはどんな言葉をこの可愛らしい主人にかけようかと考える。


「フミツキ様、頼りないとは思いますが、私がお側に居ります。フミツキ様のご心情はフミツキ様ご自身にか理解できないものでしょう。それでも私はフミツキ様のお側に居ります。いつでもお側に居ります」

「うん……ありがとう……」


 リグロルの心遣いに文月は小さくお礼を返した。少しだけ、ほんの少しだけ文月の心の沈み具合が遅くなった。リグロルは文月の前に回り両手を取りにっこりと微笑んで見せた。


「このままのお気持ちでお会いしましょう」

「……え?」

「タルドレム王子にはこのままのお気持ちでお会いしましょう」

「……?」

「そして王子がフミツキ様のお気持ちを察することができないような男性なら、手ひどく振ってしまいましょう」

「そんなことして……いいのかな?」

「もちろんですとも。タルドレム王子にフミツキ様は簡単に手に入るような女性ではないという事を教えて差し上げてください」


 そう言ってリグロルはちょっとおどけた風に微笑む。


「けど……」


 文月は現状を冷静に考えてみた。

 もし王子に嫌われて婚約者という立場でなくなってしまったらどうしよう、という事である。

 ここを放り出されたらはっきりいってどうしようもない。今はリグロルやニムテクが居てあれこれと世話を焼いてくれているが、その支えが無くなったら文字通り一人では歩いてゆく事もできない。


「……婚約破棄とかになったらどうしよう……」

「それは大丈夫です。そんなことは絶対に無いですから」

「そうなの?」

「はい」


 自信を持ってリグロルは頷く。

 これは文月の知らないことであるが、タルドレム王子の婚約者の第一条件が魔力の高さだったのである。そしてその条件を遥かに上回る魔力を持った文月が呼び出された。これは国としては嬉しい誤算で、万が一婚約が解消されたとしても歴史上類を見ない程の魔力の持ち主を国が早々手放すわけも無い。

 そんな詳細をリグロルは説明しようかとも思うが、文月がタルドレム王子に付かず離れずの関係を持とうとしているのは、離れようとしているだけよりも遥かに良いと判断し今は黙っていることにする。


「タルドレム王子はフミツキ様に一目惚れですよ。絶対に口説いてこられるでしょうからまずはつれなくしましょう」

「つれなくって……」

「そんなお話興味はございませんわっ、なんて言っちゃってつーんとするんです」

「つーんと」

「そうです。だけどその後に、そんなお話をされるあなたの事には興味がありますわ、とか何とか言ったりするのが効果的」


 なんのこっちゃ。

 けどリグロルがわざとおどけた口調で文月の気を紛らわそうとしているのは分かった。

 くすっと文月が小さく笑うとリグロルもにっこり笑い元通りの口調になり文月を促した。


「さあ、ご準備の続きをいたしましょう」


 リグロルは文月にコルセットをあてて背中の紐を締めてゆく。

 締めてゆく。

 締めてゆく。


「ちょっ、リグロル?」

「はい?どうかされましたか?」

「あの、苦しい……ですけど」

「まだまだですよ」

「まだってそんな、あぐげぇ!」


 締まる締まる。


「いたっ!いたい!ねぇ!リグロルさん!?」

「どうぞ敬称は省かれてお呼び下さいっと」

「ぬぐぉお!!?」


 文月の手が空中を引っ掻くがコルセットの紐をがっちり握っているリグロルからは逃れられない。


「息が!息がっ!」

「できてますよ」

「助けてぇ……」


 文字通り息も絶え絶えになりようやくコルセットをつけ終わった。

 ぐったりした文月は易々と扱われる。リグロルは化粧台の前に文月を座らせて今度は化粧を始めた。

 文月は呼吸が精一杯でなにやら顔面に色々な液体をつけられ拭かれても空中を見据えたままである。


「ひぃ……もう帰っていい……?」

「どちらにですか?」

「……ベット」

「タルドレム王子とご一緒にならお帰りになっても結構ですよ」

「……がんばる」

「その意気です」


 苦しくてとんちんかんな事を言い出した文月をリグロルが軽くあしらう。

 一旦化粧をし終わったところでリグロルはドレスを持ってくる。


「フミツキ様、足を少しだけ上げていただけますか」


 文月は言われるまま足を少し上げる。すばやくリグロルは文月の足元にドレスを広げ文月の足を誘導する。文月を立ち上がらせ腕を通しドレスを肩にかけた。背中のボタンを留めると再び文月を椅子に座らせる。上着を着せてから仕上げの化粧に取り掛かった。

