第9話
第九回
理科の授業が始まる前の教室移動の時間に、まだKK子は自分達の教室にいた。理科の授業は実験があることがある。鮒の解剖があることがある。それに何よりもアルコールランプやブンゼン燈と言った火を使うことがある。それに鮒の解剖をしたら解剖皿を洗わなければならない。個々の机に水道の施設がついていなければならない。普通の教室にはそんな設備は整っていない。だから、だいたい教室を移動して実験の出来る設備の整えられている理科教室に移動してその教室で授業を受けるのがつねだった。
理科の授業のときには理科の教科書のほかにノートや理科の実験のためのワークドリルのようなものも持って行く。
教室の三分の二くらいの生徒はすでに理科の実験室に移動していた。
でもKK子はまだ自分たちの教室に残って前の方の席に座って芸能雑誌を見ていた。興味を持っていた芸能人が海外に移住するという記事があって、その記事に目を通していた。
すると、うしろの方でひそひそ声が聞こえた。
実はひそひそ声で聞こえないような大きさで話しているのだが、それがかえって聞かせたいがために話しているような節があった。
だからKK子はかえって、その話し声が耳についた。
教室のうしろの方の席で女子学生たちがたむろして話している。
「ねぇ、噂、知っている。うちの男子で馬鹿みたいな三人がいるじゃない。つっぱりのふりしてるけど、からっきし弱い連中」
「ルー大柴たちでしょう」
「そうそう、あの馬鹿三人よ」
「どうしたのよ、何か、あいつらがまた、馬鹿にされることやったの」
「まあね、いつも三人、一人じゃ何にも出来ないのか、一緒にいるじゃない。馬鹿みたいに。知ってる、あいつら女も共有しているのよ」
「共有。それってどういうことよ」
「やらしいわよ。三人でひとりの女を共有しているってことよ」
「どういうことよ」
「あんた、子供ねぇ。そんなこともわからないの。一人の女を三人で楽しむってことよ」
「やらしい」
「女ってだれ」
「わたしが言わなくても、わかるでしょう。あの女にいつも三人で金魚のふんのように、くっついて歩いているじゃない。ルー大柴と別所哲也、それに仲村トオルよ。噂によると三人にやらせているらしいわよ。それに三人を同時に相手にしているかも知れない」
バンと机の上に教科書をたたきつける音がした。
KK子は立ち上がるとその連中を振り返って睨みつけ、教科書を胸に抱きかかえると理科実験室の方へすたすたと歩いて行った。
理科室の中に入ると一番前に座っている眼鏡をかけた小柄なお金どんぐりみたいな顔をした写真部の生徒をつかまえて問いただした。
だぶだぶの学生服を着た目玉すべてが黒目みたいなその生徒は瞳いっぱいにKK子の顔を見つめた。
「三人組、どこにいるの」
KK子の顔が彼の前にせまって来る。彼の目の前に広がる景色の三分の二がKK子の顔になった。
「ど、どうしたんだよ。急に」
「だから、三人組はどこにいるのよ」
「三人組は知らないけど、トオルは実験室の中に入って行ったのは見たぜ」
KK子はきびすを返すと理科実験室のドアをいきおいよく開けて、中に入った。さがす相手は窓ぎわの実験机の前で外の光を浴びながら、膨張実験用の鉄球が鉄の輪の中に入って出られなくなったのを取り出そうと四苦八苦していた。いたずらをしているうちに鉄球が出なくなってしまったので見つかったらやばいと思って取り出そうとしていたのだ。へたに鉄球を無理矢理引っ張り出そうとすればそこについている鎖が切れるかも知れない、そうすればおおごとである。先生に大目玉を食らうのは必定だ。KK子は鉄球とじゃれている仲村トオルを見つめた。
仲村トオルとKK子の視線は突然、結ばれた。
「KK子」
「トオルくん」
理科の膨張実験用の鉄球を持った仲村トオルの姿はかなり奇異だった。
「どうしたんだよ」
仲村トオルは鉄球をまだがちゃがちゃさせている。
「なんでもない」
「でも、ちょっと、怒っている顔しているけど」
「そうかな」
「何か、あったのかよ」
KK子は少し、媚びをふる表情を見せた。
「ルー大柴くんや別所哲也くんと、それにあなたの三人で私を守ってくれるための三人の会を作ってくれたというのは確かにうれしいわ」
ここで、仲村トオルはお前に男が出来ないようにさせて、シンデレラクイーンの応募資格をとらせるためだとは言えなかった。
「まあな、四人は幼なじみだからな。まっ、まっ、まあ、まあ」
「でも、ボーイフレンドってふつう、一人じゃないの。特定の相手と言ったら、何か、一対一が基本じゃないの」
「まっ、まあな、まあな、まあな」
仲村トオルはKK子の真意がわからず、まだ鉄球をがちゃがちゃさせいた。
「三人の会って存在はたしかにありがたいわ。でも」
「でも、何か、あったのか、お前」
仲村トオルは急にもよおした便意をこらえている人のように足をきゅっと締めた。
「変な、噂を立てる奴らがいるのよ。わたしが三人の男をいいように操っているって。それに操り方もひどいやり方をしているって。それも三人に自由にやらせているから、三人の男がついているんだって、ひどいのは三人、同時にやらせているって言う奴もいるんだわよ」
「えっえっ、何だよ、お前、まだ、中学生だろ、そんなこと、そんなこと、・・・・・・・・・」
仲村トオルは絶句した。
「いい、許してあげる。でも、三人の中で誰が一番・・・・」
「あっ、あっ、あっ・・・・・・」
