第12話 憂い

「ダミアン様! 大丈夫ですか?」


 ブラウスの前を隠しながら、ベニオがダミアンの下へと駆け寄る。目頭に微かに涙が溜まってた。


「問題ない。少しばかり脳が揺れたが、傷は直ぐに塞がる」


 頭部を打ち付けた衝撃で出血したのだろう。ダミアンは鼻血を袖で拭い、口内に溜まった血液を吐き捨てた。傷は乱時雨みだれしぐれの効果で修復されるが、体外に流れ出た血液の処理ばかりはどうしようもない。血が後頭部を濡らす不快感に、ダミアンは顔をしかめていた。


「気休めですが」


 そう言ってベニオは、スカートのポケットから取り出したハンカチでダミアンの髪にこびりついた血液を拭ってやった。不意に差し伸べられた手を、ダミアンも抵抗なく受け入れている。ハンカチでは大した量は拭えない。後でしっかり洗い流さないと完全には落とせない。


「いくら妖刀の力で治癒するといっても痛みは感じるはず。傷つくことが恐ろしくはないのですか?」


 常人ならば致命傷でもおかしくない出血量を目の当たりにし、ダミアンの身を案じればこそベニオの表情は曇る。


「そんな常識的な感覚はすでに置いてきた。痛みには慣れたし、それで相手の隙が生まれるのなら安い代償だ」


「だとしても、もっとご自身のお体を大切にしてください。未熟者の手前てまえが言えた立場ではありませんが、負傷ありきの戦い方など、いつか絶対に身を滅ぼします」


「なるほど、一理ある」


 素直に頷くと、ダミアンは飛ばされたハンチング帽を拾う。頭が血塗れなので被り直そうとはしなかった。


「失礼ながら、素直に頷いて頂けたことが意外でした」


「お前の意見が的を射ていただけだ。私は不老で体の損傷も回復するが、必ずしも不死とは言い切れない」


「薄々は感づいていました。肉体の損傷は厭わなくとも、脳や心臓を狙った攻撃は極力回避に努めている印象でしたので」


「私自身、まだはかりかねているというのが正直なところだ。先程のような頭部打撲程度ならば経験則から問題ないという確信があったが、例えば脳ごと頭部を粉砕されたり、心臓を抉り出されでもしたら、流石の私でも生存出来るかは分からない。あるいはそのような状態からの復活も可能なのかもしれないが、幸か不幸かそのような状況に陥った機会は未だ無い。即死の可能性が伴う以上、試すわけにもいかないからな。こればかりはその時になってみなければ分からない」


「無茶はなさらないでくださいね。手前はあなたには死んでほしくない」

「無茶というのなら、お前だって人のことを言えたざまではないだろう」


 ダミアンはツイードジャケットを脱ぎ、ブラウスを裂かれたベニオの肩にそっと掛けてやった。


「少し脇腹が裂けたが無いよりはマシだろう。それでも着ていろ」

「ありがとうございます。ダミアン様には上着をお借りしてばかりですね」


 ベニオはジャケットの襟を持ち上げ、うれい顔でそっと頬ずりをした。


「浮かない顔だな」


「……此度のスカラとの戦いで、手前は己の未熟さを思い知りました。剣技では手も足も出ず、飢えた野獣のような彼奴きゃつに迫られた時、剣士としではなく、女としての私が恐怖を抱いてしまった……復讐者が聞いて呆れます」


「お前の憂いの原因はそれだけではなかろう」

「……ダミアン様には、本当に何でもお見通しなのですね」


 ジャケットに袖を通し、前を止めたベニオは観念した様子で苦笑を浮かべた。


 軽蔑されるのが嫌で胸の内は口にしていなかったのに、ダミアンはそれを易々と見抜いてしまう。普段とは違い、理解されていることを素直には喜べない。


「……ダミアン様がスカラの首をねた瞬間、仇の一人の死に留飲を下げると同時に、ほんの僅か、あなた様に嫉妬心を覚えてしまったのです。どうして彼奴の首を刎ねたのが手前ではなかったのだろうと……全ては一人で満足に復讐も果たせぬ手前の未熟さのせい。ダミアン様だって手前の事情で巻き込んだというのに……軽蔑しますよね、このような手前勝手なみにくい女」


「勝手などではないさ。それは当然の感情だろう。私だって勝手知らぬ場所で仇が死んだと伝え聞いた時、嫉妬の一言では片づけられぬ感情を頂いたものだ。お前は醜くなどないよ」


「ダミアン様……」


「最大の仇はまだ残っているのだろう。泣いても笑ってもそれで最後だ。未熟者を自覚するならば未熟者なりに、後悔の無い選択をすることだな。無論、私は私で好きにやらせてもらう」

「はい!」


 復讐を肯定してくれる理解者からの激を受け、ベニオの表情から憂いが消えた。例えどのような結末を迎えようとも、四年に渡る復讐の旅路は間もなく終わりを迎える。弱気になどなっていられない。


「髪が乱れているな」

「……お恥ずかしい。一度派手に叩きつけられましたので」

「被っていろ。頭が血塗れで今は被らない」

「ありがとうございます」


 ダミアンから受け取ったハンチング帽を目深に被ると、ベニオは嬉しそうに頬を紅潮させる。ジャケットと帽子、恋慕する相手の衣服を二つも身に着けている。一人の乙女としてそんな状況が楽しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る