第4話 魔剣

「エーミール」

「ああ、無事で良かった」

「怖かった。怖かったよ……」


 状況が沈静化したことで、血塗れで泣きじゃくる娘を両親が優しく抱擁した。旅の行商などしていると危険な目に遭う機会も少なからずあるが、ここまで緊迫した状況は一家にとっても初めての経験だった。


「何とお礼を言ったらいいか」

「礼などいらない。盗賊連中は私も好かんのでな」


 行商人が深々と頭を垂れるも洋装の剣客けんかくは何とも不愛想だ。


 戦闘で刀身に付着した返り血を血払いすると、無駄一つない動きで黒刀を鞘へと納めた。


「一時はどうなることかと思いましたが、おかげさまで危機を脱せました。私からも感謝申し上げます」

「危機か。確かに、あの家族にとっては危機だったろうな」


 人質の存在が隘路あいろとなっただけで、盗賊の排除のみならイレーヌ単騎でも可能だった。洋装の剣客はそのことを見抜いているようだ。


「あなたのお名前は?」

「ダミアンだ」


 ダミアンと名乗った青年は戦闘時からずっと無表情を貫いており、表向きの感情というものが一切感じられない。窮地を救ってくれた相手でなければ、不気味さや警戒心の方が勝っているところだ。


「私はイレーヌ。ダミアンさんはかなりの使い手と見て取れました。あれは一体、どういった流派の技なのですか?」


「流派に属したことも、誰かに師事したこともない。あれは全て我流だ」

「あれ程の剣技を我流で? 一体どれだけの戦闘経験を積んだのですか」

「正確には数えていないが、七十年は超えているだろうか」

「おお、少し安心しました」

「なぜ笑う?」


 それまでは緊張気味だったイレーヌが安堵の笑みを浮かべた。

 ダミアンは相変わらず無表情だが発言に苛立ちは感じられない。怒っているわけではなく、純粋な興味で問い掛けたようだ。


「ダミアンさんは冗談も言える方のようですから。失礼ながら、一縷いちるの隙もない生真面目な方と思っていました」


「私は何か冗談を言ったか?」


「またまた、剣を振るって七十年と申したではありませんか。ダミアンさんはどう見ても二十代前半くらいでしょう?」


「ああ、そういえばそうだったな」

「はい?」


 呆けたように呟きながら、ダミアンは一人勝手に納得し頷いた。

 奇妙なリアクションではあるが、否定を口にしたわけではないので、結局はダミアンなりの冗談だったのだろうとイレーヌは納得した。


「ところで、ダミアンさんはどうしてこちらに?」


「一帯を縄張りにしている盗賊団の頭目に用がある。情報収集の途中でこの現場に出くわした次第だ」


「では、ダミアンさんは賞金稼ぎなのですね。頭目のオニールには梟雄きょうゆうと悪名高い。かなりの額の懸賞金がかかっていますから」


「私は賞金稼ぎではない。ただ、頭目を殺せればそれでいい」

「復讐ですか? それとも、悪行働く盗賊を許せないという正義感?」


 より可能性が高いのは後者だとイレーヌは思った。ダミアンからは復讐心を含め感情が読み取れないからというのもあるが、行きがかりに幼い子供や罪なき一般市民の命を救ってくれた人だ。正義感に厚い人物には違いない。


「面識はない。確かに盗賊は好かないがそれも直接的な理由とは異なる。頭目は魔剣の使い手であるという噂がある。奴の首を狙う理由はそれで十分だ」


「魔剣、ですか?」

「知らないことはないだろう?」

「もちろん、噂くらいは知っています。その昔、呪われし製法で作り出された、特殊な力を有した刀剣のことですよね?」


 今より数百年も昔のこと。世界には戦乱が溢れていた。


 戦場の主役は刀剣で、勝敗は陣営にどれだけ優秀な剣士を揃えることが出来るかに左右されていた。


 そんな中、剣戟けんげき頼みの戦に限界を感じていた各陣営は、優秀な剣士の育成と並行して、強力な刀剣の製作にも重きを置き始める。優秀な剣士の育成には時間がかかる。強力な刀剣を製作することで、並の剣士にも一騎当千の活躍を期待したのだ。


