第9話 魔剣士狩り

「あっ、ダミアンさん、お帰りなさい。頭目のオニールは?」

「魔剣もろとも葬り去った」

「それは何よりです。こちらも全て片付きましたよ」


 砦のエントランスにて、隅の空樽からだるに腰掛けたイレーヌが、満面の笑みでダミアンに手を振った。返り血を浴びすぎたのだろう。普段身に着けているカーキ色のコートを脱ぎ、ノースリーブのインナーに革製の胸当てを着用した軽装となっている。


 エントランス内はまさに死屍しし累々るいるい。誇張を抜きに、砦内の全ての盗賊の死体が転がっていると思われる。中には戦意を喪失したと判断し、ダミアンが見逃した盗賊の亡骸も確認出来る。


 砦から逃げ出そうとしたところをイレーヌに狩られたのだろう。男女を問わず、背後を斬りつけられた死体も少なくない。


「私の仕事はまだ終わってはいない」

「ちょっと、ダミアンさん?」


 ダミアンは抜刀した刀身の切っ先をイレーヌへと向けた。

 悪い冗談だとイレーヌは苦笑顔で肩をすくめるが、ダミアンは切っ先を下ろさず眼光鋭くイレーヌを睨み付けている。


 冗談ではないと悟った瞬間、イレーヌの額に焦りから脂汗が滲みだす。

 どうして一緒に行動していたダミアンが切っ先を、明確な殺意を向けてくるのか、その理由がまったく分からない。


「……ど、どうして私に刀を向けるんですか?」

「魔剣の使い手は例外なく殺す」

「だから意味が分かりません! 魔剣士のオニールなら倒したんでしょう?」

「何だ無自覚だったのか。お前の握るそれも魔剣だろう」


「馬鹿を言わないでください! この慈悲の剣は村に伝わりし聖剣。魔剣とはまるで対照的な神聖な物ですよ」


 慈悲の剣を魔剣などというおぞましい名で呼ぶ。それは剣を崇めてきた村の人達や、かつての使い手だった父への侮辱に等しい行為だ。反目するイレーヌの語気は強い。


「かつての大戦時まで、特殊能力を宿した刀剣なんて存在しなかった。刀剣に区分があるとすればそれは、魔剣か普通の刀剣かの二つだけ。魔剣だの聖剣だのというのは、判断する側の主観でしかない。この世界において魔剣と聖剣はイコールだ」


「この慈悲の剣が魔剣だというのなら、これまでのダミアンさんのお話しと矛盾します。魔剣士は狂気が芽生え殺戮さつりくに狂うんでしょう? かつての使い手である父は正義感溢れる立派な剣士でした。父には及ばないとはいえ、私だって正義のために剣を振るっている。そんな私達親子が魔剣士だと仰るつもりですか?」


「その剣の力を知っているか?」


「悪人相手であろうとも慈悲を忘れず、苦痛なく殺す。慈悲の剣たる所以です」


「その剣が奪うのは苦痛ではなく声だ。その剣で切り付けられた者は声を奪われ、苦痛を訴えかけることも出来ないまま死んでいく。暗殺剣の一種として生み出された無音剣ガルデ二ア。それが、お前が慈悲の剣と呼ぶ魔剣の本当の名だ」


「適当なことを言わないで! 仮にそれが慈悲の剣の本当の能力だとしても、父も私もその力を正義のために使ってきた。私達は魔剣に魅入られた魔剣士なんかじゃない!」


「お前の父ジョエルは、確かに魔剣に魅入られていたよ。無音剣ガルデ二アの特性を十分に使いこなして戦場で殺戮を満喫した。無音で死の発覚を遅らせれば、より多くの人間を殺せるからな。戦場で敵兵を狩るならだけならまだ良かっただろうが、狂気が増すに連れ、だんだんと殺意の抑えが効かなくなっていった。敗残兵はもちろん盾にされた捕虜、時には気に食わないという理由で自軍の兵士にまで剣を向けた。それが現実だ」


「嘘よ! 村の大人は誰もそんなことを言わなかった。父は正義感溢れる英雄よ。あなたのこそ何、まるで見て来たかののように私の父を侮辱する言葉を並べて」


「村社会なんて小さな世界だ。代表や世話役が口裏を合わせればそれが全て真実となる。英雄の正体が殺人鬼なんて不都合な真実、伏せられるなら伏せておきたいだろうさ」


「だから、自分の言い分が正しいって言いたいの?」

「お前の言うように、私は実際に見て来たからな」

「……あなた、まさか父と同じ戦場に?」

「魔剣士ジョエルと私は数度戦った。残念ながら止めを刺すことは叶わなかったが」

「……父を殺したのはあなた?」


 ジョエルは戦場で負った傷が原因で、隠居から間もなく亡くなった。「止めを刺すことは叶わなかった」ということは、深手までなら与えたとも取れる。


 間接的に父親を殺した男に好感を抱き、今まで行動を共にしていたのだと思うと、イレーヌは激しい自己嫌悪に陥らずにはいられなかった。


「お前の父を確実に殺し、魔剣を破壊出来ていればお前が魔剣の使い手となることはなかっただろう。そのことは申し訳なく思う」


「……私は狂気に魅入られてなんかいない。剣は正義のために、悪人相手にだけ振るってきた」


「いいや、お前は狂気に魅入られているよ。お前はとっくにその剣の能力が声を奪うことだと気づいていたはずだ。相手を殺す瞬間、お前は何度か笑っていたな。悲鳴も上げられず痛みに苦悶する様を見て楽しんでいたんだろう。この惨状だってそうだ。必死に逃げ出そうとした者までお前は容赦なく背後から斬りつけた」


