第8話 本性

 月光差し込む命の泉には殺気が張りつめていた。

 

「ここは神聖な泉だよ。部外者が立ち入るべき場所ではない」

「……妹が病気なんです。泉の水を持ち帰らせてください」


 泉の守護者アレックスに対し、茶髪の青年がその場で膝を折った。軽装で、右手には明かりとしてランタンを握っている。腰には短剣を差しているが使いこんでいる様子はない。ただの護身用だろう。青年は悪徳商人や盗賊とは異なる堅気の人間だ。


「駄目なものは駄目だ」

「どうかお願いします。少ないですがお金も用意してきました。何卒なにとぞ


 青年は額を地に擦り付け、硬貨を詰めた布袋をアレックスへと差し出した。アレックスは足元に視線を落とすも、その瞳には金銭に対する興味はまるで浮かんでいない。


「いいでしょう。悪党なら露知らず、事情を抱えた者まで突き放すのは人道に反する。今回に限り目を瞑りましょう」


「本当ですか」


「金銭も頂きません。泉の水とは別に、これで妹さんに何か美味しい物でも食べさせてあげなさい」


「ああ、本当に何とお礼を言ったらいいか」

「礼には及びません。ただし、僕の独断ですので他言は無用ですよ」


 硬貨を返された青年は潤んだ瞳で何度もアレックスへと頭を下げた。泉の守護者の噂は聞き及んでいたが、理解ある聖人で本当に良かったと心の底から安堵した。


「手短に頼みますよ」

「はい」


 青年は斜め掛けにしていた鞄から木製の水筒を取り出し、泉の水を汲むべくアレックスに無防備に背中を晒した。青年が水筒で水を汲もうと縁にしゃがみ込むが。


「えっ?」


 手放した水筒が水面に落下し飛沫が撥ねた。

 青年の右肩が裂け、生成りのシャツが赤く染まっている。突然走った激痛に耐えかね、水筒を手放してしまった。


「な、何を……」


 右肩を抑えながら青ざめた顔で振り返ると、メガロプテラを抜刀したアレックスの姿を月光が照らし出した。刀身の周辺には風が渦巻き、周辺の木の葉が舞い上がっている。超常的な現象も去ることながら何よりも恐ろしいのは、瞳には冷酷さを、口元には無邪気さを浮かべた歪な笑みであろう。


「これが対価だよ。お金の代わりに娯楽を提供してもらおうかと思ってね」

「……ど、どういう意味ですか」

「今から君をこの場で切り刻む」

「ひっ……」


 アレックスが手首のスナップでメガロプテラを振るった瞬間、飛来した風の刃が青年の右頬に赤い線を引いた。掠り傷とはいえ、遠距離からの攻撃は痛み以上の強い恐怖を青年に植え付けた。


「ど、どうか見逃してください。妹が病気なんです……」

「さっき聞いたよ」


 微塵の良心に期待し必死に懇願するも返答は冷酷だ。青年の表情は見る見る絶望に染まっていく。


「泉の水を届けないと……妹が……」

「いいね、その絶望した表情。これでこそこんな辺境にやって来た甲斐があるというものだ」

「あんた何言って……」


「大切な誰かを救うために縋った命の泉の伝承。そんな希望を目前で打ち砕いてやるのが僕は大好きなんだ」


「……あんた、いかれてる」

「まあ、それなりにね。さて、先ずは片足から――」


 掲げたメガロプテラを振り下ろすと同時に、刀身の周辺に渦巻いていた鋭い風の流れが青年の右足目掛けて放たれた。直撃すれば一瞬で足が飛ぶ。激痛に身構え青年は身を竦めた。


「穏やかな夜に物騒なことだ」


 青年に接触寸前だった風の刃が硬質な刀身に弾かれ霧散、柔い風が周辺の雑草を撫でた。

 ジャケットを脱ぎベスト姿となったダミアンが、頭を抱えてうずくまる青年を庇うようにして抜刀していた。


「今からここは戦場だ。巻き込まれたくなければ直ぐに元来た道を引き返せ」

「で、でも……」

「早くしろ。もたもたしていると私がお前を叩き切るぞ」

「ひっ!」


 青年は怯え切った表情でその場から全速力で逃げ出した。ダミアンの本気としか思えぬ脅しは効果的面だったようだ。青年が泉から立ち去るまでの間、ダミアンはアレックスの一挙手一投足を注視していたため、アレックスに追撃を許さなかった。

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