泉の守護者の章

第1話 命の泉

 大陸の東、ヘレボルスの森の奥深くには、命の泉と呼ばれる不思議な力を持った水源が存在するという。


 噂いわく、その泉の水を口にすると、不調を抱えた者は病や怪我が癒え、健康な者が飲めばあらゆる邪気を跳ねのける加護が身に付くとか。


 所詮しょせんは地方に伝わる御伽噺おとぎばなしだと、それまで見抜きもされなかった命の泉の存在だが、今から三ヵ月程前、不治の病に侵された男が命の泉へと辿り着き、病を克服したとの噂が流れたことで状況は一変。あまりにも具体的な内容が人々の関心を呼び、泉の力を求め、深い森の中を目指す者が急増した。


 しかし、泉に興味を抱く者が純粋に救いを求める者ばかりとは限らない。命の泉は、荒事をいとわぬ盗賊や悪徳商人にとっても垂涎すいぜんの的。


 泉の力を手中に収めれば、青天井あおてんじょうに利益を生み出せることは想像に難くない。命の泉には盗賊や、商人に雇われた傭兵等の荒くれが、開拓と称して寄り付くようになってしまった。


 しかし、噂が広まってから三ヵ月が経った今現在、泉が何者かの手に落ちたという話は聞かれない。時期を同じくして現れた一人の剣士が、泉の力を狙う悪漢を全て撃退しているというのだ。


 目的は不明だが、神聖な泉を悪漢から守り抜くその姿から、剣士は何時からか「泉の守護者」なる通り名で呼ばれるようになった。


 目撃者の談によると剣士は風を操る不思議な能力を持っているそうで、その存在が泉の噂の信憑性をより高めている。


 〇〇〇


「その剣士は風を操っていたんだな?」


「ああそうさ。泉に立ち入ろうとした悪徳商人お抱えの傭兵部隊が、まるでかまいたちにでも遭ったかのように全身を刻まれた。あんなの、剣技でどうこう出来る話じゃねえよ」


 ヘレボルスの森に程近いアピウムの町の大衆酒場にて、三つ揃えのツイードスーツにハンチング帽、腰には刀を携えた洋装の剣客けんかく――ダミアンが、酔っぱらった中年猟師の話に耳を傾けていた。猟師は猟で森に入った際に、たまたま泉の守護者の不思議な技を目撃したそうだ。


 最愛の妻を喪って以来酒におぼれ、素面しらふでいる時間の方が少ないという素行ゆえ、町の住民は誰も猟師の話を信じていないが、魔剣士を追い求めるダミアンの食いつきは違った。新たな魔剣士の姿を求めて辿り着いたこの町で、それらしい目撃情報を入手出来たことは僥倖ぎょうこうだ。猟師は酒を奢っただけでべらべらと情報を提供してくれるので非常に助かる。


「命の泉とやらには、どう行けばいい?」


「見たところ健康体のようだが、何だい、兄ちゃんも泉の加護とやらで強くなりたい口か?」


「力は間に合っている。私の興味は泉の守護者とやらの方だ。一介の剣士として、不可思議な技を使う剣士の存在は気になる」


「なるほど。物好きってわけだな。まあ、行き方を教えてやらんこともないが……」


 そう言って目を細めた猟師の視線は、棚の奥のこの店で一番高い酒へと注がれている。本人的には駄目で元々。手頃な酒をもう一杯奢ってもらえたらそれで十分だと考えていたのだが。


「マスター。この店で一番高い酒をこの人に頼む」


 即決して数枚の金貨を取り出す様子に店のマスターや他の客はもちろん、物欲しげだった猟師自身がこの場で一番驚いていた。酔っ払いの戯言に、対価として決して安くはない酒を振る舞う。滑稽な印象が一周回って奇特とさえ思えた。


「兄ちゃん、本当にいいのかい?」

「私は『泉の守護者』に会わなければならない。そのためならば安い出費だ」

「そいつはどうも。申し訳ないから、せめて一緒にどうだい?」


 そう言って猟師は、マスターが持ってきたこの店で一番高い酒のボトルを持ち上げて見せたが。


「私は下戸げこだ。酒は飲まない。その代わり、現地への案内はしっかりと頼むぞ」

「ここまでしてもらって案内するだけじゃ恩知らずってもんよ。案内がてら、俺の知っている範囲で色々と教えてやるよ」


 満面の笑みを浮かべた猟師はどうせ自分以外は飲まないのだからと、豪快にボトルに口をつけて酒を流し込んだ。


「潰れるなよ。案内出来なくなったら元も子もない」


 無感情にそう言うと、自身も腹ごしらえをしておこうと、ダミアンはマスターに軽食を注文した。

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