第6話

第六回

「おい、帰るんじゃない」

こそこそと教室の後ろの出入り口からかばんで顔を隠して帰ろうとしていた阿呆三人組は呼びとめられた。

またすごすごと三人組は戻って来ると、自分の席に座ると亀のように首をすくめて座った。

「今日はクラスで大切な話し合いがある」

「大切じゃねえよ」

ルー大柴がぶつぶつとつぶやいた。

「秀和が静岡に引っ越したから、図書委員の男の方がいなくなったんだな」

「そうです」

「女の方は誰だっけ」

KK子が静かに手を挙げた。

「KK子か」

担任の岩手なまりは一人楽しそうにつぶやいたが、そのつぶやきは他人には聞こえないくらい小さな声だった。

「とにかく、図書委員は男女一人ずつで完璧だ。したがって男の方の図書委員を選ばなければならない」

仲村トオルは爪楊枝で耳垢をほじっていた。

そのとき、女の一人が手を挙げた。

「先生、図書委員になると、誰でも本を読むようになると思うんです。だから、このクラスで一番、本を読まないような男子を図書委員にするのがいいと思うんです。だから仲村くんを推薦します」

あまりに突然のことに仲村トオルは前のめりになりそうになった。

「寄付された本を整理する仕事があるそうだな。ふたりとも協力して、しっかりやれよ」

担任の声がぼんやりと仲村トオルには聞こえた。

校門をひとりの女が家路に向かう。少し距離をあけて三人の男がついて行く。

女はKK子である。

そして、その後ろをついて行くのはあの阿呆三人組である。

一定の距離は全く縮まない。

KK子が歩くと、三人組も前に進む。

KK子が止まると、三人組も止まる。

KK子が急に振り返った。

「わたし、この決定には不満だからね」

「俺だって、そうだよ」

「でも、寄贈図書の整理はちゃんとやるつもり、トオル、今度の土曜日は残るのよ。異議ないわね」

「そんなこと出来るかよ。暇がねえよ」

「ふざけないでよ。あんたのそこにいる。馬鹿二人も手伝うのよ」

「えええ、馬鹿ふたりって誰」

別所哲也とルー大柴はお互いの顔を眺めた。

「あんた達に決まっているじゃない。馬鹿ふたりって言ったら」

「俺達が馬鹿だって、ひどい」

「おい、KK子、いい気になるなよ」

「何よ、いい気になるなんて、あんたのお母さんに言いつけてもいいの。あんたのお母さんには私の方が信用があるって、あんたもよく知っているでしょう。あんたが近所の犬が怖くておしっこ漏らしてうちに来たことあったわよね」