 時を同じくして、何者かが提唱した魔剣精製法が、実物のデモンストレーションと共に世界中へと流布され、開発競争は一気に激化した。


 魔剣精製には、多大な生贄を必要とするおぞましい魔術的儀式が不可欠であり、ある地方では戦闘狂の領主が事前の通告さえもなく、領民全てを容赦なく生贄に奉げたという記録も存在する。


 魔剣精製に関わる数多くの犠牲は、後世にはそれ自体が一つの災厄であったと伝わっている。それこそが呪われし製法と呼ばれし所以だ。


 なお、肝心の魔剣精製法に関しては、血塗られし技術が後世に蔓延まんえんすることを恐れた者達の手により一切の記録が破棄され、現代においてその内容を知ることは出来ない。精製時の血生臭い逸話が各地に伝わるのみである。


 各陣営は次から次へと魔剣を生み出し、戦況は目まぐるしく変化していった。

 

 氷を操る魔剣、風を操る魔剣、可変することで様々な局面へ対応する魔剣、使用者そのものの身体能力を向上させる魔剣。魔剣の能力はまさに千差万別であった。


 この時期には、魔剣の力を得た平民上がりの新兵が千を超える敵兵の屍の山を築き上げた、等という武勇伝も珍しくはなくなった。魔剣の登場は当時の戦場の常識を変えたのである。


 しかし、魔剣の登場からしばらくして、魔剣の魔剣たる所以が徐々に露呈ろていしていく。


 魔剣の狂気に飲まれ、人格や行動に異常をきたす剣士が続出したのである。


 ある者は、それまで品行方正を絵に描いたような好人物であったにも関わらず、欲情に身を任せ多くの女を襲い、飽きると残虐に殺害した。


 ある者は、つつましい小心者であったにも関わらず、金銭に執着するあまり、魔剣を用いた強盗殺人を繰り返すようになった。


 ある者は、争いを好まぬ平和主義者であったにも関わらず、敗残兵であっても容赦なく殺害し、それを咎めようとした上官や同僚をも殺害する悪鬼羅刹あっきらせつへと成り果てた。


 狂気の度合いは使い手によって様々であったが、何らかの欲求に加え、確実に殺戮さつりく本能ほんのうが覚醒するという点はどのケースにも共通している。


 魔剣の狂気は使い手にも伝染し、大いなる災いをもたらす。

 各陣営がその事実を認識した頃には、戦場には数えきれない魔剣と魔剣士が溢れ返っていた。独断で戦場を離れ、戦渦を免れていた土地で蛮行に及ぶ魔剣士も続出。各地で大混乱が発生した。


 この事態を受け各陣営は停戦を決定。陣営の垣根を超え、魔剣士の凶行への対処および魔剣の回収へ全霊を注いだ。


 戦況を好転させるための切り札として開発競争が行われた魔剣が休戦のきっかけとなったのは、あまりにも皮肉な話である。


 その後、50年もの歳月をかけ、各地で頻発していた魔剣士の蛮行も徐々に収束。魔剣に関しても全体の9割近くの回収および破壊に成功したが、残る一割、約3千本の魔剣の行方は終ぞ知れることはなかった。


 呪われし精製法で生み出された魔剣は意図的に破壊でもしない限り、経年劣化でも朽ち果てることはない。戦乱が終わり平和な時代へと移り変わってからも、歴史の片隅では依然、魔剣を用いた犯行が発生している。


 戦乱の世から数百年が経過した現代において、魔剣の存在は半ば御伽噺おとぎばなし染みてきているが、魔剣に魅入られた者による凶行は、現代でも確かに発生しているのだ。


「魔剣に魅入られし者は狂気に目覚め殺戮者へと堕ちる。新たな悲劇を生まぬよう、魔剣を手にした者は例外なく殺さねばならない」


 それまでは無表情だったダミアンの口角が僅かに上がった。


 殺意と笑みを同時に口にするダミアンの姿に、遠目に様子を伺っていた行商人の娘が怖がって顔を背ける。恩人に失礼な態度をとるものではないと母親は困惑顔で窘めていた。

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