第5話 泉の守護者

 アレックスが戻るまでの待機場所として、ダミアンはマイラの家へと通された。来客用の空き家もあるそうだが、そちらは現在アレックスの寝所として利用されていているそうだ。


「あの井戸の水源は泉から?」


 リビングから窓の外をぼんやり眺めていると、村の中央に掘られた井戸が目に止まった。


「いえ、井戸水は別の水脈から引いています。あそこは神聖な泉ですから、井戸水としての利用など論外です」


「神聖な泉か。君は泉の不思議な力とやらについてどう思っているんだ?」

「その口振りだと、ダミアンさんは命の泉について懐疑的なんですね」

「この世界に存在する不思議な力は全て、狂気に縁取られていると私は思っていてね」


「言葉の意味はよく分かりませんが、命の泉についての質問の答えは、私自身もよく分からないというのが正直なところです」


「地元の住民なのに?」


「物心ついた頃には、神聖な場所だから命の泉には決して立ち入ってはならないと固く言いつけられていました。私達にはそもそも、泉の水に触れるという考えがないのです。ですから、命の泉には本当に不思議な力があるのか、それは私には分かりません。ですが、力の有無などさして重要ではありません。全ては感情の問題。あの場所が私達にとって神聖な場所である、それは揺るぎない事実なのですから」


「なるほど、一理ある。卵か先か鶏が先は考えるだけ無駄か」

「はい?」


「神聖な場所と崇められる泉だから不思議な力があると信じられたのか。不思議な力があったからこそ神聖な場所として崇拝の対象となったのか。どちらが先だったのだろうなという話だ。あるいは……」


 言いかけてダミアンはかぶりを振った。ダミアンの目的はあくまでも魔剣士を狩ること。村の事情に首を突っ込むつもりなどない。歯切れの悪い言葉にマイラは不満気だったが、ダミアンが雄弁とは思えず、続きを引き出そうとはしなかった。


「アレックスという男はどういった経緯で泉の守護者に? 地元民ではなく旅の剣士だとの話だったが」


「アレックス様がこの地を訪れたのは三カ月前。ちょうど泉の噂が広まり始めた時分のことでした。最初にアレックス様と出会ったのは私です。泉の噂を聞きつけた盗賊団にさらわれそうになっているところを、不思議な剣技で救ってくださいました。刃のように鋭い風を操り、離れた位置にいる相手を切り裂く。あんな技が存在するのかと我が目を疑いました」


 ダミアンは無言のまま頷いた。アレックスが風を操り標的を切り裂くという情報は猟師の証言とも一致する。魔剣は風を自在に操る能力を持つとみて間違いなさそうだ。


「アレックス様はとても正義感の強いお方で、世界中を旅しながら行く先々で困っている人々の力になってあげていたそうです。この地に立ち寄ったのは偶然だったそうですが、私が事情を伝えるとありがたいことに、状況が落ち着くまで泉や集落の治安を守ってくださると申してくれました。アレックス様は見返りは求めないと言ってくださいましたが、それでは申し訳ないのでせめてもの感謝に私達は、衣食住を提供させて頂いています」


「行く先々で人助けか。奇特な男だな」

「はい。まさに聖人のようなお方です」


 名を口にする度に相好そうごうを崩す様子を見るに、マイラは完全にアレックスを信じ切っているようだ。小さな集落で育ち、外の世界を知らないマイラには人を信用しやすい部分もあるのかもしれない。ダミアンに対する警戒が早々に解けたところを見ても、良くも悪くも純粋すぎる。


 マイラがアレックスに恩人以上の思いを寄せていることは、彼について語る際の活き活きとした表情からも明らかだ。そうそう出会いも無いであろう森深い集落で暮らす少女が、命を救ってくれた旅の青年剣士に心惹かれる。何もおかしな話ではない。


 ――行く先々で人助けか。胡散臭い話だ。


 世の中には純粋な正義感で行動出来る人間だってもちろん存在する。ダミアンとてそれは否定しない。前情報なしにアレックスの善行だけを聞いていたら、あるいは好感を持つこともあったかもしれない。


 だが、アレックスが魔剣士だとすれば話は別だ。程度の差はあれ、魔剣士は例外なく狂気を宿す。善意の梱包こんぽうの中にはきっと、おぞましい狂気が詰め込まれているとダミアンは確信している。


「聖人は流石に言い過ぎだよ、マイラ」


 窓の外から長身の影が差し、窓枠へと腕をかけた。

 マイラは椅子から立ち上がり、小走りで窓へと駆け寄った。

 

「アレックス様。戻られたのですね」

「今し方ね。泉で騒ぎがあったようだね。僕が泉を空けたばかりにすまない」

「謝らないでください。不用意に泉に向かった私が悪いんです」


 ――なるほど。好青年だな。


 アレックスは「無事で良かった」と優しくマイラの肩に触れた。


 歳の頃は二十代半ばといったところだろうか。濃紺の髪は短く整えられ清潔感がある。精悍せいかんな顔だが、表情は柔らかく親しみやすい印象を受ける。

 

 長身が目を引くが同時に、羽織ったベージュのコートや紺色のシャツ越しでも分かる筋肉質な肉体の持ち主だ。決してただの優男ではない。戦い慣れした戦士の体つきをしている。


 コートの上から巻きつけられた革製のベルトには、鞘に納められたロングソードが一本帯剣してある。他に武装はないようだ。


「あなたが、僕に会いに来たお客様ですか?」

「ああ。変わった剣技を使う剣士がいると小耳に挟んでな」


 室内を覗き込むアレックスの微笑と、窓辺へ向けたダミアンの仏頂面とが交錯する。お互いに表情を変えぬまま、ほんの一瞬だけ空気が張りつめた。それは第三者には介入の余地がない、当事者同士でしか共有しえぬ感覚だ。一瞬のことだが、お互いにお互いを、魔剣を手にした同類だと確信するには十分な時間であった。


「あなたの得物は刀ですか。この辺りで目にするのは珍しいですね。もしやあなたも、変わった剣技の一つや二つ持ち合わせているのでは?」


「面白味のない我流の剣だが、ご希望とあれば披露しよう。一方的に剣技を見せろと要求するのは不公平だからな」


「真顔で冗談を言えるとは、とてもユニークな方だ」


 アレックスは愉快そうに口角を釣り上げた。これまでとは一転、目が笑っていない。


「場所を変えましょうか。僕には泉の守護者としての役目もありますから、そろそろ戻らないと」


「いいだろう」

「それでしたら私も一緒に」


「マイラ、昼間に危ない目にあったばかりだろう。昼間の連中が仕返しに来ないとも限らないし、君は村で大人しくしていなさい」


「……分かりました」


 憧れのアレックスに言われてしまえば仕方がない。釈然としない様子ながらもマイラは小さく頷いた。


「そういえば、まだお名前を聞いていませんでしたね」

「ダミアンだ」

「改めまして、僕はアレックスと申します。それでは参りましょうか、ダミアンさん」


 ダミアンは軽々と窓枠を飛び越え、そのまま数歩先を進むアレックスの後に続いた。

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