仲村トオルは次の言葉を聞くのがこわくてKK子を制した。
KK子は無言で仲村トオルを見つめた。
それからKK子は少し悲しそうな目をして理科実験室のドアを開けて部屋を出て行こうとした。
仲村トオルは何か取り返しもつかないような高価なものを失うような気がした。
「KK子」
仲村トオルはKK子を呼びとめた。
「何よ」
「いつも、いつも、いつも、いつも、お前を応援しているからな」
「ありがとう」
KK子は微笑みながら理科実験室のドアをパタリとしめた。
「どうしたの。どうしたの」
「今、KK子の声がしたんだけど」
実験室の奥の方で理科の教師たちが慰安旅行で湯河原に行ったときに浴衣姿で地元のコンパニオンを呼んで馬鹿騒ぎをしたとき撮影されたスライド写真を盗み見ていたルー大柴と別所哲也が顔を出した。
「今、いたのKK子だろう」
「応援しているって言っていたね。俺達も応援していますよ。KK子がシンデレラクイーンコンテストで優勝するの」
「そんな意味じゃねえよ」
仲村トオルは急に怒った。口をとがらせた。
「トオル、何、怒ってるんだよ」
「変な噂が立ってるって知ってるかよ」
「どんな噂」
「KK子に関してだよ。KK子がやらせてくれるから俺達三人があいつにくっついているんだよって噂だよ。それだけじゃねえぞ。KK子の使い古しのパンテイを俺達が毎週一枚づつ貰っているとい噂もあるんだ」
仲村トオルはひとつ作り話を加えた。
「何だ、じゃあ、俺達があいつに恋人が出来ないためにくっついているって、あいつに恋人が出来たら大変なんだ、シンデレラクイーンコンテストの資格がなくなっちゃうからね、そうしたら、俺達にまわってくるおこぼれがなくなっちゃうからね。そういうことだろう。もちろんKK子は幼なじみだけどさ、そのことをみんなに言えばいいじゃないか」
「馬鹿、そんなこと出来るかよ」
仲村トオルの瞳の中にあきらかに押さえがたい怒りが生じているのを見てとった別所哲也だったが、その怒りというのも仲村トオルの内心の何かに向けて発せられたそれだったということは別所哲也にもわからなかった。
「じゃあ、その噂の出所を確かめてとっちめてやれば」
「そんな事、出来るかよ」
仲村トオルは膨張実験用の鉄球を握りしめた。
ルー大柴が苦しげに顔を上げた。
「実はな、恭子の奴がどうして、KK子のうしろを金魚のふんみたいにくっついているか、きっと一人じゃ相手にされないから三人で一緒になってKK子の相手をしているのね。つまり、君たちは三人で、やっと一人分なんだって言われたから、俺、頭にきちゃったから言ってやったんだ。ふん、そんな理由じゃねえよ。KK子はすきなときにやらせてくれるんだよ。だから三人でいるんだ。三人、一緒にやらせてくれるときもあるんだぜって言っちゃったんだよ」
すると、突然、別所哲也が土下座した。
「俺も同じこと言った」
ふたりが土下座した。
見ると、仲村トオルの目もうるんでいる。
「すまん、俺も同じこと言っちゃったんだ」
三人は肩を組み合って頭をたれた。
その日の晩、月の光を受けている庭の棕櫚の木を眺めながら鳳凰中大番長、平井堅はKK子の姿を頭に思い浮かべていた。棕櫚の木の背後には大きなしゃれた高い壁でおおわれている。大邸宅の趣のある庭だった。そして、それを振り払うように空手の演舞を始めた。平井堅は空手の達人でもあった。平井堅は札付きの不良だったが家は平井モータースの跡継ぎでもあった。平井モータースは海外でも歴史に名が残る名車ヒライスター3というスポーツカーを売って外貨を稼いだ日本で二番目に大きな自動車メーカーである。そして平井堅は大財閥の跡継ぎでもある。
「堅ちゃん、お電話ですよ」
電話の子機を持ってやって来た平井堅の母親が平井堅に子機を渡した。
「それにしても、政夫ちゃんはいつになったら帰ってくるんでしょうか」
「お母さん、心配ありませんよ。気が向いたら帰って来ますよ」
「そうかねぇ」
「それより、誰です。電話の相手は」
「彩ちゃんよ」
「そうですか」
平井堅は電話を受け取ると耳につけた。
「もしもし、平井堅です」
「堅くん、彩で~~~す」
「上戸彩ちゃんか」
「最近、何で会ってくださらないの」
「何でって、理由はありません」
「理由がなくはないわ。あなた、本当に愛している人がいるんでしょう」
「あなたには関係のないことです」
「関係のないことはないわ。わたしが原因じゃないの。弟の政夫くんがいなくなったことも」
「本当に関係がありません」
「わたしを忘れないで、あなたの気の迷いよ。弟の政夫くんがいなくなったのもみんな事故よ。あなたが悪いんじゃないわ。だから、あなたには変な気の迷いが起こっているのよ」
「弟の政夫のことは関係がありません」
「違う、違う、弟の政夫くんのことであなたは頭がおかしくなったのよ。それであの女のことを」
「関係がありません」
「違う、そのことが関係しているに違いない。そうなら、そのきっかけを作ったのはわたしだわ、もし、そうならその心の傷は私が治すわ。あの女じゃなくて」
「そうではないってば」
ここでふたつの電話のあいだに沈黙が支配した。
「じゃあ、一番、悪いのはあの自転車屋ね、武田鉄也なのね」
電話の向こうで上戸彩は怒っているようであった。
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