 口紅を塗るときになってリグロルはちょっと離れて小首をかしげて出来を確認する。またちょっと離れて小首をかしげる。

 紅の色を決め、小筆で文月の唇に紅をさした。


「フミツキ様、唇を結んで開いてください」

「え?どうやるんですか?」


 ようやく目の焦点が戻ってきた文月が聞きかえす。


「こうです。んーっぱっ」


 リグロルが唇を一文字に結んで開いてみせる。


「んー、ぱっ」


 文月も真似をする。


「そうです。もう一度お願いします」

「んー、ぱっ」

「お上手ですよ」

「んー、ぱっ!」

「もう結構ですよ」

「……」


 コンコン。

 部屋の扉をノックされる音が聞こえた。

 リグロルがそのままでと文月に言い残しすばやく対応に行った。

 入り口でなにやら会話が聞こえて幾人かが入ってくる気配がした。なにやら運び込んでいるような音がし、終わると大勢は出て行ったようだった。

 だがリグロルは戻ってこずお茶を淹れる音と短い会話が聞こえた。

 どうしたんだろうと文月が思っているとリグロルが戻ってきて小声で文月にささやいた。


「今、新しいテーブルを運び込んだところです。本当はテーブルが運び込まれた後にお見えになるはずだったのがタルドレム王子もご一緒に来られました」

「えっ」

「もうお席についてらしてます」

「えっ」

「タルドレム王子も時間より早く来たことはご承知ですのでお待ちいただくようお願いしました」

「えっ」

「ご承知はいただいたものの、あまりお待たせするのは失礼ですので急ぎましょう」

「えっ」


 リグロルは文月の後ろに回り髪を結い上げる。黒い流れるような髪が見る見るまとめられ、上から後ろに流れる。

 化粧台の横に置かれた宝石箱から髪用の宝石を選び、まとめたところに飾り付けた。リグロルは小走りで衣装部屋に入りドレスと同じ色の靴を持ってきた。


「お履き下さい」


 そっと片足を持ち上げ文月の足に靴を履かせ、反対の足も同じように履かせた。

 リグロルは文月の両手を持ち目を見る。


「フミツキ様、衣装は整いました。お心の準備はできてますか」

「いえ、そんな急に」

「では行きましょう」


 リグロルは文月を立たせ、ゆっくりと一歩を踏み出させようとした。

 素足ならともかく靴を履いたことによって文月は再びバランスが悪くなり、なにより緊張のせいでがくんと膝が折れる。

 瞬時に文月を抱きとめ慎重に立たせながらこれはいけないとリグロルは思った。


「フミツキ様」

「?」

「つーんです」


 強張っていた文月の表情が和らぎ、うんと頷いた。

 リグロルは左手を離し、右手で文月の左腕を支えた。よろりとしながらも文月は片腕の補助だけで歩き出した。一歩ごとに少しずつではあるがバランスが良くなる。屏風の陰から出るときには前を見て歩けるようにはなっていた。

 室内に視線を向ければ新しいテーブルが運び込まれており、その席には緑の髪の青年が座って窓の外を見ていた。

 文月が近づいてきたのに気づき青年はこちらを見る。

 そのタイミングでリグロルは歩みを止めた。


「お待たせして申し訳ありません、タルドレム様」


 そう言ってリグロルは頭を下げる。リグロルは自分の動きに沿わせるように文月を誘導し、おかげで文月も自然と頭を下げる動作ができた。

 頭を上げながらリグロルがちらりと文月に視線を向ける。その視線に気が付いた文月は挨拶を促されているのだと理解した。


「あの……、改めまして初めまして、達島文月です。つーん」

「早いです」


 リグロルが急いでたしなめるが、王子には全部聞こえた。

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