仲村トオルは下を向いてぶるぶると震えた。

「おい、トオル、あんなこと言わせていいのかよ」

「KK子、そしたら、お前、お前、平井堅に手伝って貰えばいいだろう」

するとKK子の表情が変わった。無言になってつかつかと仲村トオルの方に寄ってくると急に仲村トオルの胸ぐらをつかんだ。

「何、すんだよ」

仲村トオルは涙目になった。

別所哲也もルー大柴も手を口にくわえて、唖然としてその様子を見ていた。

「トオルくん、トオルくんじゃないか」

向こうの方から仲村トオルを呼ぶ声が聞こえる。

「哲也、哲也、何してるんだ」

「おじさん、こっち、こっち」

何も知らないおじさんは別所哲也の方ににこにこしながら小走りで歩み寄って来た。

「君たち、何やっているの。トオルくん、学生服の徽章でも壊れたのかい。女の子に直してもらうなんて、君もすみにおけないね。くくくくくくく」

「違うんだよ。違うんだよ。ゴヘヘヘヘヘヘホホホホホ」

仲村トオルが咳き込みながら答えると

「そう、直していたんです」

手を離したKK子がちらっとおじさんの方を見てほほえんだ。

そのとき、おじさんの顔が薔薇色に輝いたが、仲村トオル達はそれどころではなかったので、そのことにも気づかなかった。

「私、失礼しますわ」

そのままKK子はすたすたとひいらぎの生け垣の横を向こうの方へ立ち去って行った。

「事実は違う」

仲村トオルはまだ首のあたりをさすりながら、その男の方に話しかけた。

「事実は違うんですよ」

「どういうふうに違うんだい」

「あの、女に首を絞められたんだよ」

「へえ」

「本当、ひどい女ですよ。あいつ」

ルー大柴も仲村トオルを援護した。

「それより、おじさん、何で、こんなところ、歩いているんだい」

別所哲也がおじさんに話しかけると、おじさんは答えた。

「君の家に久し振りに遊びに来たんじゃないか。フライデーのチョコケーキを買って来て置いて来たからね。きっと冷蔵庫の中にまだ入っていると思うよ」

「食われてるよ。きっと」

別所哲也は否定的に答えた。

おじさんの名前は水野晴夫という。映画会社の宣伝部に勤めている。別所哲也の父親の実の弟だった。

ときどき別所哲也の家に遊びに来る。そのとき、いつもおみやげを持って来るので別所哲也はこのおじさんをいつも歓迎していた。それに芸能界のスターのサインや映画の販促品なんかも持ってくるので、このおじさんが自慢の種でもあった。

「喫茶店に入って話しでもしようか」

「喫茶店に入ると生徒手帳をとりあげられる」

「保護者がついているからいいんだよ」

三人の阿呆達は水野春夫につれられて駅のそばの カトレアという名前の喫茶店に入った。店の内装はラワン材を削って、その上に濃いめのニスを塗りたくった、昔の感じのする店だった。店の中のあちこちにアロエの鉢が置かれている。

コーヒーカップは小さくて厚く出来ていて、したがって注ぐコーヒーの量が少なくて済むので店にとっては経済的だった。しかし、朝の九時半から十一時の間だはトーストが食べ放題というサービスがついていた。

