第5話
第五回
「美術の神髄を私、最近、見つけたのよ。それは微笑みにある。見て、この法隆寺の弥勒菩薩像。それからモナリザの微笑み。みんな共通しているの、それは微笑みね。それもただの微笑みではない。アルカイックスマイル」
仲村トオルは机の上にスケッチブックを置いたまま、美術担当の篠原涼子先生の顔を見上げた。篠原先生は美しい。でも、それだけである。仲村トオルは篠原涼子先生がどんな人なのかはほとんどしらない。座席の後ろでは別所哲也とルー大柴が水彩絵の具を洗うための水バケツの中に筆を突っ込んで遊んでいる。
クラスの中の男子生徒の中には篠原先生に憧れている者もいる。しかし、仲村トオルは篠原涼子先生が美しい人だという印象しかないのだ。でも、その授業に出るのは楽しい。篠原先生がきれいな人だからだ。今、言ったように篠原涼子先生に憧れている男子生徒は彼女に積極的に話しかける者もいる。しかし、馬鹿三人組はそこまで彼女に興味も持っていなかった。
「ポスターの中に石鹸という英語を入れたいんですが、石鹸を英語でいうとどういうことになるんですか」
「石鹸、ポスターの中に石鹸って入れたいの」
今日の美術の時間はポスターを描くことになっていた。
「先生、最近、きれいになりましたね」
生意気盛りの女子学生がたずねた。
「前から篠原先生、きれいだったけど、ますますきれいになったわ。先生、婚約したという噂は本当ですか。先生の婚約者ってどんな人ですか」
個人的なことだとも言わずに篠原涼子先生は正直に答えた。
「本当、もうすぐ結婚するの」
「わあー」
ときの声が挙がる。
仲村トオルにはやはり彼女の婚約者の顔が思い浮かばなかった。
「先生、恋愛結婚ですか」
「そうよ。恋愛」
「わたし達に少し、その話しをしてください」
篠原涼子先生はやはり個人的なことだとは言わなかった。
「先生、わたし達が特定の恋愛相手を持つのは早すぎると思いますか」
「何で、そんなこと、聞くんだよ」
「いいじゃないの」
「先生は中学生が特定の恋愛対象を持つのは早すぎると思いますか」
「うちの父ちゃんはそんなの早すぎるって言っていたぞ」
「子供、ガリ勉小僧」
そこで笑い声が起こった。
仲村トオルはKK子がどんな表情をしているかと思ったが、やはり彼女は篠原涼子先生の顔をじっと見ている。
その目は澄んでいた。
「そうね、君にはまだ早すぎるかも」
ここでまた笑い声が起こった。
「早すぎるってよ。早すぎるって。くくくくくくくくく」
別所哲也とルー大柴が横を見ながら仲村トオルの背中を突っいたので仲村トオルも顔をくしゃくしゃにして横の方にいるガリ勉小僧の顔を見た。
「でも、人を好きになるってことは素晴らしいことよ。昨日までの景色が違って見えてくるの」
篠原涼子先生はやはり堂々と答えた。
「もし、あなたがいくら多くの友達に囲まれていても寂しかったり、または友達が一人もいなかったりしたら、特定の異性の友達を持ちなさいと言いたいわ。でも、そこの阿呆三人組にはそんな心配はないようね。あら、ごめんなさい、阿呆三人組なんて」
「俺達は阿呆じゃない。違う~~~~~」
クラス中の視線がみんな仲村トオルたちの方に向かっていた。
「違う~~~~~」
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