第2話 護衛任務

 村を旅立ってから三ヵ月後。

 イレーヌは村から遠く離れた大陸南部の都市、ハイドランジアの傭兵ギルドへと身を寄せていた。


 剣術修行の旅とはいえ先立つものが無ければままならない。当面の旅の資金を蓄えるために、イレーヌは一カ月前からこの街へと滞在し、登録した傭兵ギルドの仕事で資金を稼いでいた。


 地方の山村出身の娘と侮ることなかれ、イレーヌの剣術は都市部の傭兵ギルドでも十分に通用するレベルであり、野盗の討伐や商人の護衛といった依頼を積極的に受けている。


 持ち前の正義感故に、例え低報酬だろうとも依頼主が困っているなら全力で仕事に臨む。そんな姿勢からイレーヌは依頼者側からとても評判が良かった。


 この日の依頼は行商一家の荷馬車の護衛。


 南のルナリアの町へ向かうためにはエルム平原を通過する必要があるのだが、平原ではここ数カ月程、周辺を縄張りとする盗賊団による強盗被害が横行している。近隣の村々では若い娘がさらわれる被害も発生しているそうだ。


 安全に通過するためには護衛戦力が必須であった。


 自前の護衛戦力を有する大規模な隊商や豊富な資金を有する素封家そほうかならばともかく、家族経営の小規模な行商では傭兵の雇用にまで予算を回す余裕はない。


 高い実力を持ち、なおかつ正義感で格安で依頼を受け付けるイレーヌの存在は、行商一家にとって非常にありがたいものであった。


「綺麗な鞘だね。この剣のお名前は?」


 荷馬車の縁に腰掛けるイレーヌの剣を、行商人夫妻の十歳になる娘が興味深そうに見つめている。


 馬を休ませるために、荷馬車は現在エルム平原にて停車中だ。盗賊団による被害が頻発している地域であまり停滞したくはないが、大事な局面で肝心の馬が動けなくなったりしたらそれが一番困る。休息はやむを得ない。


「私の故郷の村では慈悲の剣と呼ばれていた。神殿に祀られていた聖剣なの」

「聖剣?」


「そう。聖なる剣で聖剣。村の言い伝えによると、刀身には精霊の森と呼ばれる場所で清められた特別な素材が使われていて、魔を退ける加護を有しているんだって」


「その聖剣は、どうして慈悲の剣と呼ばれているの?」


「悪に対しても慈悲深いからよ。この剣で切り付けられた者は痛みを感じない。例え相手が悪であったとしても、苦痛を感じさせずに葬る」


「優しい剣なんだね。お姉ちゃんみたい」

「ありがとう」


 お世辞でも嬉しいと、イレーヌは少女の頭を優しく撫でてやった。傭兵をしている以上、殺伐とした戦場に赴くことも多い。ささくれた心が癒されていくのを感じていた。


 性別こそ異なるが、少女と接していると故郷に残して来た弟のジェロームのことを思い出す。今でこそ十四歳の立派な青年だが、少女くらいの歳の頃はとっても泣き虫で、何度抱きしめてあげたか数えきれない。


「すみません、イレーヌさん。娘の話相手になって頂いて」

「いえいえ、話相手になってもらっているのは私の方です。故郷の弟を思い出すようで楽しくて」


 優しい顔立ちの行商人が、額の汗を拭いながら荷馬車を笑顔で覗き込む。行商という都合上、一つの地域にあまり長居せず、娘は友人を作る機会に恵まれていない。イレーヌとの交流で笑顔の花を咲かせる娘の姿は、父親としてとても嬉しいものであった。


「馬も大丈夫そうですので、そろそろ移動を再開します。引き続き、護衛の方をよろしくお願いいたします」

「もちろん――」


 瞬間、それまでの和やかなムードが一転。


 不穏な気配を感じ取ったイレーヌの表情が険しくなった。それまで穏やかに会話を交わしていたお姉さんの変わり身に、少女も不安気に唇を噛んでいる。


「どうやら目をつけられたようですね」

「あれは」


 不意に耳に飛び込んできた荷馬車が近づいてくる音、直ぐに、土煙を上げながらこちらへと接近してくる荷馬車の姿も目視出来た。


 荷馬車を操るのは堅気とは思えぬ凶悪な面構えの男。まさか、たまたま通りがかった別の商人が挨拶に立ち寄ったわけではあるまい。荷馬車の中身は恐らく武装した盗賊達。平原を行く行商人や旅行者を、戦力を忍ばせた馬車で強襲する。エルム平原を縄張りとする盗賊団の常套じょうとう手段だ。


「まだ距離がある。馬車を出して振り切りますか?」


「いいえ。この場で私が迎撃します。過去の事例から考えると、進行方向で別動隊が待ち伏せしている可能性が高い。そこで足止めをし、荷馬車の部隊とで挟み撃ちにする算段かと。数が少ない内に対処した方が無難でしょう。今からここは戦場です。奥さんと娘さんと一緒に隠れていてください」


「分かりました」


 青い顔で頷いた行商人は妻と娘の肩を抱き、荷馬車の荷台へと籠った。流れ矢が飛んでくる可能性も否定出来ない。荷物に囲まれた馬車の中の方が多少なりとも安全だ。

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