デコラ板のテーブルを囲んで仲村トオルたちは座った。

「ブレンドコーヒー、四つ、それにフルーツタルトも四つね」

水野春夫は椅子に座ると同時に横に置いたかばんの中から、パンフレットのようなものを出してテーブルの上に拡げた。

それと同時にコーヒーとケーキが運ばれて来たのでルー大柴はフルーツタルトの真ん中にフォークを突き立てて、水蜜桃をすくい上げて口の中に運んだ。

「食べてよ。食べてよ。みんな」

水野晴夫はほくほく顔になって、ケーキの切れ端を口の中に運んでいる馬鹿な中学生三人の顔を眺めている。

彼は中学生たちが机の上にひろげられたパンフレットに気づくのを待っていられなくて自分の方から切り出した。

「これ、見て、これ」

「シンデレラオーディション祭り、君もスクリーンのスターに」

ルー大柴がそのパンフレットの題名を見て、すかさず、にやにやして、水野晴夫に言葉を発した。

「ついに、僕を見つけてくれましたか。ねぇ、スカウトでしょう」

横に座っていた仲村トオルがルー大柴の頭をこづいた。

「馬鹿言ってんじゃねぇよ。シンデレラって書いてあるじゃねぇか。女のことだよ」

「そのとおり。トオルくんはやっぱり、頭いい」

「変なおだてかたしないでくださいよ」

「おじさん、これが俺たちに何の関係があるんだい」

別所哲也も片手にフォークを持ちながら、片手でそのパンフレットを取り上げて眺めた。

「これ、長澤まさみちゃんじゃないの」

別所哲也は口の中にフォークをくわえたまま見ている。

そこにはその映画会社のカレンダーに載っている若手女優がにっこりと微笑んでいた。

「僕はひらめいたんだよ。君たち、あそこで何をしていたんだい」

「トオルは首をしめられていたんだよ」

「本当、ひでぇ、女だよ。あいつ」

「まあ、そんな事はどうでもいい。僕はひらめいた。あの女の子は哲也くんたちのクラスメートなんだろう。名前は何て云うの」

「名前を聞いて、どうするんだよ。おじさん」

「僕はひらめいたんだよ。きっとあの子はスターになる。今度、一押しで売り出そうと思う」

「えええええええ」

「えええええええ」

「えええええええ」

「何をびっくりしているんだよ」

「ひらめきっていうのはときとして的をはずす事が多いと思うけど」

「それでも、いい。君たちを彼女の推薦者にしよう。推薦者には一年間、六本木の高級焼き肉店、南平台で焼き肉ランチ食い放題という特典がつく」

「本当。三人が推薦者になってもいいの」

「もちろんだよ」

「やっぱり、あいつはちょっと違っていると思っていたんだよ。俺達のクラスの同級生でね。KK子というんだよ」

「哲也のおじさん、でもねぇ、あいつ、そんなスターというには程遠いよ。そりやあ、見た感じはちょっときれいだけど、スターというにはね。それにあいつには平井堅という・・・・・」

突然、別所哲也とルー大柴のふたりがあわてて、仲村トオルの口をふさいだ。

ルー大柴はそのパンフレットのある場所をさかんに指し示していた。

「あっ、そうだ。それから忘れていたけど。その女の子には恋人がいないことが条件なんだ。恋人がいたりしたら、シンデレラクイーンの資格は剥奪されるからね」

************************

ルー大柴の部屋のある二階で仲村トオルたちは車座になっていた。

「お前、お宝を集めているんだってな」

「へへへへへへ、見せてやろうか」

ルー大柴はベットの下からプレーボーイとペントハウスのたばを取り出すと、外国の女の裸の写真が畳の上に広がった。

「ルー、みんな、宿題をするために来てくれたんだって、ケーキもあるからね。あるって言っても、近所の人に貰ったんだけどね」

階段の音をみしみしさせながらルー大柴の母親が二階に上がって来た。

「やばい、隠せ」

三人はあわててベットの中にそれらの雑誌を押し込んだ。

そんな事も知らずに母親は自分の息子たちが勉強をするために集まっているんだと勘違いしてお盆を下に下ろすと紅茶とケーキを三人の前に置いた。

「何の、勉強をするんだい」

「これから、始めるんだよ」

「あそこに参考書が置いてあるじゃないか、でも、ちょっと大きな参考書だね」

ルー大柴の母親はそれに手を伸ばしてとろうとする。

三人はやばいと思った。

しかし、遅かった。ルー大柴の母親はそのちょっと大きな参考書を手にとって眺めている。

「何だ、小学校時代のアルバムじゃないか」

それはルー大柴の小学校の卒業記念のアルバムだった。

そしてそれは仲村トオルのでもあるし、別所哲也の卒業記念のアルバムでもある。

仲村トオルも別所哲也もルー大柴も、そしてKK子も同じ小学校に、その上同じクラスに六年間、通っていたのである。

ルーの母親はちょっと懐かしいと思ったのか、それをひろげて見た。

母親にとってはそこに写っている子供たちの姿がどう映ったのだろう。

「みんな写っているじゃない 」

あまり感動もないようだ。

「KK子ちゃんも写っているじゃない。近所で話したんだけどね。KK子ちゃん、ここら辺で一番、きれいじゃない。でも、ラブレターを一度も貰ったことがないんだって。あのちびちゃん、いるじゃないの。服部さんっちの子、あの子、何度もラブレター、貰っているんだってよ。あの子の方が男の子に人気があるんだってねぇ」

ルーの母親はどうでもいいような事をべらべらと話している。

三人の作戦会議には全く関係のない話しだった。

「うるせぇなー。勉強、始めるんだから、帰れよ」

「そう、しっかり、勉強するんだよ」

ルー大柴はあわてて母親を階下に追い返した。

「あぶねぇ。あぶねぇ。危うく見られるところだった」

「それより、あの話し、どうする。KK子の推薦人になるという話し」

「もちろん、乗るよ。一年間、高級焼き肉ランチの食い放題だろう。それでおじさんがKK子の写真をもっと見せてくれというから、KK子の写っている写真も集めているんだよ」