「私が殺すのはあくまでも悪人だけよ。例え戦意を喪失し、逃亡しようとしたって、相手は残虐非道な盗賊。慈悲をかける必要なんてある?」


「盗賊に関しては異論はないよ。私は基本的に向かってくる者以外は相手にしないが、例え戦意喪失していようとも、悪党に慈悲をかける必要はないという考えを理解出来ないわけではない。だが、これは違うだろう」


 ダミアンは刀の切っ先をイレーヌへ向けたまま、近くに転がっていた小柄な遺体からローブを剥ぎ取った。遺体は若い女性で、両手に手錠をはめられたまま、苦悶の表情で息絶えている。背中には、無残に何度もサーベルで切り付けられた痕跡が残されていた。


「あっ……」


「状況から察するに、混乱に乗じて脱出を図った、さらわれた近隣の村娘たちだろう。盗賊の始末とはわけが違う」


「……違う、私は気が付かなくて」


「一人ならあるいは出会い頭の事故ということもありえるだろう。だが目算出来るだけでも九人は村娘の死体が転がっている。戦闘時の混乱を考慮しても、気づかなかったでは道理が通らない。盗賊連中に飽き足らず、無抵抗な人間をなぶる快感に目覚めたな?」


「気付くはずがない。だって彼女達、自分達は盗賊の仲間じゃないって、!」


「訴えなかったんじゃない。訴える権利さえも与えてもらえなかったんだ。お前の魔剣は声を奪う。悲鳴も、必死の訴えも、生きたいという、純粋で尊い意志も」


「違う! 違う! 違う! 私は」

「お前は狂気に魅入られた、立派な魔剣士だよ」

「違う――」


 ダミアンの言葉を否定しようと激しく髪を振り乱している内にイレーヌのポニーテルが解けた。それが覚醒の合図だったかのようにイレーヌは閉口し、空樽から静かに着地。慈悲の剣改め無音剣ガルデ二アを手に、悠然とダミアンのもとへと近づいてくる。


「……殺さなきゃ。あなたの口を塞がなきゃ。じゃないと私の正義が壊れちゃう」


 怖気を催す睥睨へいげいを持って、イレーヌは明確な殺意を表明した。


「やれるものやってみるといい。声を奪うその剣は、口を塞ぐのに好都合だろう」


 イレーヌがガルデ二アを抜いた瞬間、彼女の周辺から足音や衣擦れといったあらゆる音が消失した。ガルデ二アが消し去るのは声だけではない。魔剣士周辺のあらゆる音を任意で消失させることが可能なまさに無音の暗殺剣である。音は多くの情報を秘めている。一対一の戦いにおいても無音の剣術は非常に有用だといえる。


 しかしそれは、攻撃に転じることが出来た場合に限った話だ。


「えっ?」


 刺突しようとガルデ二アを引いた瞬間イレーヌは気づいた。ガルデ二アを握っていたはずの右手が無くなり、生暖かいものが肘先から滴り落ちていることに。視界からはダミアンの姿も消えている。


「魔剣を握って日が浅い身で、私に勝てると思ったか?」


 刹那、背後からの強烈な刺突がイレーヌの胸部を刺し貫き、血を帯びた刀身が突出した。


 魔剣以前に剣士としての実力差が違い過ぎる。明確な死の足音を持って、イレーヌは自信の敗北を理解した。


「……まるで、あなた自身も……魔剣士のような……口振り……」


「隊商を襲った魔剣士は何も盗らずにその場を去った。ただ一人生き残った少年が、積荷だった魔剣を手にするのは必然だ。銘を乱時雨みだれしぐれと言う」


「……あなた、やっぱり狂ってる」

「その通りだ。私はとっくに魔剣士狩りという名の狂気に憑りつかれている」

「……ジェロ――」


 故郷に残して来た弟の名を呼ぶことも叶わず。イレーヌは胸部から刀身が抜かれると同時に絶命。自身の血だまりへと力なく沈み込んで行った。死の際に言葉を発することが出来ただけ、彼女は恵まれていたのかもしれない。


「無音剣ガルデ二ア。今度こそ破壊させてもらう」


 ダミアンはガルデ二アを握ったまま切断されたイレーヌの手首を強引に外すと、柄の中心に埋め込まれていた赤い魔石目掛けて強烈に刺突した。親子二代に渡り継承された無音剣はこの日、終着を迎えた。

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