第2話 泉の少女

「本当に深い森だな。案内が無ければ確実に迷っていた」


「別名迷いの森。地元の人間でも気が抜けない場所だからな。すいすい進めるのは森を仕事場としている猟師や木こりか、古くから道を知っている年寄り連中くらいのものさ。泉の噂を聞きつけた悪党連中も当初はなかなか泉に辿り着けずに苦労したようだからな」


「外部の人間が、どうやってこの森を目的地の泉まで抜けたんだ?」


「猟師にはした金を握らせて道案内させたんだよ。近年は不猟気味でな。それでも自分達が生活する分には困らなねえはずなんだが、まったく、馬鹿な奴らだよ」


「案内してもらっている身で言えたことじゃないが、あなたはどうなんだ? こうして私に道案内をしているわけだが」


「俺は別に報酬を得て道案内をするのが悪いと言ってるわけじゃねえ。ただ、相手は選ぶべきだって話よ。盗賊やら悪徳商人が泉を手中に収めてみろ。利益を独り占めするために、最悪森ごと掌握しかねない。そうなれば俺達猟師の居場所はなくなっちまう。自分達の首を自分達で締めちまうなんてばからしいし、長年この森で猟師を続けてきたプライドはねえのかよって、そういう話さ」


「つまり、私の存在は自分達の今後にとって悪い影響はないから案内してくれている、ということか」


「そういうこと。高い酒も奢ってもらったことだし、協力を惜しんだら人道に反するってもんよ」


「私はきっと、あなたが思っている程善人ではないと思うぞ」


「別にどうでもいいさ。俺からしたら、森を荒らす連中は悪人。酒を奢ってくれる奴は善人って線引きがあるだけさ」


「テキトーだな」

「飲んだくれだからな――とか言ってる間に到着だぜ、兄ちゃん」


 高い木々の合間を縫うようにして獣道を進んでいくと、まるでその周辺だけを円形に切り取ったかのような、開けた一角が見えて来た。まだ少し距離があるが水音も聞こえている。命の泉と呼ばれる場所に到着したようだ。


「案内をありがとう。ここまでで十分だ」

「本当にここまででいいのかい? 何なら泉の周辺を観光案内でもしてやるぜ」


「酒場でも言っただろう。あくまでも私の目的は泉の守護者と会うことだ。賊と間違えられて、例の不思議な力とやらで攻撃されたくはないだろう」


「うへえ。そいつは勘弁だな。奢ってもらった酒も飲み切ってねえのに死んでられねえ」


 猟師は大仰に肩をすくめて苦笑してみせると、酒瓶片手に踵を返した。


「帰り道は大丈夫かい?」

「記憶力には自信がある。一度歩いた道は忘れない」


「それじゃあ、お言葉に甘えて俺はここらで退散するぜ。しばらくは来る途中に通りがかった猟師小屋に詰めてっから、何かあれば気軽に訪ねてきな。酒の恩にはまだ報い足りない。飯でも宿でも提供してやるよ」


「覚えておこう」


 小さく頷きを返すダミアンを、赤ら顔の猟師は陽気に手を振って見送った。


 〇〇〇


「……不在か? だとすればついていない」


 泉を半周してみたが、くだんの泉の守護者なる剣士の姿は確認出来ない。


 まさか文字通り、泉に危機が訪れた際にだけ現れる神秘的な存在ということはあるまい。魔剣士とはいえそれはあくまでも魔剣の力を得た人間。何らかの意図をもって自主的に泉の守護者の役についていることは間違いない。だとすれば寝所に戻って休憩中か、入れ違いで町にでも繰り出したか。何らかの人間臭い理由で不在という可能性も十分考えられる。


 あざなをつけられる程に存在感を発揮している人間が、長々と泉を空けているとも思えない。このまま泉の周辺で網を張るべかとダミアンが考えていると、


「ここは神聖な泉です。早く立ち去りなさい!」


 不意に響き渡る若い女性の怒声。

 やや距離があり方向も異なることから、ダミアンに対して発せられたものでないようだ。


 何事かと思い、木の影から影へと移るようにしてダミアンが声の方へと近づいてみると。


「強がっちゃって可愛いね。見たところ今日は例の剣士もいないようだ。あまり生意気な口は叩かない方が身のためだぞ?」


 十代後半と思しき白いワンピース姿の少女が、数名の屈強な男達と睨み合っていた。男達の先頭に立つのは小奇麗なスーツ姿の中年男性。状況にそぐわぬ人の良さそうな笑みがいかにも小悪党といった感じだ。


 組み合わせ的に、泉の利権を狙う悪徳商人と雇われた用心棒といったところだろうか。


「勇敢なお嬢さんだ。お前たち、主導権を握っているのが誰なのか分からせてあげなさい」


 悪徳商人が嗜虐的な笑みを浮かべると、男たちは待ってましたと肩を回して見せる。弱者を虐げる行為に快感を見出そうとする辺り、相当性根が腐っていそうだ。


「……こ、来ないでよ」


 華奢な少女が屈強な男どもに囲まれた状況だ。威勢を失ってしまったことを誰も責められないだろう。


「あっ? 何だてめえ?」


 音もなく、ダミアンが無言で少女と男達の間に割って入った。


 背に庇われた少女は困惑気味に目を丸くし、屈強な男達はダミアンを見て鼻で笑った。


 紳士然とした三つ揃えのスーツという出で立ちは、悪漢に喧嘩を売るには不似合いだ。たまたま通りかかった青二才が正義感で思わず飛び出してはみたものの、いざ睨み合ったら恐怖で言葉も出なくなった。とでも思っているのであろう。


 とんだ見込み違いである。


「とっとと失せ――」


 ダミアンが目にも止まらぬ速さで抜いた乱時雨みだれしぐれが先頭にいた男の鼻先を掠め、薄く赤い線を引いた。鼻先を撫でた男は血の付着した指先を見て、見る見る表情が青ざめていった。


「な、何者だてめえ。あの剣士の仲間か?」


「ただの通りすがりだ。私も暇じゃない。逃げ帰るなり、まとめてかかってくるなり、早く決めてくれ」


 剣速を目の当たりにしたことで力量差を理解してしまったのだろう。男達は腰の長剣に手をかけながらも抜くことを躊躇っている。一度抜いてしまえば、相手が容赦する理由が無くなってしまう。


「貴様ら何を怖気づいている! 高い金を払っているんだ。こういう時に役に立たないでどうする!」


 青筋浮かべた悪徳商人が感情的に声を荒げる。武の心得などなく、普段から荒事は全て丸投げしている商人には事の深刻さがまるで理解出来ていない。


「なるほど、こうした方が話が早いか」

「へっ?」


 ダミアンが一瞬で悪徳商人の背後を取り乱時雨を振るう。商人の首筋へと迫った刃は、皮膚に触れる擦れ擦れの位置でピタリと静止した。


 分かりやすい警告に悪徳商人もいよいよ状況を理解したらしい。一瞬で顔から血の気が引いていく。誤って刃に触れることを恐れ、体の震えだけは必死に抑え込んでいるようだ。


「私の機嫌が変わらぬ内にさっさ消えることだ」

「……くそっ。お前たち、いったん引くぞ」

「覚えてやがれ!」


 三下くさい捨て台詞を残し、悪徳商人と用心棒は逃げ帰っていった。


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