ルー大柴は紙袋の中から遠足に行ったときなどのKK子の写った写真のたばをみんなに見せた。

仲村トオルはあらためてKK子と長いつき合いだったということを認識した。

「それより、問題はシンデレラクイーンの条件だよ。恋人がいてはならないという」

「普通、中学生なら、恋人がいないだろう。しかし、問題がある」「問題が」

ルー大柴も深々と嘆息した。

「KK子が平井堅に惚れているか、どうかということだな」

三人にとって、これは重大な問題だった。

平井堅がKK子に惚れているということは明らかだった。

それはあの平井堅の風呂屋での待ち伏せ事件から続いている。

この前もこんなことがあった。

それは国語の授業のときだった。二年B組、仲村トオルのいるクラスは二階にある。

そして、彼らの中学校はこの区域でも有名なボロ校舎で、木造校舎だった。

「そんなふうにして恋いはどこから、やって来たのでしょう」

国語の井川はるら先生は有名な外国の詩人の詩を校舎の窓の外にひろがる空に浮かんでいる雲を見ながら朗読した。

仲村トオルも別所哲也もルー大柴もうつらうつらと居眠りをしていた。もちろん、それは給食を食べたあとの授業で自分たちの腹がくちくなって血液中の血糖値の関係もあったが、恋いなんて、彼らには全く興味のない時弊だった。

井川はるら先生は美しい人だったが、今だに独身だった。

その理由は何故か、わからなかった。

中学生たちにわかるはずがない。

「先生、何で、先生は今だに独身なんですか」

「余計なこと、聞きやがって、あいつ、きっと怒りだすぞ」

後ろの席に座っているルー大柴と別所哲也は仲村トオルの背中をつついた。

さにあらず、意に反して井川はるら先生は怒り出さなかったのである。

目に優しさをたたえて、その女性徒の方を見た。

「縁がなかったのよ」

「先生なら、プロポースする人がたくさん、いたでしょうに」

「でも、この人と結婚しようと決めた人はいたの」

「いつですか」

「君たちと同じ中学生の頃、その人は小学校の頃からの幼なじみだった」

仲村トオルはぎくりとした。

そしてKK子の方を見ると、彼女ははるら先生をじっと見ていた。

彼女の横顔がトオルの視野の中に入った。

彼女はトオルに見られているということも気づいていなかった。

彼女の目はやはり、澄んでいた。

そのときである教室の二階の窓から何かが通り過ぎた。

一瞬、その無気味な大こうもりみたいなものが現れて、また、消えた。

そして、またそれはやって来た。

長いロープにぶら下がった平井堅が振り子時計の振り子のように二年B組の窓の外を通り過ぎたのである。

そのとき、平井堅はにっと笑い、手にはKK子ちゃん、愛しているというプラカードを持っていた。

全く、神出鬼没な奴だった。

その姿を仲村トオルははっきりと目に焼き付けた。

そしてKK子もその姿をはっきりと目に焼き付けたに違いない。

「あの馬鹿」

KK子は下を向きながら、苦々しげにつぶやいた。

教室中のみんなが窓際に行くと、するすると平井堅は校庭に降りて行き、一階から生徒指導の教師たちが校庭に飛び出して行った。そこで追いかけごっこがはじまり、平井堅は校庭を走り出て行った。

ありみたいに小さくなった平井堅と教師の姿が胡麻の粒が油の上を移動するように動いていた。

KK子はふてくされたように肘をつき、ぶつぶつと何かをつぶやいていた。

「どうする。六日前の出来事を覚えているだろう」

「あの、平井堅の積極性」

「やばいぜ、絶対」

「どう、やばいんだよ」

ルー大柴と仲村トオルのふたりは別所哲也に尋ねた。

「やばいって、わかんねぇのかよ。お前らって馬鹿だなぁ。これは生物学的な問題なんだよ。確かに、今はKK子は平井堅のことを何とも思っていないかも知れない。でも、あいつの存在はKK子の心の片隅には焼きこまれているに違いない。そして、その存在はだんだん大きくなって行くのだ。それは何故か。お前達にはわからないだろうな」

「何でだよ」

「つまり、生命の神秘なんだな。つまり、生物学的には女の方が受動的なんだな。巣を作って子供を産まなきゃならないから。だからだ。平井堅の愛の攻撃がこのまま重なって行くと、KK子は陥落してしまう。すると、どうなる」

「KK子のシンデレラクイーンの資格剥奪だ」

ルー大柴も合いの手を入れた。

「これは由々しき問題だ」

「高級焼き肉ランチが遠ざかって行く」

「平井堅をつぶすしかない」

「しかし、あいつは大番長だぞ。俺達が百人いたって、あいつ一人にかないっこないぜ」

「ああ、KK子、平井堅に惚れるな、惚れるな」

「でも、KK子って可愛いと思わない」

別所哲也が言った。

「KK子って、確かに、スタイルがいい」

ルー大柴は風呂屋で見たKK子の裸体を思い浮かべて言った。

「お前ら、平井堅をライバルだと思っているのか」

「そんなことないけど、KK子と平井堅が並んで歩いている姿を想像するとお似合いのような気もするし、ちょっと妬ける気もするよな」

「馬鹿だなぁ、お前ら、あの女が男を好きになるかよ。とにかく、あの女、ちょっと変わっているからな」

「どう、変わっているんだよ。トオル。お前、あの女に関して、俺達の知らない秘密でも知っているんじゃねぇのか」

「秘密なんてあるかよ」

「でも、お前んちの母ちゃんとKK子の家の母ちゃんって特別に仲がいいじゃないか」

「そんなの関係ねぇよ」

すると、階下からルー大柴のおふくろの声が聞こえた。

「馬鹿息子たちぃぃぃ。お前たちには勿体ないようなきれいなお嬢さんが訪ねて来てくれたよ」

二階の部屋から階段の下の方をのぞくと目をくりくりさせてルー大柴の母親が上の方を見上げている。

「おばさん、きれいなお嬢さんなんて」

ルーの母親の横でKK子が彼女の腕のあたりをつついている。

「本当、あんたみたいな可愛い子がうちの馬鹿息子のお友達なんてねぇ」

二階の上の方で三人が同級生ってだけだよ、とか何とか、ぶつぶつと言うと、KK子は何か言ったぁ、とか言った。

「さあ、上がって、上がって」

ルーの母親は世話焼き婆さんのようだった。KK子が躊躇していると彼女は無理矢理、KK子を二階に上がらせた。

母親はまたもう一人分のケーキと紅茶を持って下から上がって来た。

もちろん、ルー大柴はペントハウスもプレーボーイもベットの下の奥の方に押し込んだ。

「思ったより、いい眺めじゃないの」

KK子は窓から張り出している縁台に腰掛けると灰色のトタンで出来た煙突みたいな、ちょっと変わった家と、その向こう側にある大きな下水管が積み上げられている、緑の原っぱを見ながら言った。

「何しに来たんだよ」

「ご挨拶ね」

KK子は足を組み替えた。するとアコーディオンのようなスカートがひらひらしてコバルト色のソックスが小さく弧を描いた。

「寄贈図書の整理の打ち合わせよ。もちろん、三人とも手伝うのよ。異議はないわね。それについて、あんたたちって本なんて、全然、読まない人たちだから、図書の分類番号のことなんかを教えに来たのよ」

KK子は窓辺に座りながら偉そうに言った。

「俺達だって本ぐらい読むさ、主にビニ・・・」

「うるせえ、うるせぇ」

仲村トオルがルー大柴の口をふさいだ。

「でも、三人とも、何で、集まっているの。おばさんに聞いたら、勉強をするために集まっているとか、言っていたけど、とても、しんじられないわ」

KK子は部屋に置いてある小学校時代のアルバムを見つけて手を伸ばした。

「ルー、これ、小学校時代のアルバムじゃないの。みんなで見ていたんだ。三人とも腐れ縁だもんね」

「お前もだろう」

仲村トオルがくちびるをとがらせて抗議した。

そして、とてもお前の写っている写真を集めているんだとは言えなかった。

しかるに、KK子は三人の馬鹿達のそんな企みももちろん知る由もない。

三人の馬鹿達が自分の写真を眺めていたなんてことも。

「勉強もしないで、こんなものを見ていたんだ。時間の無駄じゃない。明日、英作文の宿題を提出しなければならないんでしょう。その方が大事でしょう」

KK子はまた馬鹿にするような口振りで三人に言った。

ルー大柴が急にどういう風の吹き回しか、変なことを思いついた。

「実はな、俺達、三人の会ってのを作ったんだよ~~ん」

「三人の会、何、それ」

「お前に男が出来な・・・・・」

「ああああああああ」

別所哲也が言い出そうとするのを仲村トオルは口で押さえた。

代わりにルー大柴が答えた。

「うちの中学って、今、非常事態じゃない。と言うより、うちの地区が非常事態なんだけどね。龍中、鳳凰中、虎中と三つの中学が覇を競っている。本当に昔の戦国時代と同じだからね。その上、よりによって人間離れした三人の大番長が出現しちゃったし、さらに困ったことにはKK子ちゃんは大番長のひとりの平井堅に目をつけられちゃうし、本当、KK子ちゃん、可愛そう。幼なじみの同級生として僕らも本当に心配しているんだよ。あんな奥目に好かれちゃうなんてね。だから、幼なじみの僕たち、三人で何があってもKK子ちゃんを守ろうって、トオルが言い出したんだよ。僕たちはいつでも、KK子ちゃんの味方だよ。命がけで君を守ってあげるからね。う~~~ん、KK子ちゃんって可愛い。それで最近、トオルなんて非常サイレンつきの携帯だって買ったんだから」

「本当」

KK子の瞳に優しさがきらめいた。そして、じっと仲村トオルの方を見つめた。

「本当、トオルってそういう人だったんだ」

明らかに仲村トオルの心の中には混乱が生じているようだった。

意外にもKK子が女の一面を出して来たからである。

それと同時に自分たちが明らかな作り話と、自分たちの利益のためにKK子をだしに使っているからである。

「ありがとう、古い友人の君たちに感謝するわ」

KK子の顔には微笑みがひろがっている。

「でも、それと図書整理の仕事とは別よ」

KK子は図書の整理番号とか、仲村トオルたちがあくびをかみころさなければならないような話しを延々と続けた。

ただ、その話しのあいだにこの話しが我慢出来た理由は、話しの途中にKK子が黒いソックスを穿いてきていて、その足をときどき組み替えることだった。そのたびごとに健康的に伸びたKK子の大腿部のふくらみが三人の馬鹿達の目にちろりと飛び込んでくるのだった。KK子は明らかに不純な色情にかられて三人がそれを見ていることにも気づかないようだった。

「別所く~~~ん、おうちから電話よ」

また、階下から、ルー大柴の母親が血色のよい顔の中のくりくりとした目で彼らに声をかけた。

「わたしが、お話を伺いましょうか」

二階にいる別所哲也が返事をする前にルーの母親は勝手に自分本位に解釈していて、別所哲也の家からの伝言を自分が全部とりついで、それを別所哲也に伝えることにしていた。

「えええ、何でございます。哲也くん、勉強で忙しいようで、電話口にでられないようでございますから、はい、はい、もうそろそろ、夕飯にしたいから帰って来いとお伝えすればいいんでございますね。えええ、うちの馬鹿息子も似たようなものでござんすよ。ええええ、帰りにソース、ウスターですか、それがないから買って来いということですね」

「わかった」

電話を置くとルーの母親は四人の顔を見上げた。

その様子を二階の四人はみんな、じっと見ていた。

別所哲也が抜けてから、小半時、三人は同じようなことを続けていたが、二階の窓から見える景色の中の雲がオレンジ色に染まりだした。雲はオレンジ色だが、空はまだ青味が残っていて美しいコントラストをなしていた。窓際に座ったKK子の姿を柔らかい光が包み込み、KK子のシルエットは夕暮れの景色の中にとけ込んだ。

「わたし、帰るわ」

「俺も帰る」

ルーの母親が一緒にカレーライスを食べて行けという声をあとにして、仲村トオルとKK子は夕暮れの街に出た。

ルー大柴の家は小高い丘の上にあり、そのまわりにはなだらかな丘がつながり、まだところどころに畑が残っていた。畑のはしには柿の木が奇怪な魔女のような姿で立っていて、そこには熟した柿の実がなっている。畑の土の色とその柿の実の色は絶妙な対照をなしていた。

ふたりはまるで恋人のように並んで歩いた。

KK子がどう思っているかはわからないが、仲村トオルの方は自分たちがKK子を焼き肉ランチの食券のように思っていたことも忘れて、自分が彼女のことをやはり恋人のように一瞬錯覚していたことは不思議だった。

その美しい情景に催眠術をかけられていたのかも知れない。

美術の篠原涼子先生の言った、恋人が出来たら、自分の目に映る風景が違ってくると言ったのはこのことかも知れないと思った。

「もしもだよ、もしも」

仲村トオルは横にいるKK子の顔を眺めた。

「もしも、君が突然、有名になって、いろいろな男からラブレターが来て、そんな男達がKK子のことを大好きだって、恋いこがれているっと言い出したら、そして、きみと結婚出来るなら、何でもするって、それも普通の男の子がそう言い出すんではなくて、アラブの富豪か何かがそう言って召使いをKK子のところに来させたら、どうする」

「どういうこと」

KK子は怪訝な顔をした。

仲村トオルは馬鹿三人組がKK子を推薦して、その報酬として六本木の高級焼肉店で一年間、焼き肉ランチの食い放題の権利を得ることを画策しているとは言い出せなかった。

「トオル、あなたの言っていることの意味がよくわからない」

「わからなくてもいいよ」

仲村トオルの顔は気むずかしい、みみずくのようになった。

「哲也のおじさんの水野晴夫さんって知ってるか」

「知ってるわ。映画会社の偉い人でしょう」

「大河ドラマに出ている、***子って、知ってるかよ。***子って渋谷で水野晴夫にスカウトされたんだろう。それで、あっという間にスターになったんだなあ。それから、あいつも・・・・・」

仲村トオルは水野晴夫がスカウトしてスターになった女の子たちの名前を挙げていった。自分でも何でそんなことをしているのか、よくわからなかった。と同時に水野晴夫がスカウトしてスターになった女の数が多いことに気づいた。

と言うことは水野晴夫が太鼓判を押したKK子という存在は。

もしかしたら、もしかしたら・・・・・・・・

スターになるということか・・・・・。

KK子が仲村トオルの心の内を理解しているのか、どうなのか、仲村トオル自身にはわからなかった。

ただ美しい景色の中で仲村トオルは疑似恋愛感覚だけを感じていた。

急に、KK子は仲村トオルの方を振り返ると微笑んだ。

「うれしかったわ」

「えええ」

仲村トオルはびっくりしてKK子の顔を見た。

「別所くんも、ルーも、それにトオルくんもわたしのことを考えてくれていたのね。三人の会」

「ええええええ」

「トオルが最初に考えてくれたの」

「まっ、まっ、まあ」

仲村トオルはそれがルーが勝手に思いついた出まかせだとは今更言えなかった。

「わたしのあとにはいつもあなた達三人がついているのね」

「まっ、まっ、まあ、まあっな」

KK子ははるか遠くを見ている、遠い日の思い出を懐かしんでいるようだった。

「さっきの質問だけど、私が急にもてもてになったら、どうしょうかしら、あなたたち、三人をいつもそばに置いて、召使いね。その上でそれらの男たちと恋愛三昧ね。でも、あの平井堅はお断りするわ」

「召使い」

仲村トオルはその言葉に閉口するでもなく、聞き流した。

「ねぇ、見て」

立ち止まったKK子は指さすと一つ隔てた丘の上に一本の木が立っている。

「トオルくん、覚えている。あの木」

「ぇぇぇぇ」

仲村トオルはKK子が指さした木が何を意味しているかわからなかった。

「まぁ、いいわ、宿題ね」

仲村トオルはその意味もわからなかったし、また、KK子はちょっと変わった女だとやはり思った。

